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☆高句麗からやってきた渡来人が建てた高麗(こま)神社

2017-12-09 | ♥憂国

 

12月初旬、圏央道入間ICで下り、三峯神社参拝への道のりで「高麗神社」の案内標識が目にはいった

このルートは秩父に向かう道で毎年利用しているが、「高麗神社」に聞き覚えがあり・・・

今年9月20日から1泊2日で天皇皇后両陛下の私的旅行で話題になった神社

 

 

現在の埼玉県日高市の一部および飯能市の一部にあたる高麗郷および上総郷は716年武蔵国高麗郡が設置された地である。

中世以降、郡域が拡大し、日高市・鶴ヶ島市のそれぞれ全域と、飯能市・川越市・入間市・狭山市のそれぞれ一部が高麗郡の範囲となった。

668年に唐・新羅に滅ぼされ亡命して日本に居住していた高句麗からの帰化人を朝廷はこの地に移住させた。

703年には高麗若光が朝廷から王姓が下賜されたという話が伝わっている。

高麗若光が「玄武若光」と同一人物ならば、高句麗王族の一人として王姓を認められたということになる。

この高麗若光も朝廷の命により高麗郡の設置にあたって他の高句麗人とともに高麗郡の地に移ってきたものと推定されている(新編『埼玉県史』)。

Wikipedia参照

 

 

 宮司の高麗文康(ふみやす)さん(50)がこう説明する。

「神社にまつられるのは、私の祖先にあたる高麗王若光(こまのこしきじゃっこう)。初代郡長です。

この一帯は朝鮮半島から渡ってきた高麗(高句麗)人によって栄えた土地。昨年は建郡1300年の祝賀の年でした。

境内に若光の石碑が建立され、除幕式には高円宮家の久子さまも出席されています」

※週刊朝日2017年10月6日号 より転載

 

 



 

 

 

 

将軍標(しょうぐんひょう・韓国語:장군표、チャングンピョ)とは

北朝鮮・韓国の村落に見られる魔除けのための境界標 

wiki参照

 

 

 

 

 

 

 

 

駿河(静岡)甲斐(山梨)相模(神奈川上総・下総(千葉)常陸(茨城)下野(栃木)の

各地から移り住んだ高麗人(高句麗人)1799人とともに当地の開拓に当たりました

若光が当地で没した後、高麗郡民はその徳を偲び、御霊を「高麗明神」として祀った

 

 

 

 

 

 

御神門

 

 

  御社殿・御本殿

 

 

 

 

 

 参集殿

 

枝垂れ桜(樹齢400年)と高麗家住宅 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※ 上記の献木した方たちは、ご存知ですよね

 

 

 

 

 

 

 

?????

 

 

 *1976年(昭和51年)には皇太子徳仁親王も参拝しています

 

 

右側の大駐車場には大型バスが停まり、大勢の人が下りてきた

左側の小さな駐車場に停めていたので、圧倒されずにすみ・・・

 

 

 その後、三峯神社

「祓い給い、清め給え、神(かむ)ながら守り給い、幸(さきわ)え給え

 

 

神奈川・湘南平のハイキングで知らずに見た高麗山は、これで理解できた

この相模辺りは、ご子孫さまが大勢お住まいでございます

過去記事 ☆湘南平:高麗山公園ハイキングコース 

 

 

 = 御朱印 =

 

 


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