赤丸米のふるさとから 越中のささやき ぬぬぬ!!!

「勧進帳」の真実、富山県高岡市福岡町赤丸村の消された歴史⇒「越中吉岡庄」から「五位庄」へ

🔴【東大寺大仏造営と越中国礪波郡郡司一族「利波臣志留志」】⇒東大寺大仏造営の貢献をした【越中国礪波郡郡司】の実在記録!!

2021-02-11 | 富山県高岡市福岡町

■【東大寺修院過去帳】
毎年2~3月に開催される「東大寺二月堂」の「お水取り行事」では「東大寺の創建・維持に貢献した人々の過去帳」の【東大寺修院過去帳】が転読される。越中国礪波郡郡司の「利波臣志留志」は「米五千石(※「東大寺要録」➡「続日本紀」では、「米三千石、庄園100丁歩」と記録される。)を寄進して寄進者筆頭に記されており、「越中石黒氏」はこの「利波臣」の末裔と伝えられる。
(※「利波臣志留志」は「大伴家持」の後に「員外介」に任じられて「越中国司」に任じられている。)







◆【東大寺大仏造営の時に米五千石を寄進した越中国利波郡郡司一族の利波臣志留志の実在記録】





「利波臣志留志」は【聖武天皇】が発願された「東大寺大仏造営」のために、「越中国司大伴家持」の下で越中各所の東大寺庄園開発を担当して、「国指定重要文化財東大寺庄園図」には「利波志留志」のサインが遺されている。「万葉集」には「大伴家持」が東大寺の僧「平栄」を迎えて歓迎の宴を開いた事が記録されている。



■毎年、3月に執り行われる東大寺の二月堂の「お水取り行事」では、必ず東大寺大仏建立の関係者の名前が記載された「上院修中過去帳」が御経の転読の時に読み上げられる。大仏造営の時に率先して米五千石を寄進した「利波臣志留志」は、「利波志留志」として最初に読み上げられるが、そこでは、聞き慣れない言葉で読み上げられる。実物を御覧頂くと判るが、何と「リハシルノリ サクハン」と詠まれている。
この意味は謎で、辞書には【作半】として
『中世、荘園で領主と作人が収穫を刈り分けて折半すること。また、その田。新開地・川成りなど収穫が安定しない土地に多くみられた。』となっている。
と云う事は、【「利波氏」の「志留」は『作人』で在り、東大寺と収穫を折半している人】と云う意味になる。







■「東大寺」の解釈では「サクヮン」とは、当時の四等官の【志】を指しているとしている。当時は国家へ「寄進」する事によって官位を買う仕組みが有り、地方の郡司が中央政府の官位に就く事は大変に名誉な時代で在った。
【令外官】
 [検非違使]⇒「別当 カミ」・「佐 スケ」・「尉 ジョウ」・「志 サカン」
この「志サカン」は権限は無く、文書を読み上げたりする雑事を担当した下級官吏で在ったと云う。


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