月下の道標
光と闇が映し出す心象的夜の風景と日常的自然風景






自宅・大垣を出発し養老・関ヶ原・垂井を走るのが定番になっているこの頃。
6時半に出発しましたが
GWとあってロードバイクからママチャリまでチャリチャリ多かったです。
垂井・関ヶ原を西へ向かうロードバイカーは琵琶湖へ向かうためか足早に私の横を追い抜き
ポタリング組は自由に走り
危険予測で少々疲れました。



養老駅駅舎鬼瓦の吹流し。「火事除け」を願う水を連想するデザインですが、
よくみるとYの文字がありました。養老の頭文字「Y」を入れたのでしょうか。
名水百選の地・養老を誇らしげに表しているようでした。



朝ごはんの柿の葉鯖寿司とコーヒー。もはや定番。



今日もチャリチャリのどかな田園を抜けて南宮大社へ向かいます。
黄砂も今日は少なく伊吹山がスッキリ見えます。




今まで気づかなかったのですが南宮大社社殿近くにサイクルラックがありました。(見えないけど写真奥にあります。諸事情により撮れませんでした)
自立式スタンドが付いていないロードバイクにはありがたい。
美濃国一宮だけあって旅の無事を願う自転車乗りも多いのでしょう。
交通の要衝としてありし日の光景が目に浮かびます。



南宮大社前に設置されていた道標。
右 いせ やうろう(伊勢 養老)
右 たるい




朝倉山までの丁石。
登るので必死なので撮っていませんが道中もう一本見かけています 笑





天保と記されています。
旅が流行した江戸時代、界隈はさぞ賑わっていたのでしょう。






関ヶ原界隈は観光客が多かったので素通りして
岩手へと向かいました。



水天宮













菩提寺に隣接する白山神社




菩提寺
地図上では岩手の山沿い。私のような貧脚でたどり着けるのか心配でしたがなんとか行けました。
地域の豪族・伊福氏の私寺、山門が江戸中期のものです。
あまり管理されていなく廃寺のように見えました。

せっかくなのでもう少し足を伸ばして竹中氏陣屋跡櫓門をゴールとしました。









竹中半兵衛の銅像はこちらと垂井駅北口にありますが、実は垂井町3ヶ所にあるそうで
もう一ヶ所はまた次回に。



鼻の穴に・・・威厳が台無し 笑
似たようなことが大垣城でもあったなあ。






おなじみ御大典記念。





垂井町に住む同僚が近くで見ないでと言っていた理由…
色が剥げて白くなった相川の鯉のぼり。
褌にも妖怪一旦もめんにも見えたり 笑
これ全て白だったら風流でしょうなあ。全ての鯉が白くなるまであともう少し 笑





地元の青年部の方々が曳軕祭りの準備をしていました。




あと少しで自宅というところで休憩。
ライドスタイルはそれぞれですが、飛び出し、逆走、並走が多く神経使った日でした。






































































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4月20日のライドです。
この日は少し疲れていたので養老町へは行かず垂井関ヶ原町をライドしました。
垂井の長閑な村落を走り抜け、美濃国分寺跡を目指します。







道は少し荒れていますが
鳥や蛙のなく声が道の先へと誘います。



昭和3年の御大典記念石灯籠。垂井町内のあちこちでよく見かける御大典記念。







今回は石道標の指す左方向(岩手・大滝)へ進みます






美濃国二宮・伊富岐神社。付近には弥生時代の土器や古墳が多く発見されています。
古代から人の営みがあり強い権力者がいたことが知られています。
南部には一宮の南宮大社も鎮座しており製鉄と深い関連があるこの地域は重要な拠点だったことが伺えます。



相川北部扇状地の高燥地では古くから農耕文化が滲透しており往時の風景を偲ばせる。



古墳に見えましたが何も記されていませんでした。



こちらは喪山古墳。
天稚彦(あめのわかひこ)の墳墓と伝えられています。
古墳頂上は戦争で亡くなられた方々の共同墓地になっているようです。

垂井町及び周辺は古墳が多い。いわゆる富豪層の喪葬儀礼の状況や特質などは明らかにされていますが
私は一般的な庶民の喪葬にも興味があります。(むしろこちらのほうが)
基本的には土に穴を掘って遺体を埋める土坑墓が主流だと思いますが、
例えば京都では風葬も行われていて庶民は山野や河原に死体を運んでそのまま捨てるといった遺棄葬が普通でした。
また、浄土教が普及すると農民は自身の営農する田畑や屋敷などの一等地に死者を埋葬し墓地をつくることで代々土地を手放さないようにしていた地域もありました。
このようなことから個人的に墓碑を造ることがなかった庶民の埋葬地、遺棄地を見つけることは難しいですが
「野辺送り」の言葉から「野」のつく知名が風葬地だったというように、
地名から想定して探してみてもおもしろいかもしれません。
垂井町(旧表佐村)では大正7年に合同墓碑を造っています。それ以前の習俗や死生観に興味が湧いてきます。
ブログの内容が脱線しました。笑







画角の狭い手持ちのカメラでは収まりきらない広さと砂利敷でサイクルシューズでは敷地内を全て見学することができませんでした。
ヤマト勢力(中央政府)の美濃国の関心の高さと早い段階でその傘下に入れたことを示していることがわかります。


体力つくりではじめた自転車ですが、思わぬ方向へと関心が向かっています。











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お肉を買いに養老へ車を走らせました。
(鮮度が良く安いのでいつも肉は養老で買っています)
この日はGW前なのでいつもより高めでしたけど・・・
車窓から眺める養老の山々は新緑の山肌へと変化していました。

55歳を過ぎると一日運動しないだけでも筋力の衰えを感じるので
運動を兼ねて養老の滝に寄ってみました。



せっかくの鯉のぼりも風がないと干物のようで・・・





お店は休業しているところが多く、そのおかげで駐車場は無料で利用できました。







「おたきみち」と彫られた道しるべ。



養老の滝までの距離を示す丁石。1丁ごとに置かれています。(1丁109m) 
養老公園開発時に別の場所に組み込まれたり紛失したものもあるようで全ては見つけられませんでした。
















滝に到着するまでに汗をたくさんかきました。
いい運動になりました。



喉が渇いたので紅葉サイダーを 笑
原材料名にもみじエキスと記載がありましたが
ヨモギのような風味がありました。




























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会社で桜餅や草餅を4個ほど頂いて食べてしまい・・・体に悪そうなので消化すべく大垣城まで自転車を走らせました。
気温は25℃ いい運動になりました。
















大垣城の石垣のほとんどは近くの金生山から切り出されたもの。
城に積まれた石垣の中に化石(2億5千万年前!)があることを思い出しました。
金生山といえば石灰。白っぽい石から探してみます。












化石ではないですが刻印を見つけました。








見つけました。ムカデに見えますがウミユリ。









色々混ざっています。















シマカイア、フズリナ、ウミユリ、 ベレロフォンらしいですが・・・見つけても何の化石か全くわからないので 笑
金生山化石館へ・・・いかねばなるまい。
























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土曜日は清々しい青空が広がりました。
風速1m、午後には気温が25℃まであがる予報で薄手のウェアを選びましたが、
早朝はまだ肌寒く出かける寸前までウェアに悩みました。
結局薄手のウェアで堤防をチャリチャリダンシングすることで体を温め冷たい気温に対応しました 笑
今日も大垣を出発し、養老~垂井~関ヶ原を走りました。
先週はお花見ライドでしたが今回は交通量の少ない垂井・関ヶ原ルートの開拓です。
Googleマップで道路の状態をある程度知ることはできますが
交通量の少ない脇道はとうぜん情報量が少ないので、実際に現地を走り道に迷っては来た道を戻って自分だけのロードマップを作成していきます。
新規ルートの開拓は発見や素敵な景色に出会えたりするので疲れを忘れて楽しく走れます。






脇道は川沿いが多いので川の性質がついつい気になります。
水は人の生活に欠かせないもの。地形やそこに住む人の営みや歴史と言ったものに興味を持たせてくれます。
それにしてもこの後通過する垂井町の相川もですが、養老駅のそばにあるこちらの川も水量に見合わない川道の幅の広さよ…
土石流が発生したら写真の養老鉄道の橋脚は破壊されそう。




先週と同じくゴールの決戦地



田んぼに水が張られていました。向こうに笹尾山石田三成陣跡 



紫外線対策の厚塗りが…笑




迷い込んだ道でカラフルな光景に遭遇。



廃屋を思わせる荒れた敷地内にポップアート。個人宅のようで撮れなかったけどまた見に行きたい。






道標石がありました。右垂井、左岩手大滝。左へ進むと美濃国分寺跡へ続くのかな。
今は住民しか通らない小さな道ですがこの道もかつては商人や参詣、旅人が通っていたのかもしれません。




先日撮った相川
垂井町は北部の池田山山地、南西部の南宮山地に挟まれた平地に位置しています。
垂井町中心地を東西に流れる相川は関ヶ原の山地から流下しています。
普段はそれほどの深さはなさそうですが南北の山地から梅谷川、岩手川、大石川、大谷川などが流れ込むので
大雨になると一気に増水するそうです。



写真の日守川も川筋は細く水量も少ないですが流れが急峻でした。水環境の厳しさがわかります。








安藤広重の版画 木曽街道六十九次垂井宿が描かれたのが西の見付があったこの辺りのはずですが、どこだろう?笑



垂井宿にある本龍寺
脇本陣から移築されたという門前には瓦のような素材の黒い獅子のレリーフが飾られていました。



火除けとか邪気(邪鬼)祓いとかの飾り瓦のレリーフ版でしょうか。獅子瓦



幕府のお触れ書きを掲げた高札場



休憩所でひと息。今日は垂井町在住のサックス奏者の方々が演奏していました。







相川堤防沿いを走り帰路に着きます。




トキワマンサクも色づいていました。

















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昨日に続き今日もライドです。
主人からライドに誘われ、昼過ぎに出かけるのか(いつもなら帰路に着く時間)…と思いましたが
桜も満開だし帰りは養老鉄道のサイクルトレインにも乗れるので出かけました。

結果出かけてよかった。
春を満喫できました。
昨日ちょっと残念に撮ってしまった源氏橋再び。






この柄は何を意匠しているんだろう?








ソロではできない記念撮影を楽しみ(自撮り棒買おうかなあ 笑)






インスタで女子が腰をクイっとあげて撮るやつをやってみたけど
腰は曲げれても反るのは痛くてちっとも映えず 笑



源氏橋でも懲りずに…
ちっともあがってないやんけっ 笑








初めての養老鉄道サイクルトレイン
乗って残そう養老鉄道
車輪を外して輪行しなくていいので身軽に移動できます。


























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河津桜が終わった後の堤防沿いは新緑の風景。
曇り時々晴れ風速1m ~2m、今日も絶好のライド日和。夕飯の支度をして8:30出発。
昨晩の暴飲暴食で朝食を抜いてヨーグルトだけ飲んで出掛けました。

桜の開花を楽しみにしていた源氏橋。
源氏に由来する小さな橋。
当時は木橋でしたが大正4年に石橋に架け替えられました。
パノラマで撮ったので橋が歪んでしまいました。



源氏の笹竜胆の紋が刻まれていました。



源氏橋が架けられている津屋川。駒野のあたりでは大きな川になります。



源氏橋を北上し坂を登り養老駅へ。
こちらも楽しみにしていた養老駅駅舎と桜をパシャリ。







養老町周辺の桜を眺めながらいつものSAに到着。
今日の行動食は柿の葉鯖すし。薄味で胃にやさしく美味しかったです。
3個食べても225kcalっていうのもうれしい。






比女神社を通過しいつもの南宮大社へ、今週も平穏無事に過ごせたお礼と
先週走破した朝倉山真禅院へ再チャレです。











養老駅で停車していたタクシーのドライバーさんから
垂井町の相川水辺公園で桜並木と鯉のぼりが見られるという情報をいただいたので
垂井へ向かいます。

朝なのに多くの人で賑わっていました。
奥に見えるのは伊吹山。







脚が軽いので距離を伸ばし南宮大社参道の入り口にある石鳥居をくぐり中山道を走ります。














今回は関ヶ原までの道のりを構築するためさっくり中山道を通過。
せっかくフットワークのいい自転車で来ているので
次回は歴史散策をしながら垂井宿を楽しみたい。

垂井宿にある旧旅籠長浜家
旅籠屋の後は酒屋となり今は無料休憩所として利用され当時の風情を残しています。
この日はお年寄りが団欒しており、普段は町内のコミュニティの場として使われているようでした。
中では写真が撮れなかったので外でパシャリしときました。







自撮りも 笑





関ヶ原古戦場決戦地到着。
桜の効果なのか寝る前の脚トレの効果なのか分かりませんが走行距離53km走れました。
昨年自転車を再開して5km走るのがやっとだったのにうれしかったです。









南宮大社の大鳥居をくぐり帰路につきます。























































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