ももちゃんの面白古代史

ももちゃんが生活科学の目で主に日本古代史解明します。新しい情報いっぱい。例えば日本の縄文時代に製鉄が行われていた根拠など

裏切り・・聖書に学ぶ

2018-04-06 03:30:26 | 聖書・ハルマゲドン・東日本大震災・

裏切り・・聖書に学ぶ   4・5

・たけし軍団の分裂で裏切り問題が浮上した。裏切り問題で世界的に有名な話は聖書の中の「キリストを裏切り、師のキリストを敵に僅か30銀で売り、無実の師キリストに対し残酷な処刑を受けさせたという大裏切り者の弟子ユダ」の話が脳裏に浮かぶ。
・何故、師のキリストをユダは裏切ったのか。ユダは僅かな金をキリストの命を代償として手に入れたが、この重大な過ちを犯した「ユダの心情」を今までの私は注目していた。でもユダの悪を決して見本としてはいけないという教訓として自分の中に明記する事以外に、悪いユダの思考・行為に他人の私が囚われる必要はないと聖書は教えている。(人生の時間の無駄使い・ユダがキリストを裏切った心・気持には金への愛や自分がキリストより優位に立ちたかったのだろう等と推定できる)
・この聖書の考えは重要で<無駄なことに思い煩うなと聖句にある>、私は長い人生クヨクヨと過去の事に囚われてきた。それに日本人の思考の基礎を占めている仏教の悪い点は、過去の本人ばかりでなく先祖の行為までしつっこく詮索する。だが今聖書に書かれた「裏切りの当事者にならない工夫=思考や行動」が最重要だと気付いた最近です。
・私は人生殆どを日本に残された遺跡や遺物という物から「生活科学の目で見た古代史」という観点で「日本の古代史」を研究してきた。しかしウソや裏切りの多い古代史はもう三の次だ。ただ聖書に東洋史は書かれていない。しかし聖書に書かれた「精神的人生がキズ付かずに済む対処法思考」にはウソが無いように思える。もっと早く勉強すべきだった、でも遅くはないと・・・頑張ります。
・仏教の特徴は過去の栄光をもう一度‥という思考の中で、幻影的仮の世界を繁栄させようとする教えや呪術が長年本当に長い間、続けられてきた。しかしその結果が東日本大震災や阪神淡路大震災など引き起こしている。
・では聖書の記録はどうかというと確かに人間の欲・エゴ・金や物崇拝などが原因で戦争や多くの事件が起こっているが、聖書に書かれた神の律法を誠実に行動していればそのような問題は起こらない。平和も楽園も神は与えて下さっていると断言している。
・そして人間の長い歴史の中で平和だったことが有るだろうか、地球のどこかで何時も戦争や紛争が起こっている。人間の力・思考だけでは楽園の招来は難しいとまで聖書には書かれている。事実人間が神を無視するようになって以来、長い間戦争や飢饉等続いている。本来あった地上の楽園はいつ来るのか?。
・神が最初に作られた人類の最初の人アダムとイブの神への反抗=神の言葉に逆らい「禁断の木の実」を食べたという事。その人類全体が引き継いだ不完全さという重い罪もキリストの贖いという犠牲の上に、許されるという事だ。ただ神に信仰を示さない人・神に愛を示さない人は論外だろうと私は思うけれど。


あれから(東日本大震災から)7年・日本人の意識は変わったか?!

2018-03-10 00:56:15 | 聖書・ハルマゲドン・東日本大震災・

あれから(東日本大震災)7年・日本人の思考は変わったのか?

あれから7年、日本式では7回忌、東日本の大震災の津波の恐ろしさは未だに、私たちの記憶に生々しく残っている。TVで映し出される映像はこの世の現象とは思えず、世紀末という言葉を脳裏に思い浮かべながらTVの画面に見入っていた。数時間呆然と画面を見続けてフッと、この津波が現実なのだと実感した時、吐き気を催す邪悪・おぞましさを逃げるためTVから離れた。

・あの大震災から7年、生活が大きく変わった人も多い事だろう。だが私達の考え方が変わった人は少ない事を思う。

・最近勉強始めた聖書では大患難のハルマゲドンの後に楽園が来ることが書かれている。「ハルマゲドン=幾つかの解釈有=神とサタンとの戦いで神に従順な多くの人々を救い出す戦いでもあり、神に忠実な人々にとっては生活上の良い変化の時。(叩けよさらば開かれん・・マタイ7-7)

・その大患難の終末の大異変について見・聞きしたことがある人も多いだろう。その時が今だとは、予言に説明された異変に重なる異変が現在多く起こっている現実がある。そして東日本大災害の津波の映像など見ていると4000年も前に書かれたという聖書のハルマゲドンの予言が思い出され、神戸の大震災や東日本大震災などの自然現象の異変を、予言のハルマゲドン問題と重ねてしまうのは私だけだろうか。
・そしてあれから人々の思考は変わっただろうか?。日本人は神から遠い存在の仏教を信じて生活の中で切り離せないものになっているが、私の今までの勉強では仏教と神の存在は真逆で、仏教は死者を祭り、神(キリスト教)は未来志向だという事。日本仏教は死者≒過去の先祖を神に仕立てて神と呼びその実は死者の過去の功績を祭っているのだと私は解釈している。長く考古学的古代史の真実を研究してきた筆者としては、死者を祭る原始仏教が日本で始まったのは少なくも4000年より以前の事だろう。この4000年という長い間、日本人は過去を振り返っていた事になる。そして7年前の東日本大震災だ。先祖を祭るのがいけなかったと思えないだろうか。私はもう過去を振り返る仏教にはもう心動かされる内容は何もないと思う。

・聖書を学び始めて多くの真実が聖書に語られている事に驚くと同時に、仏教的信条に囚われていた自分に気が付き、聖書の言葉の新鮮さと良い便りへの信頼が増したと同時に、より多くの人が聖書を読み聖書を正しく理解し本当の神の愛に目覚める必要性を痛感しているのです。

・震災を受けた羽生君の不屈のスケートへの情熱を見るにつけ、7年前の大震災の1か月後やっと医療関係の仲間に入ってボランテヤ活動として行った陸前高田。学校の体育館に収容された被災者たちの憔悴しきった魂の抜け殻の様な様子を目の当たりにして、又中学同級生男子たちの5ー-6人グループの姿が思い浮かびます。恐怖体験を忘れるためかゲーム器に集中しているかのような彼らの中の一人に近寄った途端、話もしないのに私の目は涙であふれ、その少年から離れるまで言葉も出ずに私の目から涙があふれ出ていた異常体験は今も忘れられない。あの恐ろしい体験をした少年は今どうしているのかと、、、。そして未だ彼らは先祖祭り=仏教祭りを続けているのだろうか。大きな痛手を被ったのに!?。忠実な日本の多くの人々は誠実に慣習の仏教的祭りを続ける。聖書の中に神の救いが書かれている事を知らずに!!

・被災者の人々が間違っても神を恨んだりしないことを祈る。何故なら大患難は神のご意志でないことが聖書を学び読む中で理解できるから。今までの私の学びの中での知識では、楽園だった地上が人間のあらゆる欲=性欲に始って名誉欲とか支配権とか金銭欲や物欲等全ての欲によって汚されて、現実の対抗意識から戦争や人殺しや悪が人々の中に蔓延った。それらの心の現象が災いとなって自然現象を引き寄せ自分や人類の上に注ぎ出される。しかし最初から神は人類の幸せのために働いていて下さっている。と聖書には書かれているのです。私も多くの人生訓(言い方悪いかも知れませんがいい表現が出来ません)を聖書から知りました。

そして若い時に聖書を学ぶべきだったと反省し、認知症傾向と戦う今になって遅ればせながら、必死で勉強中です。

・皆さんが仏教的信条から目を覚まし一日も早く「未来の楽園を目指し」て生きる方向に方向転換を勧め祈ります。                             2018・3・10