平成徒然草(萩原 希仁)

毎日の喜怒哀楽をストレートに表現してゆく。

安岡力也さん亡くなる。

2012-04-08 19:52:08 | 日記
多摩の地に、テーマパークを創っている当時、

京都衣装の人間が居て、近くの、京王稲田堤で、

勝新太郎さんが、最後の座頭市を撮影していると、

言うので、頼んで、連れて行ってもらった。

サラリーマン的な仕事の後だったから、時間は、

20時位だったと思う。

やや薄暗いセットの中で、撮影が進んでいた。

勝さんは、帝王の様で、付き人が、専用の椅子を、

持って、動き回る勝さんに、くっ付いて動いていた。

怒鳴らないが、厳しい撮影上の指摘をしていた。

丁度、僕らが行った時は、安岡力也さんの登場シーンを、

撮影していた。

ほどなく、その日の撮影が終わり、何と、勝さんは、

僕も、飲みに連れて行ってくれた。

力也さんも一緒で、と言うか、その場に居た、

30~40人くらいが、全員一緒である。

今思えば、流石に昭和の大スターで、金離れが、

尋常では無くて、当たり前の様であった。

食事の最中に、勝さんが僕に言った。

ー台詞無しで、直ぐに切られる役なら、出してやるよ。ー

嬉しかったが、本業が忙しくて、断った。

その時のお礼で、紀州で最高の梅干を、送った。

勝さんから返事がきて、美味いから、2ヶ月おきに、

送ってくれよ、との事だった。

2万円の梅干だったから、懐が痛かったが、

ずっと、送り続けていた。

晩年は、大麻事件などがあったが、気さくで、

温かい親爺さんであったと思う。

そうそう、で、安岡力也さんとは、お逢いしたのは、

その日、一回だけであるが、見た目と違い、

先輩の勝さんを立て、腰の低い、好い男だった。

その後、力也さんの件で、芸能界も厳しいなぁと、

深く感じ入ったものだった。

撮影にお邪魔したあの日、力也さんのシーンを撮っていたが、

実際の映画では、勝さんがカットして、安岡力也は、

全く登場してはいない。

それどころか、最後の字幕に、名前すら出てはいない。

結構迫力シーンだったのだが。

兎に角、魅力ある人達が、天に還って逝くのは、

とても寂しい事である。

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