ももちゃんの面白古代史

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天平の甍わ青かった2・・   ももちゃん古代史 2,018/1/6

2018-01-06 19:09:11 | 天平の甍わ青かった・鉛溶解・古代瓦・巨大古墳

天平の甍わ青かった2・・   ももちゃんの古代史 2,018/1/6

奈良の都に青い瓦の三重塔や寺院や政庁など立ち並び美しい時代が有った事は西大寺や薬師寺や唐招提寺出土「青い瓦」が実証している。

 問題はこの青い瓦の時代が何時かという問題だが、現実に奈良時代の聖徳太子や推古天皇が会議で集まったりする現場に(500年頃)から後の文献に青い瓦の寺院などは書かれていないと未確認だが推定する。

 問題は奈良で200m級の巨大古墳が15基程築造され実在している現実。この巨大古墳の多くから埴輪(野焼き焼成)が出土している事。土器の焼成方法としては須恵器技術が伝来する遥かに早い時代に200m級の巨大古墳が築造された時代が有るという現実。埴輪時代は土器焼成技術から言うと弥生土器時代と同類技術と言える。

 その弥生時代に巨大古墳を築造できる文化があり・土器焼成技術から言うと弥生時代という事になる。生活科学の目で論じると、一般的には土器焼成は未だ高温焼成は難しい時代だった。青い釉薬は鉛だが土器焼成などで高温を使えるようになれば銅でも青い色を出せる。奈良三彩壷など国宝級の多くの青く美しい美術品は低温釉薬鉛の緑色だ。

 さて青い瓦(土器で青い土器は鉛釉薬時代で釉薬時代で鉛は400℃程度の低温溶解する)という事は青い瓦の実時代は弥生時代に可能だという科学的現実がある。!弥生時代の銅鏡時代の同じ時代は推定では銅鐸の時代の後期と言える。そういった紀元前1000年頃に奈良の都に青い瓦の屋根の美しい建物が幾つか建設され、東日本の原始仏教的思考の文化が、新しい都建設の槌音と華やいだ期待の文化が、美しい若やいだ奈良の都・巨大古墳時代文化の幕開けだったと推定できる。その後、馬や貴金属の東日本文化の伝来で、銅鐸及び銅鏡そして巨大古墳時代、そして青い瓦の「青に良し奈良の都は咲く花の匂うがごとく今盛りなり」という時代の存在を筆者は確信できます。



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2 コメント

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Unknown (カムヤマト)
2018-07-15 12:50:55
3000年前の青瓦の寺院が発展して、世界に比類のない木造建築群を生み出していった。鑑真和尚が来日した頃には、すでに木造建築技術は頂点に達していたのではないだろうか。法隆寺の釘は長さ30センチ、超高純度の鉄で、1600年たった現代でも全くさびていないことはかじ職人の白鷹氏が証言している。1600年たってもさびない鉄というのは、現代の製鉄技術からみても驚異である。西洋はレンガや石作りの建築が発展したが、瓦や釘を使った木造建築は日本で最高度に発達したことは疑いない。
Unknown (カムヤマト)
2018-07-17 15:44:43
白鷹さんは薬師寺の再建に携わったかじ職人で、そのために、何万本もの古代の釘を作ったそうです。千年もつ釘を作るのがいかに難しいか、小学校の国語の教科書に出ていました。法隆寺は1400年前の創建です。(1600年前は私の記憶間違い)それにしても、1000年もつ釘を作れる技術レベルに達するには、想像を絶する多くの試行錯誤が積み重ねられたのだろう。百瀬さんの言うように、6000年前から日本は鉄器時代にはいっていたというのはうなずける。

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