
都響とはほぼ初顔合わせになる沖澤のどかを招いた演奏会である。最初のドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」は明快に音の綾を聞き取れるクリアーにして暖い演奏。漠然とした印象だけで終わらずに情景が心に留まるのはこの指揮者の特徴である呼吸があるからに違いない。音楽が身体に染み込んでゆく感じがとても心地よい。独奏フルートに今一つの個性(華)があったら印象は更に深まったと思う。2曲目は師弟関係にあるフランク・ブラレイと務川彗悟を迎えてプーランクの2台のピアノのための協奏曲ニ短調。意表を突いたオリエンタルな雰囲気で始まり、モーツアルトのピアノ協奏曲のオマージュ風の2楽章を経て楽しげなフィナーレで終わる実に楽しく面白い佳作の秀演だ。鳴り止まぬ大きな拍手にアンコールは同じ作曲家の「仮面舞踏会」からカプリッチョでまた息のあったところを聞かせた。常に務川をたてる師ブラレイが印象的だった。そして休憩後は注目のストラビンスキーのバレエ音楽「春の祭典」だ。ピエール・モントーによる初演での「大騒動」のエピソードで知られるこの曲は野蛮で粗野なバーバリズムの権化のような印象があったが、今回の沖澤の演奏は実に洗練されていて細部のニュアンスに富んでいる。しかしシャープな音響を駆使した壮大なスケール感も十分に聞き取れるハイブリッドなもの。フィナーレの追い込みの部分では体が浮遊するような不思議な感覚に襲われた。そしてニュアンスに満ちた最後の決めには心を射抜かれた!初めてこの曲に接したのは何時のことだろう。それはブーレーズとORFによる1963年録音のコンサート・ホール盤だった。そして実演では1969年3月の荒谷俊治指揮による東フィル第123回定期だった。1980年のマルケヴィッチの2回目の日フィルとの共演も聞いた。その頃は多少ミスがあったってとにかく全曲がきちんと運べばそれで大喝采といった時代だった。そのうち日本のオケも機能性を身につけて難なく全曲を弾きこなす時代になったが、それと同時にこの曲を聴く側の特別感が薄らいで来た傾向もあると思う。しかし、昨日のような多面性を聞き取れる「春祭」は生涯で初めて聞いた感じがして実に鮮烈極まる印象を残した。全曲を完全に手中に収めた鮮やかな振りに見事に追従した都響も素晴らしかった。満場の大喝采にとても嬉しそうにソロアンコールに応じる「やり終えた感」満載の沖澤の姿が美しかった。