赤丸米のふるさとから 越中のささやき ぬぬぬ!!!

「勧進帳」の真実、富山県高岡市福岡町赤丸村の消された歴史⇒「越中吉岡庄」から「五位庄」へ

🔴【越中国司大伴家持と越中の東大寺庄園の開発】⇒「聖武天皇の弟が創建された」という【延喜式内社赤丸浅井神社】と「越中国司大伴家持」!!

2021-04-14 | 旧町名 富山県西礪波郡福岡町赤丸

「高岡市立万葉歴史館」の大伴家持像



🔽万葉の花「かたかごの花」(野生のカタクリの花)は、現在も越中の山野に春を呼ぶ花として咲き乱れる。


■「越中国司大伴家持」が赴任していた頃、越中では聖武天皇の祈願を受けて東大寺の庄園開発が盛んに行われて、全国の東大寺庄園の三割が越中に在ったと云われる。この頃、越中利波郡郡司「利波臣志留志」は東大寺庄園の開発を進めるとま同時に、自らは東大寺大仏造営の為に「米三千磧」=三千石を東大寺に寄進して、更に庄園百町歩を寄進して(「合計米五千石」⇒[東大寺要録])、「員外介」と成り従五位下に任じられ、越中国司待遇を受けている。この時期に大伴家持は東大寺の僧「平栄」を出迎えて歓迎の宴を催した事が「万葉集」に記されている。













■「延喜式内社赤丸浅井神社」は「延喜式」掲載の国司が天皇に代わり幣帛を奉納する神社で在り、「越中国司大伴家持」の参拝が在った神社で在る。又、「赤丸浅井神社」には、「皇室八神の一で在り、大伴氏の祖先神でも在る高皇産霊神」が蔡神として祭られている。
「赤丸浅井神社」は「元正天皇の二宮」が717年に創建されたと伝わり、この「二位の宮」とは「文武天皇の二位の宮(二男)」に当たり、「聖武天皇の弟」に当たる「石川朝臣広成」の事で在り、この人物は万葉集にも歌を三首遺しており、大伴家持と共に「恭仁京」で「内舎人」の職に在った事が記載される。

又、越中国の初めての通史とも云われる「肯搆泉達録」には、「元正天皇の二位の宮は赤丸浅井城に在城された」と記載されている。











■この頃、庄川上流に在った「東大寺庄園石粟庄」からは「神田一段」が「延喜式内社赤丸浅井神社」へ寄進され、その記録は正倉院伝来の「石粟庄図」にも記載されている。
















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