『 学校へ通うトラムの朝 』
高橋 カリンさん 撮影
この年代には、もう飲みに行くことも、一寸した集まり会合などへの出席も、人との付き合いも
激減して、外とのつながりはスマホのメール位になってしまった。
何年も気にしていた両親の故郷へのお墓参りも行けなかった。外出の気力などまるでなかったのだが、
一度だけ70になってすぐだったかと思うが、娘夫婦に連れられて車で草津温泉に行った。
これが唯一の遠出であった。出掛けなくても、あまり行こうという気もだるくて湧いてこないのだから
一向に苦にはならないけれど……。
80才の大台がちらちら見えだした頃には、先人方の言う通りまるで崖から転がり落ちる様で、
もう散歩は出来ない(最も元々嫌いで、何の目的もないのに歩いたり走ったりが出来ないタイプ
だったので)、外出と言えば通院かコンビニへのワンカップの買い物だけだった。
眠りに就く前に読む本も、あれ程興味があった哲学でも心理学の本でもなく、
時代小説(チャンバラ、捕り物)になった。
もちろん陶芸はとうに止めて、絵の会の方も残念ながら休会中という名の退会という有様で
そのままになってしまった。
唯一この青鳩のピンポンだけは、人に替わって貰いながらだし、女房の車の送り迎え付きだったから
だろうが(一緒にやっているので)何とか続いていた。
それもだんだん人に替わって貰う回数が多くなってきてしまった。床に落ちたボールは拾ってもらう
という有様であった。
車での送迎付き、プレーは2回に一度は自分の番が来ても代わってもらい、重い台の出し入れも出来ず、
プレーをすれば一歩も動かず、手の届かぬところは追いもしない、フロアーに落ちた球は人が取って
きてくれるという、情けなくも養老院ピンポンというか、殿様のピンポンとでも言ったらいいような
有様だ。周りの方々にも迷惑をかけてしまっている。申し訳ない気がしていた。