ももちゃんの面白古代史

ももちゃんが生活科学の目で主に日本古代史解明します。新しい情報いっぱい。例えば日本の縄文時代に製鉄が行われていた根拠など

魂の約束はとは何?

2018-11-20 19:39:59 | 聖書・仏教・人間て何?

魂の約束はとは何?   11・20
・最近はカルロスゴーン氏の多額申告問題で「やっとか?」と思った一人だが、私は今嘘というレッテルを張られて、自分の真実が通らない事へのいら立ちを身にしみている。私の古代史の真実が、物証がありながら何故このように発言が通らないのか?。聖書ではこの世はサタンが支配していると書かれている。だからどんなに多くの真実の出土品という実証があっても、私の古代史は認められていない。同じように私の発言は嘘だという何処からか解らない声にかき消されて人々は信じてくれない。これから書く私の体験による真実も、サタンに監視され「嘘!」と言う声(思い)でかき消されて、真実として人間には伝わらないらしい。でもこれは私の真実体験した心の問題であり、嘘という声のウソが何処から発しられているのか、引き寄せられて近日中に明らかとなることを信じる。もし神が本当にいるのなら、もし神の楽園を神は人間のため実現してくれるご意志があるなら、今直ぐに私の主張が「ウソというレッテル」でかき消されないと信じるしかない。もし私のこの内容がウソなら、永遠に楽園は人間には与えられないと、私は神自体を信頼できなくなる故に信じる。

・さて実体験とは今より若い20年程以前<性>の情熱の重さを夜な夜な実感し本質が知りたかった。それで真実を明らかにして下さいと願い、その頃・出会った聖書研究会に参加し聖書の勉強を始めた。そして聖書でいう神に「この情熱の重さは何なのかを明らかにして下さい」と祈った。当時私は最後の結婚のチャンスという時期で数人の男性が身辺でちらついていた。しかし自分からのアプローチはせず、私の魂に強く働きかけた男の魂に、私自身の聖書への勉強の意思・意欲をしばらくの間、魂に働きかけた男に託した。その時の交換条件は夢では土地が示され、土地と交換に聖書から離れることだと理解した。それが約束だったと私は考えた。そして高齢になって当時の住所から現在地の近くに引っ越した地で以前と同じ聖書研究会の人と出合い、人生最後の勉強と考え学び始めたが、2年後にまた引越しとなった。そして今の地で学び始めたら、聖書が教える「愛とか義」とかの無い指導者に代わってしまった。最初から私への排除心むき出しの指導者を見て、聖書の教えとかけ離れた人格に戸惑いながら学ぶ意志は持ち続けた。聖書に書かれた「苦しむ人を保護する避難所」という言葉を信じていた私の期待と全く真逆の「お前は受け入れない」というサインを指導者から私は感知した。しかし私は聖書を勉強したいが故に其の悪魔のような心の女性に仕方なく学び始めた。だが指導者はこの上ない意地悪女で、私はバカで教えを理解せず組織に反抗的だという事を、その指導者による勉強会で、多くの人に認知されてしまった。今考えると彼女の目的は私を追い出したかったようだ。未だに彼女夫妻は私を追い出すことに組織的にパワハラを示している。勉強会での質問も、声が聞こえない蚊の泣くような声で質問してくるなど嫌がらせは頻繁だった。一緒に参加した人達に「(私が)如何に馬鹿で理解しない人」というレッテルを張られてしまったようだ。その後研究会で手を挙げても当てて貰えず回答も出来ず、いじめは続いた。
・さて問題の約束の土地どころか苛められている現状に、聖書の神は何も答えず、私の特質や願いは周りの人が実現し、私は自分の願いが自分に叶えられずに歳月が過ぎる空しさを実感していた。聖書の神は「幸せを持来る神」と書かれているが私にとっては嘘ばかりの神という事になる。しかしそれでも神の真実を知りたいと勉強しても私の願いの物は皆に取られてしまう。そんな時、私の身が逆さにされている夢を何度か見た。そして私自身の身(心)が逆さ吊りにされている事を自覚する必要があると知った。この解決は近日中にこのブログを公表することで、はっきりされると私は信じるが、聖書の神が私を逆さ吊りにするはずはないと確信はある。では誰が私を逆さ吊にしているのか?、当然研究司会者の20年前の妻帯者の男夫妻だろう。彼等は淫行を私に仕掛けてたぶらかしたとまで言わせてもらおう。
・仏教的日本に住み、真実を求めて来た私にとって日本神話の「古事記」に書かれた創世記頃の真実が案外日本原始仏教の本質と通じている事を実感していた。その日本仏教の本質は日本の大地の中に現実として出土品や遺跡として残されている事を知り、聖書で言う「大いなるバビロン」に当る宗教が仏教であり、仏教の本質は女神の天照大神を岩屋戸に閉じ込めることで始まっている実感を持った。この時に真実の母なる太陽の神は閉じ込められ逆さにされ、力を阻害されて地上楽園を仏教の力に委託してしまわれたことを知った。
・私は真実の古代史が知りたいと、仏教でなく自分の中の神に常に祈ってきた。しかしまさかの今仏教との対決とは今まで気が付かなかった。でも薄々感じていたので純粋で若い時からキリストに憧れ聖書にその道を見出そうと祈ってきたのだから、キリストを愛して止まない私が、仏教に私の主幹がぶれる筈もない。

・ではキリストの愛は何かと言われれば「自分の命を犠牲にして人々を救った愛」という事になる。しかし盲信の愛は私は体験上人間の為にならないと体験してきた。ここでキリストの愛とは?他人を富ませて幸せにしても、キリストは何時「愛」に報われるか、確かに天界では神の地位を得た。しかし人類はキリストが命を懸けて救った時の人間は2000年も経過しているのに、何の反省もなく・男達・組織は「苛め徳」とばかり母に弱かった弱い頃の私の立場・過去に私を引きずり回す。今聖書のキリストの意思を継いで勉強しているという組織はまるで仏教と同じで、私の過去に私を引き戻そうとしている。私のいる勉強会の組織と妻帯者の欲情を見せつけた20年前の組織の男は、聖書の愛を行わず創価学会・仏教を実行しているようだ。

・私は20年前魂を掛けて祈り約束した人と会える事を信じて聖書研究会から離れた。そして今回聖書で言うように引き寄せられて、この組織に入ったのだから、20年前の真実が明かされている訳だ。ところが20年前の妻帯者の男は約束を守らないどころか私を逆さにして真実を隠し、ポイ捨てしようとまるで創価学会や高島易断や仏教そのものの呪術のオンパレードを、夜な夜な組織の中の異なった男たちに・欲望とエゴを送られ苦しい。この心の問題を明らかにすることを決心した故に、心の混沌の問題の解決に繋がればいいのだがと祈るばかりだ。このブログを読んだ人の何人が・真実を知る事が出来るか知らないが、必ず近日中に気が晴れる事を期待し、キリスト没2000年、そのキリストの犠牲を無駄にしないためにと思う。

・キリストの愛は間違えれば人類(男)のエゴと欲望を増長させてしまう。今この事に気づき宗教者達よ悔い改めよと言わせてもらいたい。
・ただし聖書は仏教とは異なり女性の尊厳も認めている。又聖書は過去はないと言い切っている。仏教は過去を繰り返しその中で欲と男のエゴを増長させている。故に聖書は女子の為、人類の正しい道を歩みゆかせる聖いなる書だという点で人類が学ぶべき真実の書だと強調しておきたい。そして私が愛する「義と愛と公正な真の神」に今の私の置かれた苦境からくる誤解を少しでも解けたらと願うばかりです。


聖書は真実の記録書

2018-11-12 08:17:23 | 聖書は真実の書・仏教と聖書・偶像礼拝

聖書は真実の記録書   11・12

・日本人には馴染みが薄く「知っているが遠い存在」という聖書で私も知ってはいるが手に取ってみたのは20年前頃。理解も難しく未だ生活の為に働く必要もあって,イヤ霊的問題があって世の生活に戻った方がいいと判断し、聖書勉強からしばらく20年程、遠ざかっていた。その頃未だ聖書は手元に持っていたが聖書積読状態だった。その後現在地に越してき手聖書通読を始めて三分の1程度読み進んだ辺りに「イザヤ書」が納められていら。その時イザヤ書   の聖句で私は日本超古代史を研究していた関係で、日本の超古代の2000年とか3000年も以前に制作されたという「不空羂索観音や弥勒菩薩や阿修羅像」などの美しさに感動し、これらの仏像を制作したアーテストの存在が気になった、精神的にそんな技術に到達するには心が谷比較できない例えばキリストのような精神状態とか、神のように愛深い作者だったのか、一方でこれらの仏像製作の時だけて「神が乗り移って」荘厳で美しく高い技術を突然身に受けて制作したのかという点で非常に興味津々だった。あくまでも古代の仏像は美術的鑑賞であって神の依代とは思えなかったので、依代として「仏像に向かって」祈るという事はしていなかったが、この点、偶像礼拝はご法度で聖書は人間の作った仏像を悪魔的に扱っている。

・その理由がイザヤ書44:16-18にA氏が木を植え大きく育ったので薪とした。その木は一部が薪として焚火に使われパンを焼き肉を焼いて腹を満たした、そしてA氏は残りの木に彫刻を施し神像・仏像として、自分で作った彫刻像に平伏しその像に向かって「私を救い出して下さい・自分の掘った仏像に向かって貴方は私の神です」。と祈った。と書かれている。
・この聖句を読んだ時私は目から鱗だった。日本人は多くが考もせず「困った時の神頼み」的習慣的に仏像や卒塔婆等に「祈り」を捧げる。この馬鹿らしさ・不合理さを考えもせず、気にもしない。・・日本の信仰の本質に踏み込んだこの聖句を読んだ時、聖書が真の書だと知った。それに私の「生活科学の目で見た古代史」と視点が同じだ。自分が仏像などを信じていた訳ではないが、でも死んで土に還った何も考えない物になった先祖だの、お盆だのと過去に生きる日本の多くの行事がとても空しい事だったと、痛い程知り理解した。
・こんな素晴らしい気づきが彼方此方に聖書には書かれている。もっと勉強したいと思うと同時に、親しい知人たちに知らせたいと切に思った。偽りの情報に自分の人生を無駄にしてしまった事への反省は強い。もっと早くから聖書を勉強していればよかったのにと、反省しきり。そして今からでも遅くない、多くの日本人に仏教世界の人達に、本当の真実の宇宙の真実を知ってもらいたいと思った。日本の古代史の真実と共に早く真実に一歩でも近付きたいと思う。
・今私達はこの聖書の真実を人に伝えるようキリストに託されているのに、聖書研究会という組織に、私のこの率直な真実を伝えたい心を禁止されているので、禁令を破りブログに書いてしまった。見つかればもしかしたら除名されるかもしれない。でも真実を知らない多くの皆さんに聖書の真実を一日も早く伝えたいと思います。キリストが命を懸けて愛を伝え真実の『良い便りを伝えることを』私達に託したのに、私は組織の決まりよりキリストの思いを実行し、多くの人に伝えたい。私はもう高齢者だから、明日もないかもしれないのだから。聖書には未だ目から鱗の聖句が幾つか発見できますよ。是非若い人に聖書を読んで欲しいと祈ります。