誰しも、自分の過去を振り返る時に、なぜか一番印象深く残っている時期があると思います。あなたの場合は自分のどの時期でしょうか。私の場合は、高校1年生の時代です。
そんな思いを起こさせてくれた本がこの本でした。
著者の本は、たくさんある中で、それほど読んではいませんが、ひょっとして、著者にとっての印象的な過去はこの時代にあるのではないかと、私自身の過去を思い出しながら感じました。
私より少し若い著者ですが、教育環境はかなり異なっていると感じました。高校受験に際しての塾の存在など、田舎の私と埼玉という著者の違い以上に大きな差異を感じました。今の50代から60代の人でも塾の影響が大きく、その中学から高校にかけての時代に影響を与えていたのかと、少なからず大きな衝撃受けてのがこの本を読んでの一つの印象でした。
著者の影響を受けた先生が、塾の先生という点で、私とは根本的に違いますが、それは勉強するスタイルにも大きな差があることを実感しました。なるほど著者はこんな教育環境で学んだんだと、そして中学から高校にかけての一番感受性の高い時期の教育環境はその後の自らの生き方の中にも大きな影響を与えるものだと、私のその頃を思い出し比較しながら、改めて同じ年頃の自分を思い出すのでした。
私の場合は、基本的に授業を受けてその環境の中で、本を読んだりすることで、先生に教えられるというよりは自分で勉強するという環境でした。塾そのものがなかったに等しい状況でした。でも、本屋さんは今の時代と違って、確実に今より充実していたように思います。
高校生になって、本格的に勉強を始めるような意識を感じていた時代でした。高校からの帰りの駅前のビルの書籍売り場は、高校の参考書に関して、私の高校の生徒を対象にしているのではないかと思うほど充実した品揃えでした。
当時の有名な参考書が少し前から復刻版として発刊されたりして懐かしさを感じられた人も私の年代には多いのではないでしょうか。どんな本を使って勉強したのか少し思い出してみますと。
数学は、最も時間をかけた教科で好きなこともあって、少しの苦痛も感じませんでした。本当にいつまでも考えることができた科目でしたが、最初の使った数学Iでは『数学精義(岩切精二著 培風館):格調高い雰囲気の本で、安っぽい感じでないのが印象的で、わかりやすさというより、大学の先生が書いた本格的な参考書でこれを何回も繰り返した覚えがあります。他にはチャート式数学I(橋本純次著 数研出版)有名な参考書で多くの周りの友達も使っていました。赤と黒の二色刷りで、ページ構成もすっきりしていて、所々のページに「極意」とか「納得」とかが書いてあり、わかるのだけどなぜが安っぽさを感じていました。英語は「新自修英文典」(毛利可信著 研究社)を中学3年から使い始めていました。まず文法をということからでした。この本の練習問題は英作文がほとんどなので、英作文の練習にもなりました。「新々英文解釈」(山崎貞著 佐山栄太郎 補著 研究社)当時オリオン社の通信添削を英語・数学・国語をやっていて、その旬報の多くの合格体験記で紹介されていて使い始めました。これも先の英文法の本と同様、製本も上製本で格調が高く、本格的な勉強をしている気分にもなりました。
そういえば、最近はこんな製本も少なくなってきました。これも本屋さんが衰退して、出版事情の変化の一つの特徴かと思います。数学書に関しても同じような傾向が伺えます。
私の場合、先生に影響を受けたというより、周りのクラスメイトからの影響が強く、勉強に関しても一緒に頑張れるという感じでした。クラスには、とても勉強ができて、本当に尊敬できる女の子がいて、いつしか一緒に帰ることもありました。時々、数学ではテストで勝つこともありましたが、英語はいくら頑張ってもいつも少し上をいかれて、それでもその子がいて、自分も頑張れたと思います。そんな子は今思い出しても、自分にとって忘れがたい一人の子です。時々、今どうしてるかなと思い出すこともあります。できることなら、もう一度その時代に戻りたい気持ちです。
そんな時代もあったのかと、歌のフレーズもでてきそうですが、忘れがたい青春の一コマ、あの時、その時代は確実に誰しももっています。それをどう今思うかはその時の心情で変わってくるのは、同じ写真を見ても印象が違うのとよく似ています。