maidoの”やたけた”(ブログ版)

ジジイの身辺雑記。今日も生きてまっせ!

年神(トシガミ)-2

2015-01-18 12:37:10 | 支離滅裂- 迷想迷夢-年神(トシガミ)

あれれ、何処へ行くんや? 
<お断り>
例によりまして、記事の内容は特定の団体や個人とは全く関係ございません。
たまたま同名団体や個人が実在しておりましても、全くの偶然です。
アレレ?と思い当たられる方があってもそれは思い過ごし、決して貴方がモデルでは有りません。
</お断り>


「しかし又ベタな大阪弁でんなぁ。神さん生まれは何処ですねん?」
「生まれを訊かれると、はてどう答えたらええもんか?あんたの先祖がこの一身に寄り集まっておぶさってますねん。今喋ってるのは博労町生まれの部分」
「博労町?私娘時代に三和の瓦町支店に居てたんですよ。お会いした事あるかしら?」
「何せ昔の事やからねぇ、多分お会いしてないやろうと」
「しかしウチは元々九州の出の筈やで、大阪生まれとは解せんなぁ、そんな先祖居てたかいな?」

「臼杵の殿の御用で上方に来て、永らく住んでる内に浪華の女子衆(オナゴシュ)と夫婦になって、大阪で生まれ育ったのが先祖に居てるんやがな。」
「臼杵の殿て?」
「大友宗麟に決まってるやろ」
「大友宗麟てキリシタン大名の?」
「他に居てるか?」
「なんやねん、そのもの言いは、オイ、ハエ叩き貸せ!」

「待った待った、それだけは止めといて。」
「居候の分際で言葉に気をつけなアカンで。ところで、それがどういう訳で九州に舞い戻ったんやろ?」
「父親は程なく帰国したものの、乳飲み子を抱えての道中は難儀やからと実家にジュッカイ、何れ迎えに来るというてそれっきり。」
「ジュッカイとは何やいな?」
「実家の二階で厄介になるんで、足してジュッカイ」

「落語のネタかいな、変なとこで足し算せんといてくれるか。しかし、ウチの先祖にしては上手い事逃げたねぇ。親父なんぞは逃げ損ねて仰山認知してたもんやから、相続でエライ目に遭うたがな。」
「ほんまに苦労させたねぇ、おじいちゃんはそっちが達者なくせにオイドの始末がほん悪うてねぇ」
「おばぁちゃん、もうじき向こうで会うやろうから、心配せんでもちゃんと始末つけた言うといたってな」
「まさかあっちゃでも彼女作ってゴジャゴジャしてへんやろねぇ」
「う~ん、あの親父ならやりかねんなぁ、何しろその方面にかけてはマメやったからなぁ」

「これこれ先祖をそない悪しざまに言うんもんやない。新参やから表には出てきてないけれど、あんたの親父もワシの中にいてますねんで。」
「ちゃんとご先祖に逃げ方を習ろてるやろか、ウチのおじいちゃん」
「逃げたんとちゃうがな、天正十四年に島津に攻められて姻戚の吉岡氏諸共皆殺しに遭うたんや。大阪で元服して父の元へ訪ねて行ったが時既に遅し、一族は離 散した後。母子共々流浪の身。それからず~っと田地田畑財産無し、あるのは父の形見は兼友の短刀只一振りのきっぱりと清く貧しい家系なるぞ」

「何の自慢にもならんがな。してみると筋金入りの貧乏町民やねんなぁ」
「なんのなんの、嘉永までは家も無いから町民どころか、も一つ下の借家人」
「そら又ご丁寧に。しかしそないに昔の話かいな!やくたいもない、ウチのカミさんは八百比丘尼やあるまいし何百年も前から生きては無い、多分も何も逢うて るはずがあるもんか。そうか、元服いうたら十四、五やなぁ、そら大阪弁なんもしゃぁ無いねぇ。それにしても年寄り臭い大阪弁やなぁ。」
「あんにゃさんなんばいわっしゃるとね、そげんこついわれるとぐらぐらしようごとある」
「わ~い、外人の先祖もいてるんかいな?」
「いや、今のは豊前の先祖が間違うて表に出て来たんや、気にせんといてんか。」

「ほんなら豊後の先祖が出てきたら『いびしいっちゃ、あなんほげちょる(気持悪う、穴が開いてる)』てなチャッチョルの大分弁で喋るんかいな、ややこしいなぁ。それはそうと博労町というたら難波神社の氏子でっか」
「氏子といわはっても、人間の時なりゃこそ氏神さんもごわりましょうが、今となっては手前も神さんの端欠片(ハシカケ)にごわります。」
「今度は船場言葉かいな、そうや、そうや、あんた神さんでしたなぁ。」
「そうでんがなお忘れのう、そやけど実は難波神社のお札見て実はホッとしましてん」

(待てよ、天正年間に博労町があったんやろか?それに難波神社が今の場所に移ったんは天正十一年(1583)氏神も何もお宮さんがまだ引っ越して来てないやんか、それに回りは湿地帯やったかも知れんなぁ。中々微妙な時期やねぇ。まエエか歴史の教科書でもあるまいし。)

「カミさんでもお札見てホッとしまっか!」
「お札があるくらいやから、少なくとも日本の神さんに敵対心を持ってない事は確かやもんねぇ。去年は一週間早う間違えて、ここはさすがにまだ門松が無い し、ひょっとみたら近所に立派な門松はあったよって、チョッとここで待たせてもらおうと留まったら、これが何とクリスマスツリー。おまけにヤソ教のきつい 家で、一番苦手なア-メンのお祈りと賛美歌攻めに遭うて死ぬかと思うた」

「神さんでも死ぬか!ところで近所で大きなクリスマスツリーといえば?おぉ、古墳の裏にある末日聖徒のモルモン教会やがな。選りによってエライ所へ!キリスト教はあきませんか?」
「そらそうでんがな、キリシタンに限らず『自分らの神以外は邪神や!』てな事言う偏狭頑迷な連中に掛かったら、私等を悪魔と同類の邪神やと言いますねん で。ああいう己等だけが正しいて他は邪悪という唯我独尊、夜郎自大的な態度は感心せんねぇ。日月星辰山川草木全てに八百万の神が宿る豊芦原瑞穂の国に生ま れたからには、もっと多様性を認める寛闊な心を持たんとイカン。その点お宅は仏壇の傍に神棚があって、偵察したら台所に荒神さん、井戸の脇には龍神さんへ のお供え塩までしてますがな。他の部屋には天后やガルーダ、ガネーシャ、ハヌマン、仏も神も内外グチャ混ぜ何でも来いの心の広さは見上げたもんや」

「見上げたもんや、と言われても、皆目誉めて貰ろてる気がせんのやがねぇ」
「いやいや、そんな事は無い、何でもエエ所があれば喰わず嫌いを言わんと取り込んでイニャイニャして我が物にする、その欲どしさ、節操の無さこそ我国の進歩の元、発展の秘訣」
「ひょっとして、誉める振りして貶(ケナ)してまへんか?」
「あんた、相当ひねくれてるねぇ。素直に喜びなはれ」
「さよか、それはどうもお褒めに預かり恐縮ですなぁ。しかし古事記や日本書記に年神さんて出て来んかったような・・・」

「そらそうや、私の原型は日本土着の地祇(クニツカミ)やヤマトが担いできた天神(アマツカミ)と違うて、その後に大陸から来たそうで言わば華僑。いや華僑といえば国籍はそのまま中国やから、私のように同化してしまうと華人の裔(スエ)とでも言うのかいなぁ。」
「何です?あんた私等の先祖やと言いながら不法滞在の違法就労神さんでっか」
「ちゃうちゃう、それは容れ物というか最初の概念がそうやねん。昔々ちゃ~んと永住許可を貰ろて、国籍も取得ずみ。永らくこの国にいてる間に、田の神、先 祖崇拝の影響を受けて、今では元の概念の名残は全く無うなってね、認知度は低いけれどれっきとした日本の神になってますねんで。」

さぁ、困った・・・。
危ない話題に踏み込みかけてはハンドルを切ってたら、思いもよらん展開になってしまいましたねぇ。
中国話やWebは深入りしたらドツボにはまりそうやしなぁ。
まぁエエか、何とかなるやろ。


2005/02/01

年神(トシガミ)-3


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