前潟都窪の徒然草

折々の社会現象に対する所感、随筆、アフリエイト

【戦後65年 伝えたい記憶】の目次を作成した。

2010-09-20 07:26:07 | 新聞切り抜き
何れも大東亜戦争にまつわる辛く苦しい体験談の披瀝であるが、筆者にも
38度線で聞いた銃声という忘れられない想い出がある。苦楽を共にした妹の和子は昨年夏、優しい夫や出来た嫁、可愛い孫に看取られながら黄泉の国へ旅立った。

【戦後65年 伝えたい記憶】(11)整腸剤は豪華な“おやつ” 母が遺言「兄弟だけで生きよ」
【戦後65年 伝えたい記憶】(10)ロシア兵の略奪の中、2歳弟を背負い歩く小5の姉
【戦後65年 伝えたい記憶】(9)真実は消えぬ…士官学校の絆、26年後届いた
【戦後65年 伝えたい記憶】(8)極寒シベリア、無念の抑留死…甘いキャラメルで命つないだ
【戦後65年 伝えたい記憶】(7)埼玉防空の兄の遺体、27年後に陸軍機とともに発見
【戦後65年 伝えたい記憶】(6)終戦 無線が「銃の御紋章を消せ」 米兵の自動小銃に実感
【戦後65年 伝えたい記憶】(5)空襲の内地で 防空壕2時間…火の海、小川は熱湯に
【戦後65年 伝えたい記憶】(4)特攻で 兄に続き特攻…戦艦大和の艦橋で
【戦後65年 伝えたい記憶】(3)銃後の女 手榴弾持ち病院当直…出征の万歳はしゃいだ4歳
【戦後65年 伝えたい記憶】(2)南方で 酷暑と病の飛行場建設 隣で戦友が額を撃たれ
【戦後65年 伝えたい記憶】(1)大陸で あのノモンハン…麻酔なしで腹を手術