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コンサートの感想などを書き連ねます。

山形交響楽団さくらんぼコンサート2023(2023年6月22日)

2023年06月23日 | コンサート

 2003年から毎年この時期に東京で開催される恒例の「さくらんぼコンサート」、今回は今年ミュージック・パートナーに就任したチェコの名ホルン奏者にして指揮者のラデク・バボラークを迎えた彼のお国物を中心としたプログラムだ。まずはスメタナの交響詩「ブラニーク」。全6曲の連作交響詩「我が祖国」の終曲であるが、各曲の性格からして2曲ひと組と考えられる構成からこの一曲だけを抜き出すのは珍しい試みなのではないか。コンバス最大4本の小編成のオケを目一杯鳴らした演奏で、弦の厚みがない分金管や木管アンサンブルが強調され、強弱を丁寧につけた弦の表現と相まって、戦乱の後の勝利の凱歌という重厚さよりも、どちらかと言うと爽やかな気分が溢れる仕上がりとなった。とりわけ舞曲調の部分のドライブは本場感に溢れるものだった。続いては有名なモーツアルトのホルン協奏曲第3番変ホ長調と、それに続いてドニゼッティのホルン協奏曲ヘ長調という珍しい佳作。これはもう間違いなくバボラークの妙技を楽しませてくれる選曲だった。繊細で羽毛のように軽やかな弱音から逞しく輝かしい勇壮な強音まで、どこをとっても滑らかさを欠かさない文句のつけようのない音楽に只々聞き惚れるのみだった。そしてメインはドヴォルザークの交響曲第8番ト長調作品88。ここでも爽やかな気分は貫かれ、次から次へと湧き出るメロディを楽しんだ。盛大な拍手にアンコールはスラブ舞曲作品72-71。奏者達の気分的な盛り上がりもあってか、これはこの晩のオーケストラ・ピースではこれが一番の出来だった。


都響第976回定期(2023年5月29日)

2023年05月29日 | コンサート

尾高忠明が珍しく都響に登場して、得意とするラフマニノフとエルガーを並べた演奏会だ。最初はラフマニノフの絵画的練習曲より第2曲《海とかもめ》作品39-2。今回はピアノ独奏曲をレスピーギが編曲したバージョンだ。静かな中にわずかな感情の昂りもある佳作で、レスピーギの手にかかると洗練された淡い色彩が美しい曲になった。続いてピアノ独奏にアンナ・ヴィニツカヤを迎えて「パガニーニの主題による狂詩曲」作品43。完璧なテクニックの美音で、いとも楽しげにこの難曲をサラリ弾く。オケも完璧に付くのでなんとも気持ちよさそうである。濃厚なロマンよりも爽やかな初夏の風を感じさせるような音楽だった。ソロアンコールは絵画的練習曲集 Op.33 より 第2番 ハ長調。そしてトリは気力十分で臨んだエルガーの交響曲第2番変ホ長調作品63だ。尾高は登場の足取りから気迫に満ちていて名演を予感させるものがあったが、日本人初のエルガー・メダルを英国エルガー協会から授与されているのだから悪いわけはない。とにかく尾高のエルガーに対する並々ならぬ共感がオーケストラに伝播し、実に感情豊かで格調高い(nobilmente)演奏が実現された。エドワード王朝の栄華と憧れの佳人(アリス)への憧憬的な思いがないまぜになった独特の風情を、豊麗かつ密やかに描き切ったオケも実に立派だった。大きな拍手を制して、「実は2ヶ月前に英国のあるオーケストラでこの曲をやったのですが、今日の方が上でした」と指揮者本人に言わしめた程の希代の名演だった。フライングのない実に気持ちの良い拍手と盛大なブラボーの飛ぶ中、最後は尾高一人で呼び出され声援に応えた。
筆者注:「あるオーケストラ」とは、日程を勘案すると「BBCウエールズ・ナショナル管」らしい。


読響第257回土曜マチネーシリーズ(2023年5月13日)

2023年05月13日 | コンサート

この4月から京都市響の常任指揮者に就任した沖澤のどかが、一昨年10月の山田和樹の代演に引続いて再度読響に登場した。1曲目はソリストに三浦文彰を迎え、エルガーのバイオリン協奏曲ロ短調作品61という大作だ。エルガーにしては明るめの音色で明快なメリハリで音を紡いでゆく沖澤に対して、三浦のストラディバリの音色は豊かで美しく技巧も申し分ないものの、今ひとつ曲に入り込めずに感情が音楽にのりきれていないように聞こえた。それゆえタダでさえ長い曲が更に冗長に感じられる結果になった。休憩を挟んでワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲とR.シュトラウスの「死と変容」作品24。この2つの曲が間を置かずに続けて演奏され、あたかも「死と変容」が「愛の死」と入れ替わったような具合だった。連結部分は調性的にも音色的にも不自然さを感じさせる所はなく、この二人の作曲家の個性を対照的に聴き比べることができたのはとても面白い経験だった。演奏の方は、前半エルガーと比較するとまるで水を得た魚のように生き生きとしたものだった。まさに本拠地をベルリンに置いて勉強している沖澤の面目躍如ということだ。惚れ惚れするような鮮やかで自信に満ちた振りでオケを統率し、そこから一部の隙もない音楽が生まれる。音響と構成の完璧なバランス、そして決して不自然さを感じさせない微妙な速度の揺れから生き生きした音楽が生まれる。そうした意味ではその手腕はもはや熟達の域に達していると言ってもよいくらいだ。そんな指揮に導かれた読響は、まるで日本のオケであることを忘れさせるように意味をもってブリリアントに鳴り渡り、激しい心の闘争とその後の安らぎを描き尽くした。


バーミンガム市響定期(2023年5月3日)

2023年05月10日 | コンサート

日本のゴールデンウイークに、ロンドンに次ぐ英国第二の都市バーミンガムを訪れた。そこでせっかくなので何かイベントは無いかなと前日にスマフォで探していたら偶然に見つけたコンサートである。早速にウェブチケットを押さえて馳せ参じた。何とこの4月から首席指揮者兼芸術顧問となった山田和樹の指揮、そしてソロはベルリン・フィルのコンマス樫本大進である。まさに奇遇な出会いと言って良いだろう。街の中心、立派な公共図書館に隣接するシンフォニー・ホールという会場で開催された水曜日のマチネーである。曲目はブラームスのバイオリン協奏曲ニ長調とリムスキー=コルサコフの交響組曲「シェーラザード」という面白い組み合わせだ。(ブラームスは6月末の来日公演にも持って来ることになっているようだ)樫本のソロは滑らかで恰幅の良い音楽で、ことさら重厚を狙うわけでもなく中庸に構えた自然体。オケもそれに上手く合わせた。演奏が終わって讃え合う二人の光景が眩しく写った。2楽章のオーボエが余りに美しかったのでメンバー表を見たらYurie Aramakiとあった。続くシェーラザードの山田の指揮も中庸を極めたもの。ことさらに華やかさを狙うわけでもなく、甘く歌うわけでもなく比較的あっさりとした音楽だった。なので正直言って私にはちょっと物足りなさが残った。とは言え大向こうからは大きな声援が飛んでいたので、この地での人気は上々なのだろうと嬉しく思った次第である。アンコールはなくサッパリと解散。この時期英国ではマスク姿はほぼ見かけない。ラウンジのカウンターも開いていて休憩時はそれぞれ手にグラスをもっての歓談風景だ。私もひっかけたIPAが喉に染みた。


東京シティ・フィル第360回定期(2023年5月10日)

2023年05月10日 | コンサート

2023年度幕開きのシティ・フィル定期は何とも渋い選曲だ。しかもいづれも祈るように終わる共通点を持つ曲である。そこに込められたメッセージは誠に時節を反映した”平安の希求”ともいうべきものだろう。1曲目はブリテンのシンフォニア・ダ・レクイエム作品20。1970年の大阪万博記念演奏会で、来日直前に急逝したバルビローリの代役を務めたプリッチャード+フィルハーモニア管で聴いて以来、いったい幾度この曲を聴いてきたことだろう。その中で今回の高関健の作る音楽ほどこの曲に「動と静」のめりはりを与えた説得力のある演奏をこれまで聴いたことがない。さらに精緻に研ぎ澄まされたシティ・フィルの演奏が曲の神髄を見事に描き出した。続いては俊英山根一仁の独奏を加えてベルクのバイオリン協奏曲。山根の技巧と繊細な音色がガラス細工のように透明で静謐な曲想とがベスト・マッチし、苦渋と魂の浄化を表すような2曲を静かなアーチで結んだ。ソロアンコールはバッハのパルティータ第1番からサラバンドが静謐に奏でられた。そして最後はオネゲルの交響曲第3番「典礼風」。非人間的なるものに対するプロテストと祈りによる癒しを表したような曲である。ここでも高関の棒は正確さを求めつつ、しかしただそれだけで終わらずに曲の神髄にどんどん入り込んで意味ある音楽を作ってゆく凄さがある。こういった次元の音楽に到達できたのも、9年間自ら鍛え続けて今や一部の揺るぎもないシティ・フィルがあっての事であろう。


紀尾井ホール室内管弦楽団第134回定期(2023年4月21日)

2023年04月21日 | コンサート

2023年度の期首を飾ったのは、首席指揮者トレヴァー・ピノックを迎えたウイーン古典派の夕べである。まずはシューベルトのイタリア風序曲ニ長調D.590だ。聞いていてどこか聞き覚えがあるようなフレーズだなと思っていたら、「ロザムンデ序曲」の下敷きとなった曲だそうである。明るく屈託のない曲調はスターターにピッタリだった。続いてはモーツアルトの交響曲第35番ニ長調K.385《ハフナー》。ほぼビブラートのないフラットな弦の響きでスッキリとまとめ上げられた演奏だったが、その弦のアンサンブルに紀尾井にしては珍しく少し力みが感じられる仕上がりで洗練を欠き、ホーネックだったらこんなじゃなかったなと思わせるところもあった。しかしティンパニとトランペットが殊更強奏されるようなことはなかったので、古楽系演奏の初期にありがちだったような尖った聞きにくい感じにならなかったところは好感が持てた。そして休憩を挟んでシューベルトの交響曲第8番ハ長調D.944《ザ・グレイト》。ピノックは77歳になるのだが、音楽の足取りは全く弛緩するところがなく軽快にどんどんと進む。それはある意味たいそう気持ちが良いのだが、それぞれの楽章の性格付けに明快さを欠いていたように聞きとれた。その結果立派な演奏ではあるのだが、どこを切り取っても同じように聞こえてしまい、いささか冗長な感じを免れることができなかった。


東京シティ・フィル第359回定期(2023年3月18日)

2023年03月19日 | コンサート

このところ年度最終の定期に大曲を並べているシティ・フィル、今年も昨年に続いってショスタコヴィッチで交響曲第7番である。その前に置かれたのは、新進気鋭の佐藤晴真をソリストに迎えて、とても珍しいカバレフスキーのチェロ協奏曲第一番ト長調。佐藤のチェロは惚れ惚れするような美音で滑らかな弓捌きが実に鮮やか。ロシア民謡をフューチャーした曲の楽しさを十二分に引き出した佳演だったと思う。アンコールのバッハの無伴奏も実に素直な美しい演奏だった。これからの活躍を期待したい。メインの交響曲はナチス・ドイツのレニングラード侵攻中に作曲が開始され、国威発揚的な扱いを受けた曲であることが有名だが、今回の高関の演奏はそんなことを脇に置いた理性的なコントロール下の純音楽的な解釈だったと言ったら良いだろうか。そこには力づくの咆吼も涙の感傷もなく、スコアを考え抜いて音にしたという感じだった。しかし学者的な真向臭さは一切ないのが良かった。「戦争の主題」の高揚や最後の「人間の主題」の回帰の迫力は並大抵なものではなく、そこから聞かれたのはショスタコの筆致に導かれた凛とした音楽の立派さだった。このところ実力をつけてきたシティ・フィルも力の限りを尽くした演奏だったが、力づくでないので音楽が決して汚くならず、思わず襟を正したくなるような格調の高さを滲ませた。シティ・フィルはこれで充実の2023年シーズンを閉じるわけだが、プログラム上で公知された首席フルート奏者竹山愛の退団は実に残念である。これにより、このオケの数々の美演を支えた鉄壁の木管アンサンブルがどう変容するのだろうか。


東京シティ・フィル第358回定期(2023年2月17日)

2023年02月18日 | コンサート

四年ぶりに川瀬賢太郎が登場して「怒りの日」で繋ぐプログラム。ソリストにN響のゲスト・コンマスも務める郷古廉を迎えた若き才能の眩しいコンサートだ。1曲目はイギリスの現代作曲家ジェームス・マクミランのバイオリン協奏曲だ。2009年に作られた所謂現代音楽にしては自己満足的でなく聴衆を普通に楽しませてくれる音楽だ。ラベルのピアノ・コンチェルトを思わせる鞭の音ではじまったのにはいささか驚いたが、全体は決して聴きやすい音楽の垂れ流しではなく、「怒りの日」の引用があったり人の声が使われたりで創意に満ち、聞くものの感性を次から次へと刺激してくれる。華麗なテクニックとストラディバリの滑らかな音色に支えられたしなやかな郷古のソロはこの名曲を引き立てた。アンコールはイザイのバイオリン・ソナタ2番の2楽章。最後にしめやかに「怒りの日」が登場する。メインはベルリオーズの幻想交響曲だ。獅子奮迅の川瀬による爆炎系の演奏になるのではと予想していたのだが、この日の川瀬は実に細やかにオケをコントロールして予想を見事に「裏切」ってくれた。1楽章は少し停滞気味で流れや歌を欠いた所があったものの、2台のハープを舞台前面両側に配置した2楽章あたりから調子が出始めた。イングリッシュホルンやフルートやバスーンのソロも鮮やかだった。ダイナミックの変化や弦のアーティキュレーションへの十分な気遣いが音楽に立体感を与え、時として現れる爆発も決して汚くならずにシャープに決まる。シティ・フィルも絶好調で熱く内部で燃えながらも均整のとれたスタイリッシュな「幻想」だった。


紀尾井ホール室内管弦楽団(2023年2月10日)

2023年02月11日 | コンサート

注目の指揮者マクシム・パスカルが紀尾井に登場した。そしてソリストは鬼才ニコラ・アルシュテットだ。まず最初はフォーレの組曲「マスクとベルガマスク」+「パヴァーヌ」。初っ端からフランス的な音色に耳をそばだてた。何とも表現し難いが、透明で軽やかでいつもの重厚な紀尾井の音とは明らかに違う。木管が浮き出てそのニュアンス豊かな表現が心に染みる。2曲目はアルシュテットの独奏でショスタコヴィッチのチェロ協奏曲第1番変ホ長調。ソロは恐ろしく雄弁で技巧的にも完璧。そしてショスタコの機知に富みつつ深刻な内容をも含んだ音楽を実に見事に表現した。第二楽章と三楽章の祈りにも似た内相的な表現、そしてフィナーレの快速な超絶技巧。作曲家の持つ多面的でカメレオン的な要素を包み隠さず引き出した名演だった。それにピタリと追従したパスカルの指揮にも心が踊った。頻出して重要な役割を持つ日橋辰朗のホルンも秀逸な出来だった。アンコールはバッハの無伴奏組曲の中の一曲だったが、そこではしなやかであると同時に、静謐で思索的な深い音楽が溢れ出て、このチェリストの持つ音楽の多面的を知ることができた。休憩を挟んでは、ベートーヴェンの交響曲第4番変ロ長調作品60だ。この交響曲は9つの中で比較的目立たない存在なので、一晩のプログラムのメインに据えられることはまずない。しかしこの演奏を聞いてメインに据えられた理由が分かった。とにかくこれまで聞いたことがないような4番だった。快速で進められる中で、作曲者がこの曲に盛った新奇性が次々に明らかになるのである。例えるならば、まるでベルリオーズの幻想交響曲を聞いているような感触だった。ドイツの伝統に則ったベートーヴェンでは決してないのだが、この曲が秘めた大胆な仕掛けを創意に富む表現でさらけ出し、この曲の価値を明らかにした滅多に出会えない演奏だったと思う。ファゴット、クラリネット、フルート等のソリスト達の鮮やかな名技も聴き映えがした。


東京シティ・フィル定期(2023年1月28日)

2023年01月29日 | コンサート

常任指揮者高関健指揮する東京シティ・フィル2023年の幕開きは、実演で聞くことがかなり珍しいベートーヴェンの「献堂式」序曲。この曲、最晩年の作品だがどうもインスピレーションに欠けていてる。大フーガを思わせる展開もどこか中途半端に終わっていて聞き映えがしない。続いて2021年国際ショパンコンクールで4位に入賞した小林愛美を迎えて、同じくベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番ハ短調作品37。進化したエラール・ピアノの機能性に多くの影響を受けたと言われるダイナミックなソロ部分と、それを支える充実したオーケストレーションが特色とされる曲だ。しかしこの日の小林の方向性は、そうした力感よりもむしろ細部の沈鬱な表現に向いており、どこか釈然としないものが感じられた。一方オーケストラはスコアを反映して実に表情豊かに立派に鳴り渡ったので、高関にしては珍しくいささかバランスを欠いた仕上がりになった。シティ・フィル定期としては珍しい満場の聴衆(愛美効果か?)からの大きな拍手が続いたがアンコールは無し。一方休憩後のR.シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」作品40は、このところ好調のシティ・フィル面目躍如の充実した演奏だった。高関のプレ・トークによると、この曲は指揮者志望の音楽家の多くが「振りたい」と所望する曲だそうだが、高関は決して大振りすることなく、煽ることもなく実に丁寧に音を紡いでゆく。しかしそこからは外連味に満ちたシュトラウスの華麗な世界が溢れ出る。これはまさに演奏行為の理想型ではないか。このゴージャスな音響世界に浸ることで前半の欲求不満はきれいに解消されて帰途につくことができた。


KCO名曲スペシャル:ニューイヤー・コンサート2023(2023年1月21日)

2023年01月24日 | コンサート

2021年の年頭に企画されていながら、新型コロナによってホーネックの来日が果たせずに開催できなかった紀尾井ホール室内管弦楽団ニューイヤー・コンサートのリヴェンジである。指揮とバイオリンはこの楽団の名誉指揮者ライナー・ホーネックである。前半はモーツアルトの2曲をヨハン・シュトラウスの先輩格ヨーゼフ・ライナーの作品がアーチで結ぶ組み立て。歌劇《魔笛》K.620より序曲、ワルツ《モーツァルト党》op.196、そしてヴァイオリン協奏曲第1番変ロ長調 K.207だ。幕開きに胸をときめかせる序曲と、聞き知ったメロディが散りばめられたワルツ、そして軽やかで気品に満ちたホーネックの独奏は後半への最良のアペリティフだった。そして後半はおなじみシュトラウス兄弟のワルツとポルカ。もうこれらは言うことなし。まるで元旦のムジークフェライン・ザールが紀尾井ホールに引っ越してきたような楽しさだった。とにかく軽やかでキレが良く、同時に華やかで、時には憂いが感じられる独特の歌い回し。ホーネックの薫陶を得て紀尾井のアンサンブルは実に見事にウインナ・ワルツをものにした。いつもは黒尽くめのメンバーだが、この日はカラフルなドレス姿の女性奏者が華を添えた。とにかく最高に楽しいい2時間。ニューイヤー・コンサートお約束になっているアンコールの「青きドナウ」や拍手を交えた「ラデツキー行進曲」が無かったのもむしろ潔く新鮮だった。欲をいえば、もう1曲くらいワルツが欲しかった気もしたがそれは贅沢というもので、土曜の午後の2時間余を心ゆくまで堪能した。この日はかなり多くの児童親子が招待されていた。概ねは静かに、そして楽しげに耳を傾けて聞いたのでクラシック音楽普及の為に誠に良いことだと思った。しかし私の席の近くの親子は四六時中ヒソヒソと小声で話しているのにはいささか閉口した。こういう時にこそ、大人の世界のマナーを教える絶好のチャンスなのではないだろうか。備忘録として以下に当日後半の演奏曲目を記しておく。ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇《こうもり》より序曲、ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・フランセーズ《小さな水車》op.57、ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル《チクタク・ポルカ》op.365、ワルツ《レモンの花咲くところ》op.364、新ピチカート・ポルカ op.449、ポルカ・シュネル《観光列車》op.281、ワルツ《南国のバラ》op.388、ポルカ・シュネル《山賊のギャロップ》op.378、(アンコール)ポルカ「狩」、トリッチ・トラッチ・ポルカ、以上で終演。


第17回ベートーヴェン弦楽四重奏【9曲】演奏会(2022年12月31日)

2022年12月31日 | コンサート

コロナ禍で暫くの間ご無沙汰していた大晦日の定番演奏会に久しぶりで出かけた。まずは初回から出場しているベテランの「古典四重奏団」によるラズモフスキーの3曲である。この作品群は力に満ち溢れる中期の傑作だが、この団体の演奏で聞くと落ち着いた、ときには禁欲的な風情を漂わせ、後期に通じるものをも感じるから不思議だ。しかし同時にこのあたりの曲だと第一バイオリン主導のスタイルが際立ち、立体感が遠のいて一面的な印象を禁じ得なかった。続いては作品127, 130,そして作品133の大フーガだ。こちらは前回登場して話題をさらったし俊英、「クアルテット・インテグラ」が担当した。私は初めて接したのだが、そのしなやかな流動性の中に若々しい閃きを感じさせる演奏は秀逸だと感じた。換言すれば、ベートーヴェン後期の作品の中に潜んだ新たな魅力を発見したとも言えるだろう。第二バイオリンの菊野凛太郎が時に第一につき、時にビオラ&チェロにつき、ベートーヴェン後期のスタイルを見事に体現して秀でたリードを示していたのがとりわけ印象的だった。これからがとても楽しみな団体だ。最後は16回目の出場になる「クアルテット・エクセルシオ」による作品131, 132, 135だ。今回の「インテグラ」のように眩しく楽壇に登場したこの団体も、良くも悪くももうすっかり落ちついて貫禄がつき、チェロが少し前に出た最良のバランスの中で安心のアンサンブルが繰り広げられた。


第337回ICUクリスマス演奏会(2022年12月10日)

2022年12月11日 | コンサート

リーガーオルガンを備えた国際基督教大学礼拝堂で開催されたバッハ・コレギウム・ニッポンとIUC有志による演奏会。曲目はJ.S.Bach作曲の「ミサ曲ロ短調」。指揮の佐藤望以下、声楽陣は清水梢、小林恵、杉田由紀、河野大樹、中川郁太郎。30人に満たないオケとほぼ40人の合唱という編成ながらその響きは十分にチャペルに響き渡った。プログラムを読んで、モダーン楽器を使いつつ古楽的なアプローチを目指す演奏かなと思ったのだが、独唱陣はオペラティックな歌唱が目立ったし、一方でホルンはナチュラルだったりと、ちょっとポリシーが不明なところもあった。また合唱については男声が弱く(人数が少ない)ポリフォニックな響きが十分に味わえなかったのが残念だった。とは言えこのバッハの傑作の偉大さにあらためて感動し心が震えた。とりわけ今の時期、フィナーレの”我らに平和を与え給え”は心に沁み、思わず手を合わせずにはいられなかった。


東響第89回川崎定期(2022年11月27日)

2022年11月28日 | コンサート

2015年以来一曲づつ続けてきたベートーヴェン交響曲全曲演奏を完結する記念すべき演奏会だ。本来2020年4月完結の予定だったが、それがコロナ禍で今回に延期されたものである。ただし、今回はリゲティ等の斬新な現代曲との組み合わせはなく、シューマンの比較的演奏会で聴かれることが珍しい「マンフレッド」序曲、それとバイオリン協奏曲ニ短調との組み合わせとなった。その意図は私などにはどうも判らず仕舞いだ。ともあれまずは序曲だが、同じ音型の繰り返しとどこか不自然なオーケストレーション。もちろん細部に注力した表現をしまくるノットには敬意を表するが、さすがのノットでも如何ともし難いという感じ。続いてのアンティエ・ヴァイトハースを迎えたバイオリン協奏曲も、やはり曲としての纏まりや冗長さには疑問があるものの、ここではソリストが曲を曲以上に聴かせた感がある。2001年のペーター・グライナー製のバイオリンがよく鳴り、そのまるで話しかけられているような弾きぶりに思わず耳を傾けずにはいられないのだ。細やかに、じっくりと弾き進むその音楽は、心の襞にまとわりつき聞く者の心を別世界に運んでくれた。細やかさを尽くしたアンコールのBach無伴奏パルティータではそんなヴァイトハースの世界が全開した。最後はヴィブラートを抑えてすきりとスタイリッシュに響くベートーヴェンの交響曲第2番。とはいえストレートの快速調ではなく、ちょっとスピードを落として続くメロディをフワッと浮き上がらせるような所もあり、時代に挑戦するような過激なスタイルで登場した「古楽スタイル」の一つの落ち着き先を聞かせてもらったような爽やかな演奏だった。とは言えそこに先鋭的なこの作曲家の音楽を十分に聞き取ることは出来た。


新日フィル定期すみだクラシックへの扉第11回(2022年11月18日)

2022年11月19日 | コンサート

来年4月から京都市響の常任指揮者に就任予定の沖澤のどかを客演に迎えてたウイーン音楽で構成された落ち着いたマチネだ。スターターはモーツアルトのフリーメーションのための葬送音楽K.477。これはコンサートでは滅多にプログラムに載らない曲で私も生では初めて聴いた。まあレクイエムが始まるような雰囲気の佳作だ。演奏のほうは先ずは腕鳴らしといったところ。続いてバリトンの大西宇宙を迎えて、マーラーの「亡き子をしのぶ歌」。注目の大西の歌唱は多少一本調子の感じで、もう少し細やかな感情が欲しいと感じた。一方オケの方は単なる伴奏の枠を大きく超え、仔細な表現が光る極めて雄弁なもので、沖澤の実力をおおいに感じた。休憩後のブラームスの交響曲第4番ホ短調はスッキリした流れで良く歌うとても居心地の良い演奏。そしてバランス良くフォームに乱れがないので品格が漂う。快速のスケルツオあたりからエンジンがかかり始め、最終楽章のフィナーレに向かってジワジワと白熱へ向かっていった。ただオケの反応は全体としては少し硬めで、アンサンブルにも多少の乱れが聞こえたりで、そのあたりは慣れの問題もあると思うので、回を重ねるうちに(全3回公演なので)改善され、より完成した演奏が聴かれるような気がした。