音次郎の夏炉冬扇

思ふこと考えること感じることを、徒然なるままに綴ります。

時間差年賀状

2009-01-09 23:50:11 | 身辺雑記
毎年、比較的真面目に年賀状を書いていたのは、引越しに次ぐ引越しと、プロバイダー変えまくりの生活だったため、せめて賀状くらい出さないと、消息不明になってしまうと思っていたからです。ただ、昨年は仕事納めと同時に京都に帰省したため、作成する暇がありませんでした。勿論ちゃんとした人は、25日以前に仕上げて投函しているわけですから言い訳に過ぎませんが・・・。

そういうわけで、新年明けて4日に自宅に戻ってから、頂戴していた50枚超の返事を書いたのですが、初体験の「来た人にだけ出す」方式を少々見直しました。これだと自分が出した先からの返事の到着にやきもきすることがなく、5日過ぎたらピタッと止まります。職場の上司や同僚など、いつも顔を合わせる人たちには失礼になりますのでお薦めできませんが、普段会わない人には案外悪くないかもと思ったのです。

「織姫&彦星」状態の知人間における年賀状のやりとりというのは、相手の状態がわからないので、

「ご無沙汰していますが、お元気ですか?」

という無味乾燥なフレーズをお互いに投げ合うだけに終始し、また次の年もそれを繰り返すことになります。

一方、時間差年賀状の利点は、相手のニュースや近況に対するコメントを書くことができるということです。

「只今、自宅を建築中です。」
→「おお、それは楽しみですね、来年の賀状はぜひ邸宅の写真入りヴァージョンにしてくださいな」

「子どもが生まれました!」
→「可愛いねえ、○○ちゃんそっくり! 育児大変だけど頑張ってね」

「会社が合併して○○ビルに移ったのでご近所になりました。ランチでもいかが?」
→「あ、そうでしたか、昼といわず夜に一杯やりましょう!」

1年に1度しかコンタクトしない関係ですと、状況の変化がわからないので、昨年の賀状にはコメントがつけずらいというのがあります。たとえば「出産予定です」とあっても、もし万が一ハッピーじゃない状況になっていたらと思うと、そのことにこちらから言及しにくいのです。それに福岡伸一センセイの言によれば、お変わりありませんか?と言ったって、そもそも人間の細胞は時間の経過であらかた入れ替わってしまうので、実はお変わりありまくりです。それにこの変化の速い時代において、1年経つと状況は結構動いているものです。

私は自宅PCや携帯のアドレスがアクティブに機能していない人間なのですが、速攻メールでレスを返すというのを実践しておられる方もいるでしょう。でも、自分は筆不精ならぬメール不精のため、出そうかなと思っていてもまず出したことがありません。反対に、自らのメルアドを賀状に付記していた時期もありましたが、それによってメールを貰ったのは3、4回くらいしかなかったので、案外そんなものかもしれません。やっぱりアナログ世代なんでしょうか。

というわけで、来年は全て「寒中見舞い」に徹して、貰った年賀状に時間をかけて詳細なコメントを返すことを構想していますが、ただし皆がこれをやると「待ち」オンリーになってしまって、年賀状が行き交わないことになります。。



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