ももちゃんの面白古代史

ももちゃんが生活科学の目で主に日本古代史解明します。新しい情報いっぱい。例えば日本の縄文時代に製鉄が行われていた根拠など

<strong>令和の時代に寄せて・皇室の歴史</strong>   2019・令和R5・1

2019-05-01 15:53:41 | 奈良の都・緑色瓦・紀元前500年・
_令和の時代に寄せて・皇室の歴史   2019・令和R5・1   百瀬
阿佐ヶ谷神明宮の銅鏡 皿の花紋は松本出土緑釉陶器花文で銅鏡蓋の花文は発展系 高麗出土土器
ここ数日は皇室関係のTVや記事で持ち切りのようだ。古代史研究者としては好む・好まないに関わらず関わる問題が出てきてしまう。
・伊勢神宮の神宝は何か?数ある中で異質なものも多いようだが機織器・草薙剣・八咫の鏡(八陵鏡)について今回は触れてみたい。
・皇室の機織機は金色のようだが、主宰神の天照大神が女性の為か。機織機は安曇市の穂高神社の神宝であり、松本市出川の多賀神社でも機織機が神宝と言う。それはお多賀様と呼ばれる神社で福井県の多賀大社に類似行事があると言う。古事記の中の三貴神神話の項で天の岩屋に籠られた天照大神の一連の神話が再現されているのような出土品等だ。草薙剣は名古屋を中心にした神話の素戔嗚尊に登場する神宝のようで草薙の剣伝承は、多く名古屋を中心に聞かれる神話だから、筆者推定では諏訪の神の神宝「薙鎌」から由来して、カッ鉄鋼(高志小僧)産地の名古屋近辺で当時は日本一の剣が製造されていた可能性が強い。確か筆者の統計では世界1-10位の巨大古墳が多く築造された大阪中心に剣がシンボルだった時代が存在した。その中心が大阪と近辺だった。
・また銅鏡については神器は八咫鏡と言われ実物は門外不出で戦後?頃2・3の学者が見ていると言うが、写真は公表されていない。そして推定写真では八陵鏡のようにネットなどでは書かれている。古事記では松本西部の安曇野地域一帯を舞台に三貴神神話の展開は書かれている。そしてその地で八陵鏡は出土し八陵鏡の中心は一時北部長野県の山岳地域等だ。この銅鏡も銅鏡の初期=ルーツ的銅鏡で、この八陵鏡の変化した時代に合わせた銅鏡が八花鏡で、奈良の都の中心の興福寺五重の塔の心礎から出土している。勾玉については縄文時代初期の頃の新潟や出雲を含めた頃の繁栄から神宝とされていると考えます。だから今の天皇は全く日本の歴史から外れていると言う訳ではないが、いい所強調の文化等を継承している。其れを上手く奈良時代に藤原氏が「日本書紀」として中国等の渡来人の技術文化輸入と言う形で、日本人受けするよう改竄している。そして奈良時代以前の縄文時代文化や・巨大古墳築造文化を不問とした。と言う事が遺跡や古墳出土品から言えることで、出土品や遺跡跡は今は最も科学的な実証という事になる。
・「藤原氏のルーツを追って」で触れていると思ったがお多賀様や福井の多賀神社など「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢はお多賀の子でござる」と言う古謡が存在している。お伊勢の以前に母親としてのお多賀様の存在が詠われている。お多賀様の神宝はお伊勢でも神宝の「機織機」でもある。
・そして埼玉県高麗地域は朝鮮の高麗人の里として定着しているが高麗地域出土朝鮮系土器とされているのは黒色土器で、黒色土器のルーツは松本地域にあると統計から筆者は確信している。松本から高麗地域移住は案外近いから、松本で黒色土器発明頃の縄文後期初頭頃には埼玉県に移住していると推定できる。
・「令和」は私は真実の日本の超古代史を確定する年としたいと願っている。
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/8b/4497ab2892126116b1bbfeb2da475c80.jpg


最新の画像もっと見る

コメントを投稿