朝刊を見て、野本謙作先生の逝去を知って茫然としています。
まだ、埋立が始まっていなかった、西宮の一文字突堤。
A級ディンギーでノタウチ回っていた私には、神にも等しい大先輩でした。
「日本の海には、和船の船型が適してるんや」、と設計された「春一番」を、青二才の私は飽きずに眺めておりました。
ノールウェイのフィヨルドを、愛艇「春一番」で廻航されたのは、もう十何年前でしょうか。
こんなにあっけなく逝かれるとは、思ってもいませんでした。
テンダーの「小春」に乗って居られた、お姿を思い出します。
神戸の会合でお待ちしていたら「只今、敦賀沖を帆走中、間に合わぬ、スマン!」と連絡が入って皆仰天した事もありました。
菱垣廻船「浪華丸」の復元の時は、「春一番」を造船所の近くの岸壁に係留して寝泊りされ、毎日作業服姿で自転車に乗って、指導に来られてましたね。
汽船専門の造船所とのやり取りに業を煮やして、夕方遅くに「チョット来てくれ」とお電話を貰いましたね。
造船所との板ばさみで、苦労しましたが、僅かながらでもお手伝いできて幸せでした。
息子にも良い経験をさせて頂きました。
1999年に出来あがった船を、「一度も汐に浮べずに、陸に展示するような、可哀想な事は承知できん」と、港湾区域帆走禁止を盾にとって抵抗する、役人に敢然と立ち向かい、遂に大阪湾での帆走実験を実現されました。
それまで和船は、風上に切り上がる能力を、過小評価されていましたが、
浪華丸はClosed(向かい風)での見事な切り上がりを見せてくれました。 七月のAbeam(横風)を受けて、追い風の帆走を上回る8ノット近くで快走する浪華丸の姿は涙が出るほどの感激でした。
船と海を知らない学者の唱える、「和船は追い風で最も速度が出る」と言う机上の学説は、完全に覆されました。
先生と同じ海に遊び、同じ風を受けることが出来て幸せでした。
有難うございました。
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