音次郎の夏炉冬扇

思ふこと考えること感じることを、徒然なるままに綴ります。

オヤジの空手

2012-02-11 06:51:54 | 身辺雑記
空手の近況報告です。2009年の6月に子どもと3人で入門してから早いもので2年半が過ぎました。私たちの通う道場の稽古は土曜夜の週1回ですが、加えて支部の合同練習が日曜日に開かれています。初めて昇級審査(8級)を受けたのが同年11月、うちの師匠の方針で未経験者は飛び級が許されないので、年に3~4回開催される審査で一歩ずつ昇級していくしかありません。

それで我々親子の現状は、同時入門で同じ回数の審査を受けてきましたが、

音次郎・・・1級
長男(小6)・・・仮2級
長女(小4)・・・2級

と、差がついています。これは私がストレートで上がっていったのに対し、子どもたちが幾度か半級に留まったからです。本当は老い先の短い自分よりも、前途ある子どもたちが順調に登って行ってくれることを望んでいましたが、お尻を叩くよりも背中を見せるしかないと、ある時点から気持ちを切り替えました。そして私の方は、3月にいよいよ昇段審査に挑戦します。

親子で空手をやっている場合、幾つかのパターンがあります。親が元空手部とかバリバリの経験者、もしくは現役の指導者というケースを除くと、大別して以下の4通りになると思います。

1.子どもが先行して後から親が始める
2.同時入門で揃って昇進
3.同時入門で子どもが先行
4.同時入門で親が先行

1は、子どもの小学校低学年時から習わせていて親は付き添いのみだったが、途中からやってみたくなったか、周囲から勧められたりして後から追いかけるケース。健康のためという理由も聞きますが、送迎したり待っているだけでは時間も勿体ないというのもある。既に子どもの方は黒帯をとっていることも多く、上達する経過を間近で見ていたので、初級者でも意外に理論家だったりします。2は、理想形でしょうね、親子双方のモチベーションも維持しやすいし、級が違うと合同練習や昇級審査の時間帯が違ったりしてロスが多いのです。

3は、子が優秀でスピード出世しているか、または親が青息吐息状態というケース。このパターンは、たまたま自分の周囲にはいませんが、途中で親の方が故障して引退したりするケースは見聞しました。我が家も、私の運動不足による体力低下が著しく、小学生の頃に脱臼して以来、股関節が十分に開かないという空手においては致命的な古傷を抱えている事情から、当初はこのパターンになるだろうというのが大方の予想でした。

そして、うちの道場は4が多いのです。同じ町内の住民で、我々の兄弟子となる空手教室に誘ってくれた親子は、父親が終始リードし、水を開けられた息子さん(うちの長男と同級生)は途中で退会してしまいました。支部の合同練習は意欲の高い優秀な子が集まるので、1や2のパターンが目立ちますが、他の道場の内情を聞いても、その他大勢は4のパターンが決して少なくないのだとか。

公立中学校の武道必修化を控え、柔道や剣道に比べ、コストがかからない空手に注目が集まっています。空手は硬い床の体育館でも指導が可能で、服装もジャージでできるからでしょう。この必修化については思うところもあるので、いずれ項を改めて書こうと思っていますが、現代の子どもの気質について感じることを少々。

ここから先は別に自慢でもなければ、いわゆる中高年の定番トーク「最近の若い者はだらしがない」的な上から目線の話ではありません。曲がりなりにも初心者として、わが子だけでない多くの子どもたちと同じフィールドに立ち、学び(怒られ)、汗を流してきましたが、そこで実感したことです。

正直言って、現在のうちの道場はいささか停滞しています。新規の会員がなかなか入ってこないのに対し、挫折して休会(退会)する子がちらほらいるので、私が入門したときよりもメンバーは減っています。成績も全体的に振るわず、昇級審査で1級上がる子が殆どいないため、活気に乏しいのです。昨年、小6女子が黒帯になりましたが、その他は万年茶帯もゴロゴロいて冴えません。それに対して元気なのは大人の方です。(全員40代のおじさん&おばさん)

皆が体格も良くパワーや迫力が勝っているのは仕方ないとして、礼儀正しいのは大人、気合の声が大きく響くのも大人、汗だくで休憩時間も鏡の前でフォームをチェックしているのも大人、稽古開始前や終了後も先生に質問しているのも大人、そして当然ながら審査の結果は、パッとしない子どもたちを尻目に、大人たちだけが順調に1級ずつ昇級していくという・・・。子どもたちは、結果が芳しくなくても、割とあっさりしているのも見ていて歯がゆい。

これは何だろうと考えると、基本的に大人の方が真面目というのはありますね。現役大学生よりも社会人大学やカルチャーセンターの受講者の方が熱心に勉強するのと同じことです。自分で月謝払っていたり、普段は人に教える立場でもありますからから、逆に教えを請うときは真摯な姿勢になったりします。また「試験」というと本能的に反応してしまう悲しい性も関係あるでしょうか。皆が受験戦争世代で、それなりの職業に就いていますから、スキルを習得するプロセスや要諦をそれなりに知っています。幾多の資格・選抜試験を潜り抜けてきた経験から、勝負どころで集中する術も持っています。いわゆる年の功というやつでしょうか。

しかし、子どもたちとの最大の違いは「執念」。体力も柔軟性も子どもに劣り、腰や膝や肩などに故障を抱える人も多いのですが、ここに大きな差があるような気がします。淡白で執着心が薄く、競争を好まない現代の子どもたちと、ギンギンギラギラのオヤジ世代。「石に噛り付いても」って、私の好きなフレーズなんですが、娘に「歯が折れるし」とあっさり返されました・・・。

子どもたちを見ていると、何かお互いが静かに牽制してるというか、変な同調圧力で「頑張る」ことを封殺しているように感じられるのです。空手は気合の声が重要で、組手の試合などは、技が入っても声が出ていないとポイントを取ってもらえないことがありますが、人前で大きな声を出して目立つのに抵抗があるのか、頑張っていると見られたくないのか。恥も少ないおぢさんになった私にも子ども時代はありましたから、全く理解不能ではありませんが・・・。現代は「必死」という言葉が格好悪いネガティブワードになっているようですから、熱くなるのは流行らないんでしょうか。

我が家は私が先に黒帯をとって、子どもたちを鼓舞するつもりですが、こちらが期待するほど響かないような気もします。でもウン十年後、自分の体が思うように動かない中年になった時、「あの頃の父親はなかなかしぶとかったなあ」と述懐してくれればいいのかな。

エントリーのタイトルは「オサーン」にしようか「オヤジ」にしようか迷いましたが、子ども抜きで習っている人はいないので、オヤジにしました。(ママさんもいますが^^;)


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