第五章続き
お気づきかも知れないが、自然の諸力のうち量子論で仲間外れになっているのは重力だ。
ここで重力のおかげで、あらゆる観測者が(運動状態にかかわらず)完全に対等だと断言できることを思い起こそう。この意味で重力は対称性を成立させる。
こうした対称性原理を大雑把につかむために例を考えてみよう。
一つ一つのクォークは、三つの「色」(標識として赤、緑、青、で呼ばれる)のどれかを帯びている。
そしてクォークが電磁力にどう反応するかがその電荷で決まるのとだいたい同じように、強い力にどう反応するかは、その色で決まる。
これまでに集められたデータから、クォーク間に対称性があり、色の同じ二つのクォークの間に働く相互作用はすべて同じであり、同様に色の違う二つのクォークの間に働く相互作用もまったく同じである、ことが証明されている。
このクォークが帯びうる三つの色が、特定の仕方でおきかえられても、また例えこのおきかえの細部が時々刻々、また場所によって変わっても、クォーク間の相互作用は変わらない。宇宙は強い力の対称性をもっているのである。
強い力の対称性はゲージ対称性の例だとも言われる。
一般相対性理論の対称性に重力が必要なように、ゲージ対称性が成り立つには別の力の存在が必要であるが、力の場のなかには、力荷の変化の効果を完璧に打ち消して、粒子間の物理的相互作用を完全に不変に保つものが何種類かあり、移行するクォークの色荷と結びついたゲージ対称性の場合、必要な力は強い力そのものである。
このことから、重力と強い力は、特性が大きく違っているにもかかわらず、いずれも宇宙に特定の対称性が成り立つ為に必要とされる、似通った点があることがわかる。
さらに、弱い力と電磁力も、弱いゲージ対称性と電磁ゲージ対称性に結びついている。
したがって四つの力はすべて対称性の原理にじかに結びついている、といえる。
空間的な焦点を絞っていけば、不確定性原理につきものの量子的ゆらぎをこうむり、大きな変動が現れる。
重力場は空間の湾曲に反映されるので、空間のゆがみは激しくなり、泡立ち、荒れ狂って、ねじれた形をとる。
このように超ミクロのスケールで空間(および時間)を調べることであらわになる混乱状態を指して「量子的泡」と言う。
この言葉は、左右前後上下という概念が(さらに過去未来さえ)意味を失う、なじみのない宇宙の領域を指している。
私たちは、このような短い距離スケールで一般相対性理論と量子力学との根本的な矛盾にあう。
具体的には、一般相対性理論の方程式と量子力学の方程式を合体させて計算すると、いつも無限大というばかげた答えが出てしまうのだ。
量子的泡といった破壊的な現象が目に付くようになる距離スケールとは、プランク定数(量子効果の強さを規定するもの)の小ささと、重力の本質的な弱さとがあいまって、プランク長さ(√hG/c3=1.616×10-33センチメートル~G=ニュートンの重力定数)と呼ばれる想像を絶するような小さいものになる。
原子を知られている宇宙のサイズまで拡大したとして、プランク長さはやっと平均的な木の高さまで伸びる、というくらいだ。
こうした深遠な領域でのみあらわになる矛盾を、認めはしても気にしない物理学者もいれば、最も深い最も基本的なレベルで理解すれば、宇宙は調和しあって統一されている一つの理論で記述できるという見方をして、それを捜し求める物理学者もいる。そうした試みは失敗に継ぐ失敗であった。
超ひも理論が発見されるまでは。
(注として、他にツイスター理論、新変数法というアプローチもあることが紹介されている)
第六章
1968年ヴェネツィアーノは、オイラーのベータ関数を使えば、強い力が備える特徴の多くが数学的な形で効果的に要約されることに気付いた。
これはうまく働くが説明を要する公式であった。
1970年南部、ニールセン、サスキンドの三人は、小さな振動する一次元のひもを素粒子のモデルとすれば、核相互作用をオイラーの関数でぴったり記述できることを示した。
しかし1970年代はじめの高エネルギー実験で、ひもモデルから引き出される予測のいくつかが、観測と真っ向から衝突するとわかり、ひも理論はお払い箱になってしまった。
1974年シュワーツとシェルクは、ひもの振動のパターンを研究した末に、グラビトンを発見し、このことにもとづいて、ひも理論が当初失敗したのは、ひも理論が強い力だけの理論ではなく重力をも含む量子理論であることに気付かなかったからだ、と主張した。
そして1984年マイケル・グリーンとシュワーツは、ひも理論が抱える量子力学との微妙な矛盾を解決し、四つの力すべてとともに物質すべてを含むだけの広さがある理論を発表した。
これを受けて世界中で三年間の間に、ひも理論についての1000編を超える論文が書かれ、この1984年から'86年までの時期は「第一次長ひも理論革命」と呼ばれた。
にもかかわらずひも理論はまたしても、方程式そのものを確定するのがあまりにもむずかしいことから、近似的な式にたいする近似的な解しか得られないという壁にぶつかる。
しかしやがて、1995年ウィッテンが「第二次超ひも理論革命」に火を付けることになる。
ひも理論によると、宇宙の基本構成要素は点粒子ではなく、振動する小さな一次元の糸状のものだ。
典型的なひもの長さはプランク長さほど、およそ原子核の10の20乗分の1だ。
ひもが点粒子でないことを直接的に明らかにするには、現在の加速器の1000兆倍ほどのエネルギーで物質を衝突させる加速器が必要になる。
現在、理論的研究でひもにさらに基礎構造があるかもしれないという兆候が現れているものの、ここでは議論のために、ひもを自然の基本構成要素と見なすことにする。
標準モデルはその構造の細部を説明できない。様々な可能性を受け入れることができる為、柔軟すぎて素粒子の特性を説明することができないのだ。
ひも理論は根本的に違う。一意的で柔軟性のない理論構造だ。
測定の基準尺度を定める一個の数字を除いて、何の入力も必要としない。
ミクロの世界の特性はすべて、ひも理論の説明力の範囲におさまる。
ひも理論によれば、素粒子の特性(その質量と様々な力荷)は、その内部のひもが正確にどんな振動パターンをとるかで決まる。
激しい振動パターンほどエネルギーは大きく、穏やかなほど小さい。
私たちが特殊相対性理論から知っている通り、エネルギーと質量はコインの表裏の関係にある。
したがって素粒子の質量は、その内部のひもの振動パターンのエネルギーで決まる。重い粒子ほど内部のひもは大きなエネルギーで振動し、軽い粒子ほど小さなエネルギーで振動している。
粒子の重力特性は粒子の質量で決まるから、ひもの振動パターンと重力にたいする粒子の反応の間にも直接の関連がある。
同様のことがその他のすべての素粒子についても言える。
つまり異なる素粒子と見えるのは実は、基本的なひもが奏でる「音」なのだ。
膨大な数の振動するひもからなる宇宙は、交響楽に似ている。
ひもの張力はどのようにして決まるのか?
基本的なひもはあまりに小さいので、間接的な方法が求められる。
1974年シェルクとシュワーツがひもの振動パターンの一つをグラビトン粒子であると唱えた時には、そのような間接的アプローチが用いられ、それによってひも理論のひもの張力を予測することができた。計算からグラビトンの振動パターンが伝える力の強さは、ひもの張力に反比例することが明らかになった。
グラビトンは重力(本質的にかなり弱い力)を伝えるとされているので、ひもの張力は10の39乗トン、いわゆるプランク張力ということになる。
エネルギーは二つの要因(ひもがどのように振動するか~大きいエネルギーに対応する激しいパターン~、ひもの張力~大きいエネルギーに対応する大きい張力~)で決まる。
ひもの振動パターンに含まれるエネルギーは最小額面エネルギーの整数倍だ。
最小額面エネルギーはひもの張力に(その振動パターンに含まれる山と谷の数にも)比例し、エネルギーがその何倍かであるかは振動パターンの振幅で決まる。
ひもの張力は莫大だから、基本的な最小エネルギーは素粒子物理学の普通の尺度ではやはり大きい。プランクエネルギーの整数倍だ。
プランクエネルギーは質量に変換すれば、陽子の10の19乗倍程度になる。
この素粒子の基準ではとてつもなく大きい質量はプランク質量と呼ばれ、およそ一粒の塵の質量に等しい。
ひも理論の振動するひもの典型的なエネルギーをそれと等価な質量で表せば、一般にプランク質量の整数倍だ。
この典型的なエネルギースケールをプランクスケールと言う。
でははるかに軽い粒子(電子、クォークなど)はどう説明できるのだろう?
不確定性原理によれば、あらゆる物体は量子的なじたばた運動うぃ起こしている。
ひもの量子的なじたばた運動がマイナスのエネルギーの値をとるとき、打ち消しあいが起こり、振動の純エネルギーは、ちょうど物質粒子と力の粒子の質量の付近の値をとる、という。ただしこれは例外的なものである。
ひもがとりうる振動パターンの数は無限だ。では素粒子の数も無限なのか?
答えはイエスである。しかし本質的なのは、ひもの張力が大きい為、(打ち消しあい生まれる)少数のものを除いて、きわめて重い粒子に対応する、ということだ。
この重さはプランク質量の何倍にもなるので、現代の加速器では探すことは出来ない。
しかし宇宙の誕生にともなう莫大なエネルギーによって生まれた粒子が見つかったら(そしてそれはありうる)、それは控えめに言っても記念碑的発見だ。
一般相対性理論の中心的命題(時空がなめらかに湾曲する幾何学的構造を構成すること)と、量子力学の本質的特徴(時空の織物を含め、宇宙にあるものすべては量子的ゆらぎをこうむっており、距離スケールが小さいほどゆらぎはますます激しくなること)の衝突を、ひも理論は解決しうるのか?
大雑把に言うと、
私たちが見られる物体を見ることが出来るのは、物体から跳ね返る光子が運ぶ情報を目が集め脳が解読するからである。
ここで物体(例として桃の種)の構造(大きさ、形、特徴)を知る為に、二台の発射器にビー玉とそれよりはるかに小さい5ミリ弾を詰めて、それぞれを競争させると想像しよう。
結果は明らかであるが、ここから探査粒子が役立つ為には調べようとする物理的特長よりあまり大きくてはいけないことがわかる。
原子より小さいスケールでは、量子的波長が探査粒子の位置の不確かさの幅を示しその感度の尺度となる。
不確定性原理を反映して、点粒子を探査体として用いた時の誤差の範囲は、探査粒子の量子的波長におおよそ等しいのだ。
粒子の量子的波長はその運動量(つまりエネルギーにも)反比例する。だから点粒子のエネルギーを増すことで量子的波長を短くし、どこまでも細かい物理的構造を探ることができる。
この点で点粒子とひもの違いは明白になる。
ひもは本質的な空間的広がりをもっているので、その大きさ(プランク長さ)より相当小さいものの構造を探ることができない。
ひものエネルギーを高め続けても、プランク長さのスケールで構造を探るのに必要な値を超えるところまでエネルギーが増せば、それ以上エネルギーを増しても、ひもによる探査の精度は高まらないのだ。
むしろエネルギーを増すとひもは大きくなり、感度は低下する。
ここから、プランク長さ以下のスケールで起こる、一般相対性理論と量子力学の衝突についてひも理論では、宇宙の基本構成要素でプランク長さより小さい距離を探ることができなければ、基本構成要素も、それでできたどんなものも、超微小スケールで起こる破滅的な量子変動に影響されない。したがってひも理論によれば量子的変動は現実には起こっていないのだ。
この議論には不満が残るかも知れない。しかしこう考えることもできる。
問題の空間のゆらぎが、点粒子の枠組みから生じたということだ。
致命的な空間のゆらぎ私たちの理論に現れたように見えたのは、私たちがどれだけ微細に宇宙を探れるかには限度があることに気付かず、点粒子アプローチにしたがって物理的実在の限界を越えてしまったからだと。
衝突の解決についてもう少し厳密に答えよう。
まず、点粒子が実在するとしたら、どのように相互作用をおこなうか考えよう。
例えば電子と陽電子が衝突し、光子が生まれ、少し進んでからまたその光子が新たな電子と陽電子の対を生み出すとき、最初の電子と陽電子が消滅し、光子を生み出す時点と場所は明確で、完全に特定できる。
ところがこれが一次元のひもだとしたら、ひもは広がりのある物体である為、第二章で述べた相対性理論と同じように、二つのひもがはじめて相互作用する明確な位置や時点などないことになる。それは観測者の運動状態に依存するのだ。
点粒子は相互作用を明確な一点に詰め込んでしまう。
相互作用にかかわる力が重力である時、力の効き目が完全に一点に詰め込まれることにより、無限大といった惨憺たる結果が引き起こされる。
ひもは相互作用の起こる場所を「ぼやかす」。
このぼやかしの結果、超ミクロの空間のじたばたは穏やかになるのだ。
第七章
理論を組み立てている間は、発展状態が不完全なのでなので理論から導き出される詳しい実験結果を評価することができない。にもかかわらず物理学者は、未完成の理論をどちらの研究方向に持っていくか判断を下さなければならい。
こうした決断のなかに、美的感覚を指針とするものがあるのは確かだ。
勿論この戦略が真理に繋がるという保証は無いが、ここ数十年の間に物理学者たちは、対称性の概念をたどることによって、物質粒子とメッセンジャー粒子が密接に絡み合う、ありうる最大の対称性を持つ「超対称性理論」を見つけ出した。
超ひも理論は、超対称性的枠組みの元祖にして最高の例である。
物理法則が、時々刻々、または場所によって変化するならば、物理学にとってそんな宇宙は悪夢だ。
物理学者は(それに大抵の人は)宇宙の安定性に頼っている。(たとえ法則をすべて見極められなくても)
このあらゆる時点と空間内の場所で同等に(対称的に)同じ自然の基本法則が作用することが保証されることを、「自然の対称性」と呼ぶ。
特殊相対性理論の相対性原理、一般相対性理論の等価原理、回転対称性(物理法則はあらゆる可能な方向を平等に扱う)などがあげられる。
(第五章で論じたもろもろのゲージ対称性は、たしかに自然の対称性だが、もっと抽象的なものだ)
他にもあるのだろうか?
点状の対象が回転するというのは意味をなさないように見える。
1925年ユーレンベックとハウトスミットは、電子が非常に特殊なある磁気的性質をもつと考えれば、原子が放出・吸収する光の性質にかかわる大量の不可思議なデータが説明できることに気付いた。
その磁気的性質を生み出す運動が回転運動、つまりスピン(自転)だ。
この場合のスピンには、実験的に立証された量子的ひねりが注入されている。
つまり、電子のスピンは一時的な運動状態ではなく、つねに一定不変の速さで回転する、という質量や電荷のような固有の性質であり、回転していない電子は電子ではない、ということだ。
その後スピンをめぐるこの考えが、物質粒子(対応する反物質粒子も)すべてにあてはまることが明らかになった。
物質粒子はすべて「スピン1/2(そのスピンに由来する電子の角運動量が、h/2ということ)」を備えている。
さらに重力以外の力(メッセンジャー)粒子(光子、弱いゲージ・ボソン、グルーオン)が「スピン1」を、グラビトンが「スピン2」を備えていることも明らかになった。
ひも理論では、スピンはひもがもつ振動パターンと結びついている。
普通の回転運動について、回転不変性という対称性原理が成り立つように、スピンと結びついたこの微妙な回転運動にも、別の対称性が自然法則にありうるのだろうか?
答えはイエスであり、それは「超対称性」と呼ばれる。
超対称性は、ちょうどスピンが「量子力学的なひねりを加えた回転運動に似ている」ように、「空間と時間を量子力学的に拡張したもの」のなかでの観測的な立場の変化と結び付けることができる。
宇宙が超対称的であれば、自然の粒子はスピンが半単位(1/2)だけちがう対をなすはずだ。そのような粒子対は「スーパーパートナー」と呼ばれる。
物質粒子と力粒子が対をなしているように見えるが、どの二つも互いのスーパーパートナーではありえなかった。
そして理論的分析によって、宇宙に超対称性が組み込まれているならば、既知のどの粒子にもスピンが半単位だけ小さい未発見のスーパーパートナーがあることがわかった。
(それぞれスピン0の、電子には超(対称)電子、ニュートリノには超ニュートリノ、クォークには超クォーク、それぞれスピン1/2の、光子にはフォチーノ、グルーオンにはグルーイノ、WボソンとZボソンにはウィーノとジーノだ)
超対称性の根拠として、まず、自然が、数学的にありうる対称性の殆どを尊重するが、全部は尊重しない、ということが審美的立場から信じがたい、といえる。
次に、ボソン(スピンが整数である粒子)とフェルミオン(スピンが奇数の半分~半整数~である粒子)がおこなう量子力学的寄与に打ち消しあう傾向があるため、超対称性が成り立てば、ボソンとフェルミオンは対をなして生じるので、はじめから相当な打ち消しあいが起き、量子効果の狂乱の一部がかなり静まり、超対称的標準モデルは、もはや通常の標準モデルのあまりにも絶妙な数値調整に頼らなくてすむ、ということだ。
そして、大統一の概念であるが、これは自然の四つの力の、それぞれの固有の強さが大きくちがうという特徴に、そのうちの三つの力の深い関連を証明することによって、統一する、というものである。
電磁力と弱い力は、宇宙の温度が絶対温度でおよそ1000兆度(10の15乗K)まで下がった時に、もっと対称的な統一体から析出してくる。
強い力との統一はその10兆倍の温度(絶対温度でおよそ10の28乗K)で現れる、と明らかになった。
同じ頃おこなわれた研究によって、大統一理論の枠組みのなかで重力以外の力が統一される可能性がいっそう明白になった。
反対の電荷を帯びた二つの粒子の間に働く引力や、質量を持つ二つの物体の間に働く重力の引力は、物体間の距離が減少するとともに強まる。
電子の電気力の場を調べる時、実は電子を取り巻く空間領域全体で起こっている瞬間的な粒子-反粒子の出現と消滅の「霧」を通してそれを調べているのであるが、電子に近づくにつれ、間にある「霧」の量は少なくなることになり、霧の影響が弱まり、つまり電子に近づくにつれ、電磁力の強さは増す。
これを電磁力が強まる古典物理学的現象と区別して固有の力が増す、という。
量子的な霧は強い力と弱い力の強さを増幅する。したがって近づくにつれ霧による増幅効果が減り、固有の力は弱まる。
この認識から、量子論的狂乱のこうした効果を勘定に入れれば、正味の結果として、重力以外の三つの力の強さはすべて一つになる。
現在の技術で実現できるスケールでは、この三つの力の強さはかけ離れているが、実はこの違いはミクロの量子的作用の霧がそれぞれに及ぼす影響の違いからきている、というのだ。
その後もっと精密な実験結果を利用して、三つの力は小さな距離スケール(つまり高エネルギー/高密度で)殆ど一致するが、ぴったり一致するわけではない、とわかった。この小さいが否定できない食い違いは、超対称性を組み込めば消え去る。それは超対称性が成り立つ為に必要な新しいスーパーパートナー粒子が新たに量子的ゆらぎをもたらし、これらのゆらぎが力の強さを収束させるのにちょうどいいからだ。
1960年代終わりにヴェネツィアーノの仕事から出てきたもともとのひも理論には、対称性は組み込まれていたが、超対称性は(まだ発見されていず)組み込まれていなかった。この最初の理論は「ボソンひも理論」と呼ばれていた。
ここから二つの問題が出てくる。フェルミオン・パターンを組み込まなければならないことと、ボソンひも理論には質量がマイナスである振動パターン(タキオン粒子)が一つあるとわかったことだ。
1971年のラモンの研究と、その後シュワーツとネヴーが出した結果を通じて、新しいひも理論が現れはじめた。この新たな理論のボソン振動パターンとフェルミオン振動パターンは対をなした。
1977年にはグリオッティ、シェルク、オリヴが、この対つくりに洞察の光を当て、またボソンひも理論の厄介なタキオン振動が問題にならないことを証明した。「超対称性ひも理論~超ひも理論」が生まれたのだ。
1985年には、物理学者は既にひも理論の構造の中心的要素になっていた超対称性をひも理論に組み込むやり方が実は一通りではなく、五通りあることに気付いていた。出てくる理論は、対(ボソン/フェルミオン)のつくり方の細部の点でも、他の数多くの特性の点でも相当違っている。
これら五つの超対称性ひも理論は、「Ⅰ型理論」「ⅡA型理論」「ⅡB型理論」「ヘテロO(32)理論」「ヘテロE8×E8理論」と呼ばれる。
お気づきかも知れないが、自然の諸力のうち量子論で仲間外れになっているのは重力だ。
ここで重力のおかげで、あらゆる観測者が(運動状態にかかわらず)完全に対等だと断言できることを思い起こそう。この意味で重力は対称性を成立させる。
こうした対称性原理を大雑把につかむために例を考えてみよう。
一つ一つのクォークは、三つの「色」(標識として赤、緑、青、で呼ばれる)のどれかを帯びている。
そしてクォークが電磁力にどう反応するかがその電荷で決まるのとだいたい同じように、強い力にどう反応するかは、その色で決まる。
これまでに集められたデータから、クォーク間に対称性があり、色の同じ二つのクォークの間に働く相互作用はすべて同じであり、同様に色の違う二つのクォークの間に働く相互作用もまったく同じである、ことが証明されている。
このクォークが帯びうる三つの色が、特定の仕方でおきかえられても、また例えこのおきかえの細部が時々刻々、また場所によって変わっても、クォーク間の相互作用は変わらない。宇宙は強い力の対称性をもっているのである。
強い力の対称性はゲージ対称性の例だとも言われる。
一般相対性理論の対称性に重力が必要なように、ゲージ対称性が成り立つには別の力の存在が必要であるが、力の場のなかには、力荷の変化の効果を完璧に打ち消して、粒子間の物理的相互作用を完全に不変に保つものが何種類かあり、移行するクォークの色荷と結びついたゲージ対称性の場合、必要な力は強い力そのものである。
このことから、重力と強い力は、特性が大きく違っているにもかかわらず、いずれも宇宙に特定の対称性が成り立つ為に必要とされる、似通った点があることがわかる。
さらに、弱い力と電磁力も、弱いゲージ対称性と電磁ゲージ対称性に結びついている。
したがって四つの力はすべて対称性の原理にじかに結びついている、といえる。
空間的な焦点を絞っていけば、不確定性原理につきものの量子的ゆらぎをこうむり、大きな変動が現れる。
重力場は空間の湾曲に反映されるので、空間のゆがみは激しくなり、泡立ち、荒れ狂って、ねじれた形をとる。
このように超ミクロのスケールで空間(および時間)を調べることであらわになる混乱状態を指して「量子的泡」と言う。
この言葉は、左右前後上下という概念が(さらに過去未来さえ)意味を失う、なじみのない宇宙の領域を指している。
私たちは、このような短い距離スケールで一般相対性理論と量子力学との根本的な矛盾にあう。
具体的には、一般相対性理論の方程式と量子力学の方程式を合体させて計算すると、いつも無限大というばかげた答えが出てしまうのだ。
量子的泡といった破壊的な現象が目に付くようになる距離スケールとは、プランク定数(量子効果の強さを規定するもの)の小ささと、重力の本質的な弱さとがあいまって、プランク長さ(√hG/c3=1.616×10-33センチメートル~G=ニュートンの重力定数)と呼ばれる想像を絶するような小さいものになる。
原子を知られている宇宙のサイズまで拡大したとして、プランク長さはやっと平均的な木の高さまで伸びる、というくらいだ。
こうした深遠な領域でのみあらわになる矛盾を、認めはしても気にしない物理学者もいれば、最も深い最も基本的なレベルで理解すれば、宇宙は調和しあって統一されている一つの理論で記述できるという見方をして、それを捜し求める物理学者もいる。そうした試みは失敗に継ぐ失敗であった。
超ひも理論が発見されるまでは。
(注として、他にツイスター理論、新変数法というアプローチもあることが紹介されている)
第六章
1968年ヴェネツィアーノは、オイラーのベータ関数を使えば、強い力が備える特徴の多くが数学的な形で効果的に要約されることに気付いた。
これはうまく働くが説明を要する公式であった。
1970年南部、ニールセン、サスキンドの三人は、小さな振動する一次元のひもを素粒子のモデルとすれば、核相互作用をオイラーの関数でぴったり記述できることを示した。
しかし1970年代はじめの高エネルギー実験で、ひもモデルから引き出される予測のいくつかが、観測と真っ向から衝突するとわかり、ひも理論はお払い箱になってしまった。
1974年シュワーツとシェルクは、ひもの振動のパターンを研究した末に、グラビトンを発見し、このことにもとづいて、ひも理論が当初失敗したのは、ひも理論が強い力だけの理論ではなく重力をも含む量子理論であることに気付かなかったからだ、と主張した。
そして1984年マイケル・グリーンとシュワーツは、ひも理論が抱える量子力学との微妙な矛盾を解決し、四つの力すべてとともに物質すべてを含むだけの広さがある理論を発表した。
これを受けて世界中で三年間の間に、ひも理論についての1000編を超える論文が書かれ、この1984年から'86年までの時期は「第一次長ひも理論革命」と呼ばれた。
にもかかわらずひも理論はまたしても、方程式そのものを確定するのがあまりにもむずかしいことから、近似的な式にたいする近似的な解しか得られないという壁にぶつかる。
しかしやがて、1995年ウィッテンが「第二次超ひも理論革命」に火を付けることになる。
ひも理論によると、宇宙の基本構成要素は点粒子ではなく、振動する小さな一次元の糸状のものだ。
典型的なひもの長さはプランク長さほど、およそ原子核の10の20乗分の1だ。
ひもが点粒子でないことを直接的に明らかにするには、現在の加速器の1000兆倍ほどのエネルギーで物質を衝突させる加速器が必要になる。
現在、理論的研究でひもにさらに基礎構造があるかもしれないという兆候が現れているものの、ここでは議論のために、ひもを自然の基本構成要素と見なすことにする。
標準モデルはその構造の細部を説明できない。様々な可能性を受け入れることができる為、柔軟すぎて素粒子の特性を説明することができないのだ。
ひも理論は根本的に違う。一意的で柔軟性のない理論構造だ。
測定の基準尺度を定める一個の数字を除いて、何の入力も必要としない。
ミクロの世界の特性はすべて、ひも理論の説明力の範囲におさまる。
ひも理論によれば、素粒子の特性(その質量と様々な力荷)は、その内部のひもが正確にどんな振動パターンをとるかで決まる。
激しい振動パターンほどエネルギーは大きく、穏やかなほど小さい。
私たちが特殊相対性理論から知っている通り、エネルギーと質量はコインの表裏の関係にある。
したがって素粒子の質量は、その内部のひもの振動パターンのエネルギーで決まる。重い粒子ほど内部のひもは大きなエネルギーで振動し、軽い粒子ほど小さなエネルギーで振動している。
粒子の重力特性は粒子の質量で決まるから、ひもの振動パターンと重力にたいする粒子の反応の間にも直接の関連がある。
同様のことがその他のすべての素粒子についても言える。
つまり異なる素粒子と見えるのは実は、基本的なひもが奏でる「音」なのだ。
膨大な数の振動するひもからなる宇宙は、交響楽に似ている。
ひもの張力はどのようにして決まるのか?
基本的なひもはあまりに小さいので、間接的な方法が求められる。
1974年シェルクとシュワーツがひもの振動パターンの一つをグラビトン粒子であると唱えた時には、そのような間接的アプローチが用いられ、それによってひも理論のひもの張力を予測することができた。計算からグラビトンの振動パターンが伝える力の強さは、ひもの張力に反比例することが明らかになった。
グラビトンは重力(本質的にかなり弱い力)を伝えるとされているので、ひもの張力は10の39乗トン、いわゆるプランク張力ということになる。
エネルギーは二つの要因(ひもがどのように振動するか~大きいエネルギーに対応する激しいパターン~、ひもの張力~大きいエネルギーに対応する大きい張力~)で決まる。
ひもの振動パターンに含まれるエネルギーは最小額面エネルギーの整数倍だ。
最小額面エネルギーはひもの張力に(その振動パターンに含まれる山と谷の数にも)比例し、エネルギーがその何倍かであるかは振動パターンの振幅で決まる。
ひもの張力は莫大だから、基本的な最小エネルギーは素粒子物理学の普通の尺度ではやはり大きい。プランクエネルギーの整数倍だ。
プランクエネルギーは質量に変換すれば、陽子の10の19乗倍程度になる。
この素粒子の基準ではとてつもなく大きい質量はプランク質量と呼ばれ、およそ一粒の塵の質量に等しい。
ひも理論の振動するひもの典型的なエネルギーをそれと等価な質量で表せば、一般にプランク質量の整数倍だ。
この典型的なエネルギースケールをプランクスケールと言う。
でははるかに軽い粒子(電子、クォークなど)はどう説明できるのだろう?
不確定性原理によれば、あらゆる物体は量子的なじたばた運動うぃ起こしている。
ひもの量子的なじたばた運動がマイナスのエネルギーの値をとるとき、打ち消しあいが起こり、振動の純エネルギーは、ちょうど物質粒子と力の粒子の質量の付近の値をとる、という。ただしこれは例外的なものである。
ひもがとりうる振動パターンの数は無限だ。では素粒子の数も無限なのか?
答えはイエスである。しかし本質的なのは、ひもの張力が大きい為、(打ち消しあい生まれる)少数のものを除いて、きわめて重い粒子に対応する、ということだ。
この重さはプランク質量の何倍にもなるので、現代の加速器では探すことは出来ない。
しかし宇宙の誕生にともなう莫大なエネルギーによって生まれた粒子が見つかったら(そしてそれはありうる)、それは控えめに言っても記念碑的発見だ。
一般相対性理論の中心的命題(時空がなめらかに湾曲する幾何学的構造を構成すること)と、量子力学の本質的特徴(時空の織物を含め、宇宙にあるものすべては量子的ゆらぎをこうむっており、距離スケールが小さいほどゆらぎはますます激しくなること)の衝突を、ひも理論は解決しうるのか?
大雑把に言うと、
私たちが見られる物体を見ることが出来るのは、物体から跳ね返る光子が運ぶ情報を目が集め脳が解読するからである。
ここで物体(例として桃の種)の構造(大きさ、形、特徴)を知る為に、二台の発射器にビー玉とそれよりはるかに小さい5ミリ弾を詰めて、それぞれを競争させると想像しよう。
結果は明らかであるが、ここから探査粒子が役立つ為には調べようとする物理的特長よりあまり大きくてはいけないことがわかる。
原子より小さいスケールでは、量子的波長が探査粒子の位置の不確かさの幅を示しその感度の尺度となる。
不確定性原理を反映して、点粒子を探査体として用いた時の誤差の範囲は、探査粒子の量子的波長におおよそ等しいのだ。
粒子の量子的波長はその運動量(つまりエネルギーにも)反比例する。だから点粒子のエネルギーを増すことで量子的波長を短くし、どこまでも細かい物理的構造を探ることができる。
この点で点粒子とひもの違いは明白になる。
ひもは本質的な空間的広がりをもっているので、その大きさ(プランク長さ)より相当小さいものの構造を探ることができない。
ひものエネルギーを高め続けても、プランク長さのスケールで構造を探るのに必要な値を超えるところまでエネルギーが増せば、それ以上エネルギーを増しても、ひもによる探査の精度は高まらないのだ。
むしろエネルギーを増すとひもは大きくなり、感度は低下する。
ここから、プランク長さ以下のスケールで起こる、一般相対性理論と量子力学の衝突についてひも理論では、宇宙の基本構成要素でプランク長さより小さい距離を探ることができなければ、基本構成要素も、それでできたどんなものも、超微小スケールで起こる破滅的な量子変動に影響されない。したがってひも理論によれば量子的変動は現実には起こっていないのだ。
この議論には不満が残るかも知れない。しかしこう考えることもできる。
問題の空間のゆらぎが、点粒子の枠組みから生じたということだ。
致命的な空間のゆらぎ私たちの理論に現れたように見えたのは、私たちがどれだけ微細に宇宙を探れるかには限度があることに気付かず、点粒子アプローチにしたがって物理的実在の限界を越えてしまったからだと。
衝突の解決についてもう少し厳密に答えよう。
まず、点粒子が実在するとしたら、どのように相互作用をおこなうか考えよう。
例えば電子と陽電子が衝突し、光子が生まれ、少し進んでからまたその光子が新たな電子と陽電子の対を生み出すとき、最初の電子と陽電子が消滅し、光子を生み出す時点と場所は明確で、完全に特定できる。
ところがこれが一次元のひもだとしたら、ひもは広がりのある物体である為、第二章で述べた相対性理論と同じように、二つのひもがはじめて相互作用する明確な位置や時点などないことになる。それは観測者の運動状態に依存するのだ。
点粒子は相互作用を明確な一点に詰め込んでしまう。
相互作用にかかわる力が重力である時、力の効き目が完全に一点に詰め込まれることにより、無限大といった惨憺たる結果が引き起こされる。
ひもは相互作用の起こる場所を「ぼやかす」。
このぼやかしの結果、超ミクロの空間のじたばたは穏やかになるのだ。
第七章
理論を組み立てている間は、発展状態が不完全なのでなので理論から導き出される詳しい実験結果を評価することができない。にもかかわらず物理学者は、未完成の理論をどちらの研究方向に持っていくか判断を下さなければならい。
こうした決断のなかに、美的感覚を指針とするものがあるのは確かだ。
勿論この戦略が真理に繋がるという保証は無いが、ここ数十年の間に物理学者たちは、対称性の概念をたどることによって、物質粒子とメッセンジャー粒子が密接に絡み合う、ありうる最大の対称性を持つ「超対称性理論」を見つけ出した。
超ひも理論は、超対称性的枠組みの元祖にして最高の例である。
物理法則が、時々刻々、または場所によって変化するならば、物理学にとってそんな宇宙は悪夢だ。
物理学者は(それに大抵の人は)宇宙の安定性に頼っている。(たとえ法則をすべて見極められなくても)
このあらゆる時点と空間内の場所で同等に(対称的に)同じ自然の基本法則が作用することが保証されることを、「自然の対称性」と呼ぶ。
特殊相対性理論の相対性原理、一般相対性理論の等価原理、回転対称性(物理法則はあらゆる可能な方向を平等に扱う)などがあげられる。
(第五章で論じたもろもろのゲージ対称性は、たしかに自然の対称性だが、もっと抽象的なものだ)
他にもあるのだろうか?
点状の対象が回転するというのは意味をなさないように見える。
1925年ユーレンベックとハウトスミットは、電子が非常に特殊なある磁気的性質をもつと考えれば、原子が放出・吸収する光の性質にかかわる大量の不可思議なデータが説明できることに気付いた。
その磁気的性質を生み出す運動が回転運動、つまりスピン(自転)だ。
この場合のスピンには、実験的に立証された量子的ひねりが注入されている。
つまり、電子のスピンは一時的な運動状態ではなく、つねに一定不変の速さで回転する、という質量や電荷のような固有の性質であり、回転していない電子は電子ではない、ということだ。
その後スピンをめぐるこの考えが、物質粒子(対応する反物質粒子も)すべてにあてはまることが明らかになった。
物質粒子はすべて「スピン1/2(そのスピンに由来する電子の角運動量が、h/2ということ)」を備えている。
さらに重力以外の力(メッセンジャー)粒子(光子、弱いゲージ・ボソン、グルーオン)が「スピン1」を、グラビトンが「スピン2」を備えていることも明らかになった。
ひも理論では、スピンはひもがもつ振動パターンと結びついている。
普通の回転運動について、回転不変性という対称性原理が成り立つように、スピンと結びついたこの微妙な回転運動にも、別の対称性が自然法則にありうるのだろうか?
答えはイエスであり、それは「超対称性」と呼ばれる。
超対称性は、ちょうどスピンが「量子力学的なひねりを加えた回転運動に似ている」ように、「空間と時間を量子力学的に拡張したもの」のなかでの観測的な立場の変化と結び付けることができる。
宇宙が超対称的であれば、自然の粒子はスピンが半単位(1/2)だけちがう対をなすはずだ。そのような粒子対は「スーパーパートナー」と呼ばれる。
物質粒子と力粒子が対をなしているように見えるが、どの二つも互いのスーパーパートナーではありえなかった。
そして理論的分析によって、宇宙に超対称性が組み込まれているならば、既知のどの粒子にもスピンが半単位だけ小さい未発見のスーパーパートナーがあることがわかった。
(それぞれスピン0の、電子には超(対称)電子、ニュートリノには超ニュートリノ、クォークには超クォーク、それぞれスピン1/2の、光子にはフォチーノ、グルーオンにはグルーイノ、WボソンとZボソンにはウィーノとジーノだ)
超対称性の根拠として、まず、自然が、数学的にありうる対称性の殆どを尊重するが、全部は尊重しない、ということが審美的立場から信じがたい、といえる。
次に、ボソン(スピンが整数である粒子)とフェルミオン(スピンが奇数の半分~半整数~である粒子)がおこなう量子力学的寄与に打ち消しあう傾向があるため、超対称性が成り立てば、ボソンとフェルミオンは対をなして生じるので、はじめから相当な打ち消しあいが起き、量子効果の狂乱の一部がかなり静まり、超対称的標準モデルは、もはや通常の標準モデルのあまりにも絶妙な数値調整に頼らなくてすむ、ということだ。
そして、大統一の概念であるが、これは自然の四つの力の、それぞれの固有の強さが大きくちがうという特徴に、そのうちの三つの力の深い関連を証明することによって、統一する、というものである。
電磁力と弱い力は、宇宙の温度が絶対温度でおよそ1000兆度(10の15乗K)まで下がった時に、もっと対称的な統一体から析出してくる。
強い力との統一はその10兆倍の温度(絶対温度でおよそ10の28乗K)で現れる、と明らかになった。
同じ頃おこなわれた研究によって、大統一理論の枠組みのなかで重力以外の力が統一される可能性がいっそう明白になった。
反対の電荷を帯びた二つの粒子の間に働く引力や、質量を持つ二つの物体の間に働く重力の引力は、物体間の距離が減少するとともに強まる。
電子の電気力の場を調べる時、実は電子を取り巻く空間領域全体で起こっている瞬間的な粒子-反粒子の出現と消滅の「霧」を通してそれを調べているのであるが、電子に近づくにつれ、間にある「霧」の量は少なくなることになり、霧の影響が弱まり、つまり電子に近づくにつれ、電磁力の強さは増す。
これを電磁力が強まる古典物理学的現象と区別して固有の力が増す、という。
量子的な霧は強い力と弱い力の強さを増幅する。したがって近づくにつれ霧による増幅効果が減り、固有の力は弱まる。
この認識から、量子論的狂乱のこうした効果を勘定に入れれば、正味の結果として、重力以外の三つの力の強さはすべて一つになる。
現在の技術で実現できるスケールでは、この三つの力の強さはかけ離れているが、実はこの違いはミクロの量子的作用の霧がそれぞれに及ぼす影響の違いからきている、というのだ。
その後もっと精密な実験結果を利用して、三つの力は小さな距離スケール(つまり高エネルギー/高密度で)殆ど一致するが、ぴったり一致するわけではない、とわかった。この小さいが否定できない食い違いは、超対称性を組み込めば消え去る。それは超対称性が成り立つ為に必要な新しいスーパーパートナー粒子が新たに量子的ゆらぎをもたらし、これらのゆらぎが力の強さを収束させるのにちょうどいいからだ。
1960年代終わりにヴェネツィアーノの仕事から出てきたもともとのひも理論には、対称性は組み込まれていたが、超対称性は(まだ発見されていず)組み込まれていなかった。この最初の理論は「ボソンひも理論」と呼ばれていた。
ここから二つの問題が出てくる。フェルミオン・パターンを組み込まなければならないことと、ボソンひも理論には質量がマイナスである振動パターン(タキオン粒子)が一つあるとわかったことだ。
1971年のラモンの研究と、その後シュワーツとネヴーが出した結果を通じて、新しいひも理論が現れはじめた。この新たな理論のボソン振動パターンとフェルミオン振動パターンは対をなした。
1977年にはグリオッティ、シェルク、オリヴが、この対つくりに洞察の光を当て、またボソンひも理論の厄介なタキオン振動が問題にならないことを証明した。「超対称性ひも理論~超ひも理論」が生まれたのだ。
1985年には、物理学者は既にひも理論の構造の中心的要素になっていた超対称性をひも理論に組み込むやり方が実は一通りではなく、五通りあることに気付いていた。出てくる理論は、対(ボソン/フェルミオン)のつくり方の細部の点でも、他の数多くの特性の点でも相当違っている。
これら五つの超対称性ひも理論は、「Ⅰ型理論」「ⅡA型理論」「ⅡB型理論」「ヘテロO(32)理論」「ヘテロE8×E8理論」と呼ばれる。