第十二章
1980年代終わり頃、ひも理論はまだ合格点に達していないように見えた。
まず、ひも理論には五つの種類があり、超対称性の取り入れ方と、振動パターンの細部に重要な違いがある。(例えばⅠ型ひも理論には、これまで論じてきた閉じたループに加え、ループをなさない開いたひもがある)
次に、五つのひも理論のうちのいずれの方程式にも、解がいくつもあるからだ。
ひも理論の方程式は複雑すぎて、誰もその正確な形を知らない。物理学者は何とか方程式の近似的な形を述べてきたにすぎない。ひも理論の種類によって著しくちがうのは、こうした近似的な方程式である。
しかし1995年以来、方程式の正確な形が理解されれば、五つのひも理論は実はすべて密接に関連していると判明されるはずだと、おおかたの物理学者が満足する程度に証明されている。
すべてを包含するこの枠組みは、暫定的に「M理論」と呼ばれている。
M理論には本質的な特徴が二つあり、第一にM理論には11個の次元(空間次元が10個、時間次元が一つ)がある。
これまでの章で論じた九つの空間次元と一つの時間次元に加えて、空間次元がさらにもう一つあれば五つの理論すべてが深く満足のいく形で統合される。
時空次元が10個という結論につながった'70年代'80年代の推論は近似的なもので、今完成された正確な計算によれば、空間次元が一つ見落とされていたのだ。
第二に、この理論に含まれる対象が振動するひもだけではなく、振動する二次元の膜(メンブレン)、変動する三次元のかたまり(3ブレン)など、多くの構成要素も含まれる。
第11次元と同じように、この特徴も近似に頼らない計算によって現れるものだ。
ひも理論の分析に制約があるのは、物理学者が用いてきた摂動論に関係がある。
摂動論とは、ある問いにおおよその答えを出すために近似をおこない、その後で当初無視した細部に注意してこの近似を系統的に改善していくというやり方のことだ。
太陽系のなかを地球がどう動くかという重力の影響を理解することは、摂動的アプローチの古典的な例だ。
この例でアプローチがうまくいくのは、他と比べて大きい主たる物理的影響(太陽との重力の相互作用)があって、比較的単純に理論的記述ができるからだが、例えば質量が同等の三つの星が互いのまわりで軌道を描いている三重星では、主たる相互作用などなく、仮に二つを選んでその後予測の「改良」をしようとしても、単に大きな改良をおこなうというだけでなく、ドミノ効果が生まれる。
ひも理論の物理的プロセスは振動するひもどうしの基本的相互作用(ひものループの分裂と接合がからんでいる)から成り立っている。
ひもの相互作用の公式は明らかにされているが、不確定性原理によって、ひも/反ひもの対は宇宙からエネルギーを借りて時々刻々発生でき、これを「仮想ひも対」と呼ぶが、これらは相互作用のあり方に影響する。
こうしたプロセスの一つ一つにたいして、もとのひもの対の運動が受ける影響を要約する数学的公式はあるが、ダイアグラムは無限にあるため、ひも理論研究者はもともとのプロセスからまあまあ正確な見積りが得られると期待し、また仮想ひも対の生み出すループあるプロセスからの修正はループの数が増すにつれて小さくなっていくと期待して、こうした計算を摂動的枠組みにはめこんでいる。
近似が近似になりうるかの条件は、ひも結合定数(仮想対が現れる可能性を決める数)にかかる。この数が一より小さければループを含むダイアグラムの寄与は、ループの数が増すにつれて、どんどん小さくなる、ということである。
しかしこの「ひも結合定数」の値がいくらなのかは、未解決の問題である。
次の飛躍的前進には、非摂動的アプローチが必要なのだ。
「ひも理論95」会議での講演でウィッテンは、新たな意味深い種類の双対性がある証拠を挙げた。
これには前述の、摂動的方法の適用に関する問題が密接にからみあっている。というのは、五つの理論は、結合定数が一より小さい時(弱く結合している時)明らかに異なるからだ。物理学者は摂動的方法に頼った為、結合定数が一より大きい場合、ひも理論のそれぞれがどんな属性を備えるかという問題(いわゆる強い結合とという性質の問題)に対処することができないでいた。
ウィッテンらは、私たちがまだ記述していないもう一つの理論を含めて六つのひも理論それぞれの強い結合は、必ず別の理論の弱い結合として記述されるという双対性が存在する、と主張する。
例えていうと氷と水のように、五つのひも理論のどの二つもまったく別物のように見えるが、それぞれのひも結合定数を変えていくと、ひも理論はそれぞれ別のひも理論に転化するのだ。
対称性の威力は(例えば犯罪の目撃者が犯人の顔の右側のみ見たときに、犯人を捕まえて顔の左側を調べるのと目撃情報をもとに似顔絵を描くことの違いのように)つねに間接的なやり方(直接的よりはるかにやさしいやり方)で属性を突き止める力にある。(勿論左右対称でない顔もあるように、宇宙のかなたでは物理法則が異なるかも知れないが)
超対称性はもっと抽象的な対称性原理で、異なるスピンを帯びた基本構成要素の物理に関するものだが、超対称性が組み込まれていれば、込み入った細部がわからなくても、備えうる属性に重要な制約を加えることができる。
例えば、箱の中に何かが隠してある。その正体は明示されていないが、ある力荷を帯びているという。ここでは電荷を三単位とする。情報がこれだけなら、電荷一の粒子三つなのか電荷一の粒子四つと電荷マイナス一の粒子一つなのか、可能性は限りなくあり、正体は確定できない。
しかし手がかりがさらに二つあたえられるとしよう。世界を(箱の中身を)記述する理論は超対称性であり、箱の中身は最小限の質量で電荷を三単位帯びているものだ。ボゴモルノイ、プラサド、ソマーフィールドの洞察から、物理学者は次のことを証明した。きっちりした枠組み(超対称性の枠組み)と「最小限制約」(選ばれた電荷の量にたいする最小の質量)が指定されれば、隠された中身の正体は一つに絞り込まれる。選ばれた力荷の値にたいする最小質量の構成要素は、発見者に敬意を表して「BPS状態」と呼ばれる。
Ⅰ型のひも結合定数を一より大きくすると摂動法が無効になるので、まだ何とか理解できる限られた非摂動的質量および力荷(BPS状態)だけに焦点を合わせることになる。Ⅰ型ひも理論が強い結合をもつときの特性は、結合定数が小さな値をとるときにヘテロOひも理論がもつとわかっている属性にぴったり一致する。
同様の論拠がその逆についても同じく成り立つことを示す。つまり、結合定数の小さい値に対するⅠ型理論の物理は、結合定数の大きい値に対するヘテロO理論の物理と同一だ。これは強弱双対性と呼ばれている。
同じアプローチで、ⅡB型ひも理論の結合定数が大きくなっていくと、私たちに依然理解できる物理的属性は、弱い結合のⅡB型ひも理論の物理的特性とぴったり一致するようである。言い換えれば、ⅡB型ひも理論は(環状次元をプランク以下のスケールに押しつぶそうとしたときに似て)自己双対だ。
ボソンとフェルミオンが量子的ゆらぎを打ち消す傾向を示すことから、一般相対性理論を取り込む超対称的な量子場理論(超重力)が試みられ、結局失敗に終わったが、こうした研究から学ぶべき教訓があった。
その教訓とは、最も成功に近いのは、四次元より多くの次元で定式化された超重力理論だということだ。具体的に言うと、最も有望なのは、十ないし十一次元を必要とする形の理論であり、十一次元が最大限だとわかった。(四つを除いてすべての次元が巻き上げられ、次元の数が十一よりも多い理論は、スピンが2よりも大きく質量のない粒子を生み出す。これは理論からも実験からもありえないものだ)
観察できる四つの次元との橋渡しは、またもやカルーザとクラインの枠組みで成し遂げられた。それ以外の次元は巻き上げられているというのだった。
低エネルギープロセス(超ミクロのスケールで広がりをもつ、ひもの性格を探れるだけのエネルギーをもたないプロセス)を研究する時、ひも理論を点粒子量子場理論の枠組みで構造のない点粒子として近似することができる。
ひも理論を最もよく近似する量子場理論は、十次元理論だが、超対称性をどう組み込むかで細部が異なる四つの十次元超重力理論のうち三つが、ⅡA型ひも理論、ⅡB型ひも理論、ヘテロEひも理論の低エネルギー点粒子近似だとわかる。
残る一つは、Ⅰ型ひも理論とヘテロO型ひも理論両方の低エネルギー点粒子近似だ。後から考えれば、これはこの二つの理論の間に密接な関連がある徴候だった。
十一次元超重力が除け者にされているような点を除けば、すっきりした話だ。
「ひも理論95」会議でウィッテンは、ⅡA型ひも理論から出発して、結合定数を一よりずっと小さい値から一よりずっと大きい値まで大きくしていけば、私たちが依然分析できる物理学(本質的にはBPSで満たされた配置の物理学)は、低エネルギーで十一次元超重力によって近似されると主張した。
十一次元に特有の理論が十次元の理論に関連することがどうしてありうるのか?
これを理解するには、まず密接に関連する別の成果を説明するほうが容易だ。
それはウィッテンとホジャヴァが後に発見した結果で、強く結合したヘテロEひも理論にも、十一次元の記述があることを見出した。結合定数が大きくなると、新たな次元が見えてくるのだ!さらにここから意味深い帰結が示される。
ヘテロEひもの構造は、この次元が大きくなるにつれて変わる。結合定数を大きくするにつれて、一次元のループだったものが引き伸ばされてリボン状になり、さらに変形した円筒になる!言い換えると、ヘテロEひもは、実は二次元の膜で、その幅は結合定数の大きさに左右されるのだ。
この認識によってこれまでの章で引き出した結論が無効になることはないが、例えば、このもう一つの次元は、ひも理論によって必要とされる一つの時間次元と九つの空間次元とどう噛みあうのか?
そう、この十次元時空という制約は、ひもがいくつの独立した次元で振動しうるかを数え、その数が量子力学的確率がもっともな値をとることから生じたのである。
新たな次元は、ヘテロEひもが振動しうる次元ではない。「ひも」そのものの構造のなかに閉じ込められた次元だからだ。
一次元のひもに満ちた十次元宇宙の近似ではなく、二次元の膜を抱えた十一次元宇宙の近似だ。
ヘテロEの例と同じく、ⅡA型ひもの結合定数に左右される十一番目の次元がある。その値が大きくなるにつれて、ⅡA型ひもは膨脹して「内部チューブ」になる。
ウィッテンは、この十一次元理論を暫定的に「M理論」と名付けた。
名前の由来には諸説あり、ミステリー(謎)、マザー(あらゆる理論の母)、メンブレン(膜)、マトリックス(新解釈を提示する研究にちなむ)といった具合だ。
第十章では、五つのひも理論の定式のうちどれを扱っているのかを子細に明示しないでひもについて論じた。ひもの巻きつきモードと振動モードを入れ替えることで、半径1/Rの環状次元をもつ宇宙のひも理論による記述は、半径Rの環状次元をもつ宇宙として表現しなおすことができる。
私たちがごまかした点は、ⅡA型ひも理論とⅡB型ひも理論、そしてヘテロOひも理論とヘテロEひも理論が、この双対性によって入れかわることだ。
これにより、五つのひも理論すべてが互いに双対的であることになり、双対性の網が完成する。
ヘテロEとⅡA型の視点から見たときに現れた二次元の膜は、残りの三つのひも定式化にもそれぞれ含まれる。
二次元の膜はひも理論の本当の基本構成要素なのか?さらに高い次元の構成要素もあるのか?
BPS状態のなかには一次元のひもも、二次元の膜もある。しかしそれどころか、九次元以下のすべての空間次元が可能性の範囲に含まれる。
空間次元三つに広がりをもつ対象を3ブレン、四つを4ブレン…という具合に、9ブレンまで名付けられている。
(拡がった三つの空間次元そのものが、大きくて伸びた3ブレンかもしれないという考えも研究されている。そうだとしたら、私たちは日常的に三次元の膜の内部を動いていることになる)
第十三章
ブラックホールを区別できる特徴とは、質量、力荷、回転速度である。他の本質的特徴はない。
一方、素粒子どうしの区別をなすのも、質量、力荷、スピンである。
区別をなす特徴が似通っていることから、ブラックホールは巨大な素粒子かもしれない、という推測がなされている。
実際、アインシュタインの理論によると、ブラックホールの質量には下限がない。
ひも理論は、ブラックホールと素粒子の間に、理論的にしっかりしたつながりを提示した。
空間次元が六つカラビ-ヤウ図形に巻き上げられるとき、この構造のなかに球面が埋め込まれるには、球面のあり方が一般に二種類ある。
一つは、第十一章で扱ったプロップ転移で重要な役割を演じる、ビーチボールの表面のような二次元球面だ。
もう一つは、三次元球(面)だ。(表面が三次元になっている四次元のビーチボールである)
物理学者はひも理論の方程式を研究し、三次元の球面が限りなくゼロに近い体積まで縮む(崩壊する)ことが起こるらしいと気付いた。
第十一章で、崩壊する二次元球面に焦点をあてたとき、ひもの二次元世界面は二次元球面を完全に取り巻き、二次元球面が崩壊して物理的破局を起こすのを防ぐ効果をもつことが判明したが、三次元球面はひもでは取り巻くことができない。
しかし3ブレンという素材を使えば三次元球面は完全に包むことができる。
ここでまた、厄介な問題の一つがひも理論の新たな洞察を用いて解かれたのだ。
しかしこのことは話の半分ではないだろうか?
もう半分にはやはり空間が裂け、その後球面の再膨張で修復されるという現象がからんでいるのではないか?
1995年著者とモリソンは、このことを論じ、三次元球面が崩壊するとカラビ-ヤウ空間が裂け、球面を再膨張させることで自らを修復しうるかもしれないと気付いた。しかし再膨張する球面は二次元である。
これを分かり易く低次元に置き換えて、ドーナツの表面を想像し、そこに一次元球面(円)が埋め込まれているとする。円がつぶれ、空間が一時的に裂け、円をゼロ次元球面(二つの点)におきかえ、空間が裂けてできた形の上下の部分の穴をふさぐことで、生じる形はクロワッサンに似ている。これは、穏やかな(空間を引き裂かない)変形を通してなめらかに、ビーチボールの表面へと変わりうる。
もとのドーナツ型の位相は大幅に変化する。
要するに、あるカラビ-ヤウ図形が、完全にちがうカラビーヤウ図形に転換し、一方ひも物理は申し分なく行儀よいふるまいをつづけることがありうる。
これを「コニフィールド転移」と呼ぶ。
これがブラックホールおよび素粒子とどう関係するのか?
プロップ転移の物理的帰結は、意外にも大したことは起こらないというものだった。コニフィールド転移の場合、物理的破局は起こらないが、明白な帰結がある。
まず、カラビ-ヤウ空間内部の三次元球面は、これに巻きついた3ブレンが保護する為、破局をもたらすことなくつぶれうる。
包まれたブレンの配置はどんな姿をしているのか?
三つの拡がった次元しか認識しない私たちにとって、三次元球面のまわりに「拡がった」3ブレンは、ブラックホールのそれに似た重力場をつくる。
誰かが、拡がった次元を通してこの場所を見れば、包まれたブレンを、それが帯びる質量と力荷によって感知できる。この3ブレンの質量や力荷といった属性は、ちょうどブラックホールのそれに似ている。
3ブレンの質量(つまりブラックホールの質量)は、それが包む三次元球面の体積に比例する。
この球がつぶれると、ブラックホールとして知覚される球を包む3ブレンはますます軽くなり、一点に縮むと対応するブラックホールは質量がなくなる。
質量のないブラックホールとは何なのか?
エネルギーの低い、ということは質量が小さいひもの(粒子および力の担い手の説明になるかもしれない)振動パターンの数は、カラビ-ヤウ図形の穴の数で決まる。
三次元球面が新たな二次元球面に変わるコニフィールド転移で、質量のないひも振動パターンの数はちょうど一つ増える。(ドーナツからビーチボールへの例(穴の数が減る)は低い次元のアナロジーによる誤解だ)
コニフィールド転移から新たに生じる質量のないひも振動パターンは、ブラックホールが転化して生じる質量のない粒子の微視的記述であることが明らかになった。
当初質量の大きかったブラックホールが、ついには質量がなくなって光子のような質量のない粒子に転化するのだ。
ブラックホールと素粒子との関連は「相転移(例として氷・水・水蒸気)」に似ている。
ここまで、空間を引き裂く劇的な転化と、ひも理論の五つの定式化の間を移動する転化について、同じ水のアナロジーを用いたのには理由がある。
それらの間に深い関連があるからだ。
新たな次元がどれか一つのカラビ-ヤウ図形に巻き上げられた後でも、ある記述から別の記述へと連続的に移る能力が保持されることが、コニフィールド転移を通して予想されるからだ。
何十年もの間解けなかった宇宙の謎に、ブラックホール・エントロピーの概念がある。
エントロピーは、無秩序、乱雑さを示す尺度だ。
物理学者はあるもののエントロピーを明確な数値を用いて記述できるように、エントロピーに完全に定量的な定義をあたえている。大きい数字は大きな、小さい数字は小さなエントロピーを意味する。
大雑把に言えば、この数字はある物理系の全体的な外見を変えずに、その要素を配列しなおすやり方が何通りあるかを示している。
きちんと整理された机の上が、どんな形で配置がえしても秩序が乱れ(だから机の上のエントロピーは低い)、散らかった机の上が、散らかったままにして(つまり全体的な外見を変えることなく)配置をかえるやり方がたくさんある(だから机の上のエントロピーは高い)というようにだ。
1970年べケンスタインは、熱力学の第二法則をきっかけに、ブラックホールにはエントロピーがある(それも大量に)かもしれないと唱えた。
この法則によると、ある系のエントロピーはつねに増大する。すべてのものは、より無秩序な状態に向かう。散らかった机をきれいにしてエントロピーを減らしても、体と室内の空気のエントロピーを含めると、実は総エントロピーは増えてしまう。
仮にブラックホールの事象地平(どのブラックホールのまわりにもある、もう引き返せなくなる面)の近くで机の上をきれいにし、乱された空気の分子を真空ポンプでブラックホールに吸い取ったとしたら、どうなるだろうか?
部屋のエントロピーは確かに減ったのだから、熱力学の第二法則が成立するには、ブラックホールにエントロピーがあり、物質が吸い込まれるにつれて増大し、ブラックホールの外部で観測されるエントロピーの減少を帳消しにするしかないのだ。
ホーキングが出した有名な結果に、ブラックホールの事象地平の面積は、どんな物理的相互作用を受けてもつねに増大する、というものがあるが、べケンスタインはここから、ブラックホールの事象地平の面積はそのエントロピーを正確に示している、と唱えた。
これに対しホーキングは、ブラックホールの法則と熱力学の法則を真面目に受け取れば、事象地平とエントロピーを同一視せざるをえないが、それと同時にブラックホールに温度があることにもなり(その値はブラックホール重力場が事象地平で示す強さで決まる)、しかしもろもろの物理原理によれば、温度がゼロでなければ放射をおこなわなければならない。ところがブラックホールは黒い。ゆえにエントロピーを帯びた物質がブラックホールに落ち込むと、このエントロピーは消え去る、と考えた。
この後1974年にホーキングはブラックホールは完全にブラックではないと告げた。
不確定性原理によりブラックホールのすぐ外の空間領域で、ブラックホールの重力が一対の仮想光子にエネルギーを渡し、ちょうど一方だけがブラックホールに吸い込まれるように、二つを引き離すことがありうる。対をなす光子の一方が姿を消すと、もう一方にはもはや一緒に消滅すべき相手がいなくなる。さらにこの光子はブラックホールの重力からエネルギーを得る。そしてブラックホールからはじき飛ばされる。ブラックホールは光るのだ。
さらにホーキングは、放射から温度を計算でき、その値は事象地平における重力の強さによってあたえられることを見出した。これはちょうど、ブラックホールの物理学の法則と熱力学の法則の類似性から推測されるとおりだ。
またホーキングの計算によると、ブラックホールの質量が小さいほど温度は高く、放射は大きい。(コニフィールド転移にかかわるブラックホールは極限的なので、どれだけ軽くなってもホーキング放射をしない)そしてブラックホールは質量が大きいほどエントロピーが大きい。ブラックホールは莫大な無秩序を抱えている。
1996年ストロミンジャーとヴァーファは、ひも理論を用いてある種のブラックホールのミクロの構成要素を特定し、これをもとにエントロピーを正確に計算することができた。
一群の(特定の次元の)BPSブレンから出発して、いくつかの極限的ブラックホール(力荷~電荷と考えてもいい~を帯び、しかもその電荷と矛盾しない最小の質量をもつ)を組み立てられること、そしてさらにこれらを正確な数学的青写真に則ってつなぎ合わせることができることを証明した。
新たに見つかったひも理論の構成要素のいくつかから、特定のブラックホールが形づくれることを明らかにしたのである。
ここから、ブラックホールの微視的な構造を理論的に完全に制御できたので、質量と力荷を変えずに、ミクロの構成要素の配置を変えるやり方が何通りあるかを、たやすくじかに数えることができた。さらにそのうえで、この数を事象地平の面積(べケンスタインとホーキングが予測したエントロピー)と比べ、完全に一致した。
十九世紀はじめラプラスは、「ある瞬間に、自然を活気付ける力のすべておよび自然を形作る存在それぞれの状況を把握することのできる知性があり、その知性がそれだけのデータを分析できるほど巨大なものだったとすれば、この知性は宇宙最大級の物体の運動と最も軽い原子の運動を同じ一つの公式に包含する。このような知性にとって不確かなものは何もなく、未来は過去と同じく手に取るようにわかる」と述べた。(これを「決定論」という)
しかしこの見方の妥当性は、量子力学の発見で相当弱まった。
不確定性原理により、位置と速度という古典的な属性は量子論の波動関数におきかえられ、波動関数からは確率しかわからない。
しかし波動関数は、精密な数学的規則(シュレディンガーやディラック、クライン
-ゴードンの方程式など)にしたがって時間のなかで発展する。
これは量子論的決定論がラプラス的決定論に取って代わるということだ。
ある時点の宇宙の基本的構成要素すべての波動関数がわかっていれば、十分に巨大な知性なら、過去ないし未来のどの時点の波動関数も確定できる。
1976年ホーキングは、ブラックホールが存在すればこの穏やかな形の決定論さえ崩れると宣言した。
何かがブラックホールに落ち込むと、その波動関数も吸い込まれてしまう。
未来を予測しつくすには、波動関数をすべて知りつくしていなければならない。
一部の波動関数がブラックホールの深みに逃げ去ってしまえば、それらが含む情報は失われてしまう。
1980年代終わり頃、ひも理論はまだ合格点に達していないように見えた。
まず、ひも理論には五つの種類があり、超対称性の取り入れ方と、振動パターンの細部に重要な違いがある。(例えばⅠ型ひも理論には、これまで論じてきた閉じたループに加え、ループをなさない開いたひもがある)
次に、五つのひも理論のうちのいずれの方程式にも、解がいくつもあるからだ。
ひも理論の方程式は複雑すぎて、誰もその正確な形を知らない。物理学者は何とか方程式の近似的な形を述べてきたにすぎない。ひも理論の種類によって著しくちがうのは、こうした近似的な方程式である。
しかし1995年以来、方程式の正確な形が理解されれば、五つのひも理論は実はすべて密接に関連していると判明されるはずだと、おおかたの物理学者が満足する程度に証明されている。
すべてを包含するこの枠組みは、暫定的に「M理論」と呼ばれている。
M理論には本質的な特徴が二つあり、第一にM理論には11個の次元(空間次元が10個、時間次元が一つ)がある。
これまでの章で論じた九つの空間次元と一つの時間次元に加えて、空間次元がさらにもう一つあれば五つの理論すべてが深く満足のいく形で統合される。
時空次元が10個という結論につながった'70年代'80年代の推論は近似的なもので、今完成された正確な計算によれば、空間次元が一つ見落とされていたのだ。
第二に、この理論に含まれる対象が振動するひもだけではなく、振動する二次元の膜(メンブレン)、変動する三次元のかたまり(3ブレン)など、多くの構成要素も含まれる。
第11次元と同じように、この特徴も近似に頼らない計算によって現れるものだ。
ひも理論の分析に制約があるのは、物理学者が用いてきた摂動論に関係がある。
摂動論とは、ある問いにおおよその答えを出すために近似をおこない、その後で当初無視した細部に注意してこの近似を系統的に改善していくというやり方のことだ。
太陽系のなかを地球がどう動くかという重力の影響を理解することは、摂動的アプローチの古典的な例だ。
この例でアプローチがうまくいくのは、他と比べて大きい主たる物理的影響(太陽との重力の相互作用)があって、比較的単純に理論的記述ができるからだが、例えば質量が同等の三つの星が互いのまわりで軌道を描いている三重星では、主たる相互作用などなく、仮に二つを選んでその後予測の「改良」をしようとしても、単に大きな改良をおこなうというだけでなく、ドミノ効果が生まれる。
ひも理論の物理的プロセスは振動するひもどうしの基本的相互作用(ひものループの分裂と接合がからんでいる)から成り立っている。
ひもの相互作用の公式は明らかにされているが、不確定性原理によって、ひも/反ひもの対は宇宙からエネルギーを借りて時々刻々発生でき、これを「仮想ひも対」と呼ぶが、これらは相互作用のあり方に影響する。
こうしたプロセスの一つ一つにたいして、もとのひもの対の運動が受ける影響を要約する数学的公式はあるが、ダイアグラムは無限にあるため、ひも理論研究者はもともとのプロセスからまあまあ正確な見積りが得られると期待し、また仮想ひも対の生み出すループあるプロセスからの修正はループの数が増すにつれて小さくなっていくと期待して、こうした計算を摂動的枠組みにはめこんでいる。
近似が近似になりうるかの条件は、ひも結合定数(仮想対が現れる可能性を決める数)にかかる。この数が一より小さければループを含むダイアグラムの寄与は、ループの数が増すにつれて、どんどん小さくなる、ということである。
しかしこの「ひも結合定数」の値がいくらなのかは、未解決の問題である。
次の飛躍的前進には、非摂動的アプローチが必要なのだ。
「ひも理論95」会議での講演でウィッテンは、新たな意味深い種類の双対性がある証拠を挙げた。
これには前述の、摂動的方法の適用に関する問題が密接にからみあっている。というのは、五つの理論は、結合定数が一より小さい時(弱く結合している時)明らかに異なるからだ。物理学者は摂動的方法に頼った為、結合定数が一より大きい場合、ひも理論のそれぞれがどんな属性を備えるかという問題(いわゆる強い結合とという性質の問題)に対処することができないでいた。
ウィッテンらは、私たちがまだ記述していないもう一つの理論を含めて六つのひも理論それぞれの強い結合は、必ず別の理論の弱い結合として記述されるという双対性が存在する、と主張する。
例えていうと氷と水のように、五つのひも理論のどの二つもまったく別物のように見えるが、それぞれのひも結合定数を変えていくと、ひも理論はそれぞれ別のひも理論に転化するのだ。
対称性の威力は(例えば犯罪の目撃者が犯人の顔の右側のみ見たときに、犯人を捕まえて顔の左側を調べるのと目撃情報をもとに似顔絵を描くことの違いのように)つねに間接的なやり方(直接的よりはるかにやさしいやり方)で属性を突き止める力にある。(勿論左右対称でない顔もあるように、宇宙のかなたでは物理法則が異なるかも知れないが)
超対称性はもっと抽象的な対称性原理で、異なるスピンを帯びた基本構成要素の物理に関するものだが、超対称性が組み込まれていれば、込み入った細部がわからなくても、備えうる属性に重要な制約を加えることができる。
例えば、箱の中に何かが隠してある。その正体は明示されていないが、ある力荷を帯びているという。ここでは電荷を三単位とする。情報がこれだけなら、電荷一の粒子三つなのか電荷一の粒子四つと電荷マイナス一の粒子一つなのか、可能性は限りなくあり、正体は確定できない。
しかし手がかりがさらに二つあたえられるとしよう。世界を(箱の中身を)記述する理論は超対称性であり、箱の中身は最小限の質量で電荷を三単位帯びているものだ。ボゴモルノイ、プラサド、ソマーフィールドの洞察から、物理学者は次のことを証明した。きっちりした枠組み(超対称性の枠組み)と「最小限制約」(選ばれた電荷の量にたいする最小の質量)が指定されれば、隠された中身の正体は一つに絞り込まれる。選ばれた力荷の値にたいする最小質量の構成要素は、発見者に敬意を表して「BPS状態」と呼ばれる。
Ⅰ型のひも結合定数を一より大きくすると摂動法が無効になるので、まだ何とか理解できる限られた非摂動的質量および力荷(BPS状態)だけに焦点を合わせることになる。Ⅰ型ひも理論が強い結合をもつときの特性は、結合定数が小さな値をとるときにヘテロOひも理論がもつとわかっている属性にぴったり一致する。
同様の論拠がその逆についても同じく成り立つことを示す。つまり、結合定数の小さい値に対するⅠ型理論の物理は、結合定数の大きい値に対するヘテロO理論の物理と同一だ。これは強弱双対性と呼ばれている。
同じアプローチで、ⅡB型ひも理論の結合定数が大きくなっていくと、私たちに依然理解できる物理的属性は、弱い結合のⅡB型ひも理論の物理的特性とぴったり一致するようである。言い換えれば、ⅡB型ひも理論は(環状次元をプランク以下のスケールに押しつぶそうとしたときに似て)自己双対だ。
ボソンとフェルミオンが量子的ゆらぎを打ち消す傾向を示すことから、一般相対性理論を取り込む超対称的な量子場理論(超重力)が試みられ、結局失敗に終わったが、こうした研究から学ぶべき教訓があった。
その教訓とは、最も成功に近いのは、四次元より多くの次元で定式化された超重力理論だということだ。具体的に言うと、最も有望なのは、十ないし十一次元を必要とする形の理論であり、十一次元が最大限だとわかった。(四つを除いてすべての次元が巻き上げられ、次元の数が十一よりも多い理論は、スピンが2よりも大きく質量のない粒子を生み出す。これは理論からも実験からもありえないものだ)
観察できる四つの次元との橋渡しは、またもやカルーザとクラインの枠組みで成し遂げられた。それ以外の次元は巻き上げられているというのだった。
低エネルギープロセス(超ミクロのスケールで広がりをもつ、ひもの性格を探れるだけのエネルギーをもたないプロセス)を研究する時、ひも理論を点粒子量子場理論の枠組みで構造のない点粒子として近似することができる。
ひも理論を最もよく近似する量子場理論は、十次元理論だが、超対称性をどう組み込むかで細部が異なる四つの十次元超重力理論のうち三つが、ⅡA型ひも理論、ⅡB型ひも理論、ヘテロEひも理論の低エネルギー点粒子近似だとわかる。
残る一つは、Ⅰ型ひも理論とヘテロO型ひも理論両方の低エネルギー点粒子近似だ。後から考えれば、これはこの二つの理論の間に密接な関連がある徴候だった。
十一次元超重力が除け者にされているような点を除けば、すっきりした話だ。
「ひも理論95」会議でウィッテンは、ⅡA型ひも理論から出発して、結合定数を一よりずっと小さい値から一よりずっと大きい値まで大きくしていけば、私たちが依然分析できる物理学(本質的にはBPSで満たされた配置の物理学)は、低エネルギーで十一次元超重力によって近似されると主張した。
十一次元に特有の理論が十次元の理論に関連することがどうしてありうるのか?
これを理解するには、まず密接に関連する別の成果を説明するほうが容易だ。
それはウィッテンとホジャヴァが後に発見した結果で、強く結合したヘテロEひも理論にも、十一次元の記述があることを見出した。結合定数が大きくなると、新たな次元が見えてくるのだ!さらにここから意味深い帰結が示される。
ヘテロEひもの構造は、この次元が大きくなるにつれて変わる。結合定数を大きくするにつれて、一次元のループだったものが引き伸ばされてリボン状になり、さらに変形した円筒になる!言い換えると、ヘテロEひもは、実は二次元の膜で、その幅は結合定数の大きさに左右されるのだ。
この認識によってこれまでの章で引き出した結論が無効になることはないが、例えば、このもう一つの次元は、ひも理論によって必要とされる一つの時間次元と九つの空間次元とどう噛みあうのか?
そう、この十次元時空という制約は、ひもがいくつの独立した次元で振動しうるかを数え、その数が量子力学的確率がもっともな値をとることから生じたのである。
新たな次元は、ヘテロEひもが振動しうる次元ではない。「ひも」そのものの構造のなかに閉じ込められた次元だからだ。
一次元のひもに満ちた十次元宇宙の近似ではなく、二次元の膜を抱えた十一次元宇宙の近似だ。
ヘテロEの例と同じく、ⅡA型ひもの結合定数に左右される十一番目の次元がある。その値が大きくなるにつれて、ⅡA型ひもは膨脹して「内部チューブ」になる。
ウィッテンは、この十一次元理論を暫定的に「M理論」と名付けた。
名前の由来には諸説あり、ミステリー(謎)、マザー(あらゆる理論の母)、メンブレン(膜)、マトリックス(新解釈を提示する研究にちなむ)といった具合だ。
第十章では、五つのひも理論の定式のうちどれを扱っているのかを子細に明示しないでひもについて論じた。ひもの巻きつきモードと振動モードを入れ替えることで、半径1/Rの環状次元をもつ宇宙のひも理論による記述は、半径Rの環状次元をもつ宇宙として表現しなおすことができる。
私たちがごまかした点は、ⅡA型ひも理論とⅡB型ひも理論、そしてヘテロOひも理論とヘテロEひも理論が、この双対性によって入れかわることだ。
これにより、五つのひも理論すべてが互いに双対的であることになり、双対性の網が完成する。
ヘテロEとⅡA型の視点から見たときに現れた二次元の膜は、残りの三つのひも定式化にもそれぞれ含まれる。
二次元の膜はひも理論の本当の基本構成要素なのか?さらに高い次元の構成要素もあるのか?
BPS状態のなかには一次元のひもも、二次元の膜もある。しかしそれどころか、九次元以下のすべての空間次元が可能性の範囲に含まれる。
空間次元三つに広がりをもつ対象を3ブレン、四つを4ブレン…という具合に、9ブレンまで名付けられている。
(拡がった三つの空間次元そのものが、大きくて伸びた3ブレンかもしれないという考えも研究されている。そうだとしたら、私たちは日常的に三次元の膜の内部を動いていることになる)
第十三章
ブラックホールを区別できる特徴とは、質量、力荷、回転速度である。他の本質的特徴はない。
一方、素粒子どうしの区別をなすのも、質量、力荷、スピンである。
区別をなす特徴が似通っていることから、ブラックホールは巨大な素粒子かもしれない、という推測がなされている。
実際、アインシュタインの理論によると、ブラックホールの質量には下限がない。
ひも理論は、ブラックホールと素粒子の間に、理論的にしっかりしたつながりを提示した。
空間次元が六つカラビ-ヤウ図形に巻き上げられるとき、この構造のなかに球面が埋め込まれるには、球面のあり方が一般に二種類ある。
一つは、第十一章で扱ったプロップ転移で重要な役割を演じる、ビーチボールの表面のような二次元球面だ。
もう一つは、三次元球(面)だ。(表面が三次元になっている四次元のビーチボールである)
物理学者はひも理論の方程式を研究し、三次元の球面が限りなくゼロに近い体積まで縮む(崩壊する)ことが起こるらしいと気付いた。
第十一章で、崩壊する二次元球面に焦点をあてたとき、ひもの二次元世界面は二次元球面を完全に取り巻き、二次元球面が崩壊して物理的破局を起こすのを防ぐ効果をもつことが判明したが、三次元球面はひもでは取り巻くことができない。
しかし3ブレンという素材を使えば三次元球面は完全に包むことができる。
ここでまた、厄介な問題の一つがひも理論の新たな洞察を用いて解かれたのだ。
しかしこのことは話の半分ではないだろうか?
もう半分にはやはり空間が裂け、その後球面の再膨張で修復されるという現象がからんでいるのではないか?
1995年著者とモリソンは、このことを論じ、三次元球面が崩壊するとカラビ-ヤウ空間が裂け、球面を再膨張させることで自らを修復しうるかもしれないと気付いた。しかし再膨張する球面は二次元である。
これを分かり易く低次元に置き換えて、ドーナツの表面を想像し、そこに一次元球面(円)が埋め込まれているとする。円がつぶれ、空間が一時的に裂け、円をゼロ次元球面(二つの点)におきかえ、空間が裂けてできた形の上下の部分の穴をふさぐことで、生じる形はクロワッサンに似ている。これは、穏やかな(空間を引き裂かない)変形を通してなめらかに、ビーチボールの表面へと変わりうる。
もとのドーナツ型の位相は大幅に変化する。
要するに、あるカラビ-ヤウ図形が、完全にちがうカラビーヤウ図形に転換し、一方ひも物理は申し分なく行儀よいふるまいをつづけることがありうる。
これを「コニフィールド転移」と呼ぶ。
これがブラックホールおよび素粒子とどう関係するのか?
プロップ転移の物理的帰結は、意外にも大したことは起こらないというものだった。コニフィールド転移の場合、物理的破局は起こらないが、明白な帰結がある。
まず、カラビ-ヤウ空間内部の三次元球面は、これに巻きついた3ブレンが保護する為、破局をもたらすことなくつぶれうる。
包まれたブレンの配置はどんな姿をしているのか?
三つの拡がった次元しか認識しない私たちにとって、三次元球面のまわりに「拡がった」3ブレンは、ブラックホールのそれに似た重力場をつくる。
誰かが、拡がった次元を通してこの場所を見れば、包まれたブレンを、それが帯びる質量と力荷によって感知できる。この3ブレンの質量や力荷といった属性は、ちょうどブラックホールのそれに似ている。
3ブレンの質量(つまりブラックホールの質量)は、それが包む三次元球面の体積に比例する。
この球がつぶれると、ブラックホールとして知覚される球を包む3ブレンはますます軽くなり、一点に縮むと対応するブラックホールは質量がなくなる。
質量のないブラックホールとは何なのか?
エネルギーの低い、ということは質量が小さいひもの(粒子および力の担い手の説明になるかもしれない)振動パターンの数は、カラビ-ヤウ図形の穴の数で決まる。
三次元球面が新たな二次元球面に変わるコニフィールド転移で、質量のないひも振動パターンの数はちょうど一つ増える。(ドーナツからビーチボールへの例(穴の数が減る)は低い次元のアナロジーによる誤解だ)
コニフィールド転移から新たに生じる質量のないひも振動パターンは、ブラックホールが転化して生じる質量のない粒子の微視的記述であることが明らかになった。
当初質量の大きかったブラックホールが、ついには質量がなくなって光子のような質量のない粒子に転化するのだ。
ブラックホールと素粒子との関連は「相転移(例として氷・水・水蒸気)」に似ている。
ここまで、空間を引き裂く劇的な転化と、ひも理論の五つの定式化の間を移動する転化について、同じ水のアナロジーを用いたのには理由がある。
それらの間に深い関連があるからだ。
新たな次元がどれか一つのカラビ-ヤウ図形に巻き上げられた後でも、ある記述から別の記述へと連続的に移る能力が保持されることが、コニフィールド転移を通して予想されるからだ。
何十年もの間解けなかった宇宙の謎に、ブラックホール・エントロピーの概念がある。
エントロピーは、無秩序、乱雑さを示す尺度だ。
物理学者はあるもののエントロピーを明確な数値を用いて記述できるように、エントロピーに完全に定量的な定義をあたえている。大きい数字は大きな、小さい数字は小さなエントロピーを意味する。
大雑把に言えば、この数字はある物理系の全体的な外見を変えずに、その要素を配列しなおすやり方が何通りあるかを示している。
きちんと整理された机の上が、どんな形で配置がえしても秩序が乱れ(だから机の上のエントロピーは低い)、散らかった机の上が、散らかったままにして(つまり全体的な外見を変えることなく)配置をかえるやり方がたくさんある(だから机の上のエントロピーは高い)というようにだ。
1970年べケンスタインは、熱力学の第二法則をきっかけに、ブラックホールにはエントロピーがある(それも大量に)かもしれないと唱えた。
この法則によると、ある系のエントロピーはつねに増大する。すべてのものは、より無秩序な状態に向かう。散らかった机をきれいにしてエントロピーを減らしても、体と室内の空気のエントロピーを含めると、実は総エントロピーは増えてしまう。
仮にブラックホールの事象地平(どのブラックホールのまわりにもある、もう引き返せなくなる面)の近くで机の上をきれいにし、乱された空気の分子を真空ポンプでブラックホールに吸い取ったとしたら、どうなるだろうか?
部屋のエントロピーは確かに減ったのだから、熱力学の第二法則が成立するには、ブラックホールにエントロピーがあり、物質が吸い込まれるにつれて増大し、ブラックホールの外部で観測されるエントロピーの減少を帳消しにするしかないのだ。
ホーキングが出した有名な結果に、ブラックホールの事象地平の面積は、どんな物理的相互作用を受けてもつねに増大する、というものがあるが、べケンスタインはここから、ブラックホールの事象地平の面積はそのエントロピーを正確に示している、と唱えた。
これに対しホーキングは、ブラックホールの法則と熱力学の法則を真面目に受け取れば、事象地平とエントロピーを同一視せざるをえないが、それと同時にブラックホールに温度があることにもなり(その値はブラックホール重力場が事象地平で示す強さで決まる)、しかしもろもろの物理原理によれば、温度がゼロでなければ放射をおこなわなければならない。ところがブラックホールは黒い。ゆえにエントロピーを帯びた物質がブラックホールに落ち込むと、このエントロピーは消え去る、と考えた。
この後1974年にホーキングはブラックホールは完全にブラックではないと告げた。
不確定性原理によりブラックホールのすぐ外の空間領域で、ブラックホールの重力が一対の仮想光子にエネルギーを渡し、ちょうど一方だけがブラックホールに吸い込まれるように、二つを引き離すことがありうる。対をなす光子の一方が姿を消すと、もう一方にはもはや一緒に消滅すべき相手がいなくなる。さらにこの光子はブラックホールの重力からエネルギーを得る。そしてブラックホールからはじき飛ばされる。ブラックホールは光るのだ。
さらにホーキングは、放射から温度を計算でき、その値は事象地平における重力の強さによってあたえられることを見出した。これはちょうど、ブラックホールの物理学の法則と熱力学の法則の類似性から推測されるとおりだ。
またホーキングの計算によると、ブラックホールの質量が小さいほど温度は高く、放射は大きい。(コニフィールド転移にかかわるブラックホールは極限的なので、どれだけ軽くなってもホーキング放射をしない)そしてブラックホールは質量が大きいほどエントロピーが大きい。ブラックホールは莫大な無秩序を抱えている。
1996年ストロミンジャーとヴァーファは、ひも理論を用いてある種のブラックホールのミクロの構成要素を特定し、これをもとにエントロピーを正確に計算することができた。
一群の(特定の次元の)BPSブレンから出発して、いくつかの極限的ブラックホール(力荷~電荷と考えてもいい~を帯び、しかもその電荷と矛盾しない最小の質量をもつ)を組み立てられること、そしてさらにこれらを正確な数学的青写真に則ってつなぎ合わせることができることを証明した。
新たに見つかったひも理論の構成要素のいくつかから、特定のブラックホールが形づくれることを明らかにしたのである。
ここから、ブラックホールの微視的な構造を理論的に完全に制御できたので、質量と力荷を変えずに、ミクロの構成要素の配置を変えるやり方が何通りあるかを、たやすくじかに数えることができた。さらにそのうえで、この数を事象地平の面積(べケンスタインとホーキングが予測したエントロピー)と比べ、完全に一致した。
十九世紀はじめラプラスは、「ある瞬間に、自然を活気付ける力のすべておよび自然を形作る存在それぞれの状況を把握することのできる知性があり、その知性がそれだけのデータを分析できるほど巨大なものだったとすれば、この知性は宇宙最大級の物体の運動と最も軽い原子の運動を同じ一つの公式に包含する。このような知性にとって不確かなものは何もなく、未来は過去と同じく手に取るようにわかる」と述べた。(これを「決定論」という)
しかしこの見方の妥当性は、量子力学の発見で相当弱まった。
不確定性原理により、位置と速度という古典的な属性は量子論の波動関数におきかえられ、波動関数からは確率しかわからない。
しかし波動関数は、精密な数学的規則(シュレディンガーやディラック、クライン
-ゴードンの方程式など)にしたがって時間のなかで発展する。
これは量子論的決定論がラプラス的決定論に取って代わるということだ。
ある時点の宇宙の基本的構成要素すべての波動関数がわかっていれば、十分に巨大な知性なら、過去ないし未来のどの時点の波動関数も確定できる。
1976年ホーキングは、ブラックホールが存在すればこの穏やかな形の決定論さえ崩れると宣言した。
何かがブラックホールに落ち込むと、その波動関数も吸い込まれてしまう。
未来を予測しつくすには、波動関数をすべて知りつくしていなければならない。
一部の波動関数がブラックホールの深みに逃げ去ってしまえば、それらが含む情報は失われてしまう。