南風北風―ぱいかじにすかじ―  by  松原敏夫

沖縄、島、シマ、海、ことば、声、感じ、思い、考え、幻、鳥。

黒と白で沖縄の現実を描く画家-真喜志勉個展にふれつつ、とりとめもなく

2014-09-21 | 沖縄の美術

 画家真喜志勉の家は我が家から比較的近い。私が浦添の一角に小さな家を構えて暮らし始めたとき、家の前を、ときどきラグビーボールを手に持ってぽんぽんと叩きながらウォーキングする姿をみることがあった。シャツもラガー用の縞模様シャツをつけていた。そのボールを叩くぽんぽん音が特徴があるので、家のなかでも聞こえた。なので、かれが通ると、その音でだいたいわかったものである。なんでも糖尿のおそれがあるらしく、健康のために運動しているといっていた時期である。

 もうだいぶ前になるが、あるとき、住所のない切手を貼っていない個展の案内の葉書が郵便ポストに入っていたので、鑑賞しに会場にいったら、「松原さんは有名だね、住所を書かなくても葉書は届いたんだね」といたずらぽっく笑った。ジョン・レノンの「イマジン」がかかっていた。あ、そうか、と気付いたのはしばらくしてからだ。通りがけに案内状を自ら我が家のポストに投函していたのだ。それに気づかないとは、なんと鈍い我が人格か。一本やられてしまった。

 かれがMAXPLANというサロン(?)を自宅にこさえたと案内があったので、訪ねて行ったみたら、部屋がふつうにあるだけだった。そこで、コーヒーを飲み、ジャズを聴きながら他愛もないことをしゃべったり、かれのアメリカでの修行中の話やこれまでの制作のことをきいたりして、新鮮な長い夜を楽しく過ごした。

 その後、今度はその部屋のある3階をくり抜いて画廊にしたてて個展をやるようになった。どこかのギャラリーを借りてやると、開催資金が必要なのはいうまでもない。美術作家は、とにかく個展を持続しなければならないから空間確保しなければならない。それも無償の奉仕をするようなものだ。絵が売れなくても、だ。自宅を改装して画廊にしたから、その点、経済的な心配はなくなった。(と思う)

 これまで何度かかれの展示会はみてきた。だいたい私は巷の展示会には疎遠だ。わたしが出かけるのは、案内のある展示会ぐらいのものだ。私は絵画については、案内のほかは、たまに気の向く展示会を鑑賞にいくことがあるが、ほとんど市販される外国や日本の画集をみることですませていた。だから生の絵画をみることにはなれていないし、現代美術の現状に疎い。印刷技術の高度化で近年作製された画集はなかなかのモノだ。図書館などにいくと世界の美術があるので、楽しめる。

 画集では解説というか説明というか文章を読むのが面白かった。大岡信や粟津則雄などをよんだ。造詣の深さからでてくる文章にぞっこんまいって、ふんふん、なるほどなるほどと感心しながら絵の読み方を楽しんだ。しかし、いちばん私のこころをうったのは、やはり小林秀雄であろうか。かれの「ゴッホ」や「近代絵画」は独特だった。絵を語るというより、画家の生き方を語る方法は、絵画批評の誤解をまねいたと批判されることもあるが、私にはよくわかった。絵画も精神の芸術のひとつだ、というのが小林秀雄だった。

 小林秀雄のような見方してなぜ悪いのかわからない。抵抗がなかったので、私もそういう視線でみるくせがついてしまった。だから絵そのものを巧さだけで評価される画家には距離をおくというか、色彩や構図でみせる絵には魅力も感動もしない。絵はやはりその画家の魂や精神が宿るものだ、と私も思う。そこを読む(みる)のが鑑賞だと思うようになっている。だから私は〈ふつうの絵〉は面白くない。ただ描いている絵には関心がない。絵とはなにか、絵の鑑賞とはなにか。絵に価値をみつけるのは、創る側と視る側の精神性の出会いが必要だと思う。それにこたえるような作品。絵画の前にたつと自然とそういう見方のクセがついてしまっている。それは古風でひねくれ錯誤であることは承知している。
  そういうまなざしに応えてくれる絵をいつのまにか探している。だから趣味で描いているひとの絵の個展なんて見る気がしない。趣味は趣味で良い。問題は、なぜ絵を描くのか、自問しながら描くひとになっているかだ。そういう問いをくぐってきて、それでも描くひとがいたとすると本物だと思う。つまり、絵=生き方、存在になるほどの絵描きだ。求めるのはそういう画家だ。

 いっぽう。――造形に魂だって? なにを馬鹿なこといっているんだ、美術はその名のとおり術ごとなんだよ、遊び心が高じてできるもんだよ。みて楽しかったらいいんじゃないか。画家は職人なんだよ。人々の眼を楽しますために存在するもんだよ。そういうサービス精神がなければやってられないよ。馬鹿まじめになってつきあうもんじゃないよ。……そういう声を自作してしまった。

 2013年10月10日~19日。真喜志勉は自宅ギャラリーで個展をおこなった。もう何度目の展示会だろうか。その前の年もこの場所で個展をやったが、あのとき正直、ああ、この画家は衰弱したな、と思った。オスプレイの形があったが、なにか軽薄さや脆弱さが目立って造形の力強さや安定感がなかった。影絵を試行した展示があったが、たどたどしかった。職人的な手のあるひとだと思ったが、なんというか、そんな感じがしなかった。画家は造形の力強さと繊細さで世界の光をとらえ、色で表現する。真喜志勉も以前はそうだったにちがいない。年齢のせいだろうか。画家は肉体労働的な行為者である。画家が身体の衰弱や老いにどうしようもなく襲われるとき、作品に正直にでてくるもんだな、と思った。

 色彩を使わなくなったのはいつからかわからないが、自分の色を〈黒〉と決めているようだ。画家にとって〈自分の色〉を持つのは画風を決定する大事なことである。画家にとって色とは世界を把握する方法でもあるからだ。そして自分の思想精神を表現するように色を選択し意味づけ使う。その黒の絵にはなんども接している。以前、沖縄に配備されたパトリオットミサイルをもじった絵が何点も飾られた展示ギャラリーもあった。それも基調は黒だった。そうなのだ、この画家は沖縄のおかれた時事性とアクチュアリティ性を制作の契機にしている。カラーを使わない。沖縄の色は黒だからだ。それはわかる。だがいいのか。それで。光へのあこがれはないのか。色彩への暴力はないのか。



 黒の対局は白である。黒は白を撃って浮き立たせる。白は逆に黒を撃って浮き立たせる。その間にあるのが、灰色だ。この三色は同系でありながら、お互いに緊張関係を生み出す。撃て、白を!撃て、黒を!灰色はその闘争から生まれ、たちあがる<あいまいな色>だ。その色彩にこめるのが画家の思想であり魂であり精神だ。黒は闇だし、白は光、二つが差し込んで灰色ができる。(考えてみれば、我々はほとんど灰色に存在している。したがって、みんな無罪ではない。……)

 真喜志勉にとって色とは何か。そこは一度は問わなければならない。かれはタブローを自分の世界に見立ている。黒と白を使いながら、形の主張をしている。その色と形は沖縄の置かれた現実を造形している。となると、真喜志勉の創作契機(画境)は、はっきりしてくる。かれは内面の、抽象の、画家ではないということだ。抽象画は現実への深い絶望からうまれる。それに反して、真喜志勉の作品は外に向かって奇妙な軋みを遊んでいる。性癖からくるのか。冗談、からかい、戯画、諧謔を通してある主張をみせている。白は現実を切開する色となっている。なぜなら白は外部だからだ。白は面を攻撃し、なじむどころか現実を主張する色となる。具象にもいかない、抽象にもいかない、どっちつかずの外部の、状況への画境で描いているといえる。では黒と白と灰をさまよい、真喜志勉は、まだ絶望していないのか。

 黒というと私はイタリアの写真家マリオ・ジャコメッリの写真を想いだしている。セニガリアがどういう町なのか知らない。が、人間のすむ町であることはわかる。そこに生死があることはわかる。生死は普遍的だからだ。ジャコメッリが撮影した老人や町の人々は、風俗や習俗を身体にまとい、ふつうに生きていたひとびとだ。つつましく、貧しく、どこに逃避することもなく。もちろんナチス・ドイツやムソリーニの時代、あるいはそれ以前、ローマ帝国時代、中世の宗教支配、の影響を受けたであろう。その地には、その地の独特の歴史や文化や宗教や匂いや声や音楽や喧噪や静寂や伝説がある。ジャコメッリの撮した風景や人々はそういう過去や風景に生きて暮らして死んでいった人間の血や闇をを引きずっている。おそらく閉鎖的な村であったろう、町や村の寡黙な影がどうしようもなく出てきている。そうだ。寡黙だ。寡黙がよく語るのだ。そして寡黙は黒だった。

 黒というのは、光への対峙だと想う。黒や影を浮き立たせるのは白の光だ。どんな光か。光にも質がある。黒や影にも質がある。目にみえないものだ。人の悲しみや寂しさは形としてあるものではない。それは表情にしかない。その質を描かなければならない。どういうふうに?画家の境涯や精神性によって、だ。したがって、もはや色は画家の精神性で決めるものだ。われわれは光だけではとらえきれない世界を所有している。光が届かないあるいは反対にある影を、傷のように負っている。そこをどう表現するか。

 私は光は好きだし、影や黒も好きだ。視覚は両方持たねばならない。光は定形ではないし、白ではないし、明ではないし、影と黒で存在するものだ。だから絶対的な陰翳として絵は描かねばならない。だが黒はイージーだな、と思う。黒は色を支配し、黙らせる。カラフルは喜びだ。饒舌だ。カラフルは軽快と安心である。だが黒は対局だ。沈黙の表現だ。怒りだ。これは思惟の話ではなく感覚だ。

 今回の展示も昨年同様、オスプレイがモチーフだった。昨年より造形力を回復したなという勝手な印象をもった。創作契機(画境)の「時事性」と「アクチュアリティ性」は健在だった。(カメラを忘れて写真をとらなかったので、画像を貼り付けることができない。上の写真は前年の展示会のものである。)
 独特の画風。タブローには自然がない。人間がいない。兵器。輸送車の荷物用の硬質な布、金属、破壊、墜落、クライシス、不気味……。事故かテロか。爆発まえの、墜落だ。非現実の視覚のテロを実行している。真喜志勉の政治的主張が絵のテーマと一体となっている。それが黒なのか。テロは黒だ。沖縄の現実は黒だ。テロと黒。このへんを徹底したらもっと面白かったかもしれない。リアリズムでありながらリアルを変形するおもしろさ。そしてジャズ音楽を流せばよかった。真喜志勉の絵にはジャズがお似合いだ。もっと、らしく派手な雰囲気がほしかった。真喜志勉の造形の意図がそう思わせるのだ。少し気になったのは、タブローの構図に変化がないことだ。類型的な構図が多く、変化がなくおとなしい。制作にあまり時間をかけてないのではないかとこれまた勝手な感想をもった。「Futenma→Henoko→Odaiba」、という、ことば遊びはマックストム的なモダニズムが健在ではあったが。それぞれの作品に題名をうっていない。なぜか。その意図はなにか。完成の拒否なのか放棄なのか。

 画家も孤独だなと思う。青春期の盛んな創作時代から生理的に老いて、こうして、目立たない展示会を持続することで存在を示している。活動をつないでいる。作品発表という活動がなければ芸術活動は死にも等しい。老境の画家は持続と非持続を闘いながら、瀬戸際のような心境にいるにちがいない。だが対局に創作契機の現実があるかぎり、やめるわけにはいかない。せめてそのジャズ的孤独に拍手を送ろう。



                                         詩誌『アブ』14号(2014年1月発行)から(加筆訂正)


宮城明展「表皮一体」

2014-05-16 | 沖縄の美術

 沖縄科学技術大学院大学で行われた宮城明展「表皮一体」(2013・2・25~5・10)をみた。この大学は見学したことがなかったのでいい機会でもあった。いい天気だった。そのいい天気が展示会に対する印象に影響を与えてしまった。

 展示会場としてはよくない。建物と建物を結ぶ橋を筒状にした通路で宙に浮く格好である。外部とガラス張りだから太陽の光が遠慮なく入ってくるし、通路なので、研究者や職員が頻繁に動的に通って、視線の落ち着きがとれない。それでも無視しながら鑑賞するしかない。タブローの絵画と相反する展示場でとても仲良くできない感じがする。ギャラリーとはもともと廊下の意味なので、静かなホールである必要はないかもしれない。工作物ならいい。さすがに科学技術を標榜する施設だ。その会場、スカイウオークといっているらしい。

 点数は少ないが久しぶりに堪能した。もはや挑戦や実験というものではない。技術が定着した果実の感がある。モダニズムの残滓が造形の手になお流れているように思ったが、制作意識を高め持続してきた方法を深化したものが美術家の現在というものであろう。

 

 アルミ金属の自在の変形がある。切断と繋ぎと叩きと色焼きから生まれた変形がある。平面と境界の瀬戸際に出没する動的で隠れたリアリズムな作品。金属質だが、どこか人間的なのである。そんな感じを抱かせる。
 「BODYⅢ2010」はひびや亀裂を表面に浮かせていて、線は生き生きとして波を打ち躍動的である。隠れた内面が浮き上がってくるようにも思えた。それがなにかひとつの宇宙、生命を持った生き物であるかのようである。であれば、あのスキゾの無数の線は危うげに浮く生命線である。
 釘で繋がれた皮膚のようにみえる。血管であろうか。何カ所かに赤い点がある。それは血管の破裂を意味しているか。繋ぎかたが痛々しいのだ。生き生きしながら、痛々しい。人間はこんな痛々しい生命をもって生きている。生者は肉体である。だが、向こうには、やがて死がやがてやってくるかもしれないであろうことを漂わせている。
 生き生きした物の消滅。「ジーンズ」は、いわれるように身体の暗喩か。切断され、たたまれ、潰され、伸ばされ、汚され、固められ、変形の創造でなにかに向かっている。綺麗さはない。デザインを破壊している。まるで死体ではないか。面白さ趣向から離れて、ある中心と拡散に向かっている。
 作品と視るひとの関係について思いをめぐらしてみる。美術作家の手の先が造形であることは宿命でもある。造形の、その先に深淵がひそんいることの暗示を視覚でみるためには眼をつかうしかない。だがほんとうは展示会だけで作品を理解するのは無理だ。ほんとうに理解するには、制作過程で作者の思想とたちあう必要がある。作品には秘密があるはずである。
 しかし、とまた思う。そもそも美術に理解というシンパシーは必要ない。美術とは創造的な遊びなのだから、誕生した造形作品を、色を形を、何かが描かれたものを遊ぶのいちばんいい。その何かを感じればいいのだ。

  展示会の副題に「アイデンティティの探求」と銘打っている。「アイデンティティ」はブームであるし、あったし、浮遊する現代モダニズムを問う言葉、ポストモダンとして、その罠に取り込む奇妙な力を持っている。しかし、使い古された語彙ではある。アイデンティティ?なにも安易な狭隘な既成化の世界にあてはめなくても……「探求」というからほっとしたが。「表皮一体」とは、いいね、刺激的だ。もっといえば、例えば「物のささやき」「物質との会話」「殴られた私」「変貌する喚起」「行方の不確かな手」「遠い答えを掴む自分」「曖昧にも生きている世界」……とかユニバーサルなものに近づくような名称を思い、宮城明展をみながら、私のなかでそんな題名を勝手に考えていた。だがあとで、あれ、これこそ、類似的でいい加減だなと反省したが。とにかく喚起的題名のほうが観るものを刺激すると思う。

 宮城明はイメージで制作するのではなく、物の変化で制作するとか言っていた。だから彼の芸術は「描き」ではないのだ。したがって絵画ではない。物の変化に敏感であること。これが宮城明なのだ。これは彼自身の芸術観、世界観、創造することへの秘密を語っている。
 たぶん宮城明は沖縄現代美術で先をいっているひとなのであろう。政治的メッセージや土着、風土性を故意に取り込んだり、アイデンティティへの回帰と、写生で安定する多くの沖縄美術とはちがう。芸術とはつくることではなく破壊から生まれると思っているひとではないか。彼の芸術にマルセル・デュシャンの血が流れているとするのはたやすい。問題は<沖縄におけるユニバーサルなもの>をいかに造形するかである。すでにあるものに甘えてはならないのが現代芸術の原動力だ。デュシャンのような、形を呪詛する暗い明るさと絶望、虚無の遊びを極限にまで制作してしまった芸術には模倣はいらない。宮城明自身も内面で、それを問い続けてきた。制作は、その問いの現在からほとばしるものであり、しかし、それは過程であり、完成なき完成の領域でうまれる造形であるのだ、といっているように僕には思える。

 それにしても、展示会場の立地と眺望よ。作品の後方にみえる、遠くの海の青さに広がる情景に眼がいってしまった。あまり色彩のない展示物と青(海、空)、緑(樹木)、赤(瓦)の外のカラフルな光景が風景画のようにあった。眼の行き場が外に誘惑されることがしばしばだった。展示空間からみえる遠くのあれも作品なのか。宮城明の金属的な抽象芸術と沖縄風景という具象芸術の風景画が対峙する構図が妙に気に入って両方とも私の眼を捉えてしばし離さなかった。

                                             「詩誌アブ」第13号(2013年5月)加筆訂正