井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

生々流転

2018年03月18日 | 日記

「あすきみ」の六話目冒頭を芝居仕立てにしたら、コメント欄に
内田吐夢監督の「浪速の恋の物語」で、文楽を使っていると教えて頂いたので、
早速手に入れて、観てみました。

まず、当時の東映時代劇の江戸時代のセットや、衣装の素晴らしさに
目を奪われ、役者の所作からかつらに到るまで、どれだけ
後の時代に継承していけているのか、いささか心もとないことです。

時代劇が廃れ始めると共に、役者の口跡がだんだん悪くなって来て、最近の
俳優が日常リアリズムでぼそぼそ早口でしゃべると、くぐもった発声と相まって
聞き取れないことがあります。

映画は近松門左衛門の「冥途の飛脚」を下敷きにしていますが、製作が1959年(昭和34年)。

ほぼ60年経過しているので、監督はもちろんスタッフのほとんど、そして主演の中村錦之助(萬屋錦之介)さんも、世外の人です。有馬稲子さんがケア付きの老人ホームでお過ごしで、うたた世の変転を思わずにはいられません。

有馬さんが新人の仲代達矢さんと共演した映画「黒い河」は、いまだ鮮烈な印象を私の脳裏に残しています。おそらく私が中学生か高校生の頃の映画です。音楽と共に、脳天を殴られたような作品です。
今、手に入ればもう一度観てみたいと思っています。それにしても、新人の仲代さんのなんと、その異邦人的な美貌と相まって強烈な個性であったことか。そして、特有の声に張りがその頃はありました。黒ぐろとした目の輝きの記憶と共に、声音が耳に響いています。この時代の新人さんもとりわけ舞台で鍛えた人は口跡がよかったのです。

東映の時代劇スターとして眩しい巨大な星であった中村錦之助さんが、その後難病を発症したり、金銭に困窮されることになろうと誰が当時想像したでしょう。私の少年時代、銀幕のスターは別世界の人でしたから、なおさらに。

有為転変は世のならいとはいえ、無常を感じた映画でした。

 

うたた【転】とは、ある状態が、どんどん進行してはなはだしくなるさま。そうした状態の変化を前にして心が深く感じ入るさま。

 

 

誤変換他、後ほど