くまのお気楽日記

好きな漫画や映画の話を主にその日あった事や感じた事等をお気楽に書いていきたいと思います。宜しくお願いします。

「エレガントな宇宙3」

2007-07-09 07:07:03 | 本好き
第八章
1919年カルーザは、「宇宙の空間次元は三っつではなくもっと多いかもしれない」と唱えた。
このことを見て取る為に、例えば長細いホースのようなものを想像しよう。
谷をまたいで張られたホースを遠くから見ると、ホースの表面から離れられない蟻が歩く次元はホースの長さの方向に沿った左右の次元一つしかない。
肝心なのは遠く離れた視点から見ると、長いホースが一次元の物体に見えるということだ。
現実にはホースには太さがあり、ズームアップして見れば、ホースの表面に住んでいる蟻が二つの次元(ホースの長さに沿った左右の次元と、環状にホースを巡る「時計回り-反時計回り」の次元)に沿って歩けることがわかる。
この例から、空間次元には大きく拡がっておりすぐ目に付くものと、小さく巻き上げられていてずっと認めにくいものがある、とわかる。
環状の次元は新たな次元であり、どの点にも上下、左右、前後の次元それぞれが存在するように、拡がった次元のどの点にも存在する、新たな独立した次元だ。
しかし「小さい」とはどのくらい「小さい」のか?
1926年クラインは、カルーザの最初の示唆と、量子力学の分野から借りた概念を組み合わせ、環状の次元の大きさはプランク長さほどでしかない、と計算した。
それ以来、小さな空間のなかに新たな次元がある可能性を「カルーザ-クライン理論」と呼ぶ。

一般相対性理論と量子力学との深刻な矛盾の徴候として、計算から無限大の確率が出るということがあった。これはひも理論によって正される。
しかし、ひも理論の初期に物理学者は、やはり許容範囲からはずれるマイナスの確率をもたらす計算がいくつかあるのを見いだす。
そして、この許容できない特徴の原因として、ひもが振動しうる独立した方向の数が次元の数によって制限され、そのことに例の厄介な計算が大きく影響されることが見いだされた。計算によれば、ひもが九つの独立した空間次元で振動しうるとすれば、マイナスの確率は打ち消される。
ひもはとても小さいので、大きな拡がった次元だけでなく、小さい巻き上げられた次元でも振動しうる。
ひも理論が意味をなすには、宇宙に空間次元が九つ(おなじみの三つの拡がった空間次元に加えて、巻き上げられた六つの空間次元)、時間次元が一つ、合計10個の次元がなければならない。
(余談ですがここで、巻き上げられた次元が時間次元である可能性を探る研究について紹介されています。結論はまだ出ていませんが、例えば円のように巻き上げられた空間次元を歩き回る小さな蟻が、完全な巡回路を巡り同じ位置に何度も繰り返し戻ってくるように、巻き上げられた次元が時間次元なら、ある時間が経過した後で以前の時点に戻るということである)

新たな次元の大きさと幾何学的な形が、ひもの共振振動パターンを決めるのに決定的な役割を演じる。理論から出る方程式によってこうした次元がとりうる形は制約される。
1984年カンデラス、ホロウィッツ、ストロミンジャー、ウィッテンは一組の六次元幾何学図形がこうした条件を満たすことを証明した。
これらの図形は、エヴゲニオ・カラビとシントゥン・ヤウに敬意を表して「カラビ-ヤウ図形」と呼ばれる。
ひも理論から出てくる新たな次元の厳しい要件を満たすカラビ-ヤウ図形は何万と存在するが、数学的にありうる図形が無限であることから考えれば、たぐいまれなものだといえる。

第九章
現在の技術では、個々のひもを見るには銀河の大きさの加速器が要る。ひも理論を実験で検証するのなら、間接的にやるしかない。
ひも理論以前には、素粒子になぜ族があるのか、なぜ三つあるのかということは難問として残されていた。ひも理論が提示する答えはこうだ。
典型的なカラビ-ヤウ図形には、ドーナツ、あるいは多重ドーナツの真ん中にある穴に類似した穴がある。
高次元のカラビ-ヤウ図形という状況では、生じうる穴(それ自体さまざまな次元をもちうる穴~多次元の穴~)の種類は様々だが、こうした穴のそれぞれに、エネルギーが最低のひも振動の族が結びついている、とわかった。
おなじみの素粒子は最低エネルギーの振動パターンに対応するため、多重ドーナツの穴のように複数の穴が存在するということは、ひもの振動パターンが複数の族に分かれる。実験で観察される族の構成は、新たな次元を構成する幾何学図形にあいた穴の数を反映する!ということだ。
しかしあいにく、知られている何万というカラビ-ヤウ図形のそれぞれに含まれる穴の数は、広い範囲にわたる。
新たな次元の幾何学的な形がもたらす実験上の帰結は族の数ばかりでなく、カラビ-ヤウ図形の様々な多次元の穴の境界がどのように交差しあい重なりあうかによって、力の粒子と物質粒子の性質も決める。
何万というカラビ-ヤウ図形があると先に述べた時、既にお互いに滑らかに変形できる形どうしを一グループとし、一グループを一つと数えていたので、三つの族をもたらす図形だけに注目しても、その選択肢は無限にあることになり、また現在用いている近似的な方程式では、どのカラビ-ヤウ図形についてもそこから生じる物理を明らかにしつくせない。現在のところ、どれが新たな空間次元を構成するのかを、ひも理論の方程式から導き出すすべがないのである。

ではひも理論の予測のなかに、今もしくは見通せる未来に実験物理学者が確かめられそうなものはあるのか?
例えば、ひも理論と超対称性との関連から、スーパーパートナー粒子を見つけ出す、一定の幾何学的性質を備えた巻き上げられた次元から現れうる、ふうがわりな電荷を帯びた粒子を見つけ出す、ビックバンのエネルギーで生み出されたような巨視的なひも(そういうひもが宇宙の膨脹で天文学的規模まで大きくなっているかも知れない)を見つけ出す、などが挙げられる。
他にも、ひも理論が実験上に残すもっと現実的な痕跡の例を五つ挙げよう。
第一に、標準モデルによると質量の無いニュートリノ(1998年ニュートリノに質量があることが明らかになった)に、とても小さいがゼロではない質量があるとわかった場合、説得力のある説明を提示すること。
第二に、標準モデルでは禁じられているがひも理論では許されるかもしれない仮想上のプロセス(陽子の崩壊など)が観察されること。
第三に、カラビ-ヤウ図形のいくつかから生み出しうる新しい力の効果の発見。
第四に、宇宙全体がどっぷり漬かっていると思われる「暗黒物質」の正体の確認。(ひも理論は共振パターンのなかから暗黒物質の候補をいくつか示唆している)
第五に、ゼロでなければならない理由を説明できない「宇宙定数」の問題の解決、である。

第十章
150億年ほど前にビックバンが起き、今宇宙は膨脹している。
この膨脹がいつまでも続くか、収縮に転じる時が来るのかは、宇宙の平均物質密度が、一立方センチメートルあたり一グラムのおよそ10の29乗分の一(宇宙一立方メートルにつきおよそ水素原子五つ)という、いわゆる臨界密度を超えるか(収縮)下回るか(膨脹はいつまでも続く)に、かかっている。
今のところ、宇宙にある目に見える物質の平均的な密度は臨界値よりも相当低いが、宇宙に充満しているという証拠が挙がっている暗黒物質の正体が突き止められていないので、その将来は定かではない。
議論の為に収縮すると仮定して、一般相対性理論によるとビッククランチが起こることになるが、プランク長さくらいかもっと小さい距離スケールでは、量子力学のせいで一般相対性理論の方程式は無効になってしまう。

ここで重要な点を説明する為に、本質的でない細部を削ぎ落とした例として、空間次元が二つしかないホース宇宙に戻ることにする。
ひも理論では、物理的に到達できる距離スケールの下限を定めるため、宇宙はその空間次元のいずれでもプランク長さより小さいサイズにつぶれることはありえない。また点粒子と違って、ひもは広がりのある対象なので、空間の円形部分に巻きつくことができる。
巻かれていないひもと巻かれたひもの本質的な違いは、巻かれたひもの質量には最小限度があることだ。この最小質量は、円形の次元の大きさとひもが何回巻かれているか、そしてひもの質量がこの最小限をどの程度超えるかは、ひもの振動運動で決まる。
E=mc2を用いて、巻かれたひもに閉じ込められたエネルギーは、円形の次元の半径に比例するともいえる(巻かれていないひもにも、小さな最小限の長さがある~そうでないと点粒子の世界に戻ってしまう~が、同じ論法で巻かれていないひもにも最小質量があるとある意味言えるが、量子力学効果によってこの質量をちょうど打ち消すことができるので、巻かれていないひもは、グラビトンなど、質量がないかゼロに近い粒子を生み出せるのだ。巻かれたひもはこの点で違っている)

ひもの巻かれた配置の存在は、ひもが巻きつく次元の幾何学的性質にどう影響するのだろうか?
1984年吉川圭二と山崎真見が見いだした答えは、奇妙で瞠目すべきものだ。
ビッククランチの変種がホース宇宙に起こるとして、最後の段階を考えよう。
ひも理論によれば、円形の次元の半径がプランク長さよりも短い縮んでいくホース宇宙と、円形の次元の半径がプランク長さよりも長い拡がっていくホース宇宙では、物理プロセスはすべて完全に同一なのだ!
つまり円形の次元がプランク長さを通り越してもっと小さくつぶれようとしても、ひも理論が幾何学を一変させるせいでその試みは無駄に終わるということだ。(この展開を、環状次元はプランク長さまで縮んだ後で膨脹すると言いかえることができる)
これまで宇宙は完全に崩壊するように見えたが、今や跳ね返るのだと見なされる。

ひもが巻きつくということは、ホース宇宙のひものエネルギーの源に、振動と巻きつきエネルギーの二つあることを示す。またどちらもホースの幾何学(つまり環状要素の半径)に依存する。
ひもの振動には一様振動(ひもが形を変えずにある位置から別の位置へすべって移るときの運動)と通常振動(ひも自体が波を起こすような振える運動)の二種類ある。これは組み合わされるものだが、今の議論では切り離して考える。
不確定性原理からの帰結として、一様振動のエネルギーは環状次元の半径に反比例し、巻きつきエネルギーは半径に正比例する。
二つの結果から、どんなに大きな半径のホース宇宙にも、小さな半径の一つのホース宇宙が対応していて、エネルギーが等しくなるようになっているといえる。
(v=振動回数、w=巻き数 v/R+wR)
物理的性質はひもの配置の総エネルギーにのみ影響される(そしてその振動と巻きつきの配分には影響されない)ので、幾何学的に別個の形(太いホースと細いホース)であるこれらのホース宇宙の間には、何ら物理的区別はない。
そして通常振動の寄与は半径の大きさによらない為、二つの宇宙に同じ影響を及ぼす。二つの宇宙は区別しようがない。

これまでホース宇宙の話を論じてきたが、拡がった空間次元が三つ、そして(最も単純なものを考えて)環状次元が六つあるとしても、結論はまったく同じだ。
おなじみの拡がった三つの空間次元の先が、無限につづいているのか巨大な円を描いて曲がっているのかはわからない。
だから環の形をしていて、したがってRと1/Rが物理的に同一である見込みは大いにある。
宇宙の半径は150億光年と同じくらい(プランク長さの10の61乗倍~R=1061~)で、膨脹するにつれて伸びていく。
ひも理論が正しければ、これは通常の次元が環状で、その半径が恐ろしく小さく、プランク長さのおよそ1/R=1/1061=10-61倍である場合と物理的に同一だ!そしてますます小さくなっていく。
こんな微細な宇宙に身長180センチの人間がどうして「おさまる」だろう?
またひも理論は、プランク長さ以下を探ることを不可能にしてしまうはずだったのにどうなっているのか?

物理学で最も意味のある定義は、操作的な定義、つまり定義されるものを測るための手段を原理的に提供するものだ。
1988年ブランデンバーガーとヴァーファは、ある次元の空間的な形が環状であれば、ひもの距離には二つの操作的な定義があり、その二つは異なってはいるが関連している、と指摘した。
大雑把に言って、巻きついているひもと巻きついていないひもをそれぞれ探査体とし、探査体が一定の速さで進み、その速さがわかっていれば、それがある距離を進むのにどれだけかかるかを測ることでその距離を測ることができるという、単純な原理にもとづいている。
巻かれていないひもは自由に動き回り、環状次元の周囲の長さを探ることができ、この長さはRに比例する。
不確定性原理により巻かれていないひものエネルギーは1/Rに比例する。(探査体のエネルギーと探査体に感知できる距離の間には反比例関係がある)
一方、巻かれたひもの最小エネルギーはRに比例し、不確定性原理から、巻かれたひもは距離探査体として1/Rを感知する。
つまり、それぞれを用いて環状の空間の半径を測れば、巻かれていないひもではR、巻かれたひもでは1/Rという値が出る(これは対等である)、異なる探査体を用いて距離を測れば異なる答えが出てくることがありうる、ということだ。

私たちが日々の営みのなかで、二つの距離概念に出会ったためしがないのはなぜか?
それは、半径Rが(ということは1/Rも)プランク長さ(つまりR=1)と著しく違えば、対応する探査体の質量もたいへん違うことになり、一方がきわめて実現しにくく、一方がきわめて実現しやすくなるからだ。
この意味で、宇宙を普通考えるように大きくて膨脹していると考える(軽いひもモード)ことも、小さくて収縮していると考える(重いひもモード)こともできる。

「やさしいやり方」で距離を測りつづければ(軽いひもモード)、得られる結果はいつもプランク長さより大きくなる。
このことを見て取る為に、三つの拡がった次元が環状だとして、ビッククランチについて考えよう。
議論の都合上、巻かれていないひもモードは軽いもので、これを用いて測ると、宇宙の半径は莫大で、時が経つにつれ縮んでいる、としよう。
半径が縮むにつれ、巻かれていないひもモードは重くなり、巻きつきモードは軽くなる。半径がプランク長さまで縮むと(Rが1という値をとると)巻きつきモードと振動モードは質量が同じ程度になる。
半径が引き続き縮んでいくと、巻きつきモードは巻かれていないモードより軽くなる。私たちはいつも「やさしいやり方」を選択するから、こうなると距離を測るのに巻きつきモードが用いられるはずだ。
この測定方法では、巻かれていないモードで測った結果の逆数が出てくる。これは巻かれていないモードが一よりさらに小さくなる(縮む)一方で、巻きつきモードは一より大きくなる(伸びていく)からだ。
「やさしいやり方」を用いるようにすれば、出会う最小値はプランク長さだ。
プランク長さまで縮むとすぐに伸び始める。クランチは最後にははね返るのだ。

一般相対性理論と「通常」の幾何学では、半径Rの円は半径1/Rの円とまったく異なる。
ところがひも理論では、二つは物理的に区別できない。
ここから私たちは大胆に進んで、大きさだけでなく、形の点でも、異なっていながら、ひも理論では物理的に区別できない、そういう幾何学的な空間の形があるのか?と問う。
1988年ディクスンらは、ありうるかも知れないと述べた。
第九章でも論じたが、ここでいろいろな次元の穴の数は違うが、穴の総数は同じである二つのカラビ-ヤウ空間があると想像しよう。違う形をしているが、穴の総数は同じなので、どちらも族の数は同じだ。
これは一つの物理的性質にすぎない。あらゆる物理的性質が一致するというのははるかに厳しい要件だが、これでディクスンらの推測が本当でありうるかの要点は伝わる。

1988年著者とプレッサーが、特定のグループの点をうまくくっつけ合わせると、つくりだされたカラビ-ヤウ図形は、出発点とした図形と、吃驚するような仕方で違っていた。新たな図形にある奇数次元の穴の数は、もともとの偶数次元の穴の数に等しく、その逆も成り立っていたのだ。
つまり、形、基本的な幾何学的構造がまったく違うのに、穴の総数が同じということだ。
二つの異なるカラビ-ヤウ図形は、粒子の族の数以外の物理的特性も一致するのか?詳細な数学的分析に取り組んだ末、答えはイエスだと論じることができた。
そして、互いに物理的に等価でありながら幾何学的に別物であるカラビ-ヤウ図形を、「鏡映多様体」と呼ぶことにした。
何週間か後、リンカーとシムリクが、カラビ-ヤウ空間の大規模なサンプル群を調べて、ほぼすべてが、ちょうど奇数次元の穴の数と偶数次元の穴の数とが入れかわっている点で違っている対をなすことを見いだした。
著者らは二本の論文を通じて、ひも理論の鏡映対称性を発見したのである。(この用語は全く異なる文脈でも用いられる)

鏡映対称性によって、あるカラビ-ヤウ空間についてのむずかしい計算を、計算結果(物理)が同じになるその鏡映パートナーに言いかえることができるようになった。一見してもとの計算を言いかえたものは、同じようにむずかしいと考えられるかもしれないが、結果が同じでも、計算の詳細な形はたいへん違って、きわめてやさしい計算に変わる場合があることを発見した。
これにより、物理学のみならず数学との深い統一も形づくりそうである。

第十一章
宇宙を形づくる空間の織物が裂けることはありうるのか?
一般相対性理論によれば、それはありえない。
根底にある数学的形式を考えると、空間の基底がなめらかでなければ距離関係について何ら意味のあることを述べることができないからだ。
しかし量子力学を組み込んだ新たな物理の定式化においては、切れ目、引き裂きと融合の可能性を検討する妨げにはならない。
ワームホールの概念は、このような考察を利用するものだ。
ワームホールとは、宇宙の一領域から別の領域への近道となる新たな空間を創造し、新たな空間領域を切り拓くものだ。
(ここでブラックホールには本当に穴があり、どんなものもブラックホールの重力を逃れることはできないので、事象地平によって私たちは宇宙の「特異点」から保護されているのだ、という推論から、こうしたたぐいの空間的不規則性は事象地平のかげに隠されて私たちに見えない場合のみ生じうる、という「宇宙検閲仮説」が紹介されている)

1987年ヤウとティアンは、カラビ-ヤウ図形の表面に穴を開けてから精密な数学的パターンにしたがって縫い合わせることで、他の形に転換できる場合がいくつかあることを見出した。
大雑把に言って、ある種の二次元球面が、もとのカラビ-ヤウ空間のなかにおさまることを発見したのである。
彼らはこの球体を一点になるまで縮めていき、締め付けられた空間を少し引き裂き開いて、別の二次元球面を挟んでくっつけ、すると球面が膨脹してふっくらした形になる…ということを考えた。この一連の操作をプロップ(がらり)転移と呼ぶ。
そして、当初の図形が最終的な図形と位相的に別のものであることから、空間の織物を引き裂くことなく変形するすべがないことに気付いた。

環状次元には最小半径があることにもとづいて考えると、球面が一点にまで縮むことはありえないと言いたくなる。
しかし空間次元がまるごと崩壊する場合と違って、その一部が崩壊すれば(この場合ひもが巻かれた配置に「囚われる」ことはありえない。輪ゴムがボールからはずれるように、ひもが「ずり落ちる」ことがいつでもありうるからだ)、大きな半径と小さな半径を区別する議論は成り立たなくなる。

1991年リュトケンとアスピンウォールは、数学的に込み入ったプロップ転移には、はるかに単純な鏡映記述があるかもしれないと考え、プロップ転移の空間の引き裂きによって、鏡映記述のなかに破滅的な物理的帰結の徴候はないことに気付いた。
著者とプレッサーはこれをきっかけに、締め付けが数学的に二通りの仕方で修復できることを理解した。一つは当初の図形、もう一つは最終的な図形につながるもので、このことからこれらの図形の推移は、現実に起こりうると推測した。

空間の引き裂きが破局的な結果をもたらさないもう一つの微視的な理由は、点粒子理論と違って、裂け目のまわりを巡るひもが、それを取り巻く宇宙を破局的な結果から守るということだ。あたかもひもの世界面(ひもが空間を突っ切る時に描く二次元面)が空間織物の幾何学的な変質の破局的な側面を打ち消す保護バリアーとなっているかのようである。ひもが近くになかったら?また効果はあるのか?
ファインマンの量子力学の定式では、粒子であれひもであれ、物体はとりうる経路すべてを「嗅ぎ分けて」、ある位置から別の位置へ移動する。
量子力学はひもがとりうる経路をすべて勘定に入れており、そのなかには裂け目のまわりを巡り、宇宙を保護する道筋が多数(実は無限に)ある。
この空間を引き裂くプロセスを「位相変更転移」と呼ぶ。

カラビ-ヤウ成分の幾何学的な形が移り変わるのに応じて、質量は連続的に変化するが、引き裂きが実際に起こった時、質量の変化に破局的な飛躍も突出も、あるいはどんな異常な特徴も現れない。
おなじみの三つの空間次元にも、このような引き裂きは起きるのか?
答えはほぼ間違いなくイエスだ。何と言っても空間は空間であり、宇宙の向うで湾曲しているかも知れないのだから、どの次元が巻き上げられ拡がっているかなど、いくらか人為的なのだから。
今日明日にも、または過去に、このような引き裂きは起こる(起こった)のか?
イエス。ひもにもとづいていない理論さえ、ビックバンの後の最も早い時期、素粒子の質量が時とともに変化する時期があったと主張する。また現在粒子質量が安定した値で観測されるということは、現在宇宙に引き裂きが起こっているとしてもその進み方は遅すぎて、素粒子の質量への影響が感知できないほど小さいということだ。
驚くべきことに、この条件が満たされるかぎり、宇宙が空間の破裂のただなかにあることもありうるのだ。
観測できる現象がないことが興奮を引き起こすという、物理学では稀な例である。


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