goo blog サービス終了のお知らせ 

Maxのページ

コンサートの感想などを書き連ねます。

藤原歌劇団「ピーア・デ・トロメイ」(11月22日)

2024年11月22日 | 藤原歌劇団
藤原歌劇団創立90周年記念公演の一環で、ドニゼッティ後期の珍しいオペラ「ピーア・デ・トロメイ」が日生劇場で上演された。マルコ・ガンディーニによるニュープロダクションという触れ込みではあるが、母体となるプロダクションは2007年と2010年に昭和音大がテアトロ・リージオの舞台にかけている。装置的にはいかにも省エネの舞台なので二幕などは空間を持て余す感があったが、衣装の色調が良く演奏も充実しているとそれなりの効果はあるものだ。演出自体は過不足のない分かりやすい穏当なものだ。作品的にはナンバーの接続に多少のギクシャク感はあるのだが、時として中期のヴェルディを先取りしたようなドラマティックな音楽があることに驚いた。そしてカンマラーノの脚本に起因するストーリー展開の早さもあるので最後まで決して退屈することはなく、何故この演目が現在ほとんど劇場にかからないのか不思議なくらいだ。初日の歌手陣はピーアに伊藤晴、その夫ネッロに井出壮志朗、ピーアに横恋慕するギーノに藤田卓也、ネッロを宿敵とするピーアの弟ロドリーゴに星由佳子が主なところ。ピットは藤原歌劇団初登場の飯森範親と新日本フィルが多少味気なさを感じさせるくらいにテキパキと端切れ良く務めた。 歌手陣はとにかく伊藤、井出、藤田の主役3人が皆絶好調で、最後までスタイルを崩さない美声を貫いた素晴らしい歌唱と説得力のある演技だった。出番こそ少なかったがギーノの家来役ウバルドを歌った琉子健太郎の美しいフォルムの美声も光った。そんなわけで声の美しさと技術によってドラマを感じるベルカントの真髄を心ゆくまで楽しむことができた。これは日本人だけの舞台では極めて稀なことではないか。中でもとりわけ伊藤の歌った二幕大詰めのカンタービレとカヴァレッタは、完璧な技術と美声に裏付けられた切々とした歌唱で、傍でなりゆきを見守るロドリーゴ役の星の秀でた演技共々とても涙なしには聞くことができなかった。演目が発表された時にはタイトルも知らないオペラだったのでほとんど期待もしていなかったのだが、こんな良い曲を発掘してくれた藤原歌劇団には敬意を評したい。そしてこの演目を是非とも今後のベルカント・オペラのレパートリーに加えてもらいたいものだと思う。

藤原歌劇団「トスカ」(1月29日)

2023年01月29日 | 藤原歌劇団
2023年藤原歌劇団新年幕開きは、久しぶりでプッチーニの「トスカ」である。今回は松本重孝による新プロダクションだ。簡素ながら効果的に装置を使いまわした美しい舞台で、一幕のアントニア・デラ・ヴァッレ教会の祭壇が客席側という設定が面白かった。二日目の歌手達は皆とても達者で、とりわけ東原貞彦のアンジェロッティと泉良平の堂守の大きな存在感がストーリーをより立体的にしていた。注目の佐田山千恵は表情豊かな美声で無事藤原デビューを飾ったと言っていいだろう。ただ声量がむらがありオケに負けがちなのが気になった。また肝心の「歌に生き恋に生き」の最後では息が続かずに、指揮の鈴木がうまく取りなす場面があったのは残念だった。一方カヴェラドッシの藤田拓也は絶好調で、ジャコミーニを思わせるロブストな美声で雄々しく歌い上げた。須藤慎吾のスカルピアはもう憎々しさ一杯な朗々たる歌唱でその迫力に圧倒された。一幕フィナーレのテ・デウムでは合唱が登場するが、これが全員マスク着用だったので声の迫力に欠けたのが残念だった。このように歌唱は全体として良い仕上がりだったが、問題は鈴木絵里奈の指揮にあったと思う。オペラの裏方でならした経歴を持つベテランなので、前記のような事故対応も即座にこなす手慣れた技はもつが、全体に進行が緩く一面的なのだ。メロディを美しく流しはするが、これではここぞという所のパッションに不足するのだ。ベッルリーニならばこれで良いだろうが、ベリスモ・オペラはこれでは困る。さらに弦のメロディ重視なので、プッチーニの厚いオーケストレーションを生かしきれず、そうした理由で劇性が著しく削がれてしまうのである。何年か前に「バタフライ」を聴いた時にも同様な印象を持ったのだが、今回の「トスカ」でもその傾向があるということは「確信犯」なのだろう。確かにプッチーニのメロディはとても美しく浮かび上がり、大層リリカルに仕上がってはいるが、どうもそれだけでは欲求不満に陥る。

藤原歌劇団「イル・トラヴァトーレ」(1月29日)

2022年01月30日 | 藤原歌劇団
我が国におけるイタリアオペラを牽引する藤原歌劇団にして、なんと26年振りとなる本作の上演である。それと言うのも、主役4役に名歌手が揃わないと盛り上がりに欠けるというこの作品の難しさによるところが大きいかもしれない。前回の1996年は、グレギーナ、クピート、ジョーヴィネ、ペンチェーヴァという豪華な顔ぶれだった。今回初日の配役は、レオノーラに小林厚子、マンリーコに笛田博昭、ルーナ伯に須藤慎吾、アズチェーナに松原広美という、藤原お抱えの絶頂期の歌手達を適材適所配置したものだったが、前回に決して引けをとらない、聞き応えある歌唱、そして見応えある演技だったと言えよう。小林は当初少し不安定だったが幕を追うごとに調子を上げた。その美しい声の伸びと気品に満ちた歌い振り、スタイリッシュな演技はいつまでも記憶に残るだろう。笛田は丁寧な歌い振りだったが、ここぞと思う時の力感が聞き応え十分だった。須藤の豊かな美声と細やかな演技による役作りは全体を引き締めた。松原は師のコソットを思わせる豊かで輝かしい美声を披露したが、いささか声に頼りすぎるところがあり、一面的な歌唱になってしまったように聞いた。合唱は少人数でマスク付きなので迫力に欠けてしまったが、まあこの時期なので致し方ないだろう。折角これだけ絶好調の歌手を集めたのだから、これでオケが全体をもっと盛り上げてドラマティックに仕上げてくれれば言うことはなかったが、山下一史の指揮は、言うならば安全運転の域を出ない平凡なものだったことが本当に残念だった。ヴェルディのオーケストレーションを効果的に採択したり、畳みかけを生かしたり、微妙に間合いを工夫したりすることで、今回の舞台から圧倒的な感動を導ける余地はいくらもあったと思う。

藤原歌劇団「ルチア」(2017年12月9日)

2017年12月10日 | 藤原歌劇団

2011年以来6年振りの岩田達宗演出によるプロダクションの再演である。前回裏キャストで藤原本公演ロールデヴューを果たした光岡暁恵が堂々表キャストを張って成長振りを披露した。その美声とどんなパッセージでも安定的にこなす超絶技巧に加え、前半の歌唱ではスタイルギリギリの官能的な甘美な唄い回しまで表れてその熟達振りには目を見張るものがあった。対するエドガルドのジェイ・クォンは前半ではリリックな柔らかさが際立ったが、幕切れの大アリアでは芯のあるロブストな歌声を聞かせて感動を誘った。エンリーコのカルロ・カンのスタイリッシュな歌唱と舞台映えする大柄な演技は全体を引き締めた。出番は少なかったがアルトウーロの小笠原一規の混じり気のない美声は印象に残った。装置は抽象的で基本舞台は全幕を通して変わらず、舞台の枠組み及び照明の変化による光と陰、それに出演者の歌と演技によってドラマを描くのが岩田の姿勢だったように思うが、それは歌役者を揃えたことによって成功していた。開演前の総監督折江忠道のプレトークによると久しぶりの登場となる菊池彦典はもう80歳を迎えるということだが、そのオペラ職人的な運びにはオペラハウスに居る喜びを感じる。その中には今では滅多に聴くことのできなくなった往年のイタリアオペラの雰囲気を感じた。


藤原歌劇団「カプレーティ家とモンテッキ家」(2016年9月11日)

2016年09月11日 | 藤原歌劇団

2016年度の藤原歌劇団ベルカント・オペラ第三弾は、ベッリー二の「カプレーティ家とモンテッキ家」である。何とマリエッラ・デーヴィアを迎えた2002年の公演以来14年振りということだが、日本ではこの作曲家のオペラは何故かあまり上演されない。新国立劇場のこれまでの演目にもない。さて今回はダブルキャストでこの2日目は若手組と言って良いだろう。とはいえ(だからこそ)誠に充実した出来で満足して帰途に着いた。何よりロミオ鳥木弥生とジュリエット光岡暁恵のコンビが素晴らしかった。演技・歌唱ともにシャープな鳥木と、技の冴え渡る美声の光岡。ルックスも美男次女で申し分ない。ロミオが必死にジュリエットを説得する1幕2場やロミオの服毒から悲劇を知りジュリエットが自害するフィナーレの二人の場面は圧巻だった。デバルト所谷直生のスタイリッシュな歌唱も印象に残る。カッペリオの豊島雄一、ロレンツォの坂本伸司も役どころを押さえた立派な歌唱だった。自然な流れを作り自主的な動きを尊重した松本重孝の演出も、歌手陣のストーリー把握に助けられて良い結果を生んだ。装置も簡素ながら十分に説明力があって美しくシックに仕上がっていた。出番の多い男性合唱陣も輝かしく力強い声と演技で全体の出来に十分貢献した。指揮の山下一史は単なる伴奏に終わらない十二分な説得力をもった音楽作りでベルカント・オペラへの適正を示した。この週末は上野で二期会が「トリスタン」、そして初台で藤原がベッリー二だったわけだが、藤原はこの難しい作品を見事に舞台に乗せてイタリア物の老舗の力を十分に示したと言えるだろう。


藤原歌劇団「ドン・パスクワーレ」(2016年7月2日)

2016年07月05日 | 藤原歌劇団

日生劇場・びわ湖ホール・藤原歌劇団・日本センチュリー交響楽団の共同制作による公演である。秋にびわ湖ホールでの別キャスト公演があるが、それに先立って新装なった日生劇場で開催された。この日のキャストは大ベテラン折江忠道をタイトル・ロールに、他を藤原の若手で固め、合唱にびわ湖アンサンブルを加えたキャストである。劇場の規模・演出・舞台美術がこのドニゼッティの音楽と抜群の相性で、それを基盤に歌手陣が繰り広げる楽しい演技と素敵な歌唱が幸せの時間を運んでくれた。折江の老練な演技と歌唱はまさにこの役にピッタリ、そしてマラテスタの押川浩士、エルネストの藤田卓也、ノリーナの坂口裕子など、誰をとっても日本人離れした自然な演技と歌唱で申し分なかった。とりわけこれが本公演デビューの坂口裕子の切れ味には今後を期待させるものがあった。久しぶりに登場した菊池彦典(指揮)のまったくだれることのない推進力は全体の出来に大きく貢献した。ドニゼッティ劇場の元芸術監督だったフランチェスコ・べッロットの演出は行き届いたものだったが、ノリーナの平手打ちと同時に額縁で飾られた古典的な背景が崩れ落ちこれまでのドン・パスクワーレの世界が崩壊するという演出、決してわからないでもないがブッファとしてはちょっと大げさ過ぎるような気もした。とは言え日常を忘れる楽しい3時間にドニゼッティの新たな魅力を発見した。


「ラ・チェネレントラ」(2009年6月14日)

2009年06月15日 | 藤原歌劇団

新国の今シーズンの華の一つであるJ.P.ポネルの歴史的名演出の舞台である。主役にヴェッセリーナ・カサロヴァ、アントニオ・シラグーザという、この種の演目をやらせたら右へ出る者がない今が旬の歌手を招聘し、更に芸達者の脇役を揃えたのだから悪いわけがない。実はこのプロダクション、30年近く前にミュンヘンで見ている。その時はポネルのお洒落で美しい舞台を見て腰が抜けんばかりに感激したが、それが今回のサガロフのリアライゼーションでどのようの変化しているかはもう細部の記憶が定かでないので良くわからない。最後に記念撮影をするなどのアイデアは、その後色々な舞台で引用されるようになったと思うが、モノクロームな色調の素描的な背景にスポット的に鮮やかな色を配置したセンスや、伝統的な書き割り舞台による遠近法の挿入、そしてストップモーションの効果など、やはりその豊かな想像力には未だに見る者の心を捉えるものがあるように思う。アルマヴィーヴァ伯爵の名唱に続く新国再登場になったシラグーザは、芯がある軽やかな美声で終始余裕を湛えた安定的な歌唱。とりわけ2幕冒頭のアリアでは満場の喝采を受け、アンコールではオケの後奏の最後まで目一杯に高音を引っ張って会場を沸かせるサービス精神を披露した。一方のカサロヴァは、そのあまりにもドスの効いた声質はこの役には不似合いではあるが、アジリタが見事に決まり隈の濃さと躍動感が同居する不思議な歌唱であった。フィナーレのシェーナでは、そうした歌唱による作りこみが独特のチェネレントラ像を作りあげ、極めてドラマチックにメッセージに伝えることに成功し、不似合いの懸念は別の方向でみごとに払拭されたと言っていい。(とは言え、ちょっと最後だけが浮いてしまった感もあるが、それはもともとのこのシェーナの位置づけとも関連するだろう)D.サイラス指揮の東京フィルは終始安定的ではあったが、音色やダイナミズムに更なる洗練が欲しかった。ゼッダ爺が同じオーケストラからその度に引き出すあのロッシーニの悦楽があったならと恋しく思われた。