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南風北風―ぱいかじにすかじ―  by  松原敏夫

沖縄、島、シマ、海、ことば、声、感じ、思い、考え、幻、鳥。

豊饒な寡黙

2019-06-30 | 詩または歌

明け染めのひがしの空の
思うときの雲の争いの
虚無の流雲のささやきの
当然崩れるこの睦月の始まりの 

瓦礫の夢の風化する島の
言葉無き部屋の寒々の
布団の中のぬくもりの
心臓病みの独り寝の 

女離れて寝る呼吸音の
朝の自転車の軋み音の
ゴミ漁る音の正月の
風の音の啼き声の 

耳鳴りの喘ぎの空の
おれのこの居所一人部屋の
しんとした闇の中心の
重き鳥のさ舞う乱気流の 

静かさの和服のおんなの
帯を解くアダルトの音の
おんな絵描きの薔薇筆の
裸体の乳房の陰翳の詩の底の 

映画の光に影が絶妙の
映像のあやしき姿の
美しき人妻の性の放縦の
性の演技の美しさの 

何もないのうそぶきの
離魂の果てのささやきの
文学の果て先の空虚の
南の空の青の眠りの 

島に生まれて生き死にの
父となり母を作りの
子を作りの孤の苑の
人の命の明け染めの 

歌のわびしさのいのち空の
尿の匂いの病院待合室の
老いぼればかりの中のひとりの
片隅の侘びしさとわが醜悪さの 

これは生の影の匂いの
病と死の通行する場所の
言葉のない寡黙の老いの
喜劇と苦痛の病院の 

生きてきた春の日の
マリオ・ジャコメッリの捉える影のようの
看護士の声だけの元気さの
病院の廊下の昼下がりの 

生の明るさよりも死の静かさの
暗き異界へ傾きの
老いは絶望の坂道の
長寿の島の裏通りの 

時こそ確かに過ぎることの
躯体の疲れの生き物の果ての
落ちたものさえ拾えぬぼろ骨の
壊れ壊れの黄昏の 

外に出れば光と風の
末梢神経やみの美しき風景の
眼に過去の影のちらつきの
捨てた夢にはぜる叫びのとおり過ぎ

 

 


古代琉球残滓の風景―潮鳴りの村         松原敏夫

2019-04-22 | 詩または歌

遠きみなみの島の灰色の
青空に突き刺す割れたセメント瓦の
屋根に取り付いた雑草の葉の先の
海からそよぐ風に震えるそよそよと 

潮鳴りの海に近き寂しい村の
人の捨てた割れた石垣の廃屋の
壁のコンクリートのふち果ての
さらに腐蝕の思い出そうそうと 

フクギの木々の下の
濃き影にあかあかの日射しの
太陽は真上から降る光のスコールの
神無月と交わる汗の季節に夏は残り 

蔦の茂る森の彼方の潮騒の
村はさびれて秋空の
人影のない白道に幽かに響き来る歌の
いずこともなく聞こえくるかウガン通り 

バタヤンの「ふるさとの灯台」漏れ来たり
人はみえぬが村の呼吸のささやき感じ
暗い抒情の静けさが寡黙の道を覆い
はずれの畜舎から山羊が不意に鳴き叫び 

ある声のささやき声のラジオの声にあらざるの
不思議と思いし空耳の
どこやら女がひとりごとつぶやけり 
闇の匂う風に耳あたり

何の内容のひとりごとか視えぬ思いの
民家のなかの暗きところに
言葉ゆらめき耳を刺激の霊魂うごめき
幻を視て 闇の底のここで狂い死にの

遠きも近き幻聴の
異界もそば立ち不思議がる蜻蛉は宙を舞い
やがて白い蝶が音もなく蜘蛛の巣にひっかかり
古代琉球の神々がそこにありやかと

 

 

 


近作詩 夕日の彼方

2019-04-12 | 詩または歌

 夕日の彼方           松原敏夫
 

生きてきた時を振り返るように
その夕日が
ほのかに朱い運命を散りばめながら
水平線に落ちていく。

今日 幻となった あのひと。
夕焼けが広がって
弔いの声をあげていたのに
もう聞こえない。 

喪服の夜が言葉なくやってきて
星が遠くから歩いてくる。
少しずつ小さな光を出し
またたきはじめている。

やがて星座たち
きらきら ちらちら と
死の夜空を編んでいくんだね。

銀河を見上げると
珍しくおセンチに
そこに佇むおまえは
これからの不在に向かって
宇宙の寂寥を歌うがいい。
流れる星や風の輪廻を思いながら
死生の果てにいたあのひとを
看取っていた事などを。 

知っているかい。
落ちたあの夕日は
遠い海の向こうの国では
朝日となって昇っている。
その国では
落日が朝日となって生まれ変わり
人々に新鮮な朝を与え
一日を約束する光になっているんだよ。

 


夢の中のゴッホおじさん

2019-03-11 | 詩または歌

 十三歳になったヨーアサがアルルの黄色い家に住んでいるゴッホおじさんを訪ねていくと、部屋の壁に腰掛けの絵が立てかけてありました。ゴッホおじさんはその腰掛けに座っていました。もう古びてくたびれていて、今にも壊れてしまいそうです。ちょっと動くたびにぎいぎい音がでます。

 「この腰掛けに座ってゴーギャンとよく話したもんだよ」

 ゴッホおじさんはそういってパイプをくゆらせながらキャンバスに向かっています。アルルの吊り橋の絵です。まだ完成していないらしく筆を何度もなでていました。耳にはまだ包帯をまいていました。あの耳切り事件からなんだかゴッホおじさんの病気は少し落ち着いているように見えました。気持ちが不安定でどうしようもない場合は、自分を傷つけるといいよ、そうすると落ち着くんだと言ったことがあります。ヨーアサもその気持ちは充分わかりました。そんな時、ヨーアサも何度かリストカットしたことがあるからです。

 ヨーアサは持ってきた黄色いひまわりをゴッホおじさんに見せました。ゴッホおじさんは眼を輝かせて見つめていましたが、やがて悲しそうな顔になりました。パリにいたときは黄色の花が好きだった、でも今はそんな気分じゃないんだよ、といいました。そして、一緒に住んでいたゴーギャンが去っていったことを話しました。 

 「いま、おじさんはとても悲しいよ、理想としていた生活が壊れてしまったんだからね。」

 ここに来る前、クリスチーヌおばさんがゴッホおじさんの事をいったことを思い出しました。

 「あのひとは気性が激しいから気をつけるんだよ。」

 アルルの町では、すぐ噂がひろがります。ゴッホおじさんとゴーギャンさんは、家の中だけでなく、絵に描いたことのある夜のカフェでもいつも大声で喧嘩していました。ゴッホおじさんはパリから来た変人画家といわれていました。ヨーアサはひまわりを花瓶に生けてあげました。

 ゴッホおじさんは、見かけは神経質で怖そうですが、ヨーアサは怖いと思いませんでした。そして知っていました。ゴッホおじさんの苦しみは、もうどうにもならないところに来ていることを。そう思うのは絵を描くことで自分を慰めていたゴッホおじさんが絵を描きながら涙を流しているのを見たからです。それは郵便配達屋のルーランおじさんからも聞きました。モデルになって描いて貰っていたときゴッホおじさんが何故か不意に泣き出したというのです。そしてぽつりと言ったそうです。

 ―― 何もかもうまくいかない。

 それから数ヶ月してヨーアサがゴッホおじさんの家を訪ねたら、サン・レミの精神病院に移っていました。

 


むつみ橋界隈―悲しみがコーヒーを呑んでいる    松原敏夫  

2017-08-22 | 詩または歌

そぞろに心を奪われ
那覇の国際通りを歩いたら
三叉路が多いことに気づく
主流にぶつかるように
屈折して流れる失われた時を思い出した

ここはむつみ橋三叉路
誰とむつみ合えばいいのか
架ける橋が隠れてみえない

沖映通りの下を海に向かって
ガーブ河という泥の河が流れている
生者を死者に変え氾濫したカオスの川
その河を蔽うように造られた長い建物
大蛇のように南北に伸びる水上店舗

牧志市場に続く小さな店が並ぶ
店をやっているのはほとんど女たち
貧しかった彼女たちは
今ではお金持ちだそうだ
喰わしてもらっている男が多いらしい
そんな男たちがうらやましい

そんな店の前を歩くと
たくましい女たちが声をかけてくる
「こーみそーれ!」は聞こえない
「いかがですか!」が聞こえる

むつみ橋の近くには
道ばたに座り込んで
ハーモニカを吹いている白髪男がいる
目が不自由らしい
島ぞうりでひざまずいて
片手で金属の食器を差し出している
なにを吹いているのか雑踏で聞こえない

光景を内側で痛みながら
瞳の奥で昔の情景が通っていく
東京からきたドンキホーテが近くにいる
サンチョ・パンサはどこにいるのか
むつみ橋よ
近くからは焼肉の匂いがする 

国際通りにたそがれがやってきた
あの白髪男はいない
近くのスタバで
旅行者風のカップルが旅の話をしている
ガイドブックを広げて
スマホの顔を寄せ合っている
今夜はホテルで互いの生を交わして
明日はどこかに出かけるだろう 

隣りのテーブルでは
不器用な悲しみがコーヒーを飲んでいる


新作公開 「たそがれの砂浜で」―薔薇は嘘でも咲いて欲しい   松原敏夫

2016-12-21 | 詩または歌

たそがれの砂浜で―薔薇は嘘でも咲いて欲しい 

浜辺の砂に映る長い影が
いのちを道連れに歩いている。
長いのが愉快だし
これが自分の影なのもおかしかった。
光と反対の存在だから
やがて消えてしまうだろう。
波のざわめきを聞いていると
今をよく生きろとか何をしているのかとか
ときどき哲学的な音になっていた。

この世の果てから
琥珀色の海風が走ってきて
たそがれの肩をたたいたりする。
振り返ってみると恥だらけの足跡があった。

褒められることなどしてこなかった。
やるべきことをやってこなかった。
かけるべき言葉をかけてこなかった。
謝るべきことは数え切れない。
現実は失ったものばかりで悲惨だから
今はそれをさんげに語らせよう。
身心にもヒビが進んでいくから
千行の人生を一行にして生きよう。
そんな切実を日常にばらまいて
日々を残さず生きる。

予定していることを
前倒しにしたり。
例えば営みごとで
来年予定している温水洗浄便座の交換を
明日の午前十時にして電器屋を呼んだり。

生の失敗を何度も実践したし
老いさえも駆け足で今を追い抜いていくから
残生のために薔薇を植えようと思う。
過去はイメージどおりの生にできなかった。

薔薇は嘘でも咲いて欲しい。

たそがれる そのままの日々を
矛盾のまま正当に生きている。
意味と無意味で割りきれない葛藤の品々に
囲まれて生存するから
そんな生き方でいいじゃないか。
立派な生き方なんかあるわけないじゃないか。
くず鉄のような運命を生きているだけでいい。

子供と犬が走っている。
夕日が沈んでいく。
天気予報では明日は雨だそうだ。


近作詩 「夕日の彼方」   地上から宇宙へまぎれゆくもの

2016-11-03 | 詩または歌

夕日の彼方        松原敏夫          

 

生きてきた時を振り返るように
その夕日が
ほのかに朱い運命を散りばめながら
水平線に落ちていく。
今日 幻となった あのひと。
夕焼けが広がって
弔いの声をあげていたのに
もう聞こえない。 


喪服の夜が言葉なくやってきて
星が遠くから歩いてくる。
少しずつ小さな光を出し
またたきはじめている。
やがて星座たち
きらきら ちらちら と
死の夜空を編んでいくんだね。
銀河を見上げると
珍しくおセンチに
そこに佇むおまえは
これからの不在に向かって
宇宙の寂寥を歌うがいい。
流れる星や風の輪廻を思いながら
死生の果てにいたあのひとを
看取っていた事などを。
 

知っているかい。
落ちたあの夕日は
遠い海の向こうの国では
朝日となって昇っている。
その国では
落日が朝日となって生まれ変わり
人々に新鮮な朝を与え
一日を約束する光になっているんだよ。

 

 

 


近作詩  「あなたを探して Ⅲ」  

2016-10-17 | 詩または歌

あなたを探して Ⅲ        松原敏夫

 

市場から仏具通りの坂を下る。香炉の前を語りたげな影が通過する。
過ごした時間が立ち上がる。便箋の向こうにいるひと。哀愁が好きな
襤褸の精神。あなたが手紙を向日葵で埋めたとき、沈黙は生のほう
に向かった。あなたは書いた、気まぐれな暗さに乾杯しよう、と。

那覇は青春を放つのに格好の街だった。無謀と希望。抵抗と反逆。生
の破滅とトタン屋根のはしゃぎ。アルコールと愛と「青い影」。薄汚れた
風のような浪費。

瞼を開くようにマンションのカーテンを開ける。光線。広場。ビル。路上。
三線。この街で喪失した物語が運命をひきつれて流れている。空っぽ
の部屋は腐食しはじめている。わずかな夢をここで生きなければなら
ない。

記憶が隠れた旋律を採譜した。邂逅のあとの誤算は惨憺たる楽しさ。
夢は曲がり角だらけでおかしかったからコーヒーカップや玄関ドアでさ
え歌にした。

時は背中をむけて夜のベランダから去った。青春も生も死も淡い鈍色
にかがやく。仏具通り。あなたの幻影。あなたの歌が薔薇のように突き
刺さって消えていった。