ウクライナとロシアの戦争ともいうべき状況がもう2ヶ月続いています。ロシアの動向は見聞きするたびに、第2次大戦の日本(満州の関東軍)と中国との衝突を思い起こします。当時の日本が今のロシアとダブってしまうのは私だけでしょうか。
戦争当事者はどちらも侵略とは自らの行動を呼びません。そして平和を目的とした行動と言います。時代が変わってもそのことは変わらないと今回の紛争を見て再確認しています。平時には威勢の良い事を行っていた政治家も急に口をつぐんでしまったり、プーチンと親密な関係を誇示していた政治家もそのプーチンにもないも言えない現状を見るにつけて、その政治家としての資質だけでなく、人としての度量や矜持の小ささを再確認しました。
では何故、戦争を始める決断をするのか。そんな疑問に答えてくれると感じた本に
があります。国力や経済力の視点から当時の日本と英米の客観的な比較研究から導かれた結論としての開戦としての太平洋戦争についての新進気鋭の経済学者の論考です。初めは経済という視点からというあまりはっきりしない印象で躊躇していたのですが、読み始めると需要なことは重複を厭わず書かれていることで、内容が記憶に残ることで、よく理解できることになりました。特に、「正確な情報」がなぜ「無謀な戦争」につながったのかがようやく合点がいく内容です。それと当時の日本の世相を私の今も存命の父親の戦争体験の実話と比べても合点が行く、そんな思いを強くした本です。
背景には、実際の人間は非合理的に見える行動をとることがよくあり、その例として次のようなことが挙げられています。
a.確実に3000円支払わなければならない。
b.8割の確率で4000円支払わなければならないが、2割の確率で1円も支払わなくても良い。
bの損失は期待値はマイナス3200円(マイナス4000円✖️0.8+0円✖️0.2)で、aよりも損失の期待値は大きくなる。したがって人間が「合理的」であれば、より損失の少ないaを必ず選ぶはずであるが、実験をしてみると実際には確実に損失が出るaよりも高い確率でより多くの損失になるが低い確率で損失を免れることもあるbを選ぶ人が多いことがわかっている(ある実験では92%がbを選択した)。
太平洋戦争の開戦判断として、
a 開戦しない 想定される結果として2−3年後に確実に国力を失い、戦わずして屈服。
b 開戦する 想定され得る結果として、非常に高い確率で致命的な敗北。非常に低い確率で、イギリスの屈服によるアメリカの交戦意欲喪失、有利な講和。
が当時考えられていた。結局のところ集団意思決定によりリスキーシフトも相まって、日本の指導者たちは3年後の敗北よりも、国際情勢次第で結末が変化し、場合によっては日本に有利に働くかもしれない開戦の方が「まだまし」と思えたのでした。
こんな場合にこそ、冷静な判断がなされるべきなのに、危機に際してはそうではないことはよく起こることは、日常でも仕事上でも経験することであり、そんな視点から日本の指導者たちの日頃の言動や危機に際しての考え方に注視していきたい。
教育の世界でも、意思決定に関して、上記のような例を挙げることはできそうであり、それが意外と大事な時の決定に際して行われて来たことも思い出せるのではないか。戦争と学問、戦争と科学技術という視点から今一度考えてみることの必要性を感じます。