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ことばと学びと学校図書館etc.をめぐる足立正治の気まぐれなブログ

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子どもたちに大人の考えた道を通るように示してはいけない(ローリス・マラグッツィ)

2011年09月16日 | 「学び」を考える

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東京で開かれていた「驚くべき学びの世界展」ホームページはこちらが、京都でも見られるというので、911日(日)に出かけた。北イタリアの小さな町、レッジョ・エミリア市で第二次世界大戦直後から行われている幼児教育を紹介する展覧会で、919日まで開かれている。私は、幼児教育に特別な関心があるわけではないが、少し前にテレビ番組(毎日放送の「ちちんぷいぷい」)で放映された現地取材の映像を見て、魅かれるものがあった。この日は、長年、レッジョの教育に注目してこられた佐藤学さんの講演「創造性を育てるレッジョエミリアの幼児教育」も聞くことができた。

驚くべき学びの世界~レッジョ・エミリアの幼児教育~
クリエーター情報なし
ACCESS

アートを中心とした芸術的な創造性を育む教育方法は、たしかに画期的だ。だが、レッジョ・エミリア市の教育は、美術教育や幼児教育の方法として優れているだけではない。どの発達段階にある子どもにも通じる教育の哲学があって、それが幼児期という発達段階に応じた教育方法と見事に融合している。そして、子どもをどのように育てるかということが、レッジョ・エミリアの町づくりとむすびついていることも見逃してはならない。すべての子どもが潜在能力を発揮し、創造性を育む教育を受ける権利を保障しているという点で、選ばれた子どもの成功をめざす英才教育とも無縁である。 

コミュニティの形成を基盤として、ことばやコミュニケーションを大切にするレッジョの教育にとって、とりわけ重要なのは、対話と探究だ。「場所との対話」「モノとの対話」として実践されているのは、環境や対象と十全に触れ合い、関わり合うことによって、対象を知り、自分を知ることである。対象と触れ合うことによって生まれた驚きや疑問が子どもの探究心を駆り立てる。探究とは、内発的に動機づけられた発見のプロセスであり、ただ課題の設定、情報の収集、整理、共有といった段階を形式的にたどることではないということに、あらためて気づかされた。

レッジョでは、ことばの教育もまた探究と発見のプロセスとして実践されている。子どもは、まず自己流のサインで自分の名前を綴りはじめるが、やがてコミュニケーションのためには一定のルールをもったシンボルとしての文字が必要であることに気づく。そのとき子どもは、すすんでルールを発見しようとし、分かったことを再構成することによって自分のものにしていく。子どもに「書くことの魅力」を発見させることによって読む力をつけようとするレッジョの方法は、たしかにユニークだ。そう思っていたら、この日の講演で佐藤学さんがジャンニ・ロダーリの『ファンタジーの文法 物語創作法入門』(窪田富男訳、ちくま文庫、1990)に言及された。家に帰ってから引っぱり出して、あらためて読み直してみたら、たしかに、この本が1972年にレッジョ・エミリアで5日間にわたって50名の先生方に話した内容に推敲を加えたものだと書いてあって、レッジョの子どもの例も出てくるではないか。『ファンタジーの文法』は、物語をつくることをとおして読み解く力をつける技法を述べているが、それは同時に本来の教育の在り方を示している。裏表紙に記された角野栄子さんの解説によると、それは「現代の教育に対する不信の表明であり、子どもたちの想像力を培い創造力を育むことこそ、これからの社会を創りだしていくための必要条件であることを訴えている」。これまで私の頭の中でバラバラだったものが、瞬くうちにつながってきた。

ファンタジーの文法―物語創作法入門 (ちくま文庫)
クリエーター情報なし
筑摩書房

「子どもたちに大人の考えた道を通るように示してはいけない」。これは、レッジョ・エミリアの教育の素地を築いた教師、ローリス・マラグッツィのことばだそうだが、そこには、大人たちが過去に犯した過ちを子どもたちに繰り返してほしくないという想いが込められているにちがいない。

展覧会場の入り口に、マラグッツィによる一編の詩が掲示されていた。この精神を私たちは日常の教育実践の中でどのように活かしていくか。教師はもちろん、行政をふくめて、子どもの教育にかかわるすべての大人たちの想像力と創造性が問われている。あらためて、ローリス・マラグッツィのことばをかみしめてみたい。

『冗談じゃない、百のものはここにある』 ローリス・マラグッツ

子どもは

百のものでつくられている。

子どもは

百の言葉を

百の手を

百の想いを

百の考え方を

百の遊び方や話し方を

もっている。

百、何もかもが百。

聞き方も

驚き方も愛し方も

理解し歌うときの

歓びも百。

発見すべき

世界も百。

発明すべき

世界も百。

夢見る

世界も百。

子どもは

百の言葉をもっている。

(ほかにもいろいろ百、百、百)

けれども、

その九十九は奪われる。

学校も文化も

頭と身体を分け

こう教える。

手を使わないで考えなさい。

頭を使わないでやりなさい。

話をしないで聴きなさい。

楽しまないで理解しなさい。

愛したり驚いたりするのは

イースターとクリスマスのときだけにしなさい。

こうも教える。

すでにある世界を発見しなさい。

そして百の世界から

九十九を奪ってしまう。

こうも教える。

遊びと仕事

現実とファンタジー

科学と発明

空と大地

理性と夢

これらはみんな

ともにあることは

できないんだよと。

つまり、こう教える。

百のものはない と。

子どもは答える。

冗談じゃない、

百のものは ここにある。

(佐藤学訳)

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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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素晴らしいですね (中尾聡志)
2011-10-25 10:59:08
先日、ある方からレッジョエミリアのお話を聞いてネットで調べていたところ、こちらの記事に出会いました。

記事を読んで「驚くべき学びの世界展」私も行ってみたかったと思いました。

対話と探求のプロセスを大切にしているという教育方針にとても心惹かれます。そことつながる「書くことの魅力」の発見から読む力をつけるというのも本当にユニークで目からウロコでした。素晴らしいですね。

レッジョエミリアの教育、今後も注目していきたいです。

返信する
ありがとうございます。 (Masaharu)
2011-10-27 08:44:56
中尾聡志さま

コメントをいただき、ありがとうございます。
中尾さんのブログも拝見しました。
教育に対する思いを共有する者として、今後の中尾さんの活動にも注目させていただきたいと思います。
返信する

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