赤丸米のふるさとから 越中のささやき ぬぬぬ!!!

「勧進帳」の真実、富山県高岡市福岡町赤丸村の消された歴史⇒「越中吉岡庄」から「五位庄」へ

🔴【石黒氏の研究】と【赤丸浅井城主石黒氏】!!

2021-11-10 | 富山県高岡市福岡町

🔻【石黒氏の歴史の研究】に記される【越中石黒一族】!!
源平合戦で平氏打倒に石黒氏等が活躍した「倶利伽羅山の戦い!!










🔻「越中吉岡庄」(赤丸村)の「浅井城」は「利波臣(志留志)」の末裔の「越中石黒氏が累代居城とした」と伝えられる。
「西礪波郡紀要」、「赤丸名勝誌」、「石黒氏の歴史の研究」等に拠ると、「赤丸浅井城」は当初、「元正天皇の二宮」が居城とされ、その後、累代「石黒氏」が居城とした。平安時代末期には、「源平盛衰記」にも登場する「石黒光景」が赤丸浅井城を居城とし、福岡町木舟の「木舟城」にはその息子の「石黒光弘」を配したとされる。






🔻南北朝時代に【越中吉岡庄(富山県福岡町赤丸村周辺)】を所領とされた南朝の「後醍醐天皇」は奈良県賀名生の石黒一族「掘家」で【赤丸の御旗】を書き記し、南朝の旗標とされた。