●「越中利波郡」の変遷!!
■「和名類聚抄」(※平安時代中期に作られた辞書で、承平年間[931年 ~ 938年]に勤子内親王の求めに応じて源順[ミナモトノシタゴウ]が編纂した。)には「礪波郡」又は「止奈美」として見え、その中に「川合」(加波安比)他十一郷、全十二郷が在ったとされる。
■「利波郡」についいては、「利波郡」の「郡司」を勤めた一族で在ると言う「越中石黒氏」の系図では、孝霊天皇の子孫の「波利古臣」が越中に国を賜ってより、「利波郡」と呼び、「累代、郡司」を勤めたと言う。
・明治11年⇒「富山県県会議員選挙」
・明治17年三月⇒「砺波郡郡会議員選挙人公告」(第一回 郡会議員選挙)
・明治29年⇒「砺波郡」を分ち、「東砺波郡」・「西砺波郡」とした。
■「和名類聚抄」(※平安時代中期に作られた辞書で、承平年間[931年 ~ 938年]に勤子内親王の求めに応じて源順[ミナモトノシタゴウ]が編纂した。)には「礪波郡」又は「止奈美」として見え、その中に「川合」(加波安比)他十一郷、全十二郷が在ったとされる。
■「利波郡」についいては、「利波郡」の「郡司」を勤めた一族で在ると言う「越中石黒氏」の系図では、孝霊天皇の子孫の「波利古臣」が越中に国を賜ってより、「利波郡」と呼び、「累代、郡司」を勤めたと言う。
・明治11年⇒「富山県県会議員選挙」
・明治17年三月⇒「砺波郡郡会議員選挙人公告」(第一回 郡会議員選挙)
・明治29年⇒「砺波郡」を分ち、「東砺波郡」・「西砺波郡」とした。