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好きな映画だけ見ていたい

劇場映画やDVDの感傷的シネマ・レビュー

扉をたたく人◆心打つ再生へのリズム

2009-07-01 17:00:31 | <タ行>
  

  「扉をたたく人」 (2007年・アメリカ)
   THE VISITOR

移民の国アメリカの中でもとりわけ、さまざまな人種のエネルギーが渦巻く都市ニューヨークを舞台に、移民の青年との交流をきっかけに心の扉を開いていく初老の大学教授のエピソードを、抑えた筆致で描いた佳作。監督・脚本は「父親たちの星条旗」、「ボストン・パブリック」(FOX TVシリーズ)などに出演したトム・マッカーシー。妻に先立たれた孤独な教授ウォルター役に、名脇役として長いキャリアを持つリチャード・ジェンキンス(近作「バーン・アフター・リーディング」でも渋いバイプレーヤーぶりを発揮)。惜しくも受賞を逃したものの、ジェンキンスはこの初の主演作でアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。

コネティカット州の大学で週に一回、経済学の教鞭を執るウォルターは、ここ何年も変わらない講義を毎年のように繰り返す無気力な大学教授。本の執筆に忙しいと言いながら、専門分野の研究にはほとんど手をつけず、趣味のピアノにも身が入らない。ウォルターはぼんやりと靄に包まれたような毎日を、ただ無気力に生きている。その彼が同僚の代理でニューヨークの学会に出席することになり、長らく留守にしてたマンハッタンの別宅に戻った時から、物語は動き出す。不動産屋にだまされてウォルターの自宅を借り受けていたシリア移民のタレク(ハーズ・スレイマン)とセネガル出身の恋人ゼイナブ(ダナイ・グリラ)との出会いをきっかけに、ウォルターの人生は少しずつ輝きを取り戻していく。閉ざされた心の扉を叩いたのは、タレクの演奏するアフリカンドラム、ジャンベのリズムだった。

ジャンベという楽器は西アフリカで作られる片面ドラムで、床に置いて素手で演奏する。仕事にも趣味にも情熱を持てず、周囲の人間にも関心を示さなかったウォルターが、タレクの叩くジャンベに誘われて、しだいに心を開いていくくだりには新鮮な感動がある。レポートの提出が遅れた学生をにべもなく切り捨てた初老の教授が、別宅を不法に占拠していた若い移民のカップルを通報もせずに自宅に留め置いたのはなぜだろう。ウォルターは無気力で人嫌いな頑固者ではなく、ただ生きる振りをするだけの自分に嫌気が差した正直な男ではなかったか。だからこそ移民のタレクに手を差し伸べた小さな好意をきっかけに、彼の人生は大きな転換点を迎えることができたのだ。ウォルターが偽りの毎日と決別し、友愛と情熱をふたたび取り戻せたのは、ジャンベのリズムが呼び水となって、彼自身が心の中から生きるリズムを刻みはじめたからだろう。

そのリズムは最初はたどたどしく戸惑いながらも、タレクたちの人生に関わることで、より着実な鼓動となってウォルターの心を後押しする。入国管理局に拘置されたタレクが送還されたのを知ったウォルターが、強い怒りをぶちまけて言う――「人をこんなふうに扱っていいのか・・・・・・こんなの間違ってる。われわれは何て無力なんだ!」そこにはもう、あの無気力な教授の姿はない。生きて、鼓動している瑞々しいひとつの魂が心を震わせる感動的な一シーンだ。慎ましやかなタレクの母親モーナ(ヒアム・アッバス)への淡い思慕も、教授の再生を彩る逸話として美しい余韻を残した。9.11後の移民問題の側面をかすめ取りながら、「グラン・トリノ」とはまた趣の異なるメッセージを伝える、静かでほろ苦い一作だ。

(6月27日に恵比寿ガーデンシネマと吉祥寺バウスシアターで公開後、7月から8月にかけて全国で順次公開されます)


満足度:★★★★★★★☆☆☆


<作品情報>
   監督・脚本:トム・マッカーシー
   製作:メアリー・ジェーン・スカルスキー/マイケル・ロンドン
   製作総指揮:オマー・アマナット/ジェフ・スコール/リッキー・ストラウス/クリス・サルヴァテッラ
   音楽:ヤン・A・P・カチュマレク
   音楽監修:メアリー・ラモス
   撮影:オリヴァー・ボーケルバーグ
   出演:リチャード・ジェンキンンス/ヒアム・アッバス/ハーズ・スレイマン/ダナイ・グリラ
         

<参考URL>
   ■映画公式サイト 「扉をたたく人」
   ■関連商品 オリジナル・サウンドトラック「扉をたたく人」
  

ターミネーター4◆未来的ロボット博と悩める男の物語

2009-06-11 17:19:20 | <タ行>
  

  「ターミネーター4」 (2009年・アメリカ)
   TERMINATOR SALVATION

この「ターミネーター」シリーズは、荒唐無稽ながら先行きがとても気になる作品で、不満の残る第三作も含めて好きな娯楽シリーズのひとつ。SF映画としてはタイムトラベルというややこしい要素が物語の先行きに次々と影響を与えていき、いくらでも続編が作れそうな映画だなと思っていたら、やっぱり新シリーズとして第四作目が公開された。1984年の第一作からは実に四半世紀も経っているわけで、息の長い人気シリーズであることは確か。旧来のファンをくすぐるおなじみのセリフや、敵役のターミネーターの造形、世界観など、連作としての押えどころはきちんと踏襲しながら、今回はシリーズ初の未来世界を描くアクション大作となっている。

時は2018年。軍事コンピュータ・スカイネットが起こした核攻撃「審判の日」(2011年に勃発?)以降の未来。滅亡の危機に瀕した人類側は抵抗軍を組織して、スカイネットの機能を停止させる作戦に出る。これが成功しなければ、機械軍による重要人物の暗殺計画は実行されて、リストに名前が挙がったジョン・コナー(クリスチャン・ベイル)と、その父親となるカイル・リース(アントン・イェルチン)は抹殺され、人類は反撃の切り札を永遠に失ってしまう。レジスタンスの部隊長として目覚ましい活躍ぶりを見せていたコナーは、カイルがロサンジェルス郊外にいることを知り、救出指令を出すが、カイルは機械軍にとらえられ、スカイネットの本拠地に送られてしまう。この情報をもたらした謎の男、マーカス・ライト(サム・ワーシントン)が、機械とのハイブリッドであることを知ったコナーは、マーカスを刺客と疑い拘束する。一方、総攻撃の作戦を着々と進める司令部は、捕虜の救出を願い出たコナーの申し出を却下。コナーは、ラジオを通じて全国の兵士たちに攻撃の中止を呼びかけるとともに、カイルの居所を知っているというマーカスに、一か八かの希望を託す・・・・・・。

成長したコナー役に「マシニスト」「ダークナイト」のクリスチャン・ベイルという申し分のない役者を配しているが、期待していた割には存在感がいまひとつ。人類の救世主としての貫禄が出るのは次回作以降に先送りといった感じだ。これとは対照的にひときわ光彩を放っているのが、脳と心臓以外を機械に置き換えられた元死刑囚のマーカス。2003年の死刑執行後、セレーナ・コーガン医師(ヘレナ・ボナム・カーター)との検体承諾契約によって15年後に復活させられたマーカスは、自分が何者かを知らず、人間か機械かに悩み続ける。こういった設定が、第一作のカイル・リースに通じる一種の哀愁を帯びた人物像をスクリーンに結び、寡黙で武骨ながら忘れられない印象を残した。マーカス以外の登場人物は総じてインパクトに欠け、脇役陣の描き方は分散的で薄味だと感じた。

ところでコナーと彼の父親となるカイルが同じ時空間に存在することの不思議さは、タイムトラベルものにつきまとう矛盾として目をつぶるとしても、この時点で機械側がカイルとコナーを暗殺リストの筆頭に置いているのはなぜだろう? 今回の人類抵抗軍の総攻撃でスカイネットの本拠地が壊滅状態になり、過去へターミネーター(T-800)を送り込んでサラ・コナーを抹殺する以外に打つ手はなくなるというのが当初の筋書きだったとすると、本拠地が破壊される前からコナーとカイルが暗殺リストに載っているのは妙だ。「死にたくなければついて来い」というカイルのセリフや、単身スカイネットに乗り込むコナーの「I'll be back」という言葉はじめ、シリーズ過去作へのオマージュは随所に感じられるのだが、もう少し大もとの部分に心を砕いてほしいと思う個所もあった。

もっとも鑑賞中はそういう矛盾にいちいち頭を悩ます暇はない。次から次へと繰り出される迫力満点のアクションには目を見張るばかり。スカイネットの機械軍団も見ごたえたっぷりで、メカ好きにはたまらないロボット博覧会といった趣。しかし、ターミネーター・シリーズの醍醐味は、機械たちに運命を翻弄される人間側のドラマにこそあると思いたい。主演に実力派のベイルを抜擢したのなら、作り手も次回作はそれを生かす方向で脚本づくりに挑んでほしい(満足度の8つめの★は次回作以降への期待度です)。


満足度:★★★★★★★★☆☆


<作品情報>
   監督:マックG
   製作:モーリッツ・ボーマン/ジェフリー・シルバーほか
   製作総指揮:ピーター・D・グレイヴス/ダン・リン/ジン・オールグッドほか
   脚本・原案:ジョン・ブランカトー/マイケル・フェリス
   キャラクター創造:ジェームズ・キャメロン/ゲイル・アン・ハード
   撮影:シェーン・ハールバット
   視覚効果スーパーバイザー:チャールズ・ギブソン
   音楽:ダニー・エルフマン
   出演:クリスチャン・ベイル/サム・ワーシントン/アントン・イェルチン
       ムーン・ブラッドグッド/ブライス・ダラス・ハワード/ヘレナ・ボナム・カーター

         

<参考URL>
   ■映画公式サイト 「ターミネーター4」
   ■関連商品 「Terminator: Salvation」オリジナル・サウンドトラック(米国輸入盤)
           「ターミネーター4オフィシャル完全ガイド」(小学館集英社プロダクション)
 
 

チェ 39歳 別れの手紙◆山岳に潰えた南米革命の夢

2009-02-06 22:51:30 | <タ行>
   画像:「The Bolivian Diary: The Authorised Edition 」


  「チェ 39歳 別れの手紙」 (2008年・フランス/スペイン)
   CHE: PART TWO/GUERRILLA
1月17日公開の「チェ 28歳の革命」に続き、チェ・ゲバラの人生の終幕を描いたソダーバーグ作品の後編。キューバ革命勝利後、革命政権の要職に就き、カストロに次いで党指導部になくてはならない存在となったゲバラは、やがて党の中枢を離れ、キューバ国民の前から忽然と姿を消す。1965年10月、新生キューバ共産党の発足式の会場で、カストロはゲバラの消息を求める国民の声にこたえて、ゲバラが彼に宛てた手紙を読み上げる。そこにはキューバへの熱い思いと共に、革命に命を捧げるゲバラの固い決意が表明されていた。冒頭、式典の模様を伝えるテレビ中継から、カストロが読み上げるゲバラの言葉が流れる――「私はキューバ革命で、自分に課せられた義務は果たしたと思う。だから君に別れを言おう。同志と君の人民にも、いまや私のものでもある人民に。・・・・・・世界の諸国民が私のささやかな助力を求めている。キューバの指導者である君にはできないが、私にはそれができる。・・・・・・もし私が異国の空の下で死を迎えることになっても、私の最後の思いはキューバ人民に、とりわけ君に向けられるだろう」

ゲバラがキューバに別れを告げた背景には、1965年にアルジェリアで開かれたアジア・アフリカ会議の演説で、ゲバラがソ連を「米帝国主義の共犯者」として批判の矛先を向けたことが、ソ連の支援なしでは体制を維持できなかった革命政権にとって、きわめて不都合だったという事情がある。ドキュメンタリー「チェ・ゲバラ 伝説になった英雄」では、カストロが外遊から帰国したゲバラと40時間にわたって密談した際、ソ連への露骨な批判をやめるよう要請したのではないかとナレーションは語っている。事実、ソ連はカストロに対して、ゲバラを政治の中枢から外すよう圧力をかけていたようだ。妥協を許さないゲバラは、キューバではしだいに身動きが取れなくなり、必然的にその徹底した革命精神の発露を、海外でのゲリラ闘争へ転換していかざるを得なくなった。ゲバラには、故国アルゼンチンのある南米大陸はひとつの世界だという思いがあり、いずれはラテンアメリカ全体に革命を波及させようという壮大な計画もあっただろう。ゲバラのボリビア行きは、おそらく誰にも止められない流れだった。

本作のもとになった「ゲバラ日記」を読むと、ゲバラが周囲を五カ国で囲まれたボリビアに、南米大陸解放の橋頭堡を築こうとしていたのがわかる。しかしボリビアの諸事情は、ゲリラ部隊の活動に必ずしも有利とはいえなかった。支援を当てにしていたボリビア共産党のマリオ・モンへは、指導権に固執して約束を反故にする。動き始めた鉱山労働者の運動は、当局の弾圧で立ち消えとなる。そして最も期待していた農村部での革命思想の浸透はいっこうに進まず、地元民をゲリラ部隊に加えることもままならなかった。また活動の拠点としたのが峻険な山岳地方であったために、都市部や別部隊との連絡もむずかしく、食糧や医薬品、弾薬の補充も容易ではなかった。さらにゲバラには、持病の喘息が追い討ちをかける。やがてゲリラ軍はじわじわと苦境に追い込まれ、政府軍との交戦のたびに一人、また一人と仲間を失っていく。ゲバラの日記は、現地入りして部隊を発足させた1966年11月7日から、イゲラ村で落命する二日前の67年10月7日まで、一日も欠かさずにつづられている。映画はこの日記の中からいくつかのエピソードを採り上げて、前編と同じく彼の最後の日々を淡々と記録映画のように映し出す。

スクリーンには、喘息にさいなまれながら苦しい行軍を続けるゲバラの姿や、隊員の間で起きる諍いや命令の不履行、地元民の裏切りなど、最期の戦いの序曲とも取れる苦戦するゲリラ部隊の様子が延々とつづられる。ところどころにアメリカの支援を受けるバリエントス大統領の動きを入れることで、画面の単調さに緊迫感を与え、政府軍に追い詰められていくゲリラ軍の運命を際立たせる。全体として見ると「ゲバラ日記」のダイジェスト版といった印象だが、133分という長さを考えると、それも仕方がないのかもしれない。ただ原作でひときわ印象深い、リオグランデ川はじめボリビアの山岳地方を流れる河川との戦いや、食糧難でやむなく軍馬を屠る話、戦死した同志を悼むゲバラの痛恨の思いなど割愛されたエピソードも多く、個人的には残念に感じた。ほとんど起伏の感じられない展開は前編と同じで、作品全体が志半ばで斃れた革命家ゲバラに粛々と捧げられる鎮魂歌のようだった。

前編のレビューで書いたことと少し矛盾するかもしれないが、私が今回、原作の「ゲバラ日記」から受けたゲバラの印象は、こういう強弱のない演出の先に結ばれた本作のゲバラ像とはやや趣の異なるものだった。映像になったゲバラはとてもか細く痛々しく、また孤独に映ったが、日記の文面から私が感じたのは、少なくとも強い精神力と革命への揺るぎない信念、時として横溢するユーモアの同居する、陰影豊かな人間像だった。そういう意味では、デル・トロのゲバラ像には、死をも凌駕する生命力とでもいうべき、ある種の躍動感が欠けているのかもしれない。リアルに徹しようとしたソダーバーグの抑制の効いた演出が、かえって仇となったのだろうか。いずれにしても今回の映画をきっかけに、これまで写真でしか知らなかったゲバラの生涯について、わずかながらでも知ることができたのは幸いだったと心から思っている。その意味では、ゲバラの半生の映像化を試みたソダーバーグ監督と、主演も務めたベニチオ・デル・トロに感謝したい。


満足度:★★★★★★★☆☆☆


<作品情報>
   監督:スティーブン・ソダーバーグ
   製作:ローラ・ビックフォード/ベニチオ・デル・トロ
   脚本:ピーター・バックマン
   撮影:ピーター・アンドリュース
   出演:ベニチオ・デル・トロ/カルロス・バルデム/デミアン・ビチル
       ヨアキム・デ・アルメイダ/エルビラ・ミンゲス/フランカ・ポテンテ
       ルー・ダイアモンド・フィリップス/マット・デイモン(友情出演)

         

<参考URL>
   ■映画公式サイト 「チェ 39歳 別れの手紙」
   ■関連商品 「The Bolivian Diary: The Authorised Edition」(ペーパーバック)
           「新訳 ゲバラ日記」 (チェ・ゲバラ著/中公文庫)
           「チェ・ゲバラ 伝説になった英雄」(レンタルDVD)

          

   

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DVD寸評◆チェ・ゲバラ -人々のために-

2009-01-23 16:20:16 | <タ行>
  

  「チェ・ゲバラ -人々のために-」 (1999年・アルゼンチン)
   CHE - UN HOMBRE DE ESTE MUNDO
世界の英雄として偶像化されたゲバラの素顔を、キューバ革命を共に戦った同志や革命政権時代に関わった人々が語るドキュメンタリー作品。必ずしも画質がよいとは言えず、字幕も読みにくいが、生前のゲバラを知る人々の証言はどれも興味深く、インタビューの合間に挟まれる貴重な映像は、いまなお人々に語り継がれる愛すべきゲバラの実像を垣間見せてくれる。革命軍の指揮官として勇名をとどろかせたゲバラは、実際に死も恐れない勇猛ぶりを発揮していたことが証言者の語るエピソードで明かされる。その一方で、ゲリラ戦における自身の重責を自覚して慎重な行動を取っていたという証言もあり、革命戦士の英雄像に真実味を添える。キューバ革命勝利後の閣僚時代には、工業相の立場にありながら、自ら率先して労働にいそしむ勤勉な姿が、人々の語るエピソードや写真、映像を通して浮き彫りにされる。

高邁な理想を掲げながら、実直な暮らしぶりに徹したゲバラは、政権の要職に在るあいだも周囲の人々の心を掌握していく。大臣としても辣腕を振るったという証言からは、戦場を離れても非の打ちどころのない指揮官だったことがうかがえる。その彼がなぜ地位も名誉も捨てて、革命戦争のただ中へ再び身を置いたのか。そしてゲバラの革命家としての資質は、いつ、どのように育まれていったのか。その答えを知る手がかりの一端は、南米バイク旅行に同行したアルベルト・グラナードや、工業省時代の部下の証言から推察することができる。1964年、ニューヨークの国連総会で、「よりよき世界を希求するための闘いには命を賭ける価値がある」と演説したゲバラは、その言葉どおりコンゴ、そしてボリビアでのゲリラ活動に身を投じ、67年10月、革命に捧げた短い生涯を閉じる。現地ボリビアの人々の好奇の目にさらされるゲバラの遺体の映像。その両目が、果たせなかった勝利を遠く望むかのように見開かれていたのが心に突き刺さる。挿入映像も含めて90分という短い尺の間に十数人がインタビューに答えているため、表層をかするだけの証言もあるが、ゲバラをとらえた世界的な写真をものにしたアルベルト・コルダや、腹違いの二人の娘たちへのインタビューも収録されていて、不世出の革命家、チェ・ゲバラの実像を知る上では一助となる一作。


満足度:★★★★★★★☆☆☆



<作品情報>
   監督・脚本:マルセロ・シャプセス
   撮影:ウンベルト・バレラ
   音楽:ルイス・マリア・セルラ   
   出演:チェ・ゲバラ/アルベルト・グラナード/エンリケ・オルトスキ
       アレイディータ・ゲバラ・マルチ/アルベルト・ディアス・コルダ
         

<参考URL>
   ■関連商品 DVD 「チェ・ゲバラ -人々のために-」



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チェ 28歳の革命◆ゲリラ戦によみがえる変革のイコン

2009-01-13 10:04:23 | <タ行>
  

  「チェ 28歳の革命」 (2008年・アメリカ/フランス/スペイン)
   CHE: PART ONE/THE ARGENTINE
思えば私は映画を見ていたのではなかった。幕が上がった当初は、数日前から読み始めた「革命戦争回顧録」のどのエピソードが再現されるのか、そこだけを注視していたように思う。しかし、シエラ・マエストラの山中を行軍する革命軍のシーンを見るうちに、私はスクリーンに描かれる革命家チェ・ゲバラその人を、流れる映像のひとコマひとコマに探し始めていた。ベニチオ・デル・トロという役者の佇まい、声音、一挙手一投足を通して、私はゲバラの実像の片鱗を感じ取りたかった。それは映画を見るというより、ゲバラその人を見たいという思いだった。1967年の死を境に、清廉な正義のイコンとして世界中から愛され続けた伝説の革命家への興味は尽きない。ゲバラをもっと知りたい、身近に感じたい――そう願う観客の思いを、ソダーバーグ監督は裏切らなかった。冒頭からそっけないほど淡々と描かれる革命軍の戦い。1964年にキューバ代表として国連総会に出席したゲバラをモノクロ映像で描く点を除けば、これといった工夫も描写の緩急もないまま全編が進んでいく。その思い切りのいい演出ぶりは、この潔い革命家を物語るのにふさわしい方法に思えた。

アルゼンチンの富裕層の出身で医学生だったエルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナが、おんぼろバイクに乗って友人と南米大陸縦断の旅に出たことは、ウォルター・サレス監督の「モーターサイクル・ダイアリーズ」に詳しい。その旅の途上で、貧困や病苦に喘ぐ人々の姿が青年期の瑞々しい感性に刻まれていくエピソードは、私たちの知るゲバラの原点であり、キューバ革命の勝利も超えてさらなる高みを目指す真の革命家を予感させるものだった。ラテンアメリカは一つであり国境は意味をなさないと言い切った青年は、しばしの時を経てキューバ革命の指導者となるフィデル・カストロと歴史的な出会いをする。ここから始まる革命家チェ・ゲバラの道のりを追う二部作の前編が、キューバ革命に勝利するまでを描いた本作だ。

映画では前述のゲバラの著書はじめ、存命中の関係者から取材した逸話の中からエピソードを拾い上げる。ゲバラは持病の喘息に苦しみながら、過酷な山岳戦を闘い、革命軍の支援に回る農民には礼儀を忘れなかった。文字の読めない者には読み書きを教え、戦闘の合間を縫って読書にいそしみ、医師として近隣の村人の健康を気づかった。一方で部隊を率いる冷徹な指揮官として、規律に反する行為を厳しく罰するエピソードもある。こうした逸話を積み重ねながら、従軍医師から革命戦士へと成長を遂げ、やがて革命軍の傑出した司令塔となっていくゲバラの足跡を、カメラは背景の光や音、風のそよぎの中に写し取る。それは「回顧録」に時おり挟まれる、叙情的とも取れるゲバラ自身の回想の描写に不思議と重なっていくようだった。

モノクロ映像で描かれる国連本部での歴史的演説や南米諸国代表との質疑のシーンは(裏方職員とのささやかな逸話と相まって)、ひとりの革命家の時空を超えたカリスマ性を合わせ鏡のように照射しながら、カラー映像で進行するキューバ革命のゲバラ像を浮き彫りにする。まるでニュースフィルムを見ているような白黒のイメージは、ゲバラを喪失した世界の失意を物語っているように感じられ、それゆえになおさらキューバ革命を戦うゲバラの姿は、その先で彼を待ち受ける峻烈な運命を知る私たちの目を色鮮やかに射抜くのだ。いっさいの前置きのない平坦な描写に退屈する瞬間があるかもしれない。それはそれでかまわないと私は思う。この映画を見るために劇場に足を運んだことをゲバラはたぶん喜んでくれるはずだし、この作品は彼を知るための、ほんのとば口なのだ。


【トリビアル・メモランダム】
ゲバラの死を契機に、彼の肖像は60年代末の反体制運動の象徴として
ポスターやアートのモチーフに使われ始めた。
その元となった写真は、キューバの写真家アルベルト・コルダ
1960年に撮影した「Guerrillero Heroico」(英雄的ゲリラ)と呼ばれる
こちらの写真。ハバナ港で起きた貨物船爆発事件の犠牲者を悼む
追悼集会で撮影された一枚だったといわれる。
この写真はゲバラの死後、アイルランドのアーティスト、
ジム・フィッツパトリックによってネガティブ加工を施され、
あまりにも有名なこのポスターが誕生した。
コルダもフィッツパトリックも共に著作権を放棄していて、
ゲバラの高邁な精神が表れ出たこの肖像写真は、
その後も世界中のファンのあいだに広まっていった。


満足度:★★★★★★★★☆☆


<作品情報>
   監督:スティーブン・ソダーバーグ
   製作:ローラ・ビックフォード/ベニチオ・デル・トロ
   脚本:ピーター・バックマン
   音楽:アルベルト・イグレシアス
   出演:ベニチオ・デル・トロ/デミアン・ビチル/サンティアゴ・カブレラ
       エルビラ・ミンゲス/ジュリア・オーモンド/カタリーナ・サンディナ・モレノ

         

<参考URL>
   ■映画公式サイト 「チェ 28歳の革命」
   ■関連商品 「革命戦争回顧録」(チェ・ゲバラ著/中公文庫)
           「モーターサイクル・ダイアリーズ」(2003年・ウォルター・サレス監督)
  
          

   

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地球が静止する日◆メッセージを支えきれないストーリー

2008-12-20 14:19:35 | <タ行>
    画像:「地球が静止する日(文庫)」(メディアファクトリー社刊)

  「地球が静止する日」 (2008年・アメリカ)

これほど印象の薄い作品もめずらしい。見終わって損をしたとは思わないが、何かずしりと手ごたえのようなものを感じたわけではなく、強いていえば劇中に出てきたいくつかのセリフと映像の一部が、少しだけ心に残ったくらいだろうか。たとえば宇宙人クラトゥ(キアヌ・リーブズ)が口にする地球と人類に関するいくつかの見解――「これほど複雑な生命を宿している星は宇宙でも数少ない」とか「地球の死は人類の死だ。だが人類が死ねば地球は生き残れる」といった警告めいた言葉。そして宇宙生物学者ヘレン(ジェニファー・コネリー)がクラトゥに対して必死に繰り返す「窮地に立たされれば私たちは変われます」というセリフ。映像でいえば、世界各地に飛来した光り輝く球体が、まるで宇宙から眺めた地球のように美しいこと、その球体に吸い寄せられるように取り込まれる生き物がノアの箱舟に乗り込む動物たちと重なること、すべてを破壊する昆虫型ナノテクロボット(?)がまるで大量発生したバッタの群れのようであったこと。そうしたイメージが旧約聖書の世界を連想させること。

原作はハリー・ベイツのSF短編。オリジナルは1951年にロバート・ワイズ監督によって映画化され、SF映画史の古典となった「地球の静止する日」。こちらは未見なので比較はできないが、オリジナルが核兵器の脅威や冷戦時代を見据えたSFであるのに呼応するように、本作が環境への負荷がいまにも閾値を超えようという時代の作品であるのがいかにも暗示的だ。しかし頭でそうとらえても、作品そのものから受ける印象は全体としてインパクトに欠け、メッセージは伝わっても感動を持ってそれを受け止めることができない。人類存亡のカギを握る宇宙人クラトゥが、滞在中に接するのがヘレンはじめほんの一握りの人間であり、彼らのあいだでクラトゥが見聞きするできごとが人類の運命を左右するという、なんとも手狭な展開がストーリーを貧弱にしてしまっている。ヘレンにいくら「We can change!」と繰り返されても、オバマ氏の選挙演説を思い出すだけで、そこにいかほどの言質があるというのか。最終的にクラトゥの気持ちを変えさせたのが、母と子の愛というのも、あまりにも安易すぎないか。球体をさんざん攻撃し、ゴートを地下基地に隔離していじり回し、世界の首脳との話し合いに筋道すらつけてくれなかった米国当局の仕打ちを考えたら、たった一組の親子の愛で人類殲滅計画を反故にしてくれたクラトゥはあまりにもお人好しだ。彼が故郷の星へ帰って軍法会議にかけられないことを祈るばかりである。


【トリビアル・メモランダム】
こう書いてきて、ふと気がついたのは――
キャシー・ベイツ演じる国務長官が「われわれの地球」と言ったとき
クラトゥはたしか「あなた方の地球ではない」と返したように思います。
地球はわたしたち人間のものだと当然思っている、
その思い上がりは自分の中にもあって、
たとえばクラトゥが「地球を救いにきた」と言ったとき
「人間を救いにきたのか」と一瞬思い込んでしまった無自覚さに
この人間至上主義の根深さを感じさせられました。
自戒の意味も込めて、星は一つ多めにします。


満足度:★★★★★★☆☆☆☆


<作品情報>
   監督:スコット・デリクソン
   製作:ポール・ハリス・ボードマン/グレゴリー・グッドマン/アーウィン・ストフ
   脚本:デビッド・スカルパ
   撮影:デビッド・タッターサル
   出演:キアヌ・リーブズ/ジェニファー・コネリー/キャシー・ベイツ
       ジェイデン・クリストファー・サイア・スミス

         

<参考URL>
   ■映画公式サイト 「地球が静止する日」
   ■関連商品 「地球が静止する日(文庫)」(ノベライズ版/メディアファクトリー)
           「地球の静止する日(DVD)」(ロバート・ワイズ監督/20世紀フォックス)
           「地球の静止する日(文庫)」(ハリー・ベイツほか著/角川文庫)
         

   

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デス・レース◆散りばめられた鋼鉄のメタファー

2008-12-04 15:49:11 | <タ行>
  

  「デス・レース」 (2008年・アメリカ)

焼けた鋼鉄と硝煙が画面から臭い立ち、軋むタイヤが発する熱がフィルムの色調を鋼色に染めていく・・・・・・。時は2012年。経済が崩壊し、失業者が巷にあふれた近未来のアメリカ。民間企業が運営する孤島の刑務所を舞台に、囚人たちの命賭けのカー・レースを迫真のアクションで描く。「バイオハザード」シリーズや「エイリアンVSプレデター」でおなじみのポール・W・S・アンダーソン監督が、ロジャー・コーマン製作の「デス・レース2000年」を大幅に脚色したリメイク作品。あくまでも実写にこだわり、危険なカーレースを精巧かつ大胆なカメラワークでとらえた映像は、半端ない迫力に満ちている。

今年9月以降悪化した金融危機で、景気後退がいっそう深刻化しているアメリカの状況を、まるで先取りしたかのような設定に思わず苦笑い。一時高騰した原油価格もなんのその、大量のガソリンをまき散らす改造レースカーの爆走は、世界的な不況を蹴散らそうといわんばかりの荒々しさだ。車と鋼を主役に据えてラストまで突っ走る演出は、金融危機の直撃を受けたアメリカの自動車業界を鼓舞するように見えるからおもしろい。とはいえ全編を通して、重金属がぶつかり合う衝撃と流血の映像はすさまじく、バイオレンスが不向きな方にはそれなりの覚悟がいるかもしれない。

主演のジェイソン・ステイサムは「トランスポーター」シリーズの腕を買われて(?)、今回は凄腕の元レーサー役。不況のあおりで勤務先の製鉄所から解雇された夜、妻殺しの罪を着せられて、凶悪犯の収容される海上の刑務所「ターミナル・アイランド」に送られる。製鉄所で鍛えられたその肉体は、労働者の証である硬い筋肉を鎧のようにまとっていて、まさに重厚な“鋼”の雰囲気。一方、登場するレースカーは硬い装甲でボディを覆い、マシンガンや重火器を搭載する重量級の鉄の塊だ。デス・レースの舞台となるターミナル・アイランドも、ロケーションに選んだのは鉄道車両工場の跡地というから、これら鉄や鋼のメタファーが意味することろは文字通り“鉄の復権”、すなわち重厚なるものへの回帰と考えては行きすぎか。筋肉といい、鉄といい、実車を使ったスタントといい、柔から剛へのベクトルが作品のあちらこちらに散りばめられている。

若者の車離れがささやかれる今の時代に、改造スポーツカーとナビゲーター役の美女たちが、若い観客にどれだけアピールするかは疑問だけれど、スーパーカーに夢中になった世代や、車と美女こそ男のステイタスと固く信じていた世代には、身中の血が沸き立つ大人の男の娯楽作だろう。しかし、レースのネット中継の視聴率を吊り上げようと画策する冷血な女刑務所長の陰謀に、レース・チームが勝利する爽快感は、客席のだれもが共有できること請け合いだ。髪は薄かろうが、信頼できる寡黙な男の魅力を毎回見せつけるジェイソン・ステイサム。今回は背部の筋肉の見事な鍛えっぷりが見ものである。


【トリビアル・メモランダム】
今回の主役である改造レースカーの車種/おもな装備:
  ・フォード・マスタング2000GT(2006)/4分の3インチの装甲板
  ・ダッジ・ラム1500 4WD(2004)/バルカン砲、30インチのマシンガン
  ・ビュイック・リビエラ(1966)/第二次大戦時の米ソ両国のマシンガン
  ・ポルシェ911(1978)/ヘルファイア・ミサイル
  ・ジャガーXJS(1989)/M2重機関銃
  ・クライスラー300C(2006)/MAG58マシンガン


満足度:★★★★★★☆☆☆☆


<作品情報>
   監督・脚本:ポール・W・S・アンダーソン
   製作総指揮:ロジャー・コーマン/デニス・E・ジョーンズ
   撮影:スコット・キーヴァン
   出演:ジェイソン・ステイサム/タイリース・ギブソン/イアン・マクシェーン
       ナタリー・マルティネス/ジョーン・アレン

         

<参考URL>
   ■映画公式サイト 「デス・レース」
   ■参考作品のDVD 「デスレース2000」
  
   

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ダイアリー・オブ・ザ・デッド◆力不足の「恐怖」と「ドラマ」

2008-11-17 22:46:02 | <タ行>
  

  「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」 (2007年・アメリカ)

ホラー映画の古典的ジャンルであるゾンビ映画の草分け、ジョージ・A・ロメロが、「ランド・オブ・ザ・デッド」以来3年ぶりにメガホンを取った新作ゾンビ映画。前回は近未来を舞台に、思考し進化する新型ゾンビを登場させて、階層社会を揺るがす革命の恐怖と混乱を描いてみせたが、本作では一転、少人数のアマチュア撮影クルーが体験する局地的なサバイバル戦を、擬似ドキュメンタリーの手法で追う。「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」を皮切りに、「クローバーフィールド」や「REC/レック」でおなじみとなった手持ちカメラによる一人称視点の撮影スタイルは、その臨場感と引き換えに作品のスケール感を損ない、ストーリー性を希薄にするという欠点を持っている。しかし幸い本作は定番ものであり、観客が事の顛末を熟知しているため、筋立てが見えにくいという欲求不満に陥ることもない。ただ問題なのは、先がすべて見えているという立場から作品に醍醐味を求めようとしたとき、目新しい発見が何もないということなのだ。

物語は、住宅街で発生した殺人事件のレポートではじまる。現場から運び出された遺体が突然起き上がり、救急隊員やテレビレポーターを襲うというお定まりのオープニングから、場面はペンシルバニアの夜の山中へ。卒業制作のホラー映画を撮影していた学生のグループは、ラジオで死者が蘇っているという奇妙なニュースを聞き、撮影を中断して寮や自宅へ戻ろうとキャピングカーに乗り込む。道中で異常な光景を目にした監督のジェイソン(ジョシュ・クローズ)は、メディアの情報が錯綜するなか、手持ちカメラで真実を記録しようと決意する。やがて彼らはインターネットに投稿された衝撃的な映像を見るうちに、自分たちの撮影した素材をその場で編集し、動画共有サイトにアップしようと試みる。しかし仲間が犠牲になるという事態に直面したデブラ(ミシェル・モーガン)は、撮影を続行することに疑問をぶつける。やがて仲間の家にたどり着いた一行は、屋敷の中に堅牢なパニックルームを発見するのだが・・・・・・。

凝った世界観の上に物語を構築するよりも、流行りの主観映像にこだわろうとしたためか、登場人物を少数に限定し、限られた場所から事の推移を描いている。おそらく低予算という点からしても、ロメロ作品の原点である「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」に立ち返った印象が濃い。既存メディアが機能しない状況のもとで、主人公が動画共有サイトに撮りたての映像をアップするという筋立てからして、個人が発信する情報の有益性を強調するのかと思いきや、「ネットに流される情報は、時にあまりに主観的すぎて混乱を招く」というナレーションをすかさず被せている。個人の発するいわば玉石混交の情報が、ひとつの“メディア”としてまかり通る今日のネット社会の危うさを突くとは、さすがロメロ流だ。これまでごく一部のメディアしか持てなかった情報発信のツールをだれもが手にするようになったいま、情報の発し方一つで多くの視聴者や読み手の関心を好きなだけかき集めることもできる。たとえそれが少なからぬ誤りや偏りを含んでいたとしてもだ。ロメロがネット社会にいだいたそうした危機感は、本作の中に十二分に表現されていると思う。ただ、一つの娯楽作品として見た場合、世界規模で起きている異変を手持ちカメラと動画サイトの映像(実際には編集済み)で描ききるという設定はどうだろう。人類の存続を危うくする死者の蘇り現象を、数(十)センチ角のモニター画像でちんまり見せられるとしたら、ちょっときつい。

もちろん続編の企画が進行中らしいので、今後の展開に広がりが出る可能性もあるだろう。しかし本作を見るかぎり、恐怖の質はマンネリ化し、撮影手法もすでに過去のホラー作品の焼き直しにすぎない。肝心の人間ドラマのほうも、撮影の可否をめぐるわずかな口論があるのみで、仲間どうしの本質的な対立や緊迫した心理戦は見られない。マニアの方々が期待するような恐怖をあおる描写も少なく、カメラが先か、人助けが先かという報道者としての葛藤も描ききれていない。既存のメディアが機能しなくなったときに、そもそもサーバーや携帯の中継が難なくつながるのかという疑問はさておくとしても、目の前に死が迫るなかで、安全への逃避より真実を記録することをあっさりと優先してしまう主人公に、そもそも現実味を感じられなかった。たとえ映画製作者を目指す学生だからといっても、そこには相当の葛藤があってしかるべきではないだろうか。というわけで、せっかくのロメロ作品ではあるけれど、☆の数は前作を下回った。


満足度:★★★★★☆☆☆☆☆


<作品情報>
   監督・脚本:ジョージ・A・ロメロ
   製作:ピーター・グルンウォルド
   撮影:アダム・スウィカ
   出演:ミシェル・モーガン/ジョシュ・クローズ/ショーン・ロバーツ/エイミー・ラロンド
       ジョー・ディニコル/スコット・ウェントワース/フィリップ・リッチオ

         

<参考URL>
   ■映画公式サイト 「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」
   ■シネマぴあ 「ダイアリー・オブ・ザ・デッド/ジョージ・A・ロメロ インタビュー」
   ■続編に関する情報 「Wikipedia /Island of the Dead」(英語)
  
   

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トウキョウソナタ◆黒沢清監督が描く「家族の風景」

2008-09-29 16:21:52 | <タ行>
    

  「トウキョウソナタ」 (2008年・日本/オランダ/香港)

サッシから吹き込む強風が室内をかき乱す。雨水が床を濡らす。窓辺に駆け寄った主婦はびしょ濡れの床を拭きとり、サッシを閉めるが、すぐさま自ら戸を開け放ち、荒れ模様の空を見上げる――。ささやかな幸せに満ちていたはずの「家」に忍び寄る波乱の予感に、私たちは冒頭から身を硬くする。独特の作風で知られる黒沢清監督が手がけた本作は、おなじみのホラーではなく、家族の「いま」を見つめた異色のホームドラマだ。外の嵐に身をさらす主婦・恵(小泉今日子)の姿から、場面はこの家の主人・佐々木竜平(香川照之)のリストラのシーンへと切り替わる。家庭という一つの世界の調和と秩序が、根底から音を立てて崩れ落ちる。そのとき夫は、妻は、どんな思いで日々をやり過ごすのか。そして家庭の崩壊を感じ取った子どもたちは、どこへ向かうのか。だれの人生にも起こりうる危機を、ユーモアとシニシズムを交えて描く家族の風景には、黒沢流のシュールな薬味が効いている。

本作の原案は、東京に滞在した経験のあるオーストラリアの脚本家の作品だそうだ。タイトルの「トウキョウ」の表記からもわかるように、描かれた舞台は異国人の目から見た東京であり、監督が加筆したという、米軍に志願する長男・貴(小柳 友)のエピソードをとってみても、これが2000年代の東京(日本)の現実をそのまま反映したものでないことは明らかだ。唐突なリストラのいきさつや、その後の竜平やリストラ戦士たちの珍妙な行動、ピアノを始めて数ヶ月そこそこで天才ピアニストになる次男・健二(井之脇 海)、そして強盗とともに拠りどころの「家」を出奔してしまう主婦・恵のエピソードなど、いずれもファンタジーの領域としか言いようがない。それでも、家族にリストラを隠し続ける竜平の逡巡、プライドをへし折られ、無力感にとらわれながらも、家庭では家長としての沽券にこだわり続ける男の意地には、納得のいくリアリティを感じた。一方、専業主婦なら一度は思い描くであろう家庭からの逃走というファンタジーが、行きずりのアウトロー(役所広司)との逃避行という過激な夢に結実するさまは、小泉今日子のひたすら抑制の効いた主婦像によって、かえって色鮮やかな官能の色彩を帯びたように思う(ただ彼女を拉致する役所広司の、舞台劇を思わせる過剰な芝居は、家庭への乱入者としての役どころとはいえ、全体のトーンにはややそぐわない印象を受けた)。

この映画では家族の食事風景が繰り返し描写される。食事を共にするという行為は、一般的に人が互いの距離を縮めようとするときの一種の儀式だが、家族の場合はテーブルを囲むことによって、それぞれの抱えこむ感情が相手にさらされてしまう緊張の場にもなる。リストラを隠す父、給食費を無断でピアノの月謝に当てた次男、米軍への入隊をひそかに決意した長男、外の嵐を見つめていた母、それぞれの緊張感はしかし表面化することなく、父親を頂点としたヒエラルキーが崩れ去る気配もない。それはひとえに家族の要であり、父親と子どもとのあいだでクッションの役目を果たしていた母親が、秩序を平穏に保とうとした努力の成果といえる。母親の出奔でこの均衡が崩れたとき、家族の食卓の様相は以前とはちがったものになる。強盗に荒らされた家に留置所から次男が戻り、やがて母が帰ってくる。おなかが空いたと言う次男に何事もなかったかのように食事の支度をしてやる母。そこへ、逡巡したあげく拾った札束の封筒を遺失物ボックスへ入れた父が帰宅する。それぞれの「現実逃避」が失敗に終わり、家に戻ってきた三人は、ただ身を寄せ合い食卓を囲む。一夜の冒険の後に、それぞれが黙々と食事を口に運ぶ家族の風景が、新鮮な感動を呼ぶ。

そして極め付きはラストのピアノ演奏。次男の弾くドビュッシーの「月の光」が試験会場に流れ、私たちは微かな希望の光をそこに見る。たとえ嵐に翻弄される小船であっても、「家」は結局のところ家族にとってはただ一つの救命ボートなのだ。リストラ、不景気、戦争、いじめ・・・・・・ボートすら呑みこもうとする荒波に漂いながら、家族はいま一度再生を夢見るのだろう。香川照之、小泉今日子の取り合わせが新鮮な、カンヌ国際映画祭「ある視点」部門審査員賞受賞作品。


満足度:★★★★★★★☆☆☆



<作品情報>
   監督:黒沢 清
   脚本:マックス・マニックス/黒沢 清/田中幸子
   プロデューサー:木藤幸江/ヴァウター・バレンドレクト
   音楽:橋本和昌
   出演:香川照之/小泉今日子/小柳 友/井之脇海
       井川 遥/津田寛治/役所広司

         

<参考URL>
   ■映画公式サイト 「トウキョウソナタ」
   ■毎日jp映画インタビュー 黒沢清監督に聞く「ゼロに戻った家族を描いた」 
   ■黒沢清作品レビュー 「叫(さけび)◆幽霊譚が浮き彫りにした都市の廃景」
                  「DVD寸評◆LOFT ロフト」 


   

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DVD寸評◆トンマッコルへようこそ

2008-08-15 18:23:31 | <タ行>
    

  「トンマッコルへようこそ」 (2005年・韓国)

暑さしのぎに借りたDVD「THEM」がどうにも論評しようのない作品だったので(!)、少し前にCATVでも再視聴した本作のレビューに変更。2005年に韓国で公開され、観客動員数800万人(全国民の6人に1人)という記録的なヒット作となった戦争ファンタジー。舞台は朝鮮戦争が激化する1950年代。人里離れた山奥の桃源郷へたどり着いた韓国軍、人民軍、不時着した連合軍(米軍)の兵士6人が、純朴な村人との触れ合いを通して心を解きほぐされ、国籍や政治を超えて友情をはぐくむ物語。今なお続く朝鮮半島の現実を織り込みながら、一義的正義の愚かしさを笑いとばし、大らかな心の交歓を謳い上げる理想郷の寓話、といえるだろうか。とはいっても、隠れ里での彼らの幸せは長くは続かず、終盤で兵士たちは村の野良着を軍服に着替えて、再び武器を手にすることになる・・・・・・。

対立する兵士たちの緊張感が、牧歌的な村の日常によって薄められ、無毒化されていく過程がユーモラスで快い。村人の最大の敵であるイノシシ退治を通して南北兵士が胸襟を開きあい、やがては連合軍の攻撃から村を守るために手に手を取って立ち上がるという展開は、今日的な反米感情と民族統一への悲願の投影だろうか。繰り返される飛翔と降下を暗示する映像――空中に飛散するポップコーン、舞い飛ぶ無数の蝶、降下する落下傘、あるいは投下される爆弾――は、天上の理想(統一)と地上の現実(分断)のはざまを行き交う、韓国民の思いの象徴なのかもしれない。国境を越えた兵士たちの心の交歓を描いている点では、「JSA」にも通じる反戦のメッセージが浮かび上がる。幻想的な映像は、久石譲の音楽と相まって桃源郷のファンタジーを堪能させてくれるが、ラストは相変わらずほろ苦い。


満足度:★★★★★★★☆☆☆



<作品情報>
   監督・共同脚本:パク・クァン・ヒョン
   製作・脚本・原案:チャン・ジン
   音楽:久石譲
   出演:シン・ハギュン/チョン・ジェヨン/カン・ヘジョン
       イム・ハリョン/ソ・ジェギョン/リュ・ドックハン
         

<参考URL>
   ■Yahoo!映画 「トンマッコルへようこそ」特集 
   ■DVD情報 amazon.co.jp 「トンマッコルへようこそ」


   

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