音次郎の夏炉冬扇

思ふこと考えること感じることを、徒然なるままに綴ります。

玉置浩二の贖罪

2009-03-01 18:00:59 | 事件
芸能レポーターが交際を噂される著名人に向かってマイクを突きつけるときに、必ず二言目には「結婚はいつですか?」と訊くのを滑稽に思っていました。この非婚時代、田舎のおばあさんが言うのならまだしも、あんたらマスコミなんて多様な生き方をしている男女が最も多く棲息している業種でしょうに・・・。だから馬鹿の一つ覚えのように、交際=結婚という鋳型にはめようとするのが理解できなかったのです。

日刊スポーツがスクープを放った翌日に、わっと押しかけたレポーターから「一緒に住んでるんですか?」と問われて「はい結婚しますから」と答えて一同を唖然とさせたのは、玉置浩二の面目躍如でしょう。稀代のTVウォッチャーだった故ナンシー関が激賞しただけのことはあります。彼は昔から人を喰ったようなところがありますから。

2年前に取り上げた石原真理子の暴露本『ふぞろいな秘密』でも、“運命のひと”と知り合ったときのエピソードが綴られています。「彼が真理子ちゃんのファンなんだって」と事務所のスタッフから手渡された小さな包みには、セクシーな赤い下着とカタカナで書かれた短いメッセージが入っていたといいます。このクソ度胸というか、妙な自信はなんなのでしょうか???

というのも、この時はまだワインレッドがヒットする前、上京してキティレコードと契約はしていたものの鳴かず飛ばず、アマチュアに毛が生えたような海山わからない時期です。ルックス的には、コレが北海道にいた頃ですから、石原真理子と出会う2年前(推定81年)の状態。このキモい長髪はロバート・プラント(レッドツェッペリンのヴォーカリスト)ばりというよりも座敷童子に近い。一番近い時期としては、1年前(82年3月)のコチラ。陽水のバックでタンバリン叩きながらコーラスやってるのがチラッと映ってますが、ボサボサのカーリーヘア風で垢抜けません。一方の石原真理子は会社経営の父を持ち、広尾や田園調布に住んでいたお嬢様です。スカウトされて始めた芸能活動が咎められ堀越学園に転校したものの、それまでは聖心女学院に通っていたのです。80年に「翔んだカップル」でデビュー、出世作の「ふぞろいの林檎たち」に出始めた頃ですから、もう人気沸騰中の新進女優であります。

現代に置き換えて考えてみましょう。今から2~3年前くらいの長澤まさみに対して、田舎から出てきた無名のミュージシャンが、いくら同じ事務所とはいえ面識もないのにいきなりパンティーをプレゼントしますか? ちょっとアリエナイでしょう。いまどきこんな蛮勇をふるうほどバイタリティーあふれる男は、お笑い芸人でもなかなかいないんじゃないかと思います。

それから26年後、今回の展開は一部で「いま異常それ異常♪」などと揶揄されていますし、ファンからは、音楽面でも生活面でも献身的に支えてくれたさっちゃん(前妻の安藤さと子)の心境を思うと納得し難いものがあるようで、動揺と今後への不安が広がっています。たしかに太ったのと手が震えていたのが気になりましたが、オールドファンの私が考えるに、これは玉置浩二の贖罪だと思うのですよ。

DVは許されないことで言い訳はできません。でも暴力を肯定するわけではありませんが、当時はまさにバブルに向かっていく誰もが熱にうかされていた異常な時代です。今朝の鼎談番組で俳優の陣内孝則もしゃべっていましたが、なんでもドラマのニューヨークロケで小道具やメイクの下っ端スタッフまで全員ビジネスクラスで移動していたそうで、聞き手の仲間由紀恵も思わず「す、凄い」とのけぞっていました。旭川の素朴なロック青年が東京で急にバカ売れして生活が激変し、以前のエントリーでも触れたように、身上としていたドゥービー・ブラザーズ的なR&Rではなく、心ならずも売るためのムード歌謡路線を強いられていました。きっと超多忙と困惑で自分を見失っていたというかどうかしていたんだと思います。狂っていたという方が正確かもしれません。後に「ワインレッドが破滅の始まりだった」と述懐していますが、彼は数年後に精神病院に入院することになるのです。

それから、前掲の『ふぞろいな秘密』でも当時の不満と不信が書かれていますが、あの有名な不倫記者会見は石原真理子を単独で矢面に立たせ、玉置のコメントはなし。大怪我の際も同じ事務所に所属する女優の一大事なのに一切フォローせず、玉置のマンションからの脱出には大勢のスタッフでガードさせるという手厚さでした。安全地帯のリーダーのイメージダウンを回避するために、キティレコードは石原真理子をスケープゴートにした面があると思うのです。これはひとえに経済的な理由でしょう。所属女優がヒット作に出演してもたかが知れていますが、当時の安全地帯は、巨匠の井上陽水まで駆り出す総力戦で売り出していたところです。それが奏功して絶頂期を迎えようとしていましたから、レコードは飛ぶように売れ、ツアーは全国各地で満員盛況という勢いです。女優に比べて事務所にもたらす収入は桁が違うのです。どちらを守るかというのは選択の余地がなかったのだと思います。

この辺の事情は、当事者側の男性は勿論よく知っていたでしょう。暴力は弁解の余地がないとしても、スキャンダル発覚時に彼女だけを晒し者にせず、堂々とマスコミ対応(会見)するのは、彼のキャラクターからしても出来たはずです。昔は色んなしがらみでそれが叶わなかったんでしょう。先日の東京駅での囲み取材で、もっぱら彼が質問に応えていたのは、23年越しでようやく借りを返したのだと解釈できます。

それにしても何と自由な生き方をしているんだろうと羨ましくもあります。実は昨日のエントリーは「全力でマリを守っていこうと思います」というコメントに触発されて、『皇太子殿下と玉置浩二』と題して、49歳と50歳とほぼ同年齢の二人を対比して書き始めたのですが、まとまらずに二編に分けました。不自由の極地に生きる皇太子殿下と自由な鬼才。竹下景子・ブルックシールズ・柏原芳惠のファンだった皇太子殿下に負けないほど、玉置浩二も薬師丸ひろ子に安藤さと子に石原真理子と好みにまるで脈絡がないのですが、最終的に『翔んだカップル』の主演女優と助演女優を二人とも妻にしたのは凄い。

<追記>
前掲のYouTube「クリスタルキング&安全地帯」は大変貴重な映像で、何度も観ているのですが、そのたびにクリキンの紳士的な態度に感心します。「大都会」「蜃気楼」という超大ヒットで一世を風靡し、その余韻さめやらぬ時期であり、ムッシュ吉崎氏は玉置浩二より10歳も年上です。でもそういう番組だとはいえ、高圧的になるでも先輩風吹かせるでもなく終始フランクで丁寧な言葉遣いをされています。「旭川にはディスコがあるんですか? ディスコでは演らないんですか?」みたいなことを訊いて、安全地帯側は「ディスコはちょっと・・・」みたいな返答をしたときも、自分達は福岡のディスコを足がかりにサクセスしたのにもかかわらず、「ディスコは(コピーばかりで)自分たちが好きな音楽ができないからね」とオリジナル志向の強い後輩バンドのポリシーに理解を示しています。すごく大人だなあと好感を持ちました。クリキンは今どうされているんでしょうかね。



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1 コメント

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Unknown (さなえ)
2013-04-12 17:42:56
石原真理さんには今後も期待しています。
何があっても彼女の残している貢献はすごいと思う。
バラエティと女優会を繋げた第一人者な真理さん、これからも見せてくれると信じています!!
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