goo blog サービス終了のお知らせ 

***

2010-2011 カタギ-ヒトリタビ-ニート

355

2011-08-15 22:14:35 | カンボジア
355-1

無事早起きしてバスに乗る。

6時だってのに人の往来が多いし屋台もやってる。
やっぱりベトナムの朝は早い。

ベトナム出国。

ベトナム戦争が終わって35年ちょい。

日本で言うと、1945+35で=1980年。

今の韓国みたいにハイテク企業が世界を席巻しはじめた時期?

私はその頃の勢いある日本をサイゴンに見たのかしら。

特にサイゴンは素朴さと発展さが混在してた。

これからどんな変貌があるのか楽しみでもあり、
変わってほしくない感じもあり。

355-2

2時間後、国境の町到着。

バスのスタッフがパスポートと25ドル回収で、
ビザの手続きもすんなり。

42か国め、カンボジア入国。

バッグにうっかり入ってたベトナム通貨を、
あまり良いとはいえないレートでおばちゃんに替えてもらう。

この通貨で昨日もっとご馳走食べれたのに。
自分の注意欠陥に愕然。

私は幼少時から注意欠陥他動の気がとてもあるしね。
汚部屋率も高いし(開き直り)。

355-3

さらに4時間後、首都、プノンペン到着。

よくわからんまま歩くよりはいいかと、
宿までのトゥクトゥクもといシクロをボラれつつ(学習しない人)
滞在先決定。

先のベトナムが、戦後35年の日本だとしたら、

カンボジアは

1989年にポル・ポト政権終了。
1991年にベトナム軍撤退(ここでも絶対に降参しない国)
1992年に和平協定。

…ってことは、恐怖政治から開放されて約20年。

1945+20=1965年で、高度経済成長の最中?

355-4

トゥール・スレーン博物館へ。

素朴な街並みを歩くと、有刺鉄線にかこまれた建物が出現。

高校だったこの建物を監獄とし、
子供を含んだ約2万人の罪無き人々を投獄、拷問、処刑した場所。

恥ずかしながら、
ポル・ポト政権と聞いても
ぼんやりと、独裁者、虐殺…ぐらいしかわからなかったので、
予習と覚悟をして行く。

http://4travel.jp/traveler/who_me/album/10323906/

覚悟が無意味と感じたぐらい惨かった。

先に勝てば官軍だと書いたけれども、

ヒットラーもポル・ポトも官軍の大将だったからこそ、
信じられない殺戮が行われていたのだと改めて思う。

これを狂気という言葉で片付けるのはズルいとも思ってしまう。

よりショックだったのが、

人種差別による虐殺ではないこと。

虐殺が行われたのが1975年~1978年。
私と同世代の人達も亡くなられていること。

夜の治安はよくないらしく、
出歩かないから何ともいえないけど、

昼間目にする人達はのんびりしてて、険がなくて、
恐怖政治を強いられた人達とは思えなくて。

アウシュビッツ同様亡くなられた方々の写真や
拷問の様子が描かれた絵、

パッと見日本の校舎にも似た佇まいなのに。

355-5

ネパール、首相辞任で混乱?

盗難証明書が全然届かないのもこの理由?
いや、違うだろ。

まったくもう。

ツーリストポリスで日本語を話せる警官に、
「今日はダシマセーン、7月20日ニハデマース」って
何度も言われて、
イラっとしたことが思い出される。

保険は云々じゃなくきちんとして欲しいんだけどー。

355-6

食;飴玉、ポテト、ますのフライ。