井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

なぜ日本に寝たきり老人が多いのか?

2017年08月25日 | 健康美容

「外科医 有森冴子」という医療ドラマを書いている時から、
過剰医療反対の立場を個人的には取って来ましたが、
自分個人の考えをドラマで主張することを私は控えています。

しかしながら、持論に対してその反対の立場を脚本に入れ込めば
問題はないので、一度真っ向から取り組むべきであった、と
今は思います。

ガン告知の問題に関してはヒロインの冴子に託して
「患者さんの宗教観の有無、性格などを考え、人それぞれであるべき。
告知するかしないかという教条的二元論で語られるべきではない」
という立場を取らせていたのですが、今なら過剰医療反対の姿勢を
取らせ、その対立者を描くことで問題提起という形を
取ったと思います。

私個人は、口からものを食べられなくなった時が去り時。
自分の意思表明を出来なくなった時が去り時。

と考えていて、もっと個人的主義を言えば動けなくなったら
食を断って自然に去る、と昔からそう思っています。これに関しては私という
ごく個人の考えであり、動けない人は皆去るべきという主張ではないので、
誤解なきよう。生存に対する要求度は人により異なります。私は比較的、淡白です。

濃厚医療、過剰医療について明確に反対する立場の記事を
ネットで見て、感じ入りました。なぜこういう議論がもっと盛んに
行われないのか、常々不思議なことに思っていましたが、
病院経営の側面もあるのですね。
露骨でやや偽悪的言い方をするなら、「簡単に死んでもらっては
経営が成り立たない」のです。

しかし、今後は病床が足りなくなる時代に突入するそうです。
病院側もそうですが、私達個人も「いかに死ぬか」を考え、
常日頃から書き物として意志を残し、また家族に伝えていることが
大事な時代になりました。

私は、常々そう伝えていると同時に「日本尊厳死協会」発行の
カードを常に身に携えていて、私はもう20年以上も前から
ここの会員なので、そうとう昔から死に際については考えて来たと
思います。

これも持論ですが、死ぬことを考えることは、実は生きることを考えることです。どう死ぬか、ということはどう生きるかと同義語なのです。

私がネットで見て感じ入ったという記事はこちらです。

https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20150604-OYTEW52562/4/

「寝たきり老人がいない欧米、日本とどこが違うのか」

 

スウェーデン他、六カ国の終末医療を視察してきた医師夫妻による主張は、以下のごとくです。

 

1 延命処置はしなくても、緩和医療には手を尽くす。

2 延命処置をする時間があったら、緩和医療に時間や人を割こう。

同意です。

例えば痛みの緩和について。日本ではモルヒネはガン以外にはあまり使いませんが、本人の希望があれば場合に応じて使うべきでしょう。

医師の勘違いの一つに「自分がその痛みを体験したことがない」から、正しい選択が出来ない、というのがあります。

痛みがどれほどつらいか、痛みが過度になれば患者は24時間間欠的に拷問を受け続けている状態となり、生存している意味を見失うほどだということを理解していず、だから「むやみに痛み止めは使わない」となるのです。

医師夫妻は、なぜ、自然死ができないのか、高齢者の終末期医療について『これでいいのか』と問題提起をした医師は誰もいないと指摘します。

 

「病院経営の問題もあります。今や、療養病床の半分以上、多分7、8割は、経管栄養や中心静脈栄養で延命されている人たちです。そのため、点滴や経管栄養を行わなかったり、中止したりすると、患者さんは2週間ほどで亡くなるので、病床が空き、病院経営が苦しくなります」

「しかし、2030年には死亡者が今より40万人増加し、看取り先の確保が困難になると言われています」

患者の意志に反して、人工呼吸器を使い続けた例も述べられています。

患者の価値観より、院長の価値観が重視された例です。こんなことは、本末転倒でしょう。

患者は「意思疎通ができなくなったら外してくれ」と言うのが希望でした。おそらく院長には、外すことで家族に訴えられたら・・・・というごとき判断もあったのかもしれません。

そういうこともあり、私は元気なうちから「どのように去りたいのか」を家族には伝え、書き残しておくことを提案しています。

そうでないと、医療現場の現実に家族が向き合わされた時、選択に迷い苦しい葛藤に追いやられます。

「苦しみながら生きなくてもいい権利」について、私たちは真剣に考えたほうがいいでしょう。いずれ、死には皆、直面します。

欧米に、寝たきり老人はあまりいない、日本には多いという現実。
平均寿命が日本は高い。しかし無理やり生かされて長いことが果たして喜ぶべきことでしょうか。

人生の質は長さではありません。いかに充足して生きたか、それに尽きるのではないでしょうか。

 

誤変換他、後ほど推敲致します。

 


8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
生死ままならず (くるみのばぁば)
2017-08-25 10:18:20
井沢先生、
有難うございます。

いかに生を閉じていくか重いテーマですが、
新聞の特集や講演会でしか聞けないような
先生のお考えや思いに、
ネット上で接することができて、
幸運に思います。

私ごとになりますが、
3年前、独り暮らしをしていた義父が
急に食べることを辞めました。
子供達に社会的な迷惑をかけない為に、
自殺という直裁的な方法でなく、
食べないことで緩慢な死を
選ぼうとしたのだと思います。
私どもが気づいた時には、
ひとりで立てない状態で、
救急車を呼んでも乗ることを頑迷に拒みました。
長くなるので割愛しますが、
末期癌が判明し、半年後に亡くなりました。
 
かたや、私の父は大正生まれですが、
先日胃ろうの手術を受けました。
ひとり歩行もできず、認知症もあります。
私たち兄弟姉妹でも手術について
意見が激しく割れました。
こういうふうに死にたいと望んでも、
その時の状況でなかなか難しいものがあります。

生死はままならず。
私も延命治療に反対です。

医療側の事情、家族側の事情
(高額の年金が打ち切られるので、
絶対死なせないでと懇願する家族もいるとか!)
本人の意思表示の有無。
想定したとおりに終焉を迎えたいのですが。

だらだらと書き連ねて申し訳ございません。
また、先生のお考えに触れる機会がありますことを楽しみにしております。
有難うございます。
返信する
Unknown (なでしこ魂)
2017-08-25 12:55:58
母は60歳、父は70歳で亡くなりました。
それまで病院には全く縁がない元気な二人でしたし、日本の平均寿命を考えると早過ぎる死でした。
高齢の親を介護するという経験が無いので何とも言えませんが、子供としては、やはり親には少しでも長く生きていて欲しい。。
高齢者の終末医療となるとまた話は違うのかもしれませが。。
返信する
既に (ひつじのジンくん)
2017-08-25 16:16:10
井沢先生、皆さんこんにちは。

昨年11月下旬、母が足を骨折して入院しました。
夜間帯の救急車での搬送でした。

以前にも夜間帯の救急車をした事があったのと、たまたま訪問看護師がいたので、夜間救急対応病院と即日入院になるだろうと判断して、最低限度の入院に必要な物や母の保険証やお薬手帳や印鑑を持参して行きました。

案の定、即日入院でした。高齢者だから手術はなしでした。
が、その病院で入院当日に言われたのは、当院は一時患者のみを受け入れる病院で、2週間過ぎれば退院か転院になるとの事。

その後、搬送された病院でギプスが出来上がった頃に転院になりました。
母は持病からただでさえ歩行が不自由でありましたが、転院当日は車椅子なしでは動けない状態で、転院に必要な移動は自己負担でした。

転院先探しは、ソーシャルワーカーとかなり早い段階(入院翌日)から探しましたが、条件があったり、性別で受け入れ別がなくて苦戦しました。
たまたま過去に治療を受けた病院が対象であり、その病院を過去に世話になり良かったと褒める内容をつけて、何とか転院出来ました。

ただ、転院先も2週間程度で退院。母のギプスが完全に外れたのは退院してから半月後でした。

寝たきりや車椅子生活にならないように、本来なら歩行が問題ない状態で退院すべきなのです。

しかし現状、内科・外科問わず、病院は常に病室に空きがなく(あっても急患受け入れ分のみ)、急患以外は数ヶ月待たされます。
で、病院は『とりあえずの状態』になれば退院させるところが多いです。

寝たきりにならないような支援施設はありますが、病院ではなく介護支援等がほとんどです。
現状、外科でも車椅子や寝たきりになりたくない人でさえ、病院は最後まで見てくれない時代みたいです。

長々失礼しましたが、最後に。
最近は、癌になったら患者本人に癌である事は通達します。
ただ、末期の場合、末期である事を本人に知らせない場合があるようです。その場合は親族に伝えますよ。
返信する
残暑お見舞い申し上げます (きく・かおる)
2017-08-25 20:28:13
長雨の後の高温、そしてまた豪雨と気候不順の折から、御身ご自愛ください。

色々な終末期の方に接した経験上で思うこととして、人は簡単には死ねないです。延命治療を拒否したらすぐに亡くなるかといえば、長く寝付き痛みや脱水症状で苦しんでしまったり。
逆に積極的な延命を申し出たら、それが命取りの処置になり、あっけなく亡くなるという皮肉もありました。

尊厳死を安楽死と混同されるケースが多いのですが、その人の希望を叶えるように死を看取られることが、尊厳死だと思います。
守られるべき権利でありながら、ご家族の意向で治療や介護の方向性が変わることが非常に多いです。
さらに医療機関の主導で進められるのは、日頃から尊厳死の具体的な確認がなされず、家庭では看取れる環境が整備されていないからでしょう。

小林麻央さんがご自宅で息を引き取れたのは、様々にバックアップをしてくれるマンパワーがあったから。
一般の家庭では色々な障壁があり、まずは信頼できる訪問診療・訪問看護介護に巡り逢える保証がありません。

そんなご時勢で身を守るためには、常々多くの周囲の方に自分なりの尊厳死を語り、エンディングノートなり書面等で証拠を残しておくことが大切になります。
その点井沢先生はブログの読者が証人になれますから、後はもし家庭医など主治医がいらしたら、今のうちから釘をさしておくことをお奨めいたします。
長々書かせていただき、申し訳ございませんでした。
返信する
炭水化物 (ケイシ)
2017-08-25 20:59:06
いつもありがとうございます。
一概には言えないかも知れませんが、
寝たきり老人、認知症などが日本に多いのはお米(炭水化物)の多食も要因の一つではないかなと想います。勿論、お米は
日本人にとって大切な主食ですが。
欧米人に寝たきりが少ないのは、彼等が
肉食などのタンパク質を多くとり雑食で
ある面もあると想います。(私は肉食は、たまにしかしませんが。) 古代縄文人は、肉や魚、木の実などをよく食していたのは遺跡から伺えますね。
返信する
メディア情報 (総太郎)
2017-08-25 23:02:11
先生、皆様方、こんばんは。

改めて、皆様の体験を伺い考えさせられます・・。

「有森冴子」先生のシナリオが素晴らしかったのにも尽きますが、三田寛子さん扮する新妻の乳癌宣告をテーマにした「花嫁の乳房」

芦田伸介さんゲストの「生きていてもいい?」
には人間の死生観を深く考えさせられました・・。

先程までTBSでは野際陽子さんの闘病と最期の御様子を特集されていたようですが、野際さんや渡瀬恒彦さんら、皆様、本当に立派な最期だったと思います・・。

くるみのばぁば様、ひつじのジンくん様の御家族の御健康とお幸せを・・
そして、なでしこ魂様の御両親の御冥福をお祈り致します。

ところで、今晩のテレビ朝日系「朝まで生テレビ」は女性論客陣を揃えた構成のようですが、
河添恵子先生、元産経新聞の福島香織さんのご出演されるようですので期待したいです。

只今発売中の「正論」
「ウイル」
「月刊Hanada」
それぞれの9月号は、メディアの偏向した加計学園の報道の問題、
「ウイル」では、菅野完氏の日本会議への誹謗中傷に対する元朝日新聞の長谷川熙さんらの的確な分析と批判、
「正論」には、都民ファーストの野田数代表の反論インタビュー、

「月刊花田」には
思い上がりも甚だしい「東京新聞」の女性記者・望月氏への長谷川幸洋さんの反論等、重要な記事が満載ですので、皆様方にも是非m(__)m

望月記者は大先輩である長谷川さんに対して
「東京新聞から出ていけ」旨の暴言まで吐いているようです(怒)

そして、「週刊朝日」最新号には
(灘高始め名門進学校に右派から脅迫)旨の告発リポートが・・!

小生、詳しい経緯を把握出来ておりませんでしたが、水間政憲さんが批判対象とされているリポートで、どうやら水間さんが反日教育を非難するお考えから、公式サイト等で各学校の教育内容への抗議活動や投書を呼び掛けた行為が脅迫の煽動、
教育の自由に対する侵害では?旨の非難。

水間さんも「週刊朝日」記者の取材に対して相当やり合ったようで、「朝日新聞の報道姿勢を批判して、水間氏が自身の反論・見解を全文掲載するように要望があったが、本誌は事実関係のやり取りのみを掲載する」旨でした。

朝日新聞グループも厄介ですが、水間さんと全面対決の状況になったのは事実でしょうね・・(~_~;)

色々なメディアの動向に注目したいです。

最後になりますが、今回の騒動で、井沢先生に対して、こちらにも懲りずに無礼な投稿をする連中には恥を知れ!と申したいですね(怒)

どれだけ、先生や一般の善良なブロガーさん、
私達ファンも我慢したか・・!
マトモな良識があれば、どちらがマトモで、どちらが気違いか分かる筈でしょう・・(怒)

匿名のインターネットの世界では、どんな虚言も妄想も鵜呑みにする連中が沢山存在する事実にはやりきれなさを感じるばかりですが・・(~_~;)

先程、文章途中で誤送信したかも知れず、削除して頂ければ幸いですm(__)m
返信する
延命治療について。 (今ひとたび)
2017-08-26 16:37:02
先生、皆様今日は。久し振りに投稿させて頂きます。
私の母は今年の6月に亡くなりました。昨年末頃から食事が摂れなくなり入院していましたが回復せず、今年になって病院で、胃瘻を造設するか又はこのまま看取るか決断を迫られました。随分悩みましたが、生きていて欲しいという気持ちが強く、胃瘻造設に踏み切りました。その時医者から「お母さんが苦しみますよ、延命は家族のエゴだ」と言われました。それでも私は母に、どんな姿になろうと生きていて欲しいとしか考えられませんでした。でも結局、胃瘻が上手く機能することはなく、2ヶ月後に呆気なく嘔吐から肺炎となり亡くなりました。亡くなる前夜医師から「今夜が山ですね」と言われ、私は「アマテラスオオミカミ、母を助けて下さい」と祈ったり、イメージで丹田から光を出して母を包み「頑張れ頑張れ」と言い続けましたが、翌朝静かに息を引き取りました。その時初めて私は母の死を受け入れられました、寿命だったんだなと。
今も私の選択が良かったのか否か、判断出来ずにいます。答えが出せません。

まとめることも出来ず、失礼致しました。
返信する
Unknown (一般庶民)
2017-09-01 13:55:02
以前やっていた仕事で、高齢者ともお話をする機会がたくさんあったのですが、都会のご老人の方がたくさん医者にかかって、たくさん薬を飲んでいて、比較的田舎の、農作業をこなしてる方はお元気な方が多かったです。
そして、その両者ともに、ぴんぴんコロリが理想的な死に方と仰っておられたのを思い出しました。
寝たきりで褥瘡が出来るほどに延命されるのは、本人も家族も辛く負担が大きいです。
元気に長生きするのは大いに結構ですが、むやみやたらな延命措置は、かえって残酷な気が致します。
返信する