くまのお気楽日記

好きな漫画や映画の話を主にその日あった事や感じた事等をお気楽に書いていきたいと思います。宜しくお願いします。

「エレガントな宇宙1」

2007-07-09 07:07:05 | 本好き
第一章
古代ギリシア人が、宇宙は「分割できない」小さな構成要素でできていると推測し、この構成要素をアトムと呼んだところから現代までに、十九世紀に、ギリシア人にならってアトム(原子)と名付けられた原子が分割され、原子とは陽子と中性子を含んだ核とその周りに軌道を描く「電子」の群れから成り立つということ、また陽子と中性子も、「アップ・クォーク」、「ダウン・クォーク」という二種類の小さな粒子三つの組み合わせによって成り立つことが明らかにされ、さらに様々な基本的構成要素が発見された。
これらの粒子は、そのパターンから、三つのグループに分けられ、
第一族 電子 電子型ニュートリノ アップ・クォーク ダウン・クォーク
第二族 ミューオン ミュー型ニュートリノ チャーム・クォーク ストレンジ・クォーク
第三族 タウ タウ型ニュートリノ トップ・クォーク ボトム・クォーク
となり、これらの粒子それぞれにまた反粒子という仲間がある。

また、様々な物体や物質の間に起こる相互作用のすべては、四つの基本的な力の組み合わせに還元でき、その四つとは、
重力 電磁力 弱い力 強い力
と呼ばれるもので、重力と電磁力は馴染み深いものだが、強い力弱い力とは、原子核の中で働く力(核力)であり、陽子と中性子が原子核の内部で、クォークが陽子や中性子の内部で互いに「にかわづけ」されていたりする時の、この力が「強い力」、ウランやコバルトといった物質の放射性の崩壊を引き起こす力として最もよく知られるのが「弱い力」である。
これらの力には共通する特徴が二点あり、
その力の最小のかたまりと考えられる粒子(メッセンジャー粒子)…電磁力には「光子」、弱い力には「弱いゲージ・ボゾン(Wボソン、Zボソン)」、強い力には「グルーオン」、重力には、まだ存在や詳しい性質が確かめられていない「グラビトン」…があるという点、もう一点は、
重力が粒子にどう影響するかは質量で決まり、電磁力が粒子にどう影響するかは電荷で決まるように、粒子が強い力と弱い力にどう影響されるかは、粒子が帯びている「強い力荷」と「弱い力荷」で決まる、という点だ。

このような物質と力の粒子の性質、力のバランスが少し違っていただけで、原子核は分解し、星や銀河は形成されていなかった。
逆に言えば、宇宙がこういうあり方をしているのは、物質と力の粒子に、現にあるような性質が備わっていたからだ、とも言える。
しかし、なぜこういう性質が備わっているのか?

ひも理論では、これらの粒子の質量と力荷は、そのひもの振動パターンで決まるとしている。様々な粒子の性質は、無秩序な実験事実の寄せ集めであるどころか、同じ一つの物理的特徴の現れ…基本的なひものループの共鳴振動パターン、いうなれば音楽…であると。
このようなことからひも理論は、「万物の理論」(TOE)と評されることがあるのだが、それに対し、これを極端に解釈する、ビックバンから白昼夢にいたるあらゆるものが、物質の基本構成要素の微視的な物理作用で記述できる、という「還元主義」という考えや、また反対に、系の複雑さのレベルが上がると新たな種類の法則が働くことをカオス理論の発展が教えている、と論じる人もいる。
著者はこの点について、計算上の行き詰まりの問題であって、新たな物理法則の必要を示すものではない、としているが、原理と実地はまったく別物であり、すばらしく豊かで複雑な宇宙の理解を深める科学は、TOEの発見によりむしろ終わりではなく始まるのだ、と述べている。

第二章
アインシュタインは、「電磁霍乱が一定不変の速さ、光の速さに等しい速さで伝わること。可視光線は電磁波の一種であること」を明らかにしたマクスウェルの理論と、「十分速く走れば、逃げていく光に追いつける」とするニュートンの運動法則との衝突を、「相対的に等速度運動をしている観測者どうしは距離と時間をちがった仕方で知覚する。どんな物体も(影響や攪乱も)光速よりは速く伝わりえない。宇宙のあらゆる物体は、つねに時空(空間の次元三つと時間の次元一つ)のなかを光の速さ(四つの次元で割り振られる)で進んでいる」という特殊相対性理論によって解明した。
しかしここで、「どんなものも光よりは速く進めない」ということと、ニュートンの万有引力の理論との間に、また別の衝突が生まれた。

アインシュタインの有名な公式に、E(物体のエネルギー)=mc2(質量×光の速さの二乗)があるが、ここから「あるものが動く速さが大きいほどそれがもつエネルギーも大きくなり、あるものがもつエネルギーが大きいほどそれがもつ質量も大きい」ということがいえる。
光の速さの二乗という数はとても大きいので、ほんの僅かな質量の粒子でさえ、光の壁に達したりこれを越えたりするには無限のエネルギーで押すことが必要になり、ゆえに「どんなものも光よりは速く進めない」というのである。

第三章
ニュートンの重力理論では、物体が別の物体に及ぼす引力の強さは、物質の質量と距離のみで決まる。つまり物体の質量と距離が変われば、物体は引力の変化の影響をただちに受けることになるのだ。
これに対して、アインシュタインの特殊相対性理論は、どんな情報も光の速さよりは速く伝わらない、としている。
ここからアインシュタインは、特殊相対性理論と両立する新たな重力理論、「一般相対性理論」を発見した。

ニュートンは重力の存在と性質の一部を発見したが、実際にどのように働くのかについては何の洞察も示さなかった。
アインシュタインはこの問題について、特殊相対性理論で、一定速度で相対運動をしている人々にどう世界が見えるか、ということで洞察を得たように、今度は加速度運動について考えることで、重力についての洞察を得る。
これが、ロケットで地球の重力から少しずつ逃れているにもかかわらず、加速によって体を押し付けられる力を感じることの例をとって説明される、「加速度運動と重力は区別できない」という「等価原理」の法則である。

次の決定的な飛躍的前進は、重力と加速度運動とのつながりに特殊相対性理論をあてはめたところから生まれた。つまり「加速によって空間と時間はゆがむ」ということだ。ここでついに重力が作用するメカニズムについて、アインシュタインは「重力は空間と時間のゆがみそのものなのだ」という結論を得る。
著者はこれを分かり易く、ゴム膜の上に乗るボウリングの球に例えているが、勿論この場合の「ゆがみ」とは、ゴム膜の二次元ではなく、空間三次元と時間一次元のすべてに及ぼされる「ゆがみ」である。

これらの理論と、宇宙の織物の攪乱がさざなみのように伝わる速さがちょうど光の速さである、という計算結果により、ニュートンの重力理論と特殊相対性理論との矛盾は解消された。しかし事物の質量が大変大きく、空間と時間のゆがみがそれだけ著しい場合、例えばブラックホールやビックバンについて考えると、また新たな衝突が生まれた。
一般相対性理論と量子力学の衝突だ。

ブラックホールとは、今では「シュヴァルツシルトの解」と呼ばれる、「星の質量を球形の領域に凝縮し、質量を半径で割ったものが、ある臨界点を超えるくらい半径を小さくすれば、時空のゆがみがあまりにも激しくなり、この星に近づきすぎると光を含め、どんなものも重力から逃れることができなくなる」という考えから導き出された「光でさえ逃げることの出来ない圧縮された星」のことだ。
(ちなみにここで、このブラックホールの事象地平のすぐ上で一年間とどまってから、地球に帰ると1000年がたっている、という遠い未来へのタイムトラベルが可能になる…という話も紹介されている)
地球をブラックホールにするには、押しつぶして半径2センチメートル足らずの球にしなくてはならない。
ブラックホールは、このような極端なことが実際にありうるのか…という点から、長らく想像の産物にすぎないと考えられてきたが、この10年ほどの間に存在を裏付ける実験の証拠が積み重なっている。
(ブラックホ-ルの近くにある普通の星が事象地平に向かって落ちる時、加速されることによって表層から塵とガスの混合物が輝き、可視光線とX線を放つ。これを観測・研究することで、例えば銀河系の中心部に太陽の250万倍ほどの質量をもつブラックホールがあることを示す証拠が積み重なっている。またそれさえも影が薄くなるようなすごいものが、宇宙に散らばる光り輝くクエーサーの中核にもある、と考えられている)

アインシュタインの一般相対性理論の方程式は、19世紀の数学者リーマンの、湾曲した空間についての幾何学的洞察にもとづくものだが、この方程式を宇宙全体にあてはめると、宇宙全体の大きさは時間とともに変わる(宇宙の織物は拡がっているか縮んでいるかのいずれかである)という結論が導き出される。
このことが受け入れがたかったアインシュタインは、宇宙定数という量を導入し、後にハッブルが観測によって宇宙の膨脹を実証したことを受けて、方程式をもとの形に戻した。(余談だが、最近の研究によると、たいへん小さいがゼロではない宇宙定数が組み込まれているかも知れない、そうである)
ここから、宇宙の起源について知る為に宇宙の発展を逆回しに想像してみると、すべての物質とエネルギーが押しつぶされて、凄まじい密度と温度になった不安定な種子から、爆発的に飛び出すビックバンというイメージが浮かぶ。
勿論、爆弾の爆発とは違い、始まりの点(ひも理論では点ではないが)の周りに空間は無く、ビックバンこそが、潮流のように物質とエネルギーを運ぶ、圧縮された空間の噴出、である。

第四章
量子力学が生まれたきっかけとして、マクスウェルの電磁理論をオーブンのなかの放射にあてはめると、どんな温度でもエネルギーの総量は無限大だ、という結果が導き出されたことがある。
一つ一つの波が総エネルギーへの寄与としてもつはずの共通エネルギーが、オーブンのなかで生じうる、山と谷の数が整数になる波のパターンが無限個あるために、共通エネルギーの値がどうであれ、無限大のエネルギーを運ぶ、というのだ。
この無意味な結果に対して、プランクは、「エネルギーには最小単位があり、波がもちうる最小エネルギーは波の周波数に比例する」という推測により、この難問を解いた。
もう少し詳しく述べると、ある周波数の波が運びうる最小エネルギーが、その波が負担するはずのエネルギーを超えれば負担できず、その波は発生しない、ゆえに、有限の数の波しかオーブンの総エネルギーに寄与できず、総エネルギーは有限にとどまる。というものだ。
この波の周波数と波がもちうる最小エネルギーとの比率は、「プランク定数」と呼ばれ、1.05×10-27(-27乗)g.cm2/sというごく小さな値である。

しかし実験測定がうまくいくという事実を除いて、プランクも他の誰も、エネルギーがかたまりをなすという仮定を正当化する根拠をもっていなかった。
アインシュタインはここに、一つの説明を見つけ出す。

ある種の金属に電磁放射(光)をあてると電子を発するが、はじめ、光の強度(明るさ)が増すにつれて、衝突する電磁波のエネルギーも増すのだから、放出される電子の速さも増す…と考えられがちなところが、実際には放出される電子の数が増えるのであって速さは変わらない、ということ、一方で、衝突する光の周波数が増せば、放出される電子の速さが増す…また、ある周波数の光線の強度は光線に含まれる光子の数が増えることによって増えるが、光子が多いほど表面から弾き出される電子も多くなる…という実験結果がある。
この「放出される電子の速さは光の周波数(色)で決まり、放出される電子の数は光の強度で決まる」という結果から、アインシュタインによって、前述の一つの説明「電磁波は光の小さなつぶ(量子である粒子~光子~)でできていて、電磁波に含まれるエネルギーがかたまりをなしているのは、電磁波がかたまりでできているためだ」が見つけ出されたのである。

ここで19世紀はじめにヤングがおこなった、光の波が、波なのか、多数の粒子(光子)でできているのか、という実験について紹介されている。
二重スリット実験と呼ばれている、スリットが二つ入っている薄い障壁に光線を当て、スリットを片方だけ開けた時と、両方開けた時の障壁を通り抜けた光を感光板に記録する、といったものなのだが、
光が粒子であるならば、スリットを二つとも開けた時に感光板にできる像は、左右それぞれ片方だけ開けた時の像の合成になる、と予測した粒子派(ニュートン)に対し、結果は、波が互いに山と谷、山どうし(谷どうし)で打ち消しあい、強め合う時に見られる干渉縞を描いた像で、この時は波動説(ホイヘンス)に軍配が上った。
しかしここで、崇められていたニュートンの重力理論を引き倒したアインシュタインが、今度は光子の導入によってニュートンの光の粒子モデルを一部よみがえらせた。

光子が多数かかわっていれば、干渉縞のような波の性質が現れても、理に適っているように一見思われる。
しかしミクロの世界ははるかに厄介で、光源の強度を下げていき、ついには個々の光子を一個ずつ何秒かごとに障壁にぶつけたとしても、感光板は干渉縞の像を描く、というのだ。つまり、微粒子である光子どうしが、どういうわけか、時間を隔てて干渉しあう、ということである。
このような実験は、アインシュタインの光粒子がニュートンの粒子とはまるで異質であることを示している。
光子は、粒子でありながら、波のような特徴も備えている(二重性をもつ)のだ。

1923年、ド・ブロイは波~粒子二重性が光ばかりでなく物質にもあてはまると唱えた。大雑把に言うと、アインシュタインのE=mc2は質量をエネルギーに関連づけ、プランクとアインシュタインはエネルギーを波の周波数に関連づけた。この二つを組み合わせると、質量も波のような姿をもつ、光が波動現象でありながら粒子としても等しく有効に記述されると量子論が示しているのと同じに、私たちが普通、粒子と見なしている電子も、波として等しく有効に記述されるのではないか、という考えだ。

この後、上記二重スリット実験に似たような実験から、あらゆる物質が波のような性格を備えているという結論が出てきた。
しかしこのことは、私たちが現実に物質を感じることとどう調和するのか?
ド・ブロイはこれについて、波長はプランク定数(h)に比例する(波長は2πhを物体の運動量で割ったものである)という公式を打ち立てた。
光の速さcの値が大きいために空間と時間の真の性格の多くが見えなくなるように、hの小ささのせいで、物質が波のような性格を備えていることが日常世界では見えなくなるのだと。

1926年、「波とはぼやかされた電子だ」とするシュレディンガーの解釈を改良して、ボルンは、「電子の波は確率の観点から解釈しなければならない(波の大きさが大きいところは電子が見つかる確率が大きいところであり、波の大きさが小さいところは電子が見つかる確率の小さいところだ)」と主張した。
ボルンの解釈と、その後半世紀の間におこなわれた実験によれば、物質がもつ波の性質は、物質そのものが根本的には確率論的に記述されなければならないことを意味している。ミクロレベルでは私たちは、ある位置である電子が見つかる確率がこれこれの値だ、と言うこと以上のことはできないと。
それでも電子の確率波(存在確率を示す波)の正確な形を数学的に特定できるかぎり、確率論的予測はできる。
ド・ブロイの提案のわずか数ヵ月後に、シュレディンガーは確率波の形と推移を支配する方程式を決め、まもなくこの方程式と確率論的解釈を用いて、すばらしく正確な予測がおこなわれるようになった。
量子力学によれば、宇宙は厳格で精密な数学的形式にしたがって発展するのだか、この枠組みでは、ある特定の未来が実現する確率しか決まらない。どの未来が実現するかは決まらない、のである。

もう一つの解釈として、ファインマンの視点が紹介されている。
先の二重スリット実験に沿って説明されているのだが、一つ一つの電子は、左右どちらかのスリットを通り抜けるのではない、というのだ。
一つ一つの電子がどちらのスリットを通るか、電子を見ようとすると電子に何かしなければならない。例えば光をあてる、つまり光子を電子にあてて跳ね返らせることによって、必ずその後の電子の動きに影響を及ぼし、実験結果が変わってしまう…ということから、電子は両方のスリットを通る(出発点と終着点を結ぶありうべきあらゆる道筋を通る~左を通る、右を通る、左に行きかけて進路を変えアンドロメダ銀河への長い旅をして帰ってきて右を通る…というように道筋はいくらでもある~)のだと主張するのだ。

ファインマンはこれらの道筋それぞれに一つの数を割り振って、その平均が波動関数アプローチで計算した確率とちょうど等しくできることを示した。
電子がスクリーン上のある点に達する確率は、そこにいたる通りうる道すべての効果を合わせたものからなっている。これが量子力学にたいするファインマンの「経路総和」アプローチと呼ばれるものである。
一見不条理なようだが、日常スケールでは道筋の寄与を合わせると、一つを除いて打ち消しあい、ミクロな物体については多くの道筋が寄与しうるし、実際に寄与することも少なくない、という説明がなされている。

電子の運動への影響を与えずにその位置を確定することは出来ないのか?
光子一個のエネルギーはその周波数に比例し波長に反比例する。
物体の位置は波長に等しい誤差の範囲でしか確定できないため、大きい周波数(短い波長)の光を用いれば位置は突き止められても電子の速度を著しく乱してしまい、小さい周波数(長い波長)の光を用いれば電子の運動への影響は最小限にとどまるが位置を確定する精度は犠牲になる。
ハイゼンベルクはこの競合関係を数量化し、電子の位置を測る精度と速度を測る精度との数学的関係(二つは互いに反比例する)を見いだした。
そしてこれが何より重要なのだが、この位置と速度の測定制度の競合関係は、装置や手順にかかわらず成り立つ根本的な事実であり(ミクロレベルではこの二つの特徴をともに完全に正確に知ることはけしてできない)、この考えは自然の構成要素すべてにあてはまる、のだ。

このハイゼルベルクの「不確定性原理」は、エネルギー測定の精度と測定にかかる時間との間にも同様の競合関係があることを明らかにした。
量子力学によれば、ある粒子がこれこれの時点に正確にこれこれのエネルギーをもつと言うことはできない。エネルギー測定の精度を高めるには、長い時間をかけることが必要になる。大雑把に言うと、粒子のもつエネルギーのゆらぎは、ごく短い時間スケールについて見る限り激しいものでありうるということだ。
量子力学はハイゼルベルクの不確定性原理で決まる時間枠のなかで清算できる限り、粒子がエネルギーを「借りる」(例えばコンクリート壁に直面するミクロな粒子が、当初はある領域に入れるだけのエネルギーをもっていないにもかかわらず、そこにつかのま入り込んでトンネルを通過するだけのエネルギーを借りる~量子トンネル効果~)ことを許す。

第五章
不確定性原理によれば何もない空間領域といった想像できる限り最も活動に乏しい状況でも、ミクロの視点から見ると莫大な量の活動が起こっていることがわかる。
そしてこの活動は、距離と時間のスケールを小さくしていくにつれて、ますます激しくなる。量子的な経理はこれを理解するのに欠かせない。
電子のような粒子は、文字通りの物理的障壁を乗り越える為にエネルギーを借りるということを前述したが、エネルギーのゆらぎが十分大きければ、例えばE=mc2を通して一時的に電子とこれに対応する反物質である陽電子とが生じる。この領域がはじめは空っぽだったとしてもだ!
このエネルギーはさっさと返済しなくてはならないので、二つの粒子は一瞬後にはお互いを消滅させ、生じるときに借りたエネルギーを返済する。
エネルギーと運動量がとりうるあらゆる形態(他の粒子の発生と消滅、電磁波の激しい振動、弱い力と強い力の場のゆらぎ~)についても同じことが言える。

このミクロの宇宙の混沌とした激動を扱える数学的形式を見つけようとした理論物理学者たちは、シュレディンガーの量子波動方程式が実はミクロの物理学を近似的に記述するものにすぎないことを見いだした。
厳密な量子力学の枠組みをつくる上で特殊相対性理論の主張E=mc2が重要であると気付いたのだ。こうして量子場理論が生まれた。

量子場理論の一例である量子電気力学(電磁力)の(理論的計算の予測が実験によって誤差10億分の一以下の正確さで実証されるという)成功に触発され、量子色力学(強い力)、量子電弱力学(弱い力)も発展してきた。
グラショウ、サラム、ワインバーグらは、弱い力と電磁力が、量子場理論的記述では統一されることを明らかにした。(十分に高いエネルギーと温度~ビックバンの何分の一秒か後の状態~では、電磁力と弱い力が互いに溶け合って性格の区別を失い、電磁場と呼ぶべきものになること)
またこの20年の間に、重力以外の三つの力量子的取扱いについてのおびただしい量の実験による精査が加えられ、実験物理学者が第一章で述べた19個のパラメーターを測定すれば、理論物理学者はそれをそれぞれの量子場理論に入力し、ミクロの宇宙に関する理論の予測を実験結果と見事に一致させた。
(ゆえに重力以外の三つの力と物質粒子の三つの族は「標準モデル」と呼ばれる)

第一章でも述べたが、標準モデルによると、光子が電磁場の最小構成要素であるように、強い力と弱い力の場にも、それぞれグルーオンと弱いゲージ・ボソンという最小構成要素がある。
これらの粒子の力を伝えるメカニズムは、例えば光子なら同じ電荷を帯びた粒子には「離れよ」と、反対の電荷を帯びた粒子には「近寄れ」とメッセージを運ぶように作用することから、「メッセンジャー粒子」と呼ばれる。


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