波士敦謾録

岩倉使節団ヨリ百三十余年ヲ経テ

ラルフ・タウンゼント(Ralph Townsend)について (続き)

2005-07-18 02:34:01 | 雑感
 昨日宮崎正弘氏の「国際ニュース・早読み」の網站( http://www.melma.com/mag/06/m00045206/)を覘くと,通算1185号 増刊号(http://www.melma.com/mag/06/m00045206/a00001000.html)に,米外交官であったラルフ・タウンゼント(Ralph Townsend)の著作が日本で新たに翻訳・出版されたことを知った.

ラルフ・タウンゼント著、田中秀雄・先田賢紀智訳
『アメリカはアジアに介入するな』(芙蓉書房出版)
芙蓉書房出版の網站:http://www.fuyoshobo.co.jp/

芙蓉書房出版の内容説明にも原書の題名が触れられていないので,断言は出来ないが,本網誌で7月16日の記入の註で触れた,昭和11(1936)年に米国で出版された"Asia Answers"および彼が残した小冊子,例えば,『ジャパニーズ・プロパガンダ:近代日本対外プロパガンダ文献復刻シリーズ 第2回配本:パンフレット集成 全10巻』(http://www.aplink.co.jp/synapse/4-901481-81-9.htm)に収録されているもの,

There Is No Halfway Neutrality (1938)
The High Cost of Hate (1939)

が上記の新翻訳書に含まれているに違いない."Asia Answers"は昭和12(1937)年に日本国際協会から『米国極東政策の真相』という標題で邦訳・出版されている(訳者は大江専一).Townsendのこれらの著作を捲っていると,日本と英米仏が,当時外交・軍事において五十歩百歩の選択をしていて,日本が亜細亜におけるならず者ならば,英米仏も君子どころか日本と同類であることを示す事実を次々と指摘して,米報道媒体の偏向を厳しく批判し,蘇連・支那の情報調略を排し,日支に対して醒めた自国益優先の等距離をとることを主張していたことが分かる.戦後,占領下の洗脳で誤解を吹き込まれ,戦前を忘れてしまった日本人が,当時の日本が置かれた状況を再訪し,戦前の「常識」を取り戻すための有益な情報・手掛かりが詰まった資料と言える.勿論,左巻き系の帝国主義絶対反対の原理主義者は,他人が悪いことをやっているからという理由で他人を真似して君も悪いことをやっていいのか,という個人間の倫理を国家間の通則に無理やり投影した常套的論法で戦前批判を繰り返すであろうが(当該論法への批判については,坂本多加雄氏の『国家学のすすめ』171-2頁参照).
 "Asia Answers"出版された昭和11年は日本が第二次倫敦海軍軍縮会議から脱退した年であり,翌12年は盧溝橋事件を発端とする支那事変が始まった年である.同書中におけるTownsendの主張は,支那事変勃発以前,極東に対して明確な立場をとっていなかった米国人に対しては未だ説得力を持っていたかもしれないが,日々の親支・反日報道を疑いもせず得心していたであろう平均的な米国人には馬耳東風だったと想像される.そして,支那事変が支那大陸内で収まらず,海南島,北部仏印と拡大し,南方で日本と英米蘭とが対峙する状況が出来した際,態度を決めていなかった者も,米報道媒体の従前の反日論調に疑問を抱く余地がなくなったに違いない.Townsendは,日米激突への方向に向かって自ら選択の自由度を狭めていった当時の日本の指導者達をどの様に太平洋の反対側で眺めていたのだろうか.
 Townsendが批判して止まなかった軍事介入の呼び水としての米報道媒体界の偏向報道体質[判官贔屓的肩入れ=情「弱者」に絆されやすい]という問題は,米国にとっても真に今日的話題であり,また,支・蘇の米報道媒体界調略を許してしまった,しまっている日本にとっても,開国以来の宿痾的課題と言える.
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