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劇場映画やDVDの感傷的シネマ・レビュー

ジャケット◆愛と死とタイムスリップ

2006-05-26 14:42:22 | <サ行>
            

 「ジャケット」 (2005年・アメリカ)
  監督:ジョン・メイブリー
  脚本:マッシー・タジェディン
  出演:エイドリアン・ブロディー/キーラ・ナイトレイ 

せつない系の映画ばかり見ているわけではないのだが、レビューで取り上げる映画にはせつない作品が多くなる。せつない映画に心が動いてしまうのは、人が生きていること自体がせつないことだと近ごろ実感しているせいかもしれない。この作品も、謎解きのサスペンスとSF的要素を含みながらも、まぎれもなく「せつない」映画なのである。

1992年、湾岸戦争で頭部に瀕死の重傷を負って帰国したジャック・スタークス(エイドリアン・ブロディ)は、故郷への帰路で発砲事件に巻き込まれ、警官殺しの冤罪を負ったまま精神病院に収容される。記憶を失ったジャックは、矯正治療の一貫として拘束衣を着せられて死体保管庫に閉じ込められる。暗闇の中で恐怖にさいなまれながらも、ジャックは過去の記憶を断片的に取り戻すが、深い絶望感の中で突然15年後の未来へタイムスリップしてしまう。そこで出会った一人の女性ジャッキー(キーラ・ナイトレイ)から、ジャックは15年前に死んだことを告げられる。実は彼女は15年前の事件の当日、雪の路上で出会った少女だった・・・。

アメリカ北部(撮影地はカナダとイギリス)の厳寒の冬景色と、暗く閉ざされた病院でのシーンが多く、全体のトーンは暗く、もの悲しい。記憶を失った男の自己回復の物語はただただせつなく痛々しく、死を前に愛する者を救済しようとする彼の行為は、見る者の心に重い楔を打ち込むだろう。

人は自分の死が、いつ、どんな形で訪れるのかを事前に知ることはできない。未来のどこかの時点で死が訪れることはわかっていても、どこか遠い未来のことだと信じて頭の隅に追いやっている。ジャックはタイムスリップによって、自分がまもなく死ぬという事実を突きつけられ、残されたわずかな時間の中で隠された死の真相をあばくために奔走する。そして未来を知りえた者として、愛する者に悲劇を回避するための手立てを尽くす。死の足音に怯えることなく、限りある時間の中で最善を尽くそうとするジャックの姿に、死を意識した人間の諦念と、澄み切った水面のような心の静けさを見て、思わず胸が詰まった。

この映画には、ジャックをはじめ「自分を失った人々」が登場する。ジャックは発砲事件での負傷によって記憶を失っている。雪の路上で出会った少女ジャッキーの母親は、薬物とアルコールで身を持ち崩している。15年後の世界でジャックが再会するジャッキーは、母親を亡くして自堕落な日常に埋没している。ジャックを死体保管庫に閉じ込める精神科医のベッカーは、実験的な矯正治療に没頭するあまり、患者を死に至らしめた過去を持っている。入院患者のルーディーは、もとより正常な精神を病んでいる。唯一まともに見えるのは、女医のローレンソンだけだ。ジャックはこれらの人々と関わり合うなかで自分を取り戻し、最後にはジャッキー親子に運命を変える決定的な影響を与えるのだ。

ジャックの誕生日が12月25日であること、名前が「J」ではじまる文字であること、死んだ(記憶障害)のあとに、また復活(記憶の回復)をしたこと、愛する者を救ったことなどの符合から、ジャックをキリスト(Jesus)に当てはめる見方もあるらしい。そういえば哀愁をおびた面持ちのジャックが死体保管庫の中に繰り返し入れられるシーンは、キリストの受難を思わせなくもない。ただ、そこまで深読みしなくても、十分に楽しめる内容であることはたしかだ。

絶望感の中で最善の生を生きようとしたジャックに、ラストシーンがせめてもの「救済」であればいいと願うばかりだ。

 


満足度:★★★★★★★★☆☆




ナイロビの蜂◆巨悪に立ち向かった愛の物語

2006-05-18 12:25:40 | <ナ行>
            

 「ナイロビの蜂」 (2005年・イギリス)
  監督:フェルナンド・メイレレス
  原作:ジョン・ル・カレ
  出演:レイフ・ファインズ/レイチェル・ワイズ/ダニー・ヒューストン/ユベール・クンデ

連日、メディアでは『ダヴィンチ・コード』の宣伝が喧しい。今週末の公開と同時に、全国の劇場には観客が殺到することだろう。映画の場合、宣伝力の差がそのまま観客動員数につながることを思えば、前宣伝で目につく映画が必ずしも「よい映画」とは限らない。いや、『ダヴィンチ・コード』がどうのという話ではない。宣伝不足でほとんど人目に触れないまま劇場から消えていく映画の中にも、きらりと光る良質の作品がある、ということを言いたいのだ。『ナイロビの蜂』も、おそらくそうした作品の一つではないかと思う。

原作はサスペンス小説の巨匠、ジョン・ル・カレ。監督は『シティ・オブ・ゴッド』(3月5日の投稿記事参照)のフェルナンド・メイレレス。アフリカを舞台に大手製薬会社の陰謀に巻き込まれた一組の男女の愛の軌跡をサスペンス・タッチで描いた作品なのだが、縦糸となるロマンスの描き方が甘すぎないところに好感が持てた。

物語は、英国大使館の一等書記官ジャスティン(レイフ・ファインズ)と、アフリカでの救援活動に情熱を燃やす活動家テッサ(レイチェル・ワイズ)の出会いからはじまる。外交政策に関するジャスティンの講演を聞いたテッサはジャスティンを質問攻めにするが、笑顔でいなすジャスティンに惹かれてベッドを共にする。やがてジャスティンのアフリカ赴任が決まると、テッサはアフリカに同行したいと申し出て二人は夫婦になる。テッサは夫の赴任先のナイロビで救援活動にいそしむうちに、エイズ治療薬をめぐる製薬会社の陰謀に気づく。巨悪に立ち向かっていくテッサを、ただ見守ることしかできないジャスティン。やがて奥地の湖のほとりで、テッサの他殺体が見つかる・・・・・・。

ここから、苦渋に満ちた愛の物語がはじまる。妻の活動に理解を示してやれなかった悔恨の念と喪失感にさいなまれるジャスティンが、妻の命を奪った巨悪に挑んでいく過程は、まさに愛の軌跡そのものだ。もともとジャスティンは庭いじりが趣味の静かな男だった。その彼が妻の死をきっかけに「静」から「動」へと劇的に変わっていく。そこに彼の、テッサへの愛の深さを見る思いがする。

しかし、この作品の醍醐味はラブストーリーにとどまらない。テッサが暴こうとした製薬会社の陰謀は、この世界で起きている現実でもある。メイレレス監督がこの作品の映画化に踏み切ったのは、母国ブラジルにおける製薬業界の問題点を指摘したかったからだという。「ブラジルではエイズなどの治療薬を生産している。国の保健相は国民のために安い薬を作ろうとしているのに、アメリカ政府はそれを阻止しようと圧力をかけている。第一世界が利権をまもるために第三世界を食い物にしている状況はひどいものさ。だからこの作品で第一世界の製薬業界をぎゃふんと言わせてやりたかった」――こうメイレレスは語ったそうだ。

監督のこうしたねらいは、舞台がアフリカであることによっていっそうの効果を上げている。エイズの蔓延するスラム街の惨状。まともな医療施設もない中で、人の命がいとも易々と奪われていく日常を、メイレレスはまるでドキュメンタリーのように淡々と描き出す。アフリカの荒々しくも美しい風景と素朴な現地の子どもたちのあどけない表情が、美しいBGMと相まって、妻を失った男の心情を切々と訴えかけてくる。

フラッシュバックの多用と複雑な人間模様はサスペンス映画の謎解きと考えて、あとはシートに背中を沈めて喪失感と切なさに身を任せるのが大人の見方かもしれない。



満足度:★★★★★★★☆☆☆