近年接客などの場でよく聞かれるようになった,むやみに相手の許諾を求める「よろしいですか」という表現については,このブログでもほんの少し触れたことがある(「
セロ弾きのゴーシュ,よろしいですか/2008-02-05」).この表現はどれも文章として冗長で,実のところ全く使わずに生きることができる(と少なくとも僕は思っている).そんな無用のフレーズを使わずにはいられない物好きな彼らのおかげで,僕はもはや「よろしいですかコレクション」とも呼ぶべき,多くの活用例に出会うことができた.もちろん,今後もまだまだ増え続けるだろう.そこで今夜は,これらのコレクションから,主立ったいくつかを披露することにしよう.
用例1: 「こちらに記入していただいてよろしいですか?」
これはほんの序の口.たとえば役場の窓口なんかで,書類を書くときに係員にかけられる表現.今となってはさほど目新しい活用法ではない.こちとらわざわざ時間を割いて書きに来ているのだから,よろしくないはずもないのだが,とりあえず何か答えなければ変人と思われるのは自分なので,できるだけぶっきらぼうに「はい.書きます」と言って,手許の書類に向かうのがよろしい.
用例2: 「レシートよろしいですか?」
これはちょっとした応用編.コンビニやスーパーのレジで店員から発せられる表現.レシートは要りますか要りませんか,という意味らしい.僕独自の推測によれば,「レシートをお渡ししなくてもよろしいですか?」が省略されてこうなったようだ.これに対して「はい」「いいえ」で答えると結局どちらの意味か分からなくなるので,はっきり「下さい」もしくは「要りません」と答えよう.
用例3: 「お飲み物はよろしいでしょうか?」
この辺りからぐんと難しくなる.これは,ファストフード店やカフェで,食べ物を注文したのに飲み物を付けないという,「不完全」なリクエストを行なった場合に店員から訊かれるもの.僕はいつも答えに窮して無言になってしまい,そのあとの食事の味もよく分からなくなるほどだ.帰宅してからちゃんと考えてみると,これは「飲み物をあなたは注文しませんでしたが,のどが渇いても知りませんよ,あとで文句を言われても受け付けませんからね.それでもよろしいんですか?」が省略されたものであると推測される.このときもやはり,「はい」「いいえ」で答えると誤解のもとなので,はっきり「要りません」「飲みません」などと答えたい.「水を下さい」でもよい.
なお,ここでは「よろしいですか」が「よろしいでしょうか」に活用されることで,日本語としてさらに曖昧度が高くなっていることにも注意.
用例4: 「今お時間よろしかったでしょうか?」
さて,ここからは電話口での会話に特有の表現を紹介しよう.これは,いきなりかかってきた電話に出てみると,さらにいきなり訊かれる質問である.「よろしかったでしょうか?」と,なぜか過去形であることも混乱を深める.これはおそらく「今,時間ありますか?私その時間を借りてあなたと電話で話してもよろしい?」を縮めたもので,もう少しスマートに言えば「今電話に応じる時間がありますか?」という意味だ.こちらとしては,全ての作業や思索を中断しわざわざ電話に出ているのだから,ある程度の時間は取れるけれども,いや,しかし時間をどう使うかはこっちの自由だ,時間を費やして聞くほどの用件であるかどうかは,実際に聞いてみなければ分からない,などと言いたいのを堪えて,結局「はい」と答えるしかない.もちろん,事前の心の準備と少しの意地悪ささえあれば,この質問を終いまで聞き切らずに,「どのような用件ですか?」と遮ってやることも可能だ.
用例5: 「ケニチさんの携帯電話でよろしかったでしょうか?」
ここまで来ると,もはや傑作の領域である.かかってきた電話に出たとたん,向こうから開口一番この質問がなされることがある.これの意味するところは,単に「こちらケニチさんの携帯電話ですか?」もしくは「あなたケニチさん?」ということなのだが,それがなぜ「よろしいか」という表現になるのか,またそれは誰の主観なのか.とにかく,電話を取った側に,通話における全てあるいはいくらかの責任(?)が転嫁されるような,非常に凝った構造の文である.オリジナル文を推理するならば,「私は手許の資料でケニチさんの携帯電話の番号を調べて電話をかけています.もしも別の人にかかってしまったら,私ではなく資料の間違いです.あるいは,ケニチさんの携帯電話にケニチさんでない人が出ているケースも考えられます.さあ,これからあなたをケニチさんと見なして用件を話しますが,よろしいですか.」ということだろう.などとまあ,毎回懲りることもなく考えるのだが,これもやはり「はい」と答える以外になかろう.これでいつも僕は人生の数秒間をまったくムダな問答に消費してしまい,元来の電話嫌いに拍車がかかるのである.もちろん,このあと上記の用例4が続く場合もある.
どうだろう.とかく「よろしいですか」と尋ねて相手のせいにしておかないと会話ができない,逃げ腰の精神構造が根本にあるというのが僕の意見だ.これは昨世紀末から長く続く社会不安のなか,クレームや損失を避けることを最優先にしてやってきた,現代商業界の悲しい護身術にほかならないのである.(つづく)
参照リンク:
正しい日本語 誤った日本語を斬る!! ①: 「~~~宜(よろ)しいですか?」はよろしくないのは、なぜか。
http://www.atagoyama.jp/~yuine308/nihongo01.html