355-1
無事早起きしてバスに乗る。
6時だってのに人の往来が多いし屋台もやってる。
やっぱりベトナムの朝は早い。
ベトナム出国。
ベトナム戦争が終わって35年ちょい。
日本で言うと、1945+35で=1980年。
今の韓国みたいにハイテク企業が世界を席巻しはじめた時期?
私はその頃の勢いある日本をサイゴンに見たのかしら。
特にサイゴンは素朴さと発展さが混在してた。
これからどんな変貌があるのか楽しみでもあり、
変わってほしくない感じもあり。
355-2
2時間後、国境の町到着。
バスのスタッフがパスポートと25ドル回収で、
ビザの手続きもすんなり。
42か国め、カンボジア入国。
バッグにうっかり入ってたベトナム通貨を、
あまり良いとはいえないレートでおばちゃんに替えてもらう。
この通貨で昨日もっとご馳走食べれたのに。
自分の注意欠陥に愕然。
私は幼少時から注意欠陥他動の気がとてもあるしね。
汚部屋率も高いし(開き直り)。
355-3
さらに4時間後、首都、プノンペン到着。
よくわからんまま歩くよりはいいかと、
宿までのトゥクトゥクもといシクロをボラれつつ(学習しない人)
滞在先決定。
先のベトナムが、戦後35年の日本だとしたら、
カンボジアは
1989年にポル・ポト政権終了。
1991年にベトナム軍撤退(ここでも絶対に降参しない国)
1992年に和平協定。
…ってことは、恐怖政治から開放されて約20年。
1945+20=1965年で、高度経済成長の最中?
355-4
トゥール・スレーン博物館へ。
素朴な街並みを歩くと、有刺鉄線にかこまれた建物が出現。
高校だったこの建物を監獄とし、
子供を含んだ約2万人の罪無き人々を投獄、拷問、処刑した場所。
恥ずかしながら、
ポル・ポト政権と聞いても
ぼんやりと、独裁者、虐殺…ぐらいしかわからなかったので、
予習と覚悟をして行く。
http://4travel.jp/traveler/who_me/album/10323906/
覚悟が無意味と感じたぐらい惨かった。
先に勝てば官軍だと書いたけれども、
ヒットラーもポル・ポトも官軍の大将だったからこそ、
信じられない殺戮が行われていたのだと改めて思う。
これを狂気という言葉で片付けるのはズルいとも思ってしまう。
よりショックだったのが、
人種差別による虐殺ではないこと。
虐殺が行われたのが1975年~1978年。
私と同世代の人達も亡くなられていること。
夜の治安はよくないらしく、
出歩かないから何ともいえないけど、
昼間目にする人達はのんびりしてて、険がなくて、
恐怖政治を強いられた人達とは思えなくて。
アウシュビッツ同様亡くなられた方々の写真や
拷問の様子が描かれた絵、
パッと見日本の校舎にも似た佇まいなのに。
355-5
ネパール、首相辞任で混乱?
盗難証明書が全然届かないのもこの理由?
いや、違うだろ。
まったくもう。
ツーリストポリスで日本語を話せる警官に、
「今日はダシマセーン、7月20日ニハデマース」って
何度も言われて、
イラっとしたことが思い出される。
保険は云々じゃなくきちんとして欲しいんだけどー。
355-6
食;飴玉、ポテト、ますのフライ。
無事早起きしてバスに乗る。
6時だってのに人の往来が多いし屋台もやってる。
やっぱりベトナムの朝は早い。
ベトナム出国。
ベトナム戦争が終わって35年ちょい。
日本で言うと、1945+35で=1980年。
今の韓国みたいにハイテク企業が世界を席巻しはじめた時期?
私はその頃の勢いある日本をサイゴンに見たのかしら。
特にサイゴンは素朴さと発展さが混在してた。
これからどんな変貌があるのか楽しみでもあり、
変わってほしくない感じもあり。
355-2
2時間後、国境の町到着。
バスのスタッフがパスポートと25ドル回収で、
ビザの手続きもすんなり。
42か国め、カンボジア入国。
バッグにうっかり入ってたベトナム通貨を、
あまり良いとはいえないレートでおばちゃんに替えてもらう。
この通貨で昨日もっとご馳走食べれたのに。
自分の注意欠陥に愕然。
私は幼少時から注意欠陥他動の気がとてもあるしね。
汚部屋率も高いし(開き直り)。
355-3
さらに4時間後、首都、プノンペン到着。
よくわからんまま歩くよりはいいかと、
宿までのトゥクトゥクもといシクロをボラれつつ(学習しない人)
滞在先決定。
先のベトナムが、戦後35年の日本だとしたら、
カンボジアは
1989年にポル・ポト政権終了。
1991年にベトナム軍撤退(ここでも絶対に降参しない国)
1992年に和平協定。
…ってことは、恐怖政治から開放されて約20年。
1945+20=1965年で、高度経済成長の最中?
355-4
トゥール・スレーン博物館へ。
素朴な街並みを歩くと、有刺鉄線にかこまれた建物が出現。
高校だったこの建物を監獄とし、
子供を含んだ約2万人の罪無き人々を投獄、拷問、処刑した場所。
恥ずかしながら、
ポル・ポト政権と聞いても
ぼんやりと、独裁者、虐殺…ぐらいしかわからなかったので、
予習と覚悟をして行く。
http://4travel.jp/traveler/who_me/album/10323906/
覚悟が無意味と感じたぐらい惨かった。
先に勝てば官軍だと書いたけれども、
ヒットラーもポル・ポトも官軍の大将だったからこそ、
信じられない殺戮が行われていたのだと改めて思う。
これを狂気という言葉で片付けるのはズルいとも思ってしまう。
よりショックだったのが、
人種差別による虐殺ではないこと。
虐殺が行われたのが1975年~1978年。
私と同世代の人達も亡くなられていること。
夜の治安はよくないらしく、
出歩かないから何ともいえないけど、
昼間目にする人達はのんびりしてて、険がなくて、
恐怖政治を強いられた人達とは思えなくて。
アウシュビッツ同様亡くなられた方々の写真や
拷問の様子が描かれた絵、
パッと見日本の校舎にも似た佇まいなのに。
355-5
ネパール、首相辞任で混乱?
盗難証明書が全然届かないのもこの理由?
いや、違うだろ。
まったくもう。
ツーリストポリスで日本語を話せる警官に、
「今日はダシマセーン、7月20日ニハデマース」って
何度も言われて、
イラっとしたことが思い出される。
保険は云々じゃなくきちんとして欲しいんだけどー。
355-6
食;飴玉、ポテト、ますのフライ。