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■加賀藩の記録に「加越能氏族伝」が在り、その中に「越中古代氏族 多治比部氏」が見られる。
「多治比部北里」の事が「大伴家持」の歌に歌われて「万葉集」に見られ、家持が越中で「利波郡主帳多治比部北里」の舘に立ち寄った事が記載される。「大伴家持」の系図には母方に「多治比部氏」の記載が在る。
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■越中吉岡庄の赤丸村領内三日市に「三日市八幡宮」が在り、この神社の神官「青木大和守」は古くから「延喜式内社浅井神社」の末社の「舞谷八幡宮」の神官や「上加茂社」、「下加茂社」の神官を勤めている。
この「青木氏」の系図には「秩父武蔵七党」の青木氏が見られ、別の藤原氏「藤原利仁将軍」を祖とする系統は「勅使 河原直兼」を祖先に持ち、子孫には「加賀右衛門貞勝」が見られる。別系統の「新里実直」の系統は「源頼朝」に仕え、後には南朝の「新田義貞」の家臣として駿河で活躍したと云う。この「青木氏系図」には祖先に「多治比部氏」を母方に持つ多治見成以が居り、その三代後に「青木直盛」と名乗っている。又、この子孫には「加賀家直」がいる。
高岡市福岡町三日市の「青木大和守」の家系は「藤原氏」を唱え、当代で24代と言う。
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■「延喜式内社赤丸浅井神社 由緒」によれば、「祭神」は皇室の神で大伴氏、佐伯氏の祖先神の「八河江比売神」を主神としている。赤丸浅井神社には「一条天皇」の時に蝗害防止の祈願の為に「勅使 川原左京」が遣わされ、その時のお手植えの左右の二本の桜は「勅使桜」と名付けられ、昭和初期迄残って居り、この桜は「遅桜」とも呼ばれて田植の時期を示す大切な桜木として、この桜木に因んで赤丸浅井神社には「加賀白山神社」の祭神「木花咲夜媛」が赤丸浅井神社にも合祀された。その為、「両部神道聖護院派」の山伏で在った赤丸浅井神社には白山山伏の信仰が篤く、白山修験道を開いた「泰澄」が境内に庵を開いたとも伝え、赤丸浅井神社の中興の「石川朝臣広成」や「聖武天皇」の育ての親の「元正天皇」の健康を祈願したと云う。この「石川朝臣広成」は万葉集に三首が掲載されており、大伴家持と恭仁京で内舎人を勤めたと云う。
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■「青木氏」が「郷社赤丸浅井神社」の域内で十八社もの神社の神官を勤めて、「大伴家持」と連なる越中古代氏族「多治比部氏」にも連なる事、赤丸浅井神社が大伴氏の祖先神「八河江比売」を祭神とする事から、三日市八幡宮の神官「青木大和守」の系統は赤丸浅井神社とは密接な一族で在ったと見られる。
この「舞谷八幡宮」の神官「青木大和守」は石堤浅井神社の清水(元々吉田氏)神官が、「吉田神道 高岡関野神社」の配下として三社権現「川人山鞍馬寺」から「石堤浅井神社」を簒奪すべく 争ったのとは異なり、「吉田神道」の裁可状を受けず、現在も神社庁にも属さずに独自の路線を守り続けている事は赤丸浅井神社との特別の関係を窺わせる。
■「越中吉岡庄」は「白河上皇」の時に「京都上賀茂神社」の庄園と成り、南北朝末期には「下鴨神社」の庄園に成っている。(※「賀茂御祖神社諸国神戸記」)
「吉岡庄」に在った「上加茂社」(※福岡町加茂、現在は鳥倉八幡宮に合祀)、「下加茂社」(※福岡町赤丸、現在は舞谷八幡宮に合祀)は古くから赤丸村領三日市の「青木大和守」が神官を勤めた。
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■「吉岡庄」に多く残っている「八幡宮」は「宇佐八幡宮」を勘請したもので、「東大寺」との関係を窺わせる。「聖武天皇」は「東大寺大仏造営」の時に大仏の守護神として「宇佐八幡宮」を勘請されて東大寺に「八幡宮」を創建されている。高岡市周辺には東大寺庄園が拡がっており、「越中吉岡庄」についての記載が「東大寺文書」に見られ、「吉岡庄高田島」の「五位庄神社」の由緒に「聖武天皇勅願社」(※「富山県神社誌」)と記載され、「吉岡庄」と「聖武天皇、「東大寺」との密接な関係が窺われる。その接点として重要なのは、「利波郡」の元になっている古代氏族「越中国司 利波臣志留志」に代表される「利波臣」に由来しており、「利波臣志留志」は聖武天皇が祈願された「東大寺大仏」の造営の時には「米五千石を寄進した」 (※「東大寺要録」)事は、「聖武天皇」と「利波臣志留志」との密接な関係も窺わせる。
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■「東大寺庄園越中石粟庄図」(※「正倉院」蔵)に見られる「浅井神一段」の記載
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■「東大寺文書」には見られる「蓮華王院領越中吉岡庄」の記載
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