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南風北風―ぱいかじにすかじ―  by  松原敏夫

沖縄、島、シマ、海、ことば、声、感じ、思い、考え、幻、鳥。

かわかみまさと詩集

2016-05-07 | 書評

現代詩は故里をあまり歌わなくなった。現代詩人には故里は乖離と帰還の複層にゆれるものだし、あるいは自然や共同体(村)の体験と感性が希薄だからだ。これは都市中心のモダニズム志向の症状でもある。生まれ島を離れて医者をして今は東京に住む、かわかみまさとは故里の宮古島をよく歌う。それは牧歌的なノスタルジアというものではない。現代化にある存在と危機と苦悩からみる故里である。

「故里は異郷なり/やさしさと愛しさの立ち枯れる異郷なり」(故里は異郷なり)「セメント一袋開けるたびに/海端の命の種は滅び去り/物言わぬ魂はひっそり消える」(護岸工事)と故里の変貌に絶望する詩人は故里の悲惨に記憶の情景を喚起することで内なる故里を歌う。すると島、自然、神、おばあ、神歌、村、海、クイチャーのコスモスが奏でる作品世界が輩出する。

「詩の言葉は記憶の傷みから生まれます。伝えがたい思いを伝えるには、果てしなく遠い生命の初源へ遡及し、同時に、果てし無く遠い未来のまぼろしへ飛び立つ瑞々しい意思が不可欠です。」(あとがき)と述べる詩境はこの詩人が視えるものを単に歌う詩人では無いことを示している。代表作でもある「与那覇湾―ふたたびの海よ」は詩的想像力で編んだオードだ。

「与那覇湾/幻想のきらめく詩人の海/沈黙の泡立つ「無」のプラズマ/言葉はわたしの「無」のすきま風/ U字型に開けた/入り口は永遠の秩序へ放たれ/出口は瞬間の混沌へ還る」

記憶の島の情景に自然性と神話性と哲学を入れ込み融合し、魂、無、宇宙への広がりと深化を紡ぎ出している。島は何もない辺境の地ではなく、豊かな詩的イマージュを生み出す源泉なのだ。

「記憶は熟成すると/たわいない擬態語を口ずさむ/ばぁんな んざぁんが うずがぁ/ずぅずぅ やー んかい ずぅ」(同)

〈島に帰る〉ことで詩人は生きる命のリズムを取り戻す。漂流都市東京のオノマトペ好きな島の詩人は記憶に疼きながら島言葉(スマフツ)を囁くのだ。これは詩人の現代への反抗の声である。

故里を再発見し、失われた情景やもの、ひとを喚起して想像力を駆使しながら、詩語を創造する。まさに「生命の初源」「遠い未来」を目指す詩集といえよう。


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