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劇場映画やDVDの感傷的シネマ・レビュー

闇のあとの光◆メキシコ発の映像マジック

2014-07-02 20:00:51 | <ヤ行>


  「闇のあとの光」 (2012年・メキシコ/フランス/ドイツ/オランダ)
   POST TENEBRAS LUX

解読することを拒む作品に遭遇したとき、それについて語ることはとてもむずかしい。時間軸や因果律や印象深いキャラクターといった、物語(ストーリー)を読み解くための材料すら与えられず、まるで万華鏡を覗くように目の前に展開する映像をただただ体験させられる。座席に身を預け、視覚と聴覚をたよりに無力な観客としての自分を感じた115分は、それでもなぜか心地よかった。

まずは、のっけから始まる映像が刺激的だ。山の麓の広大な牧場で、放牧された牛馬を無心に追いかける幼女。吠え声を上げる牧羊犬の群れ。美しい夕景と、しだいに暗くなる山際。走る稲妻。鳴り響く雷鳴。不安を掻き立てる犬たちの息づかい。家族の名を呼ぶ怯えた幼女の声。やがて圧倒する夜の気配があたりを支配する。画面はレンズのフレームを歪ませたように周囲が常にぼやけている。やがて、寝静まった家の中に侵入する赤い影。その造形は悪魔を想起させるものの、不気味であると同時にどこかユーモラスだ。

映像に意味を求めようとする観客を軽くいなすような、この不穏でありながら長閑で滑稽な感覚は、作品全体をしたたかに包み込んでいるように感じられた。映像の周囲をぼかす手法も、観客がひたすらリラックスして映像を堪能できるようにというカルロス・レイガダス監督の配慮であったかもしれない。レンズの向こうで悪魔が現れようと、乱交が行われようと、不運な遭遇によって牧場主が撃たれようと、観客はしょせん、万華鏡を通してあちらの世界を覗いているだけなのだから。

虫のすだく音、荒波の音、倒れる大木の悲鳴、バイクの轟音――鮮烈な映像と相まって聴覚に飛び込んでくる音の洪水も、強く印象に残った。見えるもの、見えないもの、形のあるなしにかかわらず世界は重層的かつ神秘的であり、理性ではなく感覚を研ぎ澄ますことで、その一端を垣間見ることができるかもしれないことを、映像体験として教えられた気がした。(カンヌ国際映画祭2012年・監督賞受賞作品)


満足度:★★★★★★★☆☆☆



<参考URL>
   ■映画公式サイト 「闇のあとの光」
 

闇の子供たち◆タブーに切り込む勇気ある一作

2008-09-04 17:27:07 | <ヤ行>
  

  「闇の子供たち」 (2008年・日本)

たしかに重い映画だった。私たちが日ごろ視野の隅に追いやって、無意識のうちに見ることを拒み続けている「あるもの」を、この映画は正面から突き付けてくる。その居心地の悪さは、たとえば日々食卓に上る肉料理の食材たちの、悲しくも惨たらしい運命を見えないことにして生きている罪悪感に少しだけ似ている。私たちが意識にフィルターをかけ、見ることをあえて拒んでいるのは、知恵なき無辜(むこ)の生きものの犠牲の上に、力あるものの生と享楽がおぞましくも成り立っているこの世界の現実だ。その罪なき悲しい生きものが、もしも「人」であったらどうだろう。

8月2日の渋谷・シネマライズでの公開以来、都内ではじわじわと動員数を広げ、30日には千葉、埼玉、神奈川を含む首都圏で拡大公開されている話題作・・・・・・ということで、遅ればせながら有楽町のスバル座へ。サービスデーだったこともあり、場内は平日にも関わらず立ち見も出るほどの盛況ぶり。幕が上がるまでは客席の混雑ぶりを意外に感じたが、エンドロールが出るころには、この映画の集客力がけっして「豪華キャスト」の顔ぶれによるものでないことを実感させられた。梁石日の同名小説を原作に、タイの人身売買の実態をサスペンス仕立てで描いたこの映画は、犠牲となる子どもたちの命の息遣いを、観客席へとみごとにぶつけることに成功している。取り扱う内容が、小児性愛と臓器売買という扇情的かつセンシティブなものであるにもかかわらず、犠牲になる子どもたちの描写はおそらく最小限のリアリズムに留められており、時おり挟まれる自然の風物や地元ボランティア団体の活動風景が、重いテーマに清涼感を添えている点は好感が持てた。

物語はタイ駐在の新聞記者、南部浩行(江口洋介)が、臓器密売の実態を暴こうと闇社会に切り込んでいく姿を軸に、人身売買によって売春組織に売り飛ばされた子どもたちの壮絶な監禁生活と、彼らを救おうと活動するNGOのボランティア、音羽恵子(宮崎あおい)と地元の社会福祉センターの職員の活動を描く。取材を続ける南部のもとには、近く行われる日本人小児患者の心臓移植手術で、タイの子どもの臓器が闇取引されるという情報がもたらされる。一方、福祉センターでは施設に通っていた少女の一人が姿を消す。不審がる職員のもとに届いた手紙から、彼らは少女がマフィアの仕切る売春宿に監禁されていることを知る。音羽はこの少女をはじめ、臓器売買の犠牲になる子どもを救おうと躍起になるが、南部は目の前の悲劇を阻止するだけでは問題の解決にはならないと言い放つ・・・・・・。

東南アジアやインド、中国などで臓器の取引が半ば公然と行われているのは事実であっても、闇取引で子どもたちの命が犠牲になるというエピソードには体が震える思いがした。先日たまたま視聴した「ナショナル ジオグラフィック チャンネル」の「ザ・潜入! 臓器売買市場」 によれば、たとえばインドには病院、医師、仲介業者からなる臓器売買のネットワークが存在し、移植ツアーなどによって年間2000個の臓器が外国人患者に移植されているという。同じような組織は中国にもあり、手術数は年間4000件。番組で紹介されたアメリカ人の肝臓癌患者は、中国の病院に接触してわずか2週間後に上海に渡り、観光を楽しむうちに移植に適した臓器が見つかったという連絡が入り、手術を受けたと話す。これほど迅速に多くの臓器を提供するには、当然、脳死患者からの提供だけでは追いつかないだろうと容易に想像がつく。かつて臓器ビジネスの一端を担っていた中国人医師は番組の取材に対して、囚人の処刑直後に臓器を取り出す仕事をしていたという驚くべき事実を明かしている(中国では2007年に外国人の移植手術は違法になっている)。こうした移植ビジネスが成り立つ背景には、先進諸国での移植臓器の決定的な不足とともに、臓器を提供する国々の抱える経済格差の問題が表裏一体となっていると言わざるを得ない。

映画ではマフィアに買い取られる子どもたちの家庭は詳しくは描かれないが、わが子を売るという行為自体が、彼らの置かれたすさまじい困窮を物語っている。作品のクライマックスは、移植の行われる病院に日本人小児患者が運び込まれる決定的瞬間を、南部がカメラマンの与田(妻夫木聡)とともに目撃する場面だが、このシーンの衝撃は重々しい波紋となって心をかき乱す。日本では15歳未満の子どもからの脳死臓器の移植は法律上認められていない。このため重い心臓病の子どもが移植を必要とする場合、法外な医療費を払って海外で手術を受けるしか道はない。たとえ外国でドナー登録が叶ったとしても、適した臓器が見つかる前に異国の地で亡くなる子どもも多いと聞く。そこに、臓器売買の闇ビジネスが入り込む隙がある。

重病の子どもに臓器移植を受けさせたい一心で、他国の子どもが犠牲になることに目をつぶるとしたら、それは欧米や日本から買春に訪れる小児性愛者のおぞましさと変わらないのではないか。大写しになる彼らの醜い肉体に嫌悪感をおぼえる観客は、佐藤浩市らが演じる日本人夫婦の選択にも戦慄と嫌悪をおぼえるはずだ。彼らの悲劇は、私たちの罪深い選択の結果であると気づいたとき、突きつけられたもののあまりの重さに目も眩む思いがする。劇中、子どもたちを買い受けるマフィアの男が、自らも小児性愛の犠牲者であることが暗示される。被害者が加害者になり、また新たな被害者を生むという連鎖を断ち切るには、南部の同僚記者、清水(豊原功補)の言うようにただ「見て(観て)、見たことを書く」べきか、それとも新米ボランティアの音羽のように、目の前の悲劇を阻止することに全力を傾けるべきか、むずかしい選択だと感じた。もしあの瞬間、自分が南部とともにあの場にいたら、私はたぶん少女の救出に走るだろう。たとえ事件の本質的な解決にはつながらなかったとしても、目の前の命が失われることに耐えられないと思うからだ。だとすると、あの場からためらいもなくタクシーを加速させた南部の不自然な言動(私にはそう思えた)は、驚愕のラストを意識した演出であり、監督は彼の中に私たち日本人の「闇」を投影したかったのだろう。

アジアの闇の深さを体当たりで表現したタイの子役たちと、きわどいテーマを冷徹な描写で織り上げた阪本順治監督に拍手を贈りたい。


                
満足度:★★★★★★★★☆☆




<作品情報>
   監督・脚本:阪本順治
   原作:梁石日(「闇の子供たち」
   プロデューサー:椎井友紀子
   出演:江口洋介/宮崎あおい/妻夫木聡/佐藤浩市/豊原功補
       プラパドン・スワンバン/プライマー・ラッチャタ

         

<参考URL>
   ■映画公式サイト 「闇の子供たち」
   ■原作 「闇の子供たち」(梁石日著・冬幻社文庫)




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DVD寸評◆ユゴ 大統領有故

2008-06-23 13:52:58 | <ヤ行>
    

  「ユゴ 大統領有故」 (2005年・韓国)

1979年の韓国・パク・チョンヒ(朴正煕)大統領暗殺事件を描いた問題作。パク元大統領の遺族が故人の人権侵害を理由に上映禁止処分を訴えたことから、ソウル地裁は三箇所の削除を命じたが、製作者側は抗議の意味を込めて問題箇所を黒塗りして上映した経緯がある。日本では2007年12月に無修正完全版が劇場公開された。遺族が神経を尖らせたのは、パク大統領が遊興にふけるシーンや葬儀のニュース映像らしいが、全体として国家元首の暗殺というゆゆしき事態が、黒い笑いに包まれていることにあるのかもしれない。タイトルの「ユゴ(有故)」とは、ハングルで「事故に遭うこと」。当時の報道では「暗殺」という言葉が使われなかったあたりに、封印された暗殺事件の根深さが表れている。

冒頭は暗殺当日の側近たちの姿を描いているが、当時の韓国の事情を知らないと個々の役職や力関係などを一度で理解するのはむずかしかった。話が進むにつれて、暗殺の首謀者である中央情報部(KCIA)のキム部長や部下のチュ課長が、日ごろから自身の職務や待遇に不満をいだいているのが少しずつわかってくる。しかし舞台はほどなく暗殺の起きる宴会場のシーンへと変わり、反目していた警護室長との軋轢がどれほどのものだったかは、充分に消化しきれずに終わってしまう。映画があくまでも当時の捜査記録や証言をベースにした一つの解釈であるならば、むしろ人物描写にもう少し突っ込んだ演出を加えることで、かえって映画的醍醐味は増したのではないだろうか。宴席で歌われる演歌「北の宿から」や「悲しい酒」、そして時おり挟まれる日本語のせりふなどに、この国と日本との歴史的なつながりを感じたが、一方でここ数十年の隣国の事情にまったく目を向けずに生きてきた自分にも気づかされる思いがした。


満足度:★★★★★☆☆☆☆☆



<作品情報>
   監督・脚本:イム・サンス
   出演:ハン・ソッキュ/ペク・ユンシク/キム・ユナ/チョ・ウンジ/ソン・ジェホ
         

<参考URL>
   ■映画公式サイト 「ユゴ 大統領有故」
   ■DVD amazon.co.jp 「ユゴ」
   ■Wikipedia パク・チョンヒ(朴正煕)


   

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DVD寸評◆ゆれる

2007-03-15 22:00:27 | <ヤ行>
   
 
  「ゆれる」 (2006年・日本)
   監督・原案・脚本:西川美和
   出演:オダギリジョー/香川照之/伊武雅刀/真木よう子

山あいの渓谷に架かる吊橋に託して、危うく揺れ動く兄弟の心模様を巧みに描いた心理ドラマ。ふるさとを捨て都会で成功を手にした弟(オダギリジョー)と、生まれ故郷しか知らない真面目一本の兄(香川照之)。兄弟という生まれながらのライバル同士が幼なじみの女性に同じ思いを重ねた時、悲劇は起こった。弟ははたして吊橋からの落下を目撃したのか。そして兄は法廷で真実を述べたのか・・・・・・。悲しい事故(あるいは事件)の真相は、法廷での応酬を通して明らかになるどころか、二人の心の闇の奥へとしまわれる。

都会と田舎、自由と束縛、奔放さと実直さといった対峙する要素が、兄弟間のコントラストとして過不足なく描かれていて、落下事故を境に兄弟の関係性が揺らいでいく展開には心を揺さぶるものがあった。兄の誠実さを信じたい弟の心の揺らぎと、信頼を裏切ったかに見える兄の心の揺らぎが、二つの乱れた波紋のように交じり合い、最後まで真実を水面に映し出すことはなかった。なぜ兄は大事な証言を前に、実直な兄という衣を脱ぎ捨てたのだろう。面会室で弟を激昂させた兄の言葉は、弟を理解し尽くした彼ならではの狂言ではなかったか。幼なじみの死に責任を感じる兄は、あえて「有罪」となることで自らを罰したかったのかもしれない。法廷でシャツの袖から見えた傷こそが、事件の真相を物語る唯一の証拠に思える。けれども兄は袖の下に真実を封印したまま、刑に服す。ラストで兄の口元に漂う微かな笑みは、二人の絆が修復される余韻を残しながらも、はかなく消える。自由な世界へ続く橋を、弟は渡り切り、兄は渡れなかった。映像の中に深い意味を込めた繊細な描写が、心に残った。



満足度:★★★★★★★★☆☆



<参考URL>
 ■映画公式サイト「ゆれる」

 

善き人のためのソナタ◆冷徹なシュタージ局員を変えた自由の旋律

2007-02-20 23:54:35 | <ヤ行>
  

「善き人のためのソナタ」 (2006年・ドイツ)
 監督・脚本: フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
 音楽: ガブリエル・ヤレド/ステファン・ムッシャ
 出演: ウルリッヒ・ミューエ/マルティナ・ゲデック/セバスチャン・コッホ

久々に感動作と出合えた気がする。上映が終わると、暗い場内にはハンカチを目に当てる人の姿がちらほら。最後の最後で絶妙なカタルシスを感じさせる演出には、思わず涙した。

1989年11月9日、東西ドイツ分断の象徴だったベルリンの壁が崩壊。ソビエト連邦の解体を目前にして冷戦の時代は終焉を迎えつつあった。この物語は壁が崩壊する5年前の東ベルリンを舞台に、自由を模索する劇作家と、彼を監視するよう命じられたシュタージ(国家保安省)のエリート局員を軸に据えて、監視国家のおぞましさと自由の息吹に触れた魂の変容の軌跡を描いている。映画はシュタージのヴィースラー大尉(ウルリッヒ・ミューエ)が尋問の講義をする場面からはじまる。非情な尋問を教える姿から、彼が冷徹なシュタージ局員であることがわかる。そのヴィースラーが監視を命じられた劇作家ドライマン(セバスチャン・コッホ)は彼とは対照的に、恋人の舞台女優クリスタ(マルティナ・ゲデック)を情熱的に愛する自由人だった。ドライマンは自宅が監視されているとも知らずに、クリスタや演劇仲間と会話を交わし、その一部始終が屋根裏で盗聴を続けるヴィースラーに筒抜けになっている。ここから物語は予期せぬ展開を見せはじめる・・・・・・。

厳格なまでに職務に忠実なヴィースラーが、ドライマンの生活をのぞき見ることによって内面を劇的に変えられていく過程は、ベルリンの壁の崩壊を予兆させるできごとであると同時に、国家的価値に対する芸術の、あるいは社会的束縛に対する魂の勝利を感じさせて、深い感動をよぶ。ヴィースラーの心の奥底には、自身も気づかない清らかな水脈が通じていて、ドライマンの弾く「善き人のためのソナタ」があたかも呼び水のように、その水脈を地表へといざなった。魂まで腐れきったシュタージのヘムプフ大臣や、出世ばかり気にかけるグルビッツ部長とは対照的なヴィースラーの人物像が、この映画を感動作にしたひとつの要因になっていると思う(とくにドライマンをかばって郵便部へ左遷された以降は、かつての非情な尋問官の片鱗も感じさせないつつましさが涙を誘う)。

監視社会の悲劇は、ドライマンの恋人クリスタや友人で演出家のイェルスカにまで及ぶ。芸術さえも国家権力の掌中にある東ドイツでは、政府当局者ににらまれたら最後、芸術家は活動の場を失ってしまう。クリスタは女優生命を絶たれることを恐れてヘムプフ大臣と不本意な関係を結び、イェルスカは演出家としての将来を悲観して自殺する。こうした悲劇の中で、ドライマンの苦悩はヴィースラーを揺り動かし、組織への裏切り行為をしてまでドライマンをかばおうと駆り立てる。西側のメディアに向けて訴えかけるドライマンと、その証拠をつかもうと躍起になる当局、そして背信行為を疑われたヴィースラーの緊迫した駆け引きは映画の見どころだ。

ヴィースラーの転身の物語は、監視や密告で体制を辛うじて保っていた東ドイツ社会の崩壊にそのまま重なっていく。感動的なプロットとリアリスティックな人物像(資料によれば、主演のミューエ自身も女優である妻に十数年間密告されていた)で、ひとつの時代の終焉を巧みに描く手法には感心させられた。本作が初監督作品というドナースマルクは、ドイツ出身の若手監督。4年に及ぶ丹念なリサーチを通して、旧東ドイツの真実を浮き彫りにした才能はすばらしい。現時点で上映館が全国で3館というのは、あまりにも残念だ。




満足度:★★★★★★★★★★




<参考URL>
■公式サイト:「善き人のためのソナタ」


ユナイテッド93◆同時多発テロに抵抗した乗客の物語

2006-08-18 17:27:06 | <ヤ行>
            

  「ユナイテッド93」 (2005年・アメリカ)
   監督・脚本:ポール・グリーングラス
  

世界を震撼させた9.11同時多発テロから5年。航空機による大規模テロの衝撃は遺族はもとより、あの日のできごとを知るすべての人の心に、いまだに生々しい傷跡を残している。アメリカ東部時間2001年9月11日の朝8時45分過ぎ、ワールド・トレード・センター北棟に航空機が激突する映像を見たとき、だれもが史上最悪の航空機事故が起きたと思っただろう。しかし、その十数分後、二機目の航空機が南棟に激突した瞬間、世界はこの惨事が同時多発テロであることを知る。

テロリストにハイジャックされた航空機は全部で4機。ボストン発アメリカン航空11便はワールド・トレード・センター北棟、ユナイテッド航空175便は南棟にそれぞれ激突、炎上。ワシントン発アメリカン航空77便は国防総省ペンタゴン本庁舎に墜落。残る一機、ユナイテッド航空93便は、テロリストの目的を果たすことなくペンシルベニア州シャンクスビルに墜落した。一機だけが標的に達しなかったのは、機内の乗客たちが決死の覚悟でテロリストに挑んだことを想像させる。この映画は、ユナイテッド航空93便の乗客の遺族や友人、任務についていた航空管制官や軍関係者の証言をもとにして、緊迫の機内と混乱する航空管制センター、さらに防空指令センターで起きたできごとを、同時進行のドキュメンタリー仕立てで描いている。

93便でハイジャック犯がコックピットを乗っ取って機内を制圧したあと、機内電話や携帯で密かに家族と連絡をとった乗客たちは、これがただのハイジャックではないことを知る。飛行機をテロの道具に使おうとするテロリストへのせめてもの抵抗か、あるいは生還への強い意志のあらわれだったのか、乗客たちは客室係の協力を得て機内の敵と闘うことを決意する。一方、地上の航空管制センターでは、管制官たちが情報の錯綜するなか、異例の非常事態に全力で立ち向かう姿があった。しかし午前10時3分、乗客の抵抗もむなしく93便はシャンクスビルに墜落。乗客・乗員全員が犠牲となった。

ディスカバリー・チャンネルでは今年に入って、このユナイテッド航空93便のフライトをドキュメンタリータッチで再現した「9.11 抵抗のフライト」という2時間番組を放送した。劇場でこの映画を見たとき、さほどの衝撃を受けなかったのは、「抵抗のフライト」を先に見ていたせいかもしれない。自分にとって『ユナイテッド93』は、ディスカバリー・チャンネルの「抵抗のフライト」における機内の再現部分に、航空管制センターや防空指令センターでのできごとを加えただけに感じられ、目新らしさの少ない再現ドラマという印象が濃い。むしろ、乗客一人ひとりの人間性を遺族へのインタビューで掘り下げた「抵抗のフライト」のほうが、ドキュメンタリーとしては深い部分を突いていたのではないかとも思う。

けれども、93便の悲劇をはじめて目にする人にとっては、もちろん意義深い映画だと思う。自爆テロを覚悟したテロリストたちが時折り見せる、気弱さや焦りの表情がことさら胸を打つ。信じるものが違うだけで、人はこれほど酷い行動に駆り立てられてしまうものなのだろうか・・・・・・。当日任務に当たった航空管制官はじめ、実際に事件にかかわった本人が出演しているのも、この映画の現実感・緊迫感をいっそう高めている。

この秋には、やはり9.11を描いたオリバー・ストーン監督の『ワールド・トレード・センター』が公開される。同時多発テロから5年目。先日はロンドンで大規模テロの未遂事件が起きた。テロの恐怖は依然として現実のものであることを、心に留めておきたい。




満足度:★★★★★★☆☆☆☆