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好きな映画だけ見ていたい

劇場映画やDVDの感傷的シネマ・レビュー

ノア 約束の舟◆神と家族のあいだで苦悩する男の物語

2014-06-25 14:39:01 | <ナ行>


  「ノア 約束の舟」 (2014年・アメリカ)
   NOAH


旧約聖書の物語、「ノアの方舟」が、ラッセル・クロウ主演で映画化された。監督は「ブラック・スワン」のダーレン・アロノフスキー。アダムの子孫であり、神に従う正しき人であったノアは神の啓示を受けて、来るべき大洪水に備えて巨大な方舟の建造に取りかかる。荒れ地に突然現れた水脈は周囲に豊かな森を繁茂させ、しだいに地上の鳥や獣たちが引き寄せられるように集まってくる。ノアは醜い巨人の姿となった堕天使の力を借りて、すべての生き物をひとつがいずつ収容できる巨大な方舟を建造する。しかし、いよいよ洪水が押し寄せる段になって、地上の王を名乗るトバル・カイン(カインの子孫)が軍隊を率いて攻め込んでくる。方舟を守るために戦う堕天使。吹き上がる水柱。押し寄せる大洪水・・・・・・。この見応えのあるスペクタクルシーンは、実は本作の中核ではない。ここから、水没した世界に漂う方舟の中で緊迫した人間のドラマが展開していくのだ。

地上から悪の根源である人間を一掃しようとすることを神の意思だと信じるノアは、洪水後の世界に人間が残ることをよしとせず、いずれ彼の一家がすべて死に絶えることを望んでいる。ノアは妊娠した長男セムの妻イラ(エマ・ワトソン)がもし女児を出産すれば、その命を絶つとまで宣言する。ノアに決意を覆すよう懇願する妻ナーマ(ジェニファー・コネリー)、父への反感からトバル・カインの奸計に惑わされる次男ハム、そしていまだ陸地の見えない洪水の中へ出ていこうとするセムとイラ。神を選ぶか、家族を取るか、信仰と家族への愛の狭間で引き裂かれる一人の男のドラマは、思いを異にする一家を乗せた密室のような方舟の中で、のっぴきならない緊張のクライマックスを迎える。

ノアはどちらを選択したか。それはここでは伏せるとしても、彼がぎりぎりまで自身を追い詰めていく姿は、程度の差こそあれ、人生の重大な局面で選択を迫られる私たちのあり様に重なる。彼の迷い、いらだち、葛藤は直接的に描かれる」ことはなかったが、水が引いた世界の入江で酩酊し、ぶざまに裸身を晒す姿がすべてを物語っている。預言者ノアは人間だった。そして神は、人が人であることを許したのではなかったか。

ラッセル・クロウは相変わらず心正しき人のイメージにぴったりだし、妻を演じたジェニファー・コネリーや嫁役エマ・ワトソンの緊迫した演技も印象深い。CGIとはいえ、動物たちが方舟に収まった後の混乱をどう処理するのだろうと気にかけていたが、それもなるほどという方法で難なくまとめられていた。惜しいのは岩の怪物じみた堕天使の姿。「ロード・オブ・ザ・リング」のエント族を思わせる動きに、もう少し工夫の余地はなかったのだろうか。ファンタジーというには重く、人間ドラマとしては古臭くシンプルに過ぎるこの映画、いっそ創世記の世界を再現するのをやめて、神ととことん対峙するノアの姿を掘り下げたらもっと面白かったのではないだろうか。


満足度:★★★★★★★☆☆☆

  

ノウイング◆SFで描いた旧約聖書の終末世界

2009-07-13 15:06:28 | <ナ行>
  

  「ノウイング」 (2009年・アメリカ)
   KNOWING

どこに着目するかで、いろいろな楽しみ方ができる映画なのだが、この映画の特異な点はラストに向かうプロセスが、どう考えても宗教画のモチーフに収束してしまうというところ。謎の数列、タイムカプセル、未来予知に続き、正体不明の男たちや臨場感に圧倒される事故の惨状を見せつけられると、これまで見てきたディザスターものやナイト・シャマラン風SFミステリーによくある展開が思い浮かぶ。実際、「サイン」や「地球が静止する日」を挙げるまでもなく、主人公の周辺に現れる不気味な男たちの正体は早い段階から予想がついてしまうのだが、終盤で彼らの本当の姿を目にしたとき、この映画の真のたくらみに気づいてハッとさせられた。

時は1959年。とある小学校の創立記念式典で、半世紀後の世界に向けて児童たちの絵をタイムカプセルに入れて土中に埋める行事が企画された。児童のひとり、ルシンダ(ララ・ロビンソン)だけは課題の絵を描くかわりに、おびただしい数字の羅列で紙全体を埋め尽くす。50年後、MITで宇宙物理学を教えるジョン(ニコラス・ケイジ)の息子ケイレブ(チャンドラー・カンタベリー)は、式典で開封されたタイムカプセルの中から、数列の書かれた一枚の紙を持ち帰る。ふとした偶然から数列に注意を向けたジョンは、それが過去50年間に起きた事故や災害の日付とその犠牲者の数に一致することに気づく。そこには、まだこれから起きる未来のできごとを表す3つの数列が記されていた――。

この数字の謎解きから二つの大事故までの展開は、思わず引き込まれるシーンの連続だった。高度な映像マジックを見せられても、そうそう驚かなくなった観客でも、主翼を地面に突き立てるように墜落する飛行機と、乗客でごった返すホームを爆走する地下鉄の描き方には鳥肌が立つのではないだろうか。ただ、数列の謎を解いて右往左往する父親ジョンの行動が、話の筋をどこへ導いていくのかがなかなか見えてこない。それもそのはず。この映画は“主人公イコール救済者”というありきたりの公式が成り立つ映画ではなかったのだ。最後に残った一つの予言の謎が解かれたとき、破滅から救ってくれると期待していたジョンは、滅びゆく人類の悲劇を静かに受け止める“Everyone Else”のひとりになってしまう。

では、この映画に救済はないのか?――ある。ジョンの息子ケイレブとルシンダの孫娘アビー(ローズ・バーンの二役)の行き着く世界が、人類にとっての新世界であり、創世記の「エデンの園」なのだ。しかし、それは数あるディザスター映画やSF作品が帰着する地点からは少し視点がずれている。ルシンダの家で見つかるエゼキエル書の一場面を描いた宗教画からも、ささやく声に悩まされたルシンダやケイレブ、アビーが、神の言葉を人々に伝える預言者であったことは明らかだ。つまりは作品全体が、旧約聖書の描く世界の終末を映像化して見せているのだ。評価は分かれそうだが、個人的にはとても興味をそそられるSF映画だった。監督はあの「ダークシティ」のアレックス・プロヤス。そういえば謎の男たちのたたずまいは、一夜で姿を変える謎の都市、ダークシティを徘徊する黒ずくめの男たちにどことなく似ていた。


満足度:★★★★★★★★☆☆


<作品情報>
   監督:アレックス・プロヤス
   製作:アレックス・プロヤス/トッド・ブラック/ジェイソン・ブルメンタル/スティーブ・ティッシュ
   製作総指揮:スティーブン・ジョーンズ/トファー・ダウ/ノーマン・ゴライトリー
   原案:ライン・ダグラス・ピアソン
   脚本:ライン・ダグラス・ピアソン/ジュリエット・スノードン/スタイルズ・ホワイト
   音楽:マルコ・ベルトラミ
   撮影:サイモン・ダガン
   出演:ニコラス・ケイジ/ローズ・バーン/チャンドラー・カンタベリー/ララ・ロビンソン
       ベン・メンデルソーン/ナディア・タウンゼンド

         

<参考URL>
   ■映画公式サイト 「ノウイング」
   ■関連商品 「ノウイング」(ライン・ダグラス・ピアソン著/メディアファクトリー社刊)
        

ノーカントリー◆死との対峙を掘り下げた不条理劇

2008-03-17 16:10:30 | <ナ行>
  

  「ノーカントリー」 (2008年・アメリカ)

「死というものは、なしくずしにヒトに訪れるものではなく、死が訪れたその最期のときの何時(いつ)かの瞬間を、ヒトは決断し、選びとるのです」(藤原新也著「メメント・モリ」情報センター出版局)。この言葉を、生を手放す覚悟をすることだと解釈するなら、「ノーカントリー」の中で死んでいった罪なき人々は、死の瞬間を選びとる最期の権利さえ与えられなかったことになる。

ハビエル・バルデム演じるアントン・シガーという殺人者の存在は、具象の領域をはるかに超えた哲学的意味合いを帯びて、まれにみる異彩を放っている。シガーの殺人はいわば絶対殺人ともいうべき純粋性に裏打ちされていて、彼個人の私欲や邪念はもとより、他者による意味づけさえも、かたくなに拒んでいるようにみえる。そもそも劇中ではシガーという男の経歴はいっさい明かされず、観客さえ彼の背景を推し量る機会を奪われているのである。こうした存在に対して私たちがいだく感情は、恐怖と畏怖でなくて何だろう。その男がいったん決めたら死は確定され、どんなにあがこうとも、だれもそれを拒むことはできない。このありようはもはや事故や災害と同じ、有無をいわせぬ運命の非情そのものだ。「You can't stop what's coming.」――ベル保安官(トミー・リー・ジョーンズ)が訪ねる年老いた元保安官代理がつぶやくこの言葉は、シガーの本質を解き明かすヒントになっている。

こうした超人的な追っ手との対決を強いられる人物、ルウェリン・モス(ジョシュ・ブローリン)の健闘ぶりもなかなかだ。彼の動機はどこまでも奪った200万ドルにあり、妻の命も含めてあやうい賭けに出ることもいとわない。ベトナムでたたき上げたというその根性は見上げたものだが、世俗の欲にとらわれすぎたあまり、運命の足音を聞き逃すというミスを犯す。このミスによって悲劇はやがて妻のカーラ(ケリー・マクドナルド)にまで及んでしまう。死の時をシガーとの対話でしめくくることになったカーラの最期はとりわけ心を揺さぶった。彼女は殺人者を前にして、ささやかながら精一杯の抵抗を試みる。いまここで私の命を奪っても意味がないと。けれども彼女の死は、モスがシガーとの取引を拒んだ時点からすでに始まっていたのだ。はたしてカーラには最期の瞬間(とき)を自ら選びとる猶予があっただろうか。

物語は冒頭とラストを、ベル保安官の言葉で飾っている。銃を所持しないことをモットーに法の正義を守ってきた彼は、動機の見えない犯罪にとまどいを感じるようになり、引退を決意する。ベルがシガーと対峙するシーンは意外にも、モスの殺害されたモーテルの暗闇という設定にとどまったが、おそらく両者はあのとき相手の存在を感じ取りながらも、無意識に対決を避けていたのではないだろうか。シガーは去り行くベルに追い討ちをかけないことで、またベルは想像を超える犯罪に目をつぶることで、ふたりはそれぞれの世界にとどまる道を選んだのかもしれない。あるいは単に、運命がベル保安官にやさしかっただけなのだろうか。彼が最後に語る夢の話は、牧歌的な神話の世界をほうふつさせる。牛の角の中に火をともした父親が、森の中で焚き火をして自分を待っているというイメージには、明らかにやさしい死の予感がある。少なくとも彼には、最期の瞬間を自ら選びとる余裕があり、そのことが私にはせめてもの救いに感じられた。

BGMをいっさい排した演出は、テキサスの荒野を吹く風を頬に感じるほどの臨場感に満ちている。死についての考察をいやおうなく促される、アカデミー賞4部門受賞も納得の一作。



満足度:★★★★★★★★★☆




<作品情報>
   監督・脚本・製作:ジョエル・コーエン/イーサン・コーエン
   原作:コーマック・マッカーシー「血と暴力の国」No Country for Old Men(扶桑社ミステリー) 
   出演:トミー・リー・ジョーンズ/ハビエル・バルデム/ジョシュ・ブローリン
       ウッディ・ハレルソン/ケリー・マクドナルド/ギャレット・ディラハント

         

<参考URL>
   ■映画公式サイト「ノーカントリー」





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ナイロビの蜂◆巨悪に立ち向かった愛の物語

2006-05-18 12:25:40 | <ナ行>
            

 「ナイロビの蜂」 (2005年・イギリス)
  監督:フェルナンド・メイレレス
  原作:ジョン・ル・カレ
  出演:レイフ・ファインズ/レイチェル・ワイズ/ダニー・ヒューストン/ユベール・クンデ

連日、メディアでは『ダヴィンチ・コード』の宣伝が喧しい。今週末の公開と同時に、全国の劇場には観客が殺到することだろう。映画の場合、宣伝力の差がそのまま観客動員数につながることを思えば、前宣伝で目につく映画が必ずしも「よい映画」とは限らない。いや、『ダヴィンチ・コード』がどうのという話ではない。宣伝不足でほとんど人目に触れないまま劇場から消えていく映画の中にも、きらりと光る良質の作品がある、ということを言いたいのだ。『ナイロビの蜂』も、おそらくそうした作品の一つではないかと思う。

原作はサスペンス小説の巨匠、ジョン・ル・カレ。監督は『シティ・オブ・ゴッド』(3月5日の投稿記事参照)のフェルナンド・メイレレス。アフリカを舞台に大手製薬会社の陰謀に巻き込まれた一組の男女の愛の軌跡をサスペンス・タッチで描いた作品なのだが、縦糸となるロマンスの描き方が甘すぎないところに好感が持てた。

物語は、英国大使館の一等書記官ジャスティン(レイフ・ファインズ)と、アフリカでの救援活動に情熱を燃やす活動家テッサ(レイチェル・ワイズ)の出会いからはじまる。外交政策に関するジャスティンの講演を聞いたテッサはジャスティンを質問攻めにするが、笑顔でいなすジャスティンに惹かれてベッドを共にする。やがてジャスティンのアフリカ赴任が決まると、テッサはアフリカに同行したいと申し出て二人は夫婦になる。テッサは夫の赴任先のナイロビで救援活動にいそしむうちに、エイズ治療薬をめぐる製薬会社の陰謀に気づく。巨悪に立ち向かっていくテッサを、ただ見守ることしかできないジャスティン。やがて奥地の湖のほとりで、テッサの他殺体が見つかる・・・・・・。

ここから、苦渋に満ちた愛の物語がはじまる。妻の活動に理解を示してやれなかった悔恨の念と喪失感にさいなまれるジャスティンが、妻の命を奪った巨悪に挑んでいく過程は、まさに愛の軌跡そのものだ。もともとジャスティンは庭いじりが趣味の静かな男だった。その彼が妻の死をきっかけに「静」から「動」へと劇的に変わっていく。そこに彼の、テッサへの愛の深さを見る思いがする。

しかし、この作品の醍醐味はラブストーリーにとどまらない。テッサが暴こうとした製薬会社の陰謀は、この世界で起きている現実でもある。メイレレス監督がこの作品の映画化に踏み切ったのは、母国ブラジルにおける製薬業界の問題点を指摘したかったからだという。「ブラジルではエイズなどの治療薬を生産している。国の保健相は国民のために安い薬を作ろうとしているのに、アメリカ政府はそれを阻止しようと圧力をかけている。第一世界が利権をまもるために第三世界を食い物にしている状況はひどいものさ。だからこの作品で第一世界の製薬業界をぎゃふんと言わせてやりたかった」――こうメイレレスは語ったそうだ。

監督のこうしたねらいは、舞台がアフリカであることによっていっそうの効果を上げている。エイズの蔓延するスラム街の惨状。まともな医療施設もない中で、人の命がいとも易々と奪われていく日常を、メイレレスはまるでドキュメンタリーのように淡々と描き出す。アフリカの荒々しくも美しい風景と素朴な現地の子どもたちのあどけない表情が、美しいBGMと相まって、妻を失った男の心情を切々と訴えかけてくる。

フラッシュバックの多用と複雑な人間模様はサスペンス映画の謎解きと考えて、あとはシートに背中を沈めて喪失感と切なさに身を任せるのが大人の見方かもしれない。



満足度:★★★★★★★☆☆☆




ナイト・ウォッチ/NOCHNOI DOZOR◆ロシア発のダーク・ファンタジー

2006-04-20 12:18:10 | <ナ行>
            

「ナイト・ウォッチ/NOCHNOI DOZOR (2004年・ロシア)
  監督・脚本:ティムール・ベクマンベトフ
  原作・脚本:セルゲイ・ルキヤネンコ
  出演:コンスタンチン・ハベンスキー/ウラジミール・メニショフ/マリア・ポロシナ

ロシア映画である。パンクである。『戦争と平和』でもタルコフスキーでもない。ロシアのダーク・ファンタジー小説に材をとった、れっきとした娯楽映画である。昨年の秋、東京国際ファンタスティック映画祭の最終日に上映され、異色のロシア映画として話題になった。ストーリーは明快で、映像は驚くほどスピーディかつスタイリッシュ。監督のベクマンベトフはCMやミュージックビデオを長らく手掛けてきたというから、それもうなずける。

物語は、特殊能力をもつ「異種」(アザーズ)と呼ばれる一人の男、アントンを中心に進んでいく。遠い昔、世界は光の一族と闇の一族に分かれて激しい戦闘を繰り返してきた。しかし戦いのむなしさに気づいた光の一族の長は闇の一族と休戦協定を結び、異種たちがそれぞれの側を監視するという取り決めを結んだ。異種となった人間はその能力に目覚めたとき、光の側に付くか闇の側に付くかを自ら決めることができる。時は変わって現代のモスクワ。アントンのある行動によって、1000年にわたって守られてきた光と闇の均衡が崩れ、闇の一族が動き出す。異種としての能力にめざめたアントンは、闇を監視する「ナイト・ウォッチ」の一員として闇を封ずる戦士となるのだが・・・。

冒頭の戦闘シーンで、甲冑を着た戦士たちがぴたりと動きを止め、カメラだけが静かに動いていく場面には、『マトリックス』で多用されたのと同じVFXのテクニックが使われているという。制作を手掛けたコンスタンチン・エルンストは、「この作品はまるで、タルコフスキーがウォシャウスキー兄弟と出会ったような作品」と言ったそうだが、アメリカ映画の映像的手法を受け継ぎながらも、あくまでも新しいロシア映画である点を強調しているのが印象的だ。現代のモスクワに舞台を移してからは、アントンのパンクっぷりがファッションともども小気味よい(彼の着る長いコートは、モスクワの若者のあいだで人気になったとか。そういえばサングラスの着用もマトリックスを連想させる)。なかでもおもしろかったのは、闇の側に取り込まれていくイゴールという少年が見ていたテレビ番組が、あのFOXのテレビ・シリーズ「バフィー」(ヴァンパイア・スレイヤーの美少女が悪と戦う人気番組)だったこと[註]。アメリカ的映像文化の踏襲をあえて強調している点にも、この新しいロシア映画の余裕と自信を見たように感じた。

『ナイト・ウォッチ』のロシア公開は2004年。1600万ドルというロシアでは空前のヒットを打ち立てたこの作品は、実は三部作の第一作目。第二部の『デイ・ウォッチ』も現在ロシアで驚異的な興業記録を更新中だという。


    [註]DVDで再度鑑賞したところ、イゴール少年が見ていたテレビ番組が
       別のものに差し替えられていました。事情はわかりませんが、
       念のため報告させていただきます(2008年夏・記す)



満足度:★★★★★★★★☆☆