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●「越中五位庄」に「一向一揆」の勢力が集結して『赤丸浅井城』が占領され、一向一揆の首領「下間和泉」が入場した。
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■「赤丸浅井城に一向一揆の首領下間和泉が入城した」事を記載する
「越中」の古書「肯搆泉達録」
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【「肯搆泉達録」;越中通史の先駆けと云われる物語記録で、文化十二年(乙亥)(1815年)の完成。「野崎雅明」の祖父の「野崎伝助」は富山藩に御前物書役として仕え「喚起泉達録」を著した。その志を継いで著したその後継の物語を 「野崎雅明」は「肯搆泉達録」と名付けた。「野崎雅明」は享和2年(1802年)からは藩校の広徳館の学正を勤めた。全15巻のうち初めの12巻は古代神話から前田氏の治世迄、終りの3巻は紀行文・地誌録・年表を加えている。】
■富山県立公文書館に、「下間頼龍の赤丸門徒に対する志納銀座受取状」が遺されている。富山県と石川県の境の「朝日城」に籠城した加賀の富樫一族は女子の解放を条件に全員自害した。(※「富樫記」
その後に一向一揆勢は越中になだれ込んで福光の石黒氏を攻め、引続き五位庄に集結した。五位庄では石堤村の長光寺を中心に一帯は一揆勢力が占領し、赤丸浅井城には一向一揆の首領の下間和泉が入場したと云う。織田信長の時に、石山本願寺は越前朝倉氏と縁組みして強固な同盟を結ぶ。信長は二度にわたり、大阪府の「石山本願寺」、紀州の「鷺の森御堂」を攻めたがその時に「明智光秀」の謀反が起きて京都の「本能寺」で信長は討たれた。
その時期に一向一揆の指導者「下間頼龍」が赤丸村の真宗門徒から志納銀を徴集した記録が公文書館に遺されている。(※「城端別院文書」)
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■加賀の 興福寺庄園河口庄の吉崎に北陸の布教の拠点を構えた「蓮如」は 将軍足利義尚から蓮如に吉崎を離れて一向一揆衆との手を切る様に命令された。浄土真宗の開祖「親鸞」は足利将軍家と密接な縁者の日野家の一族で在り、河口庄は福井の朝倉氏が地頭を勤めていた興福寺庄園内に在り、朝倉氏は足利将軍家の家臣で在ったから、「蓮如」は一向一揆勢に権力者と争わないように度々、門徒に文書を出している。「蓮如」が発した言葉を纏めた「蓮如上人御一代記聞書」の中にも「加州一揆の御迷惑」の文書が遺されている。
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(※歴史書の中に、「赤丸浅井城」の事を「朝日城」と記載しているケースが在り、これは富樫氏が滅亡した石川県の「朝日城」と混同した為だ。富山県郷土史会の論文にも「朝日城」は氷見市の朝日山公園に在った「朝日城」の事だと記載されているものも在り、石川県の朝日城、氷見市の朝日城と混同されているケースがある。)