ことばと学びと学校図書館etc.をめぐる足立正治の気まぐれなブログ

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現代の虚無に立ち向かうファンタージエン("大人のための絵本サロンスペシャルin勝沼"を振り返る2)

2013年10月22日 | 「学び」を考える

 

遊びに満ちた、アートとしての学びを求めてpart2

 早いもので、勝沼の「大人のための絵本サロンスペシャル」から1週間がすぎた。夢のような二日間だった。日常生活の連続から抜け出して、すっかりファンタジーの世界に入り込んでしまっていた。
 日常的に本を読む機会は多いほうだ。読んだ本について誰かと話し合ったり、一冊の本をじっくりと読むために読書会をすることもある。だが、絵本や児童文学を手に取ることは、めったにない。優れた絵本や児童文学が大人にとっても何か大切なものに気づかせてくれる働きがあることは知っていても、子どもも孫も成長して、日常的に子どもに接する機会がないと、わざわざ自分のために読もうとは思わない。おそらく、多くの大人にとって「絵本」は、非日常的なメディアだろう。
 青柳啓子さんが「大人のための絵本サロン」をやっておられると知ったとき、心が動いた。学校や家庭ではなく、街のイタリア料理店で大人が絵本を読んで語り合うという! 余暇を楽しむのにさえ寸暇を惜しまなくてはならないご時世に、なんという贅沢な時間の過ごし方だろう! ぜひ参加してみたいと思ったが、絵本サロンが開かれる日に神戸から甲府まで足を運ぶ余裕はなかった。
 アニマシオンの手法がもちいられていることが、一つの鍵になると思った。「読書へのアニマシオン」は、子どもの自発的な読書を促すために開発された知的な遊びである。75の作戦が用意されていて、本を読み解くために必要な、さまざまな力が鍛えられるようになっている。作戦は遊びのルールであり、いろんな作戦を重ねるうちに本を総合的に読み解く力が身につくようになっている。まず、アニマドール(アニマドーラ)と呼ばれる人が、本を選び、どの作戦をどんな風に展開するかを考えて、「この本で遊びたい人、この指とまれ!」と呼びかける。アニマドール(アニマドーラ)は、ただ活動を「仕掛け」たり指示を出して「やらせる」だけではない。読み手の思考と想像力を活性化する、いわば触媒のような働きをする。そのために作品を丁寧に読み込み、周到に準備をしなくてはならないが、同じ題材を同じ作戦でやっても、毎回、新たな気づきがあり、読みが深まるという。
 定年退職後に時間的な余裕ができたので、青柳さんにお願いして絵本サロンのスペシャル版をやっていただくことにした。その三回目に当たる今回は、青柳さんだけでなく、何人かが入れ替わってアニマドーラを引き受けてくださった。三回を通してスタッフに加わってくださった山本敬子さんは、今回の経験を、こんな風に振り返っておられる。(セッションの詳しい報告は、こちらでご覧ください)

「作戦の最後に本を見ると、絵に対する集中力が増し、それまで気づかなかったことが見えてきます。単に見落としていたものだけでなく、話の展開と合わせて絵を見ることでより内容を深く理解でき、疑問点も出てきます。なぜこの場面でこのアイテムが描かれるのか、どうして登場人物はこんな行動をとったのか、など」
「何より楽しい。自分ひとりでは気づかないことを知ることができる。同じものを見ていても感じ取ることが人によってちがうと体感できる。一人の発言に触発されて新しい気づきがさらに生まれる。それぞれのちがいを感じながら話題や気づきを共有しているという安心感と刺激がほどよくあわさる創造的な場。読解力向上に加えて、これがアニマシオンの魅力でしょうか」

  

  
画像をクリックしてください)

 アニマシオンの作戦を手順よく忠実にこなせば、このような経験ができるというわけではない。技術(テクニック)を超えた何かが必要だ。それが場所やスケジュール、参加者など、さまざまな要因の相乗効果によってもたらされるものであることは言うまでもない。とりわけ、そこに集う多様な参加者が、協力的(相互作用的)な関係の中で、快感と学びに向かう意思と呼吸を共有することができればいい。それにはアニマドール(アニマドーラ)の感受性とリーダーシップが求められるが、「先生」や「指導者」というより、ともに遊び、学び合う仲間といった存在であるほうが上手くいくようだ。
 今回はドイツ人のイーバルト・ラルフさんが参加してミヒャエル・エンデの『モモ』と使った作戦をやってくださったことも大きな要因になっている。ラルフさんはドイツ語版と日本語版の2冊の『モモ』を用意しておられたが、どちらにも、たくさんの付箋がついていて、メモがびっしりと書き込まれていた。ラルフさんは、アニマシオンの作戦をもちいて、この作品を私たちの生きている現実世界と関連づけて読み解くメディア・リテラシーの実践とする可能性を探っておられるのだという。
 イーバルト・ラルフ(Ibald Ralf)さんの名前を聞いたとき、ぼくは、ほぼ反射的にラルフ・イーザウ(Ralf Isau)を連想した。『暁の円卓』などの作品で知られる現代のファンタジー作家である。なかでも『ファンタージエン 秘密の図書館』は、ミヒャエル・エンデが『はてしない物語』の中でもちいた場面設定を借りて、二十一世紀の新たな「虚無」に立ち向かおうとした作品だという。そのイーザウ氏のことばを、ぼくは自分のブログに引用したことがある。(「読書へのアニマシオンはクイズか?」2006年8月21日)
 2005年に来日中のイーザウ氏に対する読売新聞のインタビュー記事は、すでにネットから削除されているが、別のサイトに転載されていたのを、ここに再々転載させていただく。

「エンデ氏は、商業主義や効率主義で人間の想像力が危機に瀕(ひん)していることを訴えた。現代の新しい虚無は、コンピューターの発達や情報の氾濫(はんらん)による創造力の危機だと思う。人間の魂に精気を吹き込む芸術や文化の創造力が衰えていると感じます」(読売新聞、2005年11月14日「IT社会の新たなる虚無」) 

 ぼくは、このことばに共感して、上記のブログに「読書へのアニマシオンは、いまや学校にも蔓延しつつあるそのような虚無に立ち向かう活動のひとつともいえるのではないか」と書いた。
 
何よりも、その場に身を置いているのが心地よい。新しい発見や気づきを楽しんでいるうちに、こわばった「こころ」と「からだ」をほぐれていく。そんな「大人のための絵本サロン」は、現代社会にファンタージエンを回復する、ささやかな試みなのかもしれない。ぼくにとって、勝沼の絵本サロンは「読書へのアニマシオン」が大人にとっても意味のある学びの場を生み出すことを再確認する機会になった。学校や企業、公共の団体といった組織によって提供される勉強や研修からは得ることのできない、「学びたいことを学ぶ場を自らつくる」楽しみと充実感を、これからも、いろんな人たちと分かち合いたいと思う。

 

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