
「ダークナイト」 (2008年・アメリカ)
今年1月22日に急逝したヒース・レジャー(関連記事はこちら)の出演作「ダークナイト」がついに公開された。レジャーが死の直前まで撮影中だったテリー・ギリアム監督の新作「The Imaginarium of Dr. Parnassus」は、代役にジョニー・デップら3人の俳優を立てて撮影が続行されるらしいが(AFPBBニュース参照)、現時点ではこの「ダークナイト」がおそらくレジャーの実質的な遺作となる可能性が高い。俳優はだれしも自分の遺作を選ぶことはできないが、本作でのレジャーの熱演ぶりにはジョーカーという役柄に魂を注ぎ込んた跡がありありと見てとれて、遺作と呼ぶにふさわしい最期を飾ったと思いたい。
クリストファー・ノーラン監督の前作「バットマン・ビギンズ」に続いて、フランク・ミラーの連作コミック「バットマン:ダークナイト・リターンズ」のシリアスな作風を受け継いだ本作には、戯画的なティム・バートン版とは趣の異なる重苦しさを感じる。背景となる舞台設定はよりいっそうリアルに、キャラクターは複雑な選択を迫られ、物語は勧善懲悪のワンパターンすら脱しているように見える。ゴッサムシティで起きているのは、アメリカの現実を映し出すかのようなマフィアによる資金洗浄であり、警察署内にはびこる汚職と腐敗であり、また交渉も説得も通用しない冷酷なテロの脅威だ。こうした混乱の中から宿敵として立ち現れるジョーカーは、さまざまなルール(倫理規範)に縛られながら危うい均衡を保っている市民社会に揺さぶりをかけ、社会秩序の撹乱をもくろむ。いかなる悪人も殺さないという独自のルールにこだわるバットマン(クリスチャン・ベール)に、「いちばん利口な生き方はルールを持たないことさ」とうそぶくジョーカーの非情さはもちろん筋金入りだが、それでも彼の悪意には、裂けた口にまつわる因果の物語を想像させる余地があり、たとえば説明不能の恐怖を振りまいた「ノー・カントリー」の刺客、アントン・シガーの超絶的悪意とはまた別物だ。
レジャーは、このアナーキストとしてのジョーカーに命を吹き込むために、一ヶ月間ロンドンのホテルに閉じこもり、声色や口調、姿勢、笑い声までつぶさに研究し、ソシオパス(反社会的行為者)としての新たなジョーカー像を完成させた(Empire: Movie News 参照)。赤く裂けた唇を舐めながら挑発的言葉を吐くジョーカーが、バットマンの心をかき乱し、混乱の淵に突き落とすさまはすさまじく加虐的で、敵役としての存在感は圧巻。バットマンがゴッサムシティの未来を託そうとした「光の騎士」、地方検事のハーベイ・デント(アーロン・エッカート)をやすやすと悪の側に引きずり込むジョーカーの重力は、その慄然とする名せりふ――「Madness, as you know, is like gravity … all it takes is a little push. 」(狂気は重力みたいなもの。ちょいと押すだけで簡単に落(堕)ちる)――と共に、長く記憶に留まるだろう。
「ならず者の自警市民」として人々にそしられ、悪しき者を際立たせる己の存在を自覚したバットマンの苦悩と、恋人レイチェル(マギー・ギレンホール)を失い、心身ともに悪のフリークに転落するデントの悲哀をからめながら、物語は善悪のきわどい一線さえ踏み越える勢いで進展する。ジョーカーが仕掛けた罠が不発に終わり、正義は勝利するかに見えた終盤、トゥーフェイスとなったデントの出現は、物語の行く末にさらなる混乱の予感をもたらした。ゴッサムシティの夜の街並みを轟音と業火に巻き込みながら、「闇の騎士」として生きる決意を固めるバットマンの頭上に、もはやサーチライトのコウモリが映し出されることはない。徹底したリアルな人物描写に腐心したノーラン兄弟の脚本からは、続編を視野に入れた工夫が見られる。残念ながらヒース・レジャーのジョーカーは今回が見納めだが、シリーズの続行には今後も期待したい。
満足度:★★★★★★★★☆☆
<作品情報>
監督:クリストファー・ノーラン
製作総指揮:ベンジャミン・メルニカー/マイケル・E・ウスラン/ケビン・デ・ラ・ノイ/トーマス・タル
脚本:クリストファー・ノーラン/ジョナサン・ノーラン
原案:クリストファー・ノーラン/デビッド・S・ゴイヤー
音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード/ハンス・ジマー
出演:クリスチャン・べール/マイケル・ケイン/ヒース・レジャー
ゲイリー・オールドマン/アーロン・エッカート/マギー・ギレンホール
<参考URL>
■映画公式サイト 「ダークナイト」
■ヒース・レジャー 生前のインタビュー Empire:Movie News-The Joker Speaks
■アーロン・エッカート インタビュー Cinemacafenet
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