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劇場映画やDVDの感傷的シネマ・レビュー

1408号室◆キング原作の良質ホラー

2008-11-26 12:03:20 | <数字>
  

  「1408号室」 (2007年・アメリカ)

原作はスティーブン・キングの短編集「幸運の25セント硬貨」所収の一編。過去に56人もの宿泊客が命を落としたいわくつきのホテルの一室で、オカルト作家が体験する怪異を描いたサスペンス・ホラー。物語の舞台はほとんどが室内で登場人物も少なく、全編がジョン・キューザックの一人芝居という映画なのだが、これが結構おもしろかった。仕掛けも結末もありきたりで、問題の客室に取りついているものの正体も、因果は明かされないものの、おおよその見当はつく。なのにいったん席に腰を下ろした瞬間から、スクリーンから目が離せなくなる。怪談話を聞くときの、あの期待と不安の入り混じった独特の緊張感が心地よい。考えてみれば、恐怖は立派な娯楽なのだ。

心霊スポットの体験レポートを生業とするオカルト作家、マイク・エンズリン(ジョン・キューザック)のもとに、ある日ニューヨークの高級ホテルの絵はがきが届く。差出人は不明。裏面につづられていたのは「1408号室には入るな」という一文のみ。興味をかき立てられたマイクは、別居中の妻リリー(メアリー・マコーマック)が住むニューヨークのドルフィンホテルに宿泊を申し込む。しかし、なぜか支配人オリン(サミュエル・L・ジャクソン)は頑なに宿泊を拒み続ける。それでもあきらめないマイクに、オリンは件の客室で起きた数十件もの変死事件を語って聞かせ、宿泊をやめるよう警告する。とうとう事件の資料まで持ち出して説得する支配人に向って、マイクは自分は霊も神も信じないと言い残し、ついに1408号室のキーを鍵穴に差し込んでしまう・・・・・・。

マイクが霊も神も信じないと公言する裏には、一人娘ケーティ(ジャスミン・ジェシカ・アンソニー)を病死させてしまった深い悲しみと悔恨の念がある。それはマイクから、まともな小説を書き上げる活力を奪い、心霊ルポ専門の三文ライターに甘んじる口実にもなっている。心に痛手を負ったまま、神も霊魂も否定しながら生きている男は、1408号室に潜む悪しき存在の格好の標的にもなろうという筋書きだ。この呪われた客室で次々とマイクを襲う怪異現象は、彼の心が生み出す恐怖や疑念や悲しみや後悔を増幅させた幻にすぎない。けれども、マイクが感じるそれらの感覚は、彼にとってはリアルな体験であり、観客の目にもそう映る。視線を外した隙に、何もなかった枕の上に突然出現する小さなチョコレート、蛇口から噴き出す熱湯、過去に自殺を遂げた宿泊客の幻、終わらない苦しみを暗示するデジタル時計の数字・・・・・・。こうした定番の恐怖をていねいに積み上げながら、怪異の激しさをどんどんエスカレートさせ、やがて主人公の最大の痛点であるケーティの霊を出現させる。その演出の手順は鮮やかだ。不可思議な現象をホテルの仕掛けだと疑い、すべては心理的ストレスからくる一時的な錯乱だと自分に言い聞かせていたマイクは、ここで一気に冷静さを失うことになる。

壊れてしまったドアノブ、塞がれていく窓、遮断されるPC電話・・・・・・。救援の手も届かない客室に閉じ込められ、失った娘の幻にさいなまれるマイクがどうなったかは、ここでは触れずにおきたい。ただ結末はどうも二つあるようで、YouTubeで見つけたもう一つのエンディング(下にURL添付)は、劇場で見たラストシーンよりも個人的には気に入っている。


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【トリビアル・メモランダム】
この映画は2007年の全米公開時に、3日間で興行成績2000万ドルを突破して
キングの原作映画化作品としては、あの「グリーンマイル」を超えたとか。
原作をリアルに再現していると、キング・ファンにも好評らしいです。
ハフストローム監督の作品は日本初公開だそうですが、
ツボを心得た、ていねいな演出には今後の活躍が期待できます。
ところで、問題の客室はなぜ「1408号室」なのか?
劇中でもマイクのセリフにありましたが、<1+4+0+8=13>となり
総計が13という西欧では縁起の悪い数字なのと
一般的にホテルには13階のフロアは存在しないことになっていますが
客室のある14階は実際には13階であることが
不吉なルームナンバーに選ばれた理由でしょう。
さてさて、“もう一つのエンディング”ですが
こちらもいかにも定番な終わり方なのですが、切なさ(そして怖さ)もあって
私はこっちのほうが好みです。興味のある方は鑑賞後に比べてみてください。

  ■YouTube 「1408 end scene」(5分程度・字幕なし)



満足度:★★★★★★★☆☆☆
 ついでに恐怖度は5段階評価で★★☆☆☆(心理的怖さなら3つ程度)



<作品情報>
   監督:ミカエル・ハフストローム
   製作:ロレンツォ・ディボナヴェンチュラ
   製作総指揮:ジェイク・マイヤーズ  
   原作:スティーブン・キング
   脚本:スコット・アレクサンダー/ラリー・カラゼウスキー
   撮影:ブノワ・ドゥローム
   出演:ジョン・キューザック/サミュエル・L・ジャクソン/メアリー・マコーマック
       トニー・シャルーブ/ジャスミン・ジェシカ・アンソニー

         

<参考URL>
   ■映画公式サイト 「1408号室」
   ■原作 「一四〇八号室」(スティーブン・キング著「幸運の25セント硬貨」所収・新潮社刊)
  
   

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ブラインドネス◆「盲目」を通してえがく極限の寓話

2008-11-23 23:32:50 | <ハ行>
  

  「ブラインドネス」 (2008年・日本/ブラジル/カナダ)

視界を覆う白い闇。都会の真ん中で突如はじまる視覚の異変にとまどう人々。眼球にも視神経にも異常は見られず、失明の原因は不明。ほんの数分間の接触でも感染するこの謎の奇病は、次々と人々の視力を奪い、やがて彼らの品位も良心も尊厳も軽々と奪い去っていく。「見えない」世界をさまよう人々を襲う戸惑いと、混乱と、生存を賭けた戦いを、映画は発端、蔓延、収束の三つのフェイズを通して描く。

原作はポルトガルの国民的作家、ジョゼ・サラマーゴが1995年に発表した小説「白の闇」。国内外でベストセラーとなり、ノーベル賞受賞の直接のきっかけとなったこの作品は、視力を失った人々が直面する状況を、強烈な寓意を込めて描き出す。原題は「見えないことについての考察」(Ensaio sobre a Cegueira)。原作を読むと、小説の体裁がとても変わっていることに気づく。会話はカッコで括られることなく地の文と混じり合い、改行の少ない文章が区切りなく続く。登場人物には全員、名前がない。失明した男、車泥棒、医者、医者の妻、サングラスの娘、斜視の少年、警察官、首領、眼帯の老人・・・・・・。主要人物にさえ固有名詞を与えず、物語の舞台を明確に設定しないことで、作品はいっそう寓話的な意味合いを帯びていく。

映画化への道は容易ではなかったようだ。脚本を手がけたカナダ人監督で俳優のドン・マッケラー(本作では「泥棒」役を演じている)は、映画化のオファーを断り続けるサラマーゴを根気よく説得し、「作品を間違った人の手に渡したくない」という原作者の気持ちを変えさせることに成功した。マッケラーは、原作のエッセンスである寓意性と「見えないこと」への洞察を存分に盛り込みながら、緊迫感に満ちた脚本を完成させ、かねてから「白の闇」の映画化を夢見ていたフェルナンド・メイレレスに託した。「シティ・オブ・ゴッド」「ナイロビの蜂」で、社会性のあるテーマを重層的な人間描写で鮮烈に描いてみせたメイレレス監督に、「白の闇」は願ってもない素材だったろう。

スクリーンには原作にほぼ沿ったストーリーが展開するが、キャスティングには映画特有の工夫が凝らされている。名前のない主要人物たちは白人、ラテン系、黒人、アジア系と多様な人種グループから成り、のちに疑似家族をつくる一団の多国籍ぶりを際立たせている。感染の発端となる“最初に失明した男”には伊勢谷友介、その妻に木村佳乃という配役はやや意外だったが、二人の話す英語は他のキャストと比べて遜色がなく、結果的に無国籍(あるいは多国籍)の都市を舞台に展開する本作には、違和感のない配役だったと思う。物語は失明した男が訪れる眼科医(マーク・ラファロ)を介して感染が徐々に広がっていく冒頭部分から、発病者が隔離収容される施設へと移っていく。医者とともに施設に同行した妻(ジュリアン・ムーア)は、日々増え続ける失明者の中でただひとり、正常な視力を保ち続ける。中盤からは政府に見放された施設内で起きる混乱の中で、「見える者」としての務めを果たそうとする彼女の苦悩を軸に、暴力を振りかざし、不当な要求を突き付けてくる第三病棟の“王”(ガエル・ガルシア・ベルナル)との緊迫した抗争を描く。やがて放火によって焼失した施設から、隔離を解かれた一団が外の世界へさまよい出る。そこで観客ははじめて、文明が崩壊した世界をさまよう盲人の群れを目にすることになる・・・・・・。

「見えること」を前提に築かれた私たちの日常が、突然の視力の喪失によってどのような変貌を遂げるかは、目を閉じてほんの数分間、家の中を歩いてみればわかる。悲しいくらい、まったくの無力。もし社会全体に失明者があふれたら、そこには間違いなく地獄が出現する。政府機関は機能を失い、ライフラインは遮断され、流通はストップ。都市では事故が多発し、感染の恐怖から人々のあいだにパニックが広がる。理性を失った群盲が繰り広げる浅ましい争奪戦のはてに、人としての尊厳をかなぐり捨てた混乱の世界が露呈するだろう。人間の獣性がむき出しになった荒廃した世界の中で、互いをいたわりながら生存への希望をつなぐ人々は、ささやかな勇気を奮い起し、危機を乗り越えようと手を取り合う。世界が“盲目”になるという設定は単なる比喩にすぎないと原作者は言い、見えているのに見ないことの愚を、映画は白い画面へのフェードイン(あるいは白い画面からのフェードアウト)に託して繰り返し観客に問いかける。しかし“家族”となった一団がたどる道は、思いのほか明るい。失明の衝撃をそれぞれが乗り越えて、反転した視野の奥に内なる平穏を見出したとき、希望は突然姿を現す。この救いのあるラストが、たまらなく好きだ。


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【トリビアル・メモランダム】
原因不明の感染病が蔓延して社会がひっくり返るという展開は
「ハプニング」に似ていますね。
波が引くように終息するところも同じだし・・・。
どちらもただのパニック映画ではなくて、描かれる現象の裏に
どこか啓示的な色合いを感じ取れるのがミソ。
終盤の混乱した都市の風景は、てっきりアメリカ東部の都市かと思いきや
ブラジルのサンパウロで撮影されたとのこと。
さまざまな人種を受け入れながら変貌する国際都市だそうで
世界のどの都市にも見えるところが映画の舞台にぴったり。
ところで原作「白の闇」には続編があります。
人々を失明させた病の終息から4年後、政治的混乱に陥った首都を
描いた作品で、医者の妻たちが脇役として再登場するらしい。
タイトルは「見えることについての考察」――またもや意味深・・・
なお邦訳はまだ出ていないそうです。


満足度:★★★★★★★★☆☆


<作品情報>
   監督:フェルナンド・メイレレス
   原作:ジョゼ・サラマーゴ
   脚本:ドン・マッケラー
   製作:ニヴ・フィッチマン/アンドレア・バラタ・リベイロ/酒井園子
   出演:ジュリアン・ムーア/マーク・ラファロ/アリス・ブラガ/伊勢谷友介
      木村佳乃/ダニー・グローバー/ガエル・ガルシア・ベルナル

         

<参考URL>
   ■映画公式サイト 「ブラインドネス」
   ■Wikipedia ジョゼ・サラマーゴ
   ■原作 「白の闇」(ジョゼ・サラマーゴ著/NHK出版)
  
   

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ダイアリー・オブ・ザ・デッド◆力不足の「恐怖」と「ドラマ」

2008-11-17 22:46:02 | <タ行>
  

  「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」 (2007年・アメリカ)

ホラー映画の古典的ジャンルであるゾンビ映画の草分け、ジョージ・A・ロメロが、「ランド・オブ・ザ・デッド」以来3年ぶりにメガホンを取った新作ゾンビ映画。前回は近未来を舞台に、思考し進化する新型ゾンビを登場させて、階層社会を揺るがす革命の恐怖と混乱を描いてみせたが、本作では一転、少人数のアマチュア撮影クルーが体験する局地的なサバイバル戦を、擬似ドキュメンタリーの手法で追う。「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」を皮切りに、「クローバーフィールド」や「REC/レック」でおなじみとなった手持ちカメラによる一人称視点の撮影スタイルは、その臨場感と引き換えに作品のスケール感を損ない、ストーリー性を希薄にするという欠点を持っている。しかし幸い本作は定番ものであり、観客が事の顛末を熟知しているため、筋立てが見えにくいという欲求不満に陥ることもない。ただ問題なのは、先がすべて見えているという立場から作品に醍醐味を求めようとしたとき、目新しい発見が何もないということなのだ。

物語は、住宅街で発生した殺人事件のレポートではじまる。現場から運び出された遺体が突然起き上がり、救急隊員やテレビレポーターを襲うというお定まりのオープニングから、場面はペンシルバニアの夜の山中へ。卒業制作のホラー映画を撮影していた学生のグループは、ラジオで死者が蘇っているという奇妙なニュースを聞き、撮影を中断して寮や自宅へ戻ろうとキャピングカーに乗り込む。道中で異常な光景を目にした監督のジェイソン(ジョシュ・クローズ)は、メディアの情報が錯綜するなか、手持ちカメラで真実を記録しようと決意する。やがて彼らはインターネットに投稿された衝撃的な映像を見るうちに、自分たちの撮影した素材をその場で編集し、動画共有サイトにアップしようと試みる。しかし仲間が犠牲になるという事態に直面したデブラ(ミシェル・モーガン)は、撮影を続行することに疑問をぶつける。やがて仲間の家にたどり着いた一行は、屋敷の中に堅牢なパニックルームを発見するのだが・・・・・・。

凝った世界観の上に物語を構築するよりも、流行りの主観映像にこだわろうとしたためか、登場人物を少数に限定し、限られた場所から事の推移を描いている。おそらく低予算という点からしても、ロメロ作品の原点である「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」に立ち返った印象が濃い。既存メディアが機能しない状況のもとで、主人公が動画共有サイトに撮りたての映像をアップするという筋立てからして、個人が発信する情報の有益性を強調するのかと思いきや、「ネットに流される情報は、時にあまりに主観的すぎて混乱を招く」というナレーションをすかさず被せている。個人の発するいわば玉石混交の情報が、ひとつの“メディア”としてまかり通る今日のネット社会の危うさを突くとは、さすがロメロ流だ。これまでごく一部のメディアしか持てなかった情報発信のツールをだれもが手にするようになったいま、情報の発し方一つで多くの視聴者や読み手の関心を好きなだけかき集めることもできる。たとえそれが少なからぬ誤りや偏りを含んでいたとしてもだ。ロメロがネット社会にいだいたそうした危機感は、本作の中に十二分に表現されていると思う。ただ、一つの娯楽作品として見た場合、世界規模で起きている異変を手持ちカメラと動画サイトの映像(実際には編集済み)で描ききるという設定はどうだろう。人類の存続を危うくする死者の蘇り現象を、数(十)センチ角のモニター画像でちんまり見せられるとしたら、ちょっときつい。

もちろん続編の企画が進行中らしいので、今後の展開に広がりが出る可能性もあるだろう。しかし本作を見るかぎり、恐怖の質はマンネリ化し、撮影手法もすでに過去のホラー作品の焼き直しにすぎない。肝心の人間ドラマのほうも、撮影の可否をめぐるわずかな口論があるのみで、仲間どうしの本質的な対立や緊迫した心理戦は見られない。マニアの方々が期待するような恐怖をあおる描写も少なく、カメラが先か、人助けが先かという報道者としての葛藤も描ききれていない。既存のメディアが機能しなくなったときに、そもそもサーバーや携帯の中継が難なくつながるのかという疑問はさておくとしても、目の前に死が迫るなかで、安全への逃避より真実を記録することをあっさりと優先してしまう主人公に、そもそも現実味を感じられなかった。たとえ映画製作者を目指す学生だからといっても、そこには相当の葛藤があってしかるべきではないだろうか。というわけで、せっかくのロメロ作品ではあるけれど、☆の数は前作を下回った。


満足度:★★★★★☆☆☆☆☆


<作品情報>
   監督・脚本:ジョージ・A・ロメロ
   製作:ピーター・グルンウォルド
   撮影:アダム・スウィカ
   出演:ミシェル・モーガン/ジョシュ・クローズ/ショーン・ロバーツ/エイミー・ラロンド
       ジョー・ディニコル/スコット・ウェントワース/フィリップ・リッチオ

         

<参考URL>
   ■映画公式サイト 「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」
   ■シネマぴあ 「ダイアリー・オブ・ザ・デッド/ジョージ・A・ロメロ インタビュー」
   ■続編に関する情報 「Wikipedia /Island of the Dead」(英語)
  
   

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DVD寸評◆美しすぎる母

2008-11-07 11:20:33 | <ア行>
   

  「美しすぎる母」 (2007年・スペイン/フランス/アメリカ)

息子による母親殺害の実話をもとに、アメリカの大富豪ベークランド家の崩壊を描いた心理サスペンス。20世紀初頭にプラスティック時代の先駆けとなる合成樹脂、ベークライトを発明して財を成したレオ・ベークランド。その孫で富豪のブルックス・ベークランド(スティーブン・ディレイン)と妻バーバラ(ジュリアン・ムーア)、そしてひとり息子のアントニー(エディ・レッドメイン)がたどる悲劇への道は、スキャンダルというにはあまりにも異様な禍々しさに満ちている。物語は、ベークランド夫妻が息子を授かったころのエピソードで始まる。貧困家庭の出身でありながら富豪の妻の座を射止めたバーバラは、上流階級との社交に執着するあまり、夫の気持ちをないがしろにするようになる。いつしか夫婦のあいだには埋められない溝が生じ、夫ブルックスは若い愛人のもとへ走る。夫の愛を失ったバーバラは、その隙間を埋めるように息子アントニーへの依存を深めていき、やがて親子の一線を越える行為に及んでしまう・・・・・・。

衝撃的な事件に至るまでのベークランド家の軌跡を断片的に追いながら、破綻する家族三人の関係構造をさらりと描写している。母と子が心理的に密着していく過程や、個々の人物の感情の発露は描かれるものの、事件との結びつきを明確にする手がかりは希薄なため、悲劇がなぜ起きたかを想像する余地のある作品といえる。一家の崩壊が、ブルックスとバーバラの夫婦関係の破綻に端を発していると考えれば、最大の被害者は息子のアントニーということになる。父親不在の家庭の中で、少年時代から母親の愛憎の吐け口としての役割を与えられてきたアントニーは、正常な自我を発達させる機会を奪われてきたように見える。無気力でおとなしい羊のような青年が、支配的な母親に爆発的な憎悪を向けた結果が、刺殺という凶行だったのかもしれない。“死んだ愛犬の首輪”はアントニーにとって、幼年時代に結ばれた母親との健全な絆の象徴だろう。おぞましい行為の後に彼が必死で首輪を探しまわり、床に座り込んで親指を吸うシーンは、母親が奪い去った幸せな幼年期への、心理的退行を意味しているのではないか。父が母を愛することを放棄したため、自分がその役割を相続したのだというアントニーの独白は、あまりにも悲しく狂おしい。健全な家庭が愛のみならず、一種の役割関係を基盤に成り立っているとするならば、親であることをやめてしまったブルックス夫妻こそ、この悲劇の責めを負うべきだ。


満足度:★★★★★★☆☆☆☆



<作品情報>
   監督:トム・ケイリン
   製作:クリスティーン・ヴァション
   原作:ナタリー・ロビンズ/スティーブン・M・L・アロンソン
   脚本:ハワード・A・ロッドマン
   出演:ジュリアン・ムーア/スティーブン・ディレイン/エディ・レッドメイン/エレナ・アナヤ
       ウナクス・ウガルデ/ベレン・ルエダ/ヒュー・ダンシー

         

<参考URL>
   ■公式サイト 「美しすぎる母」
   ■DVD情報 amazon.co.jp 「美しすぎる母」

   

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レッドクリフ PartⅠ◆よみがえる「三国志」の世界

2008-11-03 17:27:53 | <ラ行>
  

  「レッドクリフ PartⅠ」 (2008年・アメリカ/中国/日本/台湾/韓国)

中国、後漢末期から100年にわたる群雄割拠の時代を記録した歴史書「三国志」。覇権を争う魏、呉、蜀、三国の興亡を描いた全65巻に及ぶこの史書は後年、説話や講談を取り込みながら歴史通俗小説「三国志演義」として生まれ変わり、今日までアジア各国で根強い人気を誇っている。少年時代から「三国志」の世界に慣れ親しんできたというジョン・ウー監督が、十数年来温めてきた映画化構想のテーマに選んだのが、本作で描かれる「赤壁の戦い」。天下統一の野望に燃える曹操の大軍に、知力と勇気で立ち向かう孫権・劉備の同盟軍の戦いを前編、後編に分けて描く歴史アクション大作だ。

舞台は西暦208年。若き皇帝をないがしろにして権力を振るっていた曹操(チャン・フォンイー)は、中原を制して南下し、荊州(けいしゅう)を攻略。そのまま孫権(チャン・チェン)の治める呉へ攻め入ろうとする。一方、曹操に敗退した劉備(ユウ・ヨン)は「天下三分の計」を説く天才軍師、諸葛亮孔明(金城武)の案を受けて孫権との同盟を承諾し、孔明を使者として孫権のもとへ遣わせる。曹操との戦いに躊躇していた若き孫権は、劉備軍との同盟を説く重臣や知将、周瑜(トニー・レオン)の提言で曹操との対決を決意。いよいよ両軍は長江の赤壁で、曹操率いる数十万の大軍を迎え撃つことになる。本編はその「赤壁の戦い」に至るまでの、劉備、孫権両軍の主要キャラクターにまつわるエピソードを、2時間半にわたってつづっている。

「男たちの挽歌」(1986年)で“香港ノワール”と呼ばれる新感覚の犯罪映画の流れを作ったジョン・ウー監督は、その後ハリウッドに進出。独特の映像美と華麗なアクションはアメリカの映画界でも多くのクリエーターを魅了してきた。その彼が長年の夢だった「三国志」の映画化を実現できた背景には、北京オリンピックと時期を合わせて国力を世界に示したいという中国政府の思い入れがあったようだ。100億円という莫大な制作費(ジョン・ウー自身も10億円の私財を投じている)は中国はじめ日本、台湾、韓国のフィルム会社が出資。さらに中国政府は合戦シーンの撮影のために、現役人民軍兵士1000人をエキストラとして投入したというから、異例ともいうべき熱の入れようだ。

そうしたバックアップを背景に、ハリウッドのCG技術(「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズを手がけたアメリカ・オーファネージ社が担当)を駆使して、1800年前の大規模な戦闘がスクリーンに再現される。その迫力は臨場感に満ちており、血しぶきと砂埃と軍馬の息遣いを身近に感じさせる演出はさすが。大軍がぶつかり合う戦闘の中で、趙雲(フー・ジュン)、張飛、関羽といった三国志の英雄たちの活躍シーンも、それぞれ際立つように配置されている。しかし何よりも圧巻なのは、孔明が亀甲模様から着想を得たという兵法「九官八卦の陣」の再現シーンだ。曹操軍をおびき寄せ、形を徐々に変えながら内陣に閉じ込めていく変幻自在の陣模様は、稀代の戦略家、孔明の軍才を余すところなく伝えていて、まさに本作の白眉。

「赤壁の戦い」を後編にもってくるためか、前編での人物描写はやや冗長に感じるほど丁寧。年若い孫権の決戦を前にした迷いを、虎狩のシーンで象徴的に描いたり、音楽や芸術を愛する周瑜と妻、小喬(リン・チーリン)との愛のエピソード、また周瑜が孔明と琴合わせをして互いの心を通わせる場面など、個々のキャラクターを掘り下げようとする演出が目立つ。いずれにしても、孫権・劉備の側を善玉に、曹操を悪玉として描くことで、数万が数十万の大軍を撃破する戦いの感動へつなげようというのだろう。その演出意図が後半でどう感動に結びつくか、お手並み拝見といったところ。ラストで孔明が白いハトを対面の敵陣へと放つ。ハトは長江を渡り、対岸深くへと飛びながら、曹操軍の陣地を俯瞰する。そのシーンのすばらしさ。ハトは実は、ジョン・ウー作品のシンボルだ。こうした小道具の使い方にも、“バイオレンスの詩人”の異名にふさわしい、ウー監督ならではの凝った演出ぶりが表れている。「レッドクリフ PartⅡ」は、2009年4月の公開予定。


満足度:★★★★★★★☆☆☆



<作品情報>
   監督:ジョン・ウー
   製作:テレンス・チャン/ジョン・ウー
   脚本:ジョン・ウー/カン・チャン/コー・ジェン/シン・ハーユ
   アクション監督:コリー・ユン
   美術・衣装:ティム・イップ
   音楽:岩代太郎
   出演:トニー・レオン/金城武/チャン・フォンイー/チャン・チェン
       ビッキー・チャオ/フー・ジュン/中村獅童/リン・チーリン

         

<参考URL>
   ■映画公式サイト 「レッドクリフ PartⅠ」
   ■関連商品/CD 「レッドクリフ PartⅠ オリジナル・サウンドトラック」
   ■goo映画 「レッドクリフ PartⅠ/トニー・レオン インタビュー」
           「中村獅童 単独インタビュー」
  
   

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