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土崎空襲

2013年02月02日 | 地域の話題
第二次世界大戦において広島・長崎の原爆の投下による日本の敗戦。
その前にすでに日本は敗戦状態にあり戦える状況ではなかったようだけど。
昭和20年8月15日の終戦を前に、最後の空爆が数箇所であった。

8月14日 埼玉県熊谷空襲 B29・82機。死傷者687人。
8月14日 山口県岩国大空襲 死者1000人以上。
8月14日 山口県光市 光海軍工廠空襲 死者738人。
8月14-15日 小田原空襲 死者30-50人。
8月14-15日 土崎空襲 B29・132機。死者250人超、製油所全滅。最後の空襲。

もう戦争が終わるという日にまで空爆する必要はなかったはずだとか、
日本国を立ち上がれないほど叩く必要があったからだとか、
爆弾を持ち帰っても使えなくなるから捨てていったのだとか、
いろいろ言われて、それぞれ理由はあるだろうけどね。

日本では8月15日を終戦の日としている。
8月10日に日本国はポツダム宣言を受諾して8月15日に敗戦を発表。
それなのになぜ8月15日まで空襲があったのか。

実は8月15日に日本側が一方的に軍事攻勢の中止を宣言。
8月21日に連合軍が軍事攻勢を中止。
8月27日に連合軍が進駐開始。
9月2日に日本軍が連合軍に降伏。

ということで、ポツダム宣言は連合軍が降伏の条件を提示したもの。
日本がそれを受諾すると国民に発表したのが8月15日。
正式に降伏したのは9月2日。
その後、ソ連との戦闘終結したのが9月4日。

日本で言う8月15日は終戦記念日であって、アメリカでは終戦日は9月2日。

連合諸国と日本が平和条約を結んだサンフランシスコ条約は、
昭和26年4月28日に発行とされている。

そこで、日本国土最後の空襲となった土崎空襲。
8月14日の22:30から132機のB29が飛来し、土崎の海岸にあった
石油精製工場の製油所を中心に、12,047発・約1,000トンの爆弾が投下され、
兵士・民間人合わせて百数十名が命を失った。



最初は夜中の空襲で「日石が燃えてる~」と屋根に上って見てる人。
おやじも登って騒いで怒られたらしいが。
一旦B29が引き上げ、消火のために多くの人が駆けつけたらしい。
そこへ再びの第二陣。
消火作業に向かった人々が犠牲になったようだと。

空襲警報が鳴り響く中、住民は防空壕に批難するように言われ、
おやじはばあさんを説得した。
しかしばあさんは「死ぬときはこの家で死ぬ」と家から出なかった。

住宅地にも被弾し、多くの犠牲者が寺や公園に運ばれてきたと。
さながら地獄絵図。

土崎小学校の児童も12名犠牲になったようで。
慰霊の記念碑がある。



犠牲者は大八車のようなもので次々に運ばれ、診療所からあふれ大騒ぎ。
死者はあちこちに集められたようで。
小学校の通りから山田小路に曲がる角に地蔵尊がある。
そこは空襲のとき、死者を火葬するところが間に合わず、数箇所に
臨時で設けられた火葬場だったところ。
そのことから「だみ小路」とも呼ばれたらしい。


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1 コメント

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それで (夫婦岩)
2013-02-02 11:49:44
だみ小路なんですね。
勉強なります。
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