島言葉で書く、伝達の問題
松原 ひさしぶりだね。元気だった?
東中 こんな人間だから相変わらずさ。あいかわらずのアルコールづけだよ。
松原 呑むのは準備したからね。呑みながら気楽にいこう。最近の沖縄の詩文学というか、言葉の問題、とくに島言葉と詩との関係をテーマに話したいが、つきあってくれないか。
東中 いいねえ。しかしなにか、おめえらしいテーマだね。ま、最近の文学状況にちょっとこだわっているおれも関心がある。こっちも聞きたいからちょうどいい。おめえも島言葉を使って書いているのがあるよね。
松原 それをひとつ、まず前座で出してみよう。「いすぱぎの歌」という駄作なんだが。
いすぱぎの唄(を朗読する)
駄目(だみ)。
何(の)うゆしまい駄目(だみ)。
いすぱぎ。
ぱぎぬ足(ぱぎ)。
日数(ぴかず)はぴかぴかのいすぱぎ話(ぱなす)。
今日(きゅう)まいまたわいてぃ
為(す)うって思(うむ)いど
為(し)いみいたいすが
何(の)うゆしまい駄目(だみ)。
いすぱき者(むぬ)
いすぱぎ生(ん)まり
あらら。あららがあらら。
女(みどぅん)んまい見(み)いーん。
仕事(すぐと)まい無(に)ゃあん。
銭(じん)んまい無(に)ゃあん
猫(まゆ)のニャンニャコにゃあん。
何(の)うゆまい為(し)いらいん。
あなぎな青年(にしゃい)んどなりうす。
いすぱぎぬ
ぱぎぬ端(ぱす)。
狂(ぷ)りんなよ狂(ぷ)りんなよ。
今(んなま)あ沈黙(すな)しい居(う)りよう
ウリウリ。ゴーラ。
ゴーラのサミガマ。
ばたばた鳥(とず)や飛び
腹(ばた)腐(ふさ)さりむぬやいば。
肝(きむ)かしや。
糞(ふす)かしや。
人生ゆど賭きたいすが
ぱていてうてい賭けたいすが
皆(ん)んな大失敗!
大仕事(うぷすごと)まい
パチンコまい
宝くじまい
期待しゅうたい試験まい
だあめの駄目(だみ)。
いすぱぎ。
うりゃあ真夜中(ゆさらび)んぎさいが。
あすがど魂(たます)をば落(う)とすなよ。
あがいたんでぃ。
たんでいがたんでぃ。
太陽(てぃら)ゆ。
死(す)に落(う)ちう太陽(てぃら)ゆ。
次(つぎ)ん出会(いで)う時(とき)んな光(ぴか)らしよ。
くぬいすぱぎ世(ゆ)ゆどゆ。
何時(いつ)がらあんど光(ぴかい)ぬど昇(ぬぶ)い来(く)すぱずど。
うりゅう待ちゅうり。
太陽(てぃら)あまた落(う)ちどすやいしが。
あんちぬ時(とく)んな
いすぱぎの季節(とく)んな
酒(さき)がまを飲(ぬ)み
臍(んーぶ)掻き快感(ずみ)あしぃ
寝(に)ぃうゅーどます。
松原 さあ、どうだった?この不運な島の男を歌った島ポエムは。
東中 島ポエム?というのか。はじめて聞くね。そんな言い方。しかし長いね。これでポエムか。「いすぱぎ」というのはなに?
松原 ついていない、運がない、という意味。
東中 うちあたいする言葉だな。だからさ。ことばの意味がわからないんだよ。ただ音声だけが耳を通過するだけだよ。おめえの島言葉は、方言というのか、宮古の言葉、宮古語だろう?
松原 はい、いちおう、ぼくの母語ということでね、ミャークフツです。わからない、まったくか?
東中 ちちんぷい、だよ。どうしてそうちがうのかね。
松原 やっぱりな。この詩は何年前だったか現代詩人会西日本ゼミナールというのが那覇であったとき、そこで朗読したものだ。そのとき沖縄のある詩人が訳をつけないでよく読んだなというんだよ。不親切だってね。
東中 おれもそう思うよ。だいいちわからないんだから。わからない言語をつかってどうだった、というのはね。ひとりよがりでしょう。理解を無視しているという感じさえする。でも、ま、そんな言語が近くにあるというのかな。そういうところから言語の問題にしてもいい。
松原 言語は伝達機能が基本であるだろうが、文学というのは、言語による非現実世界の構築というものだろう。伝達のためよりも言葉で現実とは違う世界を創造すること。そこをみてほしいな。
東中 古くさいいいかただね。そんなことは前提ではないの。なにを言語で表現するのか、幻想や想像力を使って言語世界を築こうってわけでしょう。おめえはなんで宮古語で書くわけ?
松原 島言葉で詩作するようになったのは、たいそうな欲があったわけではない。最初は面白いからだという快楽からだったし、自分の言語表現の拡大を図ることが目的だった。島言葉を詩語にしたらどうなるかということね。しかし島言葉というのか方言というのか琉球語、沖縄語というのか、土着の言葉で表現してきたのは、昔からあったわけよね。琉歌とか劇文学である組踊や沖縄芝居の台詞とか。さらには島唄の民謡だとか。だから戦後において、戦後文学が方言を使うようになったというのは何も珍しいことではない。
東中 方言撲滅という近代の苦い経験はあったが、沖縄語はなお生き延びてきたわけね。普通でもあちこちで方言を聞くことはきくし、たしかに書物でも眼にしたり耳にしたりする。しかし、復帰後世代がどんどん増えているし、さまざまなきっかけで移住してくる本土の人が増えている。いわゆる新世代のウチナーンチュとヤマトンチュの人口増加が沖縄社会を変容させることは目に見えている。すさまじい日本化の過程で日本語が言語生活を支配して、沖縄の言葉は存続が危ういと騒いでいる状況があるよね。その原因でもあるかつての標準語励行運動はおれの子供のころにもあったがね。
松原 ぼくもさ、小学校で、「標準語をつかいましょう」というポスターを書かされたことがあったね。標準語でのお話大会というのもあったね、上手な標準語で人前で発表する、というね。それでみんな拍手するわけよ。そのとき学校の先生が一生懸命指導したわけでしょう。佐藤首相が宮古島に来たとき、日の丸の旗を持たされてさ、道でふるわけよ。あの先生達が標準語励行を進めて日本祖国復帰運動をしたわけなんだけど、いまは逆にしまくとぅばを使いましょうといっている。このまえ島に帰ったら、農業が盛んなの広場で、「スマフツ大会」をやっていた。スマフツというのは島言葉のことだ。出てくるのは、みんな大人なんだよ。ぼくも懐かしくなって、飛び入りで出ようかなと思ったりした。かれらの前で、この「いすぱぎの歌」を読んだら、どういう反応したかな、と。
東中 そりゃ同じスマフツだから通じるだろう。だけど内容が暗いから期待できないんじゃない。
松原 通ずるだけでもいいよ。詩の問題とはちがうけど。
東中 とにかくさ、やはりなんで島言葉を使って詩を書くわけ?相手にもされない。相手がわからない言葉を使って、書いても馬鹿みたいじゃないの?そんな徒労より日本語というのか共通語を使って書いたほうがいいんじゃないの。
松原 ぼくの場合は島言葉を共通の舞台にするという考えがあまりないわけ。詩の言葉というのは個人的なものと思っているし、個人を語るというのか表現するというのか。そこに徹している文学が好きなんだな。さっきもいったが島言葉で詩的表現というのか詩的言語の拡大、冒険を試しているといえばいいのかな。だいたい詩人というものは常に言語表現を解体して新しい言語をつくるのが存在価値があるとおもうところがあるからなんだよ。これはぼくのランボー体験に起因するわけだけど。
シュルレアリスムと島言葉
東中 おめえはあちら風の影響が強いやつだからな。シュルレアリスムがどうのこうのとか。
松原 それほどぞっこんになってきたわけではないよ。詩の方法として特異な方法なのが面白いからなんだ。言葉を哲学や思想や芸術と交差させて発展させていく考えがあるのがいいね。1910年代から20年代のダダ運動はその一端だった。言葉で言葉を変えることが文学の役割だった。20世紀の詩は若いから希望があった。ブルトンらのシュルレアリスム運動はてきめんだった。ダダの指導者だったツァラは言語表現を破壊的に進めたが新奇さで持っていたようなものでいつしか飽きられていったのがダダの運命だったんだね。
東中 そこは君も同じじゃないか。君の『ゆがいなブザのパリヤー』は新奇さを狙ったようなところがあるんじゃないのか。ダダやシュルレアリスムにつながるような。日常や現実がよくわからないような詩が多いよね。
松原 そうかな。そういうふうにみられるのはよしとしないでもない。他の書き方とはちがうものを詩作したいとかね。シュルレアリスムに共感するのは、人間の無意識を芸術にするという実験でしょう。だれも気がつかなかった方法。フロイトの影響でもあるわけだけど、精神世界を描き出すという方法は深層心理、外側からみえない壮大な世界、意識されないのに存在する世界、人間には不可視の芸術の世界があることを気づかせたわけでしょう。超現実主義なんて訳されるけど、そんな言葉でいいえない闇の自由な世界があるということをシュルレアリスムは発見したというわけ。夢の手法ともいうけど、夢は単なる夢ではなく、生を変える夢という考えをとった。指導者だったブルトンはシュルレアリスム芸術を革命理論にしたわけ。不可視のポエジーを顕在させるのが自動記述という方法なんだけど、エリュアールの詩集なんか啓示にも富んで触発されるよ。「自由を書き付ける」詩的精神の美が踊っている。ぼくも何度か自動記述で書いてみるけど、詩的感覚がひ弱であまり成功していない。ブルトンの場合はシュルレアリスム的手法の応用とその世界のエッセイという切り込みがある。実にフランス的というかヨーロッパ的というか、精神と哲学が結びついて、ずんずん先を切り拓いていくすごさがあるよね。『ナジャ』なんかはすごく面白いね。あんな文章を一度は書いてみたいね。欠落していることは自然への観念がないということかな。
東中 精神と自然の関係を問わないわけ?
松原 自然の存在よりも、現実にないものの内的世界の表出がテーマだとおもうわけ。精神のつくる内的生命力というのか。
東中 ひとが内面に固執すると個人に終始してしまう欠点があるんじゃないかなあ。社会との関係はどうなの?文学芸術と社会という関係はくぐらなければいけないでしょう。
松原 シュルレアリスムでは外部という表象は内部の表出のひとつだという考えがあるから社会にある現象は人の内部の表出という考えにしていいんじゃないか。つまり内部が外化した不可視の社会というものが存在するというね。ぼくは社会的言語の秩序を逸脱した言語に興味があるから、よくわかる。この世界は個人と他者がいて、その両者がどう折り合いをつけるのかという感覚が社会というものでしょう。社会というのは個人の集まりだし、個人が他者とどう関係をつくりあげるかが社会の内部にある。詩の言語もそういう環境の現実にあることを無視はできないが、社会にあわせることを目的に表現すると自縛してしまうと思っている。社会から疎外された地点を踏み台にして、社会のちがうところから発想して書くべきじゃないの。………と、ま、いろんな考えを日頃しているけど、詩作になるとうまくいかないんだな。
東中 沖縄ではシュルレアリスムを手がけたひとは過去にいたかね?
松原 琉大文学の清田政信、岡本定勝、宮平昭なんかはじめはそうだね。文学自立の思想的理論の契機にしたところがあるね。とくに清田政信はそうだね。詩的情念を武器にして反現実的な詩法で書きつづけた。宮平昭もいい詩を書いていたね。青春のシュルレアリスムという感じがね。あまり知られていないけど、1989年に亜孟里之子が『詩集』(北辰社)というのを出している。シュルレアリスムの手法を実践した詩集だ。ただ模倣を地でいったような感じがしたな。といってぼくもそれほどシュルレアリスム詩を書いてないよな。シュルレアリスム的ではあるけど。シュルレアリスムの手法で島ポエムを書こうと思ったりしているが。島言葉の語と語の出会いによる新鮮な世界。沖縄的シュルレアリスムの誕生! どうだ、これ面白いんじゃないか?
島言葉と詩的実験
東中 おめえの頑張りたいスタンスはわかるよ。しかし、おめえがこれまで書いてきたものをみるとムラッ気が多いという感じだね。おめえは飽きっぽい人間ということを暴露しているよね。
松原 それは認めます。ときどき島言葉を使用して詩作しているわけだけど。ぼくのばあい、スマフツである宮古語(ミャークフツ)。島言葉で詩作すること。このことは葛藤がないわけではない。詩想的なフイットがあるわけではない。詩的冒険や詩的実験をしてみたいというムラッ気が大きい。詩作するものは、つねに自分の詩法を問いながら書くのがいいと思っているので、おそらくぼくほど、落ち着きのない詩作をしている人はいないのではないか。それが持ち味と思っている。『あすら』の「詩のコレクション」でも書いたが、自分の方法を「雑居ビルのごとく」と称したことがある。つまり詩作を多面的に書いているというのか。ときに人生詩、生活詩、修辞詩、思想詩、歌謡詩、シュル詩、言語詩、純粋詩、散文詩、叙事詩、叙情詩、といったなんでもありの雑居屋………気の向いたまま書くのが好きなんだな。いいかげんといえばいい加減。分け方には厳密さはない。ないが、言葉の傾向としてそんな感じかな。
いつからこんなムラ気の方言詩、島ポエムを書いてきたか。を調べてみると、昭和60年8月発行の宮古島の平良好児氏(故人)が主宰してだしていた『郷土文学』に宮古方言で書いた短歌を書いていたんだ。(朗読する)
宮古歌―方言短歌の試み
△夢ぬ風がま
流りぴす時ぬ悲すむぬ
かいまいくいまい皆んな歳取いど
青春さらば
酒飲みど大声出だしば
夜や更かし犬ぬ声んぎ淋すむぬ
夢ぬ風吹く
手ぬぴらゆわいてい握りぱど
どうぬ中から魂力ぬ出てど
道まい光ず
旅ぬ島海ぬ果てか.ら
いぎ行かん我が歩きず道や
闇ぬ中
東中 まあ、恣意的、自在というのか。ちゃんとした思想があって書いていないことに物足りないが、琉球・沖縄語を意識的に使って書いているひとは他にもいるよね。
松原 川満信一、高良勉、中里友豪、上原紀善、ムイフユキ、亡くなったけど真久田正とかね………彼らはそれぞれなにか書く理由があって島言葉で書いていると思うけど。高良勉なんかはっきりしているよね。日本の国家から撲滅させられようとした言語を独立言語として故意に使用しているとか。「言語戦争」とまで言っている。勉さん、それはおおげさでしょう、と僕など思うけど。比喩的言い方として面白いと思う。川満信一さんは土俗や神話の根源の世界を再生させようとしていると感じがする。「共生思想」という川満さん的な理解、そこが「根の思想」というのか。かれの縦横にひろがる世界観は独特だよね。島の基層にある色んな要素がまじって作り上げられている。
東中 言語は探求すればいろいろ出てくるね。ロラン・バルトだったか言語と権力の関係を分析して書いたのがあったな。言語は権力に充ちている、危険なものだと。
松原 バルトは面白いよね。ぼくはジャン・ピエール・リシャールの『詩と深さ』を読んで詩の読み方を学んだこともあるが、リシャールはバルトを相当意識していたということがわかって、なるほどなと思ったね。言語の問題、とあえていうけど。言語の問題を考えると出会ったほうがいいよね、ロラン・バルトは。かれほど言語が内在する問題を追求した思想家はいないんじゃないか。対象が多方面すぎてとらえることが難しい思想家でもあるけど。それとフーコーね。西洋の概念を根底から問うわけでしょう。「人間」とか「性」とか「狂気」とか。規定されたその概念をひっくり返そうとしてさ。すごいよ。日本では吉本隆明。「言語美」とか「心的現象論」とか「共同幻想論」とか。思索過程で、支配的な世界とぶちあたった問題を、さまざまな視点から思想している。我々は彼らの後追いをしているにすぎないんじゃないかとさえ思ったりする。彼らの言説を全体として理解するには難しい。秀才なんだよ、とにかく。僕は何度もトライするけど挫折して無力感にとらわれたりする。
沖縄文学は善人文学
東中 哲学や思想のことを言えば難解になっていくし、おれはそんな頭を持っていないからここではやめよう。沖縄の言語をめぐる言説には国家との対峙という形があるね。これは沖縄独特の言説じゃないか。
松原 滅ぼされようとしてきたという悲劇が歴史にあるからね。これは歴史の怨念として消えるものじゃない。
東中 まさにそうだね。国を滅ぼされた、言葉を滅ばされた、文化を滅ぼされた、いや正確には滅ぼされようとしたか。
松原 そういう歴史への自覚が首をもたげる。そうなると沖縄的な思考、問い方というものがでてきて当然だろう。ただそれがあまりにも政治的な思考でいっていると痩せてくる気がする。歴史というのが憤怒のリフレーンとなっているのは沖縄が被ってきた近代の宿命になっているんだな。だから近代の歴史時空に憤怒を感じるところから発する言説が必然的に多い。琉球独立という思想発生の根拠もそこを基点にしているでしょう。米軍支配、日本国家の沖縄への対応への憤怒という戦後史の不快と矛盾を解決する方法としてあると思うけど。しかし、それ以前の、「琉球王国」といっている歴史の時間と空間は、ストレスのない社会だったのか。それは不問にされているような気がする。琉球王朝なんてかっこつけてね、そういう自画自賛には違和感を持つなあ。
東中 沖縄でものを書くことはどうしても政治的な状況をみなければいけないという観念があるね。国家による近代での仕打ち、悲惨な沖縄戦から米軍占領、基地問題、辺野古新基地とか。そんな状況で文学は文学、詩は詩、としてやっていいのかとかね。
松原 それはわかるけどさ。そういう水準で固まっていると文学の創造や方向への眼差しが硬直して面白くなくなるわけ。ぼく的にいうと、沖縄の文学は自己束縛していると思うわけ。なにか外在的なことに関係づけないと存在を許容しないとかね。沖縄の文学言説は状況に桎梏されていて言語表現がまだ水準的に狭隘じゃないか。それはこれまで沖縄を語る基礎的な資料が貧困という事情があったがいまほぼ出尽くしている。つぎはそれをつかってどう解釈を加えて沖縄文学の新しい創造的観念を開拓、拡大していくかということ。これを期待したいね。沖縄にはこうこういうものがあります、こういうことがありましたなんて民俗文学、観光文学というのか紹介目的でいっただけじゃつまらないよ。文学的思索が必要だよ。ぼくは詩に関していえば沖縄的詩学を形成できればと思っている。
東中 沖縄的詩学、ね。それは文学思想の展開の方法じゃないのか。展開の仕方で沖縄の歴史とか文化とか風土を素材に表出した、これまでに出てきたものとこれからのものを詩の立場で思考していく必要があるね。目指すんだったら。
松原 むつかしいけどね。かつて沖縄から普遍的な文学をという声がでていたでしょう。1996年に「沖縄文学フォーラム」という国際シンポジウムがあったのを憶えている? あのときの副題が「沖縄・土着から普遍へ。多文化主義時代の表現の可能性」とあった。沖縄文学の方向性というか期待がはっきりでたころだよね。ただぼくは思ったね。どんないいことをいっても、作品が勝負だよってさ。いい作品を書いてくれよ。そう思うのはぼくだけじゃないだろう。
東中 そのとおり。普遍性の方向性や理論を意識しすぎて作品が貧弱じゃあね。沖縄文学はだいたいが善人文学だよな。主人公はほとんど人がいい。全うでおとなしくてつつましいし。反面、逸脱した世界や悪を描かない。人間の多様な姿を描ききっているかとなると、どうもな。体験した歴史の悲惨や戦後の状況が重いことはわかるが文学の世界が定型的な感じがしないか。これは書き手の多くが教員や公務員あがりの人が多いからじゃねえのか、と思ったりする。これ、偏見か?。
松原 うーん。すごい辛口だね。当たっているが当たっていないと言っておこう。きみの沖縄文学の善人文学説はなかなか面白い。普遍性を目指す文学と言うから、そうなるんだろうね。それと性の文学は描けないよね。大人の文学というのか。これは書き手の文学作法の問題だよ。政治的社会的に意味のある文学が持ち上げられる事への抵抗感というのが僕にはあるね。沖縄を書けという、金科玉条。それは賛成だけど、沖縄をどう書くかでしょう、問題は。ぼくは文体の問題だといっているけど。文体が豊かなほうが沖縄文学の活性化になると思うわけ。
東中 おめえの文学主義的な言い方はわかるけど、文学はなんのためにあるのか、おれは読者だからそのへんは実作者が問うべきだな。
居場所の文学
松原 文学は政治でもないし社会でもないし倫理でもないし。世の中を表面的に扱うのは文学の役割ではないということさ。島の歴史とか土着や風土を描けば文学になるという考えは通用しない。そんなのは歴史学者や民俗学者にまかせておけばいい。生きている空間にいる人間の苦悩を本質的に描くのがすぐれた文学の表現でしょう。ぼくには人間の最後に残された自由な世界は言語のつくる力、その世界だと思っている。
いま世の中、自由、民主主義なんていっているが、現状をみると危ういでしょう。政治の方向性も危ういし、制度や社会の観念やらには国家を中心とした思考が強くなってきている。知らないうちに国民の大多数が国家主義的な国民になっているかもしれない。個人の自由を抑圧してもいいんじゃないかという社会に対する暗黙の無意識な肯定がさ。そうなると必要なのはなにかということだ。ぼくらは生きているということは現実と幻想を抱えている。現実の社会で生き幻想で生きている。文学はその幻想領域だ。そうなると現実で抑圧されたものの居場所は幻想の世界しかない。その具体的な世界が文学空間かなということ。つまり共同幻想からの解放というのか。そこが文学のほんとうの居場所じゃないのか。
東中 居場所の文学か。おめえらしい言い方だな。
たしかに歴史の変動にはなにかの蓄積があって、ある時期に契機があると沸騰するところがあるからね。それはおれも感じるね。まさか、ということが世界に起こりうる。カフカ的不安というのか。そんな感じがあるだろう、テロは多いし国境や領土問題がそうとう緊張して不安定になっている。なにが起こっても不思議ではない。それに慣れっこになっている怖さがある。この前の、北朝鮮の党大会のニュースで、北朝鮮の核ミサイルは、東アジアの米軍基地に狙いを定めている、というのがあっただろう。金正恩の指示ひとつでいつでも落とせると。そうすると基地の島沖縄はその危機にさらされているわけね、現実的に。歴史はある瞬間の事故で狂気的に動くことがあるからね。いま世界中がゲーム感覚で世界を動かしている感じがしてぞっとするよ。
松原 たしかにな。そこは怖いところがある。歴史の狂的瞬間がどんなふうに起こるのか予想ができない。おおげさにいえば、ぼくらは今戦争前夜にいることを知るべきだね。戦争は国家が個人を巻き込んで殺戮と破壊を行う狂気であるわけよ。そこで国家と個人が対立するのは隠されているわけね。共同体よりも個人で生きるのが絶対であるのにそうはならないときにどうするか。共同幻想で死滅の道を選ぶか個人の存在と生命をまもってどう生きるか。自己幻想と共同幻想の闘いになっていくよ、これから。
東中 居場所の文学を究めるしかないか。大丈夫か、それで。
松原 文学するものの意味を考えることが必要じゃないのかなあ。現代において文学はどういうふうに表現し存在するのかということとかさ。
しまくとぅば運動
東中 方言で詩を書く意味を語ってほしいな。冒険しているというのはわかったが。さっきも言ったが、読者にわからない言葉で書いていて虚しくないのか。
松原 素直にいって虚しい。かといって共通語、日本語で書いた詩が読まれているかも怪しい。現代詩は多数に読まれることを期待して書かれない病気を抱えている。自意識の産物でしかないといったひともいるけど、食えないジャンルということね。読まれもしない作品を一生懸命書いて矜恃とする。これは言語芸術の宿命だよ。それでいいんだよ。
東中 なにか強がりにきこえるね。書き手と読み手の関係を島言葉の側から考える必要があるね。
松原 言語は共同体を前提とすることはわかっている。言語圏というのか。もともと言語圏というのは言葉が通用するからいうのだが、日本語、沖縄語、琉球語、………この沖縄でもシマというのか地域でちがう言葉が存在しているわけでしょう。かつての琉球弧という地理的空間でひとくくりにしてしまうこともあったが、奄美語、沖縄語、宮古語、八重山語、与那国語。そのなかでもさらにシマによって語彙やアクセントがちがう言葉がある。そうなると相互の理解が困難になっている。
しまくとぅば、といったりするだろう。県の条例でもしまくとぅば条例といっている。この「しまくとぅば」という表記そのものが地域主義的だよね。「うちなーぐち」という言い方もあって、それが沖縄本島だけに通用する言語なのに琉球・沖縄の言語であるとしたみかたが流布している。沖縄の言葉イコールうちなーぐち。知らないひとは沖縄の言葉は、うちなーぐちと思っている。つまり沖縄は多言語社会だということをあまりしらせない。
東中 前までは琉球語といっていたものが琉球諸語というようになっているね。たしかに、このしまくとぅば条例はおかしいよね。「世代を越えて受け継がれてきた」としているが受け継がれていないからなんとかしようとするんでしょうに。
松原 行政の力でやることにはちょっと違和感というか抵抗を感じるね。ぼくのようなアナーキーなものからすると。
東中 おいおい、おめえ、おれのまねするんじゃねえよ。アナーキーなんて軽くいうなよ。
松原 まねじゃないよ。自分の資質のなかになにかそんな血がはいっているんじゃないかという感じがするんだよ。組織や制度にべったりついて地位や権威を志向する人間をみると腹がたってくるんだな。どうしてこう組織の上昇志向にすんなり生きられるのか。ぼくは社会から疎外された人間をみたらアイデンティティさえ感じるよ。
東中 無理するな。おめえは組織のなかに依存してメシ喰ってきたじゃねえか。いまさらそんなこといってもダメだぞ。
松原 ま、君みたいな自由人からするとぼくなんか卑小なやつにしかならないがね。
東中 言葉と生き様は大事にしろよ。いんちき野郎め。
松原 はい。
東中 とにかく方言を使いましょうと行政がいうことが異様だね。
松原 そこまでしないといけない危機の表れであるけど、しかし、うわすべりにみえるね。しまくとぅばを大事にしろといわれて、「はい」というもんじゃないしね。かつて使うなといってみんな進めていたわけだしね。明治近代の沖縄への日本国家の言語政策、皇民化政策。日本の精神ともっとも離れたところであったがゆえに実に強引な政策を推し進めた。神道なんてもともとなかったからね。アマテラス信仰なんてなかったし。
東中 ああ、酔ってきたな。………で、だ。なあ、ひとが読めない作品を書いてひとり悦にいっているものよ。そこから言語表現の問題が派生するというものだ。歴史的に方言札で撲滅してきた言語がなお残存してきた。その意味はなんなんだよ、ということさ。言語は消滅することと残っていることをどう解釈するのか。
松原 使わないから消滅することはわかりきっている。島言葉はほとんどがしゃべり言葉では存在するけど書き言葉としては成立してこなかった。さんぱちろくの琉歌があるけれども、あの琉歌人たちは首里人だった。だから首里の言葉で歌ったと思うけど、最初は首里語で詠んでそれを日本語表記に当てはめてきたわけでしょう。文字表記されたものと詠っているものが一致していたか。そこは気になるね。詠ったことばと文字表記の乖離に悩んでいたと思う。だから実際には声を出して詠んだものを聞いたほうが感覚的にストンとくる。それはぼくも実際宮古語で書いているけど、声にだしてみると雰囲気がちがうからね。自分の言葉による表現の貧しさを感じるよ。
東中 声と文字表記の乖離は言語表現者にとっては大きな問題だね。しゃべりかたが上手であっても書き方は下手というのが沖縄言語表現の相場でしょう。普通の言語生活では。
松原 声に出すことが目的で書かれた言葉だよね。これまでの琉球語文は。
東中 しまくとぅば運動についての感想は………?
松原 盛んになることはいいことだよ。やはり失われてほしくないし。ぼくも愛着があるからね。しまくとぅば条例が敷かれて色んなところで活動がある。新聞やテレビなどでも島言葉を記事にしたりして、普及を盛り上げようとしている。しかしどうだろうね。いわゆる文化人や教育者、地域の活動家といった指導層だけがその運動の担い手という感じだね。かつて方言撲滅に手をかし、日本語普及に活動した層のひとたちが、今度は逆に方言使用を叫ぶ。さっきもいったことだが。
東中 必要を意識する層としない層とのちがいだよね。ほとんどは生活する上で、島言葉を使わなくても困らないでしょう。そこがネックになる。必要な人が憶えて話せばいいと、おれなんか思うね。外国語なんかそうでしょう。必要なひとが一生懸命に学んで生かしている。
松原 島言葉と外国語を同等にあつかうのはちがうと思うけど。しかし今そうなっているよね。ぼくが宮古語でしゃべると「それ、スペイン語?流ちょうに話すね」って冗談でいわれたりすることがあったからね。
仲里効さんが書いているこの言葉―
「固有語としての琉球弧の島々の言語に対する〈文化的暴力〉は、沖縄の近現代を貫いて継続されてきたということである。ウチナーグチとかスマフツとか島クトゥバとも呼び習わされた、琉球弧のことばは二度貶められた。最初は「皇民化」の名のもとに、二度目は「日本復帰」運動の名のもとに。」(仲里効「悲しき亜言語帯―川満信一の島と神話)
この文章は沖縄の島言葉と国家や民衆を交差させた思考の表れだね。背景にヤマト国家の沖縄へのやりかたへの批判があるわけでしょう。国家が仕掛けた文化的暴力に同化してみんなで日本語=標準語主義というのか土着の言語である島言葉=方言を棄てろといってきたわけでしょう。その日本語の国ヤマトは海の向こうの遠いところにあって、ヤマトへの憧れを身につけさせたわけよ。その罪深い歴史は忘れるべきではない。
かつての職場で経験したことだが、ある同僚の年輩の女性がいたんだが、彼女はヤマトの私立大学に行って帰ってきたひとだが、戦前の沖縄の写真に写っている琉球人をみて「わあ、いやだわ、土人みたい!」と叫んだんだな。本人は自分を教養ある女性と思い込んでいるから、貧困な身なりの戦前の土着民をみてそういったわけ。そういう心性がいまでもあるんじゃないのかなあ。土着蔑視が。こういう人たちはヤマト志向が強く方言を使おうとは思わないだろう。
東中 佐藤優という人が琉球語の正書法をいっていたね。
松原 あれにはがっかりしたね。首里語を琉球語の標準語にして正書法を確立せよ、とね。ぼくはブログで違和感を書いたが、他の意見をみたことがない。なぜ黙っているのか。あれは近代沖縄における日本語を標準語として強制してきた構造と同じだよ。かつての沖縄における琉球王権という支配者の言語を他の島々に強いるわけでしょう。首里語をつかえ、と。このひと権力統一思考のあるひとだなと思うね。
詩人からの批評
東中 おめえの『ゆがいなブザのパリヤー』を新城兵一が批評していたよな。(注:「沖縄―現代詩の現在地点 その詩的言語に対する熾烈な自意識」=『宮古島文学十一号』)
松原 詳細に分析して書いてくれたことに感謝しているよ。あんなふうに書いてくれたのは初めてだったからね。しかも読みに詩論的展開があって彼自身の達成した詩意識、詩思想からみた作品への接近には感服した。いま詩を書くものの間に欠落している批評精神がでていて、まさに詩的エネルギーを感じさせる。
東中 たしかに、かれの批評精神は熱気にみちているね。さすが清田政信の弟を自認しているだけあるよ。いま沖縄の書き手でもっとも旺盛な批評精神をもって書いているひとじゃないか。「修辞的彫琢」という評価と批判をしているね。
松原 収録した作品は言葉を詩的なものへ変換する詩想というか、言葉によって言葉を書く、という方法を実践したところがあるので、修辞的という見方をしているんだろうな。ぼくは沖縄の詩には意味のある詩は時代的に必要とは思うが、それにとらわれない色んな書き方が出てきてほしいと思っている。修辞的表現とシマ言葉の詩的言語への使用について、かれが言っていることはわかる。詩的言語の問題として、島言葉を使うことへの批判はね。それは作品への解釈だから自由だし、そういう解釈があってもいい。ただ、島言葉で書く事への否定に近い批判が気になる。それはどこからきているのか、よくわからない。土着や風土への対峙というのか、かつての詩と反詩という論理はいま有効かというのがぼくにはある。
沖縄を素材に書くことを本土からの「期待と饗応」というでしょう。ぼくは雑な人間だから、もしそんな「期待」があるとすれば、サービス精神でどんどん書いてやるぜ、と思うわけ。だけど、そんな期待がほんとうにあるのかな。むしろそれよりも沖縄の政治的状況を書いた作品がもてはやされている側面があるでしょう。政治的意図にかなった言葉というのか。そういう言葉の表出を求めているんじゃないか。ほんとうの文学的な作品は忌避して、政治的に意味のある言語表現といった眼鏡にかなうものをとりあげる。そういう視点こそ「期待と饗応」じゃないのか。
東中 お前の方言詩も沖縄イメージへの「沖縄回帰」へまぎれてしまっている、独自性がなくなっているといっているね。
松原 さっきの沖縄を書く金科玉条のところでも話したけど、沖縄素材主義で理念化しようとする文学思想は自縄自縛になるのは目にみえている。問題は「沖縄回帰」するほど、どんな沖縄イメージを作ってきたかを問うべきだと思うな。沖縄には古代が生きているとか民俗学の宝庫だとか踊らされて、御嶽やおもろさうしや習俗をなぞっているだけでは沖縄の言語表現を果たしているとは思えない。もっとその根っこを掘って、現在と交差させた文体が出ないとつまらない。つまり定型の沖縄イメージを壊したいというのが僕にはある。読み替えというのか。それはまた詩的感性と想像力の格闘でもある。
新城さんの見方でいえば、そういう見方はできるし、それは僕の弱点でもある。ルビや訳をふるわざとらしさが気にいらないようだけど、それはなにも本土の読み手に対してだけじゃない。琉球弧とひとくくりしている琉球言語圏の沖縄本島の書き手でも、わからないひとが多い。だからやむをえず注やルビ訳をしなければならない。最初に話したことと関連するけど、言葉の伝達をある程度工夫しておかないと、それこそひとりよがりになってしまう。やむをえない表記とみてほしいね。
東中 注やルビをふるくらいなら共通語の日本語で書けばいいだろう。そこが鼻につくわけでしょう。
松原 例はよくないかもしれないけど、たとえば愛をラブ、家をホーム、計画をプラン、色をカラー………とか、外来語を普通に使うときがあるでしょう。漢字でなくてカタカナ表記することで雰囲気がかわるでしょう?島の田舎ものが島言葉の言い方ではなくて、「ぼくはさ」とか「おれはさ」とか、最初はなにか違和感があったのをおぼえていないか?しかし、いまは意味もわかって違和感がないでしょう。このわざとらしさが言語の使用感覚を習慣化させるわけよ。島言葉は残念ながらいまそこまで言っていないから訳やルビをふさざるを得ないわけ。
野菜が首を吊る情景を描いた作品に触れて「にがうり」と書いたほうがリアリティがあるといっているけど、ぼくの詩作法では、日本語の「にがうり」ではなくて、島のどこにもある日常的な「ゴーヤー」が首を吊っている情景でなければならないわけよ。沖縄にある健康食のゴーヤーにある語感への反イメージの感覚を表現したいわけよ。
現在のポエジー感覚からいうと、奇妙な言語表現として島言葉を詩語化するのが自分らしいと思うときがある。誰も使わない言葉を使っている孤立、孤独感とかね。ああ、おれはこんな奴なんだな、という、世の中や自分へのひねくれた感情がでてくる。自分は誰も相手にしない何物でもないという気分になっていくんだな。かっこつけたいい方すれば、「疎外言語を詩的言語へ」ということかな。現代詩はよみ方と表現方法の勝負なんだよ。詩作の方法を雑居ビルと前にも言ったが、多面的な書き方で通そうと思っている。………おい、酔っているのか。
東中 ………「カサブランカは死ぬにはいいところだ」「君の瞳に乾杯」………ごめん、眠くなった。
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