音次郎の夏炉冬扇

思ふこと考えること感じることを、徒然なるままに綴ります。

熊野路をゆく

2009-01-04 23:23:57 | 身辺雑記
関西滞在ですが、28~30日までは精力的に活動していたものの、大晦日から年初にかけては早朝の打ちっぱなし・食べる・飲む・寝るの通常パターンに戻ってしまいました。最終日くらいは観光でもということで、早起きして妻の両親と家族4人で十津川村へ。

西村京太郎ミステリーの十津川警部シリーズの名前の由来でもある十津川村は、奈良県の最南端に位置し、和歌山県の新宮や田辺に接しています。また、北方領土を除いては日本最大の面積を持つ村としても知られています。まあほとんどが山、山、山なのですが、国道を走れども走れども十津川村で、その広大さを実感します。


名物の谷瀬の吊り橋は、全長297.7メートルに高さ54メートルと鉄橋吊り橋としては日本最長を誇り、周囲の眺望は素晴らしいのですが、この日はもの凄い強風が吹き荒れていて、高所恐怖症の義母と妻は途中でギブアップ。子どもはキャッキャッ喜んで渡っていましたが、この吊り橋が怖いのは揺れとか高さというよりも、この踏み板がペラペラで大人が歩くとミシミシ音をたてるうえに、板と板の隙間から下が見えるのです。


一度に20人以上は乗れない規制がありますが、地元の人はバイクや自転車で通行することができるそうです。昭和29年に、村の当事者たちが当時としては高額の30万円を供出し合って建造したという経緯の生活道路なのです。詰め所のおじさんに「板が破れたりしないんですか?」と尋ねたら、あっさり「それはないよ」との返事。踏み外しても直下にセフティネットがあるわけでもなくワイヤーでつながれているだけですから、体重の重い人だとスリル満点かもしれません。それにしても、入場料をとるわけでもないのに、橋のスタートとゴールに2人ずつ計4人も監視員が常駐しているのは、どういう運営なのか不思議です。


世界遺産に認定される熊野古道の周縁道ともいえる国道168号を新宮方面に走り、途中で熊野本宮大社に寄ってお参りをしました。初詣での余韻が残る玄関口には、熊野の象徴ともいえる3本足のヤタガラスの旗がはためいています。八咫烏(ヤタガラス)はご存知、日本サッカー協会のシンボルマークとしても有名です。

カラスは一般に不吉な鳥とされていますが、方角を知っているので、未知の地への道案内や遠隔地へ送る使者の役目をする鳥であり、神様の使いなのです。神武天皇若かりし頃、奥深い熊野の山野で迷われた際に、八咫烏が現れ導いたお陰で大和に都をつくることができたという伝説があります。サッカー協会のマークに使用される理由は、日本に初めて近代サッカーを紹介したご当地出身の中村覚之助に敬意を表したという説もありますが、社務所に掲げられた看板の説明を読むに、「相手チームのゴール(的)を外さず捉えて、きちんと納める」というのが公式見解のようです。

帰りは渡瀬温泉の露天風呂に浸かり疲れを癒し、帰途につくも阪和自動車道が帰省ラッシュの影響なのか大渋滞・・・。途中のサービスエリアで紀州の梅干を買い、妻の実家に着いたのは21時近くになってしまいました。そこから速攻で仮眠して、深夜1時に埼玉の自宅に向かって出発する強行軍。岡崎付近で大渋滞のため、一宮から中央道に入る選択をしましたがこれは正解でした。こちらはスイスイで、9時には自宅に到着。24時間中、18時間くらい車の中にいたことになり、さすがに疲れました。というわけで年賀状のお返事は明日書くことにします。



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