●調査した所、「赤丸浅井城 中山治部左衛門国松」の末裔のその後について関係者から伺う事が出来た。
■現在、敦賀市立博物館に所蔵される「中山正弥家文書」と言う大量の古文書が在る。この古文書は売りに出されて古物商経由で博物館が購入したものだと云う。この古文書の中に在る「由緒」には「藤原氏」で「赤丸朝日城(※浅井城の事)」の城主で在ったとされる。
「由緒」では、「赤丸浅井城主の中山直治」は父を亡くして未だ、12才だった為に「能登末森の戦い」では伯父の「柴野城城主寺嶋牛助」に付いて「佐々成政」の軍として「前田利家」の軍と戦ったが、「佐々成政」が「秀吉」に降伏した為に、中山一族は敦賀市に落ち伸びて、やがて、敦賀市では養子縁組をして今井家の養子に成ったと云う。この今井家と高岡市羽広に残る「中山清暉家」とは数年前迄親交が在ったが、現在は所在が分からないと言う。
敦賀市博物館では、この家系については良く分からないと云う。しかし、調査すると、北陸自動車道の杉津Ps近くの敦賀湾沿いに在る「敦賀市大比田地区」にはこの中山一族と見られる家が10軒集積しており、この何れかが本家と見られると云う。
そこで、以前この近くに勤務していた経験から、中山家の一軒に御問い合わせをした所、高齢のご老人が居られる家が一軒在るとの御教示を頂いた。この辺りは敦賀原発の対岸に当たり、近江方面に向かう海沿いの国道八号線に沿っており、「中山や今井一族は元々、近江の出身」とされている「高岡徹氏」の御意見にも合っている様だ。
▼その後、現在の敦賀市の本家筋と言う家の方にお話を伺った。それによると、「中山正弥家」は一家で東京に移り、数年前に屋敷も売り払って、一族の信仰する西国33番札所「華厳寺」の十一面観音を祀る「大比田観音堂」は親族に委ねられて、現在も残されていると言う。
「大比田観音堂」(※敦賀市大比田→北陸自動車道杉津インター近くの海岸地域)