万葉集ブログ・2 まんえふしふ 巻九~巻十

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1794 田辺福麻呂歌集

2010-11-30 | 巻九 相聞
立易 月重而 難不遇 核不所忘 面影思天

たち変り 月重なりて 逢はねども さね忘らえず 面影にして

右三首田邊福麻呂之歌集出


「(季節は)移り変わり、月日は経ってゆく。(なかなか)会えないけれど、(きみを)忘れたことはない。(きみの)面影が(私の脳裏に)浮かぶのだ」

右の三首は、田辺福麻呂の歌集に出る

1793 田辺福麻呂歌集

2010-11-29 | 巻九 相聞
反歌

垣保成 人之横辞 繁香裳 不遭日數多 月乃經良武

垣ほなす 人の横言(よここと) 繁みかも 逢はぬ日数多(ひまね)く 月の経ぬらむ


反歌

「垣根を成すような、人を中傷する言葉が、わずらわしい。(きみと)会えない日が増えて、月ばかりが過ぎてゆく」

1792 田辺福麻呂歌集

2010-11-28 | 巻九 相聞
思娘子作歌一首(并短歌)

白玉之 人乃其名矣 中々二 辞緒下延 不遇日之 數多過者 戀日之 累行者 思遣 田時乎白土 肝向 心摧而 珠手次 不懸時無 口不息 吾戀兒矣 玉釧 手尓取持而 真十鏡 直目尓不視者 下桧山 下逝水乃 上丹不出 吾念情 安虚歟毛

白玉の 人のその名を なかなかに 言を下延(したは)へ 逢はぬ日の 数多(まね)く過ぐれば 恋ふる日の 重なりゆけば 思ひ遣る たどきを知らに 肝向(きもむか)ふ 心砕けて 玉たすき 懸けぬ時なく 口やまず 我(あ)が恋ふる子を 玉釧 手に取り持ちて まそ鏡 直目(ただめ)に見ねば したひ山 下行く水の 上に出でず 我が思ふ心 安きそらかも


娘子(おとめ)を思い作る歌一首(ならびに短歌)

「“白玉の”その娘(こ)の名を(口には出さないもの)、むしろ、心の中でひそかに思う。会わぬ日が、数多く過ぎれば、恋しい日が、重なってゆけど、思いをはせる手がかりもない。“肝向ふ”心配する“玉たすき”(きみを)心にかけぬ時はく、(二人で愛を)語り続ける。

私が愛する娘を、“玉釧”この手に触れ、“まそ鏡”直接見つめ合わねば、“したひ山”地下水(のようなこの思い)、表に染み出すことはない。私が(あの娘を)思う心は、そんなに簡単なものではない」

1791 遣唐使母

2010-11-27 | 巻九 相聞
反歌

客人之 宿将為野尓 霜降者 吾子羽□ 天乃鶴群

旅人(たびひと)の 宿りせむ野に 霜降らば 我(あ)が子羽ぐくめ 天(あめ)の鶴群(たづむら)


反歌

「旅人が宿る野原に、霜が降りるなら、私の息子を、(暖かな)羽で包んでください。天(を舞う)ツルの群れよ」

1790 遣唐使母

2010-11-26 | 巻九 相聞
天平五年癸酉遣唐使舶發難波入海之時親母贈子歌一首(并短歌)

秋芽子乎 妻問鹿許曽 一子二 子持有跡五十戸 鹿兒自物 吾獨子之 草枕 客二師徃者 竹珠乎 密貫垂 齊戸尓 木綿取四手而 忌日管 吾思吾子 真好去有欲得

秋萩を 妻どふ鹿(か)こそ 独り子に 子持てりといへ 鹿子(かこ)じもの 我(あ)が独り子の 草枕 旅にし行けば 竹玉(たかたま)を 繁(しじ)に貫き垂れ 斎瓮(いはひへ)に 木綿取(ゆうと)り垂(し)でて 斎ひつつ 我が思ふ我子(あこ) ま幸くありこそ


733(天平5)年・癸酉。遣唐使船が難波を発ち、海に入る時、母親が(同行の)息子に贈る歌一首(ならびに短歌)

「ハギを妻にした牡鹿は、一人の子供を持つといいます。(私は)シカではありませんが、私には息子が一人(しかいません)。“草枕”(一人息子が)旅立ってゆくので、竹玉を、たくさん通して垂らし、斎瓮に木綿を垂らして、神を祭ります。(神様、どうか息子をお守りください)

私の大切な息子よ。無事であってください」

●733(天平5)年4月3日に出発した「第十回遣唐使」の一員の母親が詠んだ歌

●第十回遣唐使:船数は4 遣唐大使は多治比広成 副使は中臣名代 派遣者は平群広成・大伴古麻呂 随行者は興福寺僧栄叡・普照ら